教室のボールドに、疑問の数字が書かれた。まんなかに大きく、赤のチョークのポチポチで、
「一、二三」
朝から級は、そのことで、さわいでいた。ききつたえて、教室へいらしった先生は、じっと赤い数字をみて、それから、さっとふき消してしまい、一時間めの算数をはじめた。
授業中、一とか、二とか、三とか、の数字がでてくるたび、みんなはどきんとした。疑問の数字は、ボールドから、みんなの心の中に、引越して、はねまわっているみたいだ。
さいしょの休み時間、つぎの休み時間、時がたつにつれて、疑問の「一、二三」はみんなの口から、ますますこいなぞになってでてきた。
「気になるねぇ、『一、二三』」
「『一、二三』ふしぎでしょうがないなあ」
ところが、二学期末の級会の帰り、
「やあ、あれは……」
みんなの目をみはらせた。降りつんだばかりの、だれの足あともない、校庭の雪に、りんごの皮で、「一、二三」
りんごの皮は、たったいまの会場から、持ちだされたにちがいない。学校園でできたりんごは、毎年、六年生が、二学期のクラス会で、ごちそうになるきまりであった。さっきみんなは、りんごの皮をつづけてむく競争をした。
「大きいりんごを、じょうずにしまいまできらさずにむけば、あの字の線くらいはあるだろうけどね」
副級長の岡松一郎が級長の木下篤にいった。うなずいた木下くんは、
「そうさ、それが。あれは、そばまで持っていって、長めたものじゃないだろう。ヒュウッとなげたのさ、ずいぶん遠くから。すると、よっぽど強くなければならない。しかもきらさずに、あの長さに線をひくには、りんごの皮を巻いて、ヒュウッとなげるひょうしに、するするとほどけながら、雪に長まる投げかたをしたにちがいない。あれはよっぽどけいこをしたあげくだ。しかも、野球の投手にきまっている。あんなあざやかな投げかたをするんだもの」
この学校の名投手は、二年上の中学科最上級生、海老名敏男だ。右の手が左の手より五センチ長いそうだと、全校のひょうばん者だ。頭のいい、いたずらずきだ。
球がまさに海老名敏男の、指からはなれようとすると、きまって、味方がわからは、
「まるあげ、うまい」
と声がかかり、敵方からは、
「フライ、フライ」と、声がかかる。海老名敏男が、片足ちぢめて、くるりとからだをまくるように、はずみをつけるようすが、えびのてんぷらそっくりだからだ。
秋の対級試合で、さいごの決勝に、この海老名敏男をもつ中二チームに、立ちむかったのが岡松、木下をふくむ、小六チームであった。
海老名とくいのきょっ球を、小六の打者は、三人と顔をかえず、ひきつけるように、はしからかっとばしてしまったのであった。
海老名は、まっさおになって、たやすくせしめられた敵の得点表を、にらんでいた目つきが、血ばしってすごかったそうだ。
「ざんねん、むねんは、雪どけまで、持ちこさなきゃ、ならないんだから、海老名もつらいさ。これくらいの手なみはみせたくなるだろう」
木下篤が、そういうと、みんなはてんでに雪だまをにぎって、あざやかな「一、二三」にポンポンぶっつけだした。たいていはずれて、「一、二三」のぐるりにあばたをつくった。それをみていて、岡松が、
「だめだな。どれも、ぴたっとあたりゃしない。秋は、こっちが先攻だから、独眼龍のガンちゃんが、バットはボールの親友さなんて、やっつけてくれたから、意気でのしちゃったって、気味はあったけど、こっちには、エビフライにまさる投手はありそうもないね」
口をキッとむすんで、くびを一つふった。くやしいながら、それは級中同感であった。
「だから、エビフライ、挑戦しているんだよ。ぼくたちは、冬のあいだ、雪だまで、練習しよう」
三学期から、六年級には、しもやけがふえた。まつ葉をひたした洗面器が、いつもストーヴにかかっていた。まつ葉の熱湯は、しもやけの特効薬だ。雪だまのぶっつけっこをしては、まつ葉湯に手をつっこみ、ふいて、かわかしで、また雪だまをにぎりにいく。
このたのしそうで、いたそうで、かゆそうななかまにはいらず、なかまのだれにも気にとめられない少年が一人いた。手を服のそで口へたがいちがいにいれたり、のどもとであっためて、ストーヴのそばへもよらない。
この高沢少年は、山の分教場から、転校してきたのだ。転校生はわりに、ちやほやされるものなのだが、この少年はみんなにうとまれた。きらわれるわけだらけであった。
第一に清潔でない。あかだらけの手足、しらみのはっているシャツのえり。
第二に、はきはきしない。呼んでも、うすのろみたいなたいぎそうななまへんじをし、したくなければてんでしない。級中とか、組わけで、協同のことをするときでも、だれかがさしずしなければ、自分からは動こうともせず、数えても、さっぱりとわからないのが、のらりくらりでへまばかり。
第三、ひじょうにずるい、級でせいとんしてあるそなえつけの本でも、運動具でも、自分かってな時に、きまりの手帳にもつけず、こっそり持ちだしては、ほったらかしておく、せめるとだまりこんで、学校を休む。そのくせ、かごに盛られたりんごなどに手をだす時は、われさきにいちばん赤い、いちばん大きいのをつかむ。
第四、手くせがわるい。人のものを平気で、自分のものにする。鉛筆でも、ゴムでも、もっと、はっきりわかる筆いれでも、持ち主が、
「これ、きみの?」
「― わかんない。投げてあったから」
机の中においたのでもそう答える。岡松が、
「もし、投げてあったら、きみ、だれのかきいてくれたまえ、級長にとどけなきゃだめだよ」
と、いうと、もう、石ころのようにだんまりである。
第五、ひどく利己主義だ。この少年が、朝だれより早く教室へくると、ストーヴのまきは、一日定量の三分の一はたかれてしまう。みかねて級長が、
「きみ、みんなのことも考えてくれね、それにあんまりもやしすぎると、あぶないからね」
すると、全校で、冬の欠席、遅刻なしの記録をあげる競争しているのをしょうちで、道でスケートのりをしているくせに、教室へはこない。
第六、おそろしくごまかし屋で、らんぼうだ。いくど、何人に注意されても、わるいことをし、のっぴきならないほどになじられると、ストーヴの上のにたち湯の洗面器をもちあげて、その級友にかけようとした。が、かえって、洗面器をつかんだ高沢少年の、手がやけどした。
「チ、チ、チ、チ……」
高沢少年は窓かけをぎゅっとやぶいて、手をしばった。
級中、ふんがいして、先生に、
「なんとかしてください。こりるほどしかってください。どっかへやってください」
先生も、こまっていられたが、
「ああいう山の中には、たまに、こういう未開人がいるんだよ。動物から、人間になる途中のね。きみらだって生まれたてから、お家の方々のあたたかいしつけがなかったら、あんなだったにちがいない。きみらが、はっとして、ひそかに心でおさえて、はずかしいと思うことでも、高沢は平気でしてしまうんだよ。またきみらが、しなければはじだと思うことが、高沢にはできないのだよ。誠意をもやす術を知らないから、ちえがでないのだよ。文化というのは、誠意だよ、速度も発見も、こころよさも、誠意の産物だよ」
いわれてみれば、みんなも自分たちが、もっともわがままな場合のしぐさは、高沢少年のらんぼうさに似ているのに思いあたり、頭をかいた。
「ね、わるい見本も、きみらをよくする役にはたつさ、高沢を気のどくだと思って、いたわってやってくれたまえ。愛の巣から、ちえの小鳥は生れてとびたつんだよ」
そろって、おじぎをしたが、さて、高沢少年をみると、手のつけようがない。
人の言葉をきけない耳をもっているように、級中のいうことはけっしてきかない。
しぜんのけもののように、かまわずにおかれた。
こんどの、「一、二三」の件にしても、だれ一人、高沢少年には話しかけなかった。
「ね、『一、二三』なんて、なんか意味ありそうにたくらんでさ。しゃくじゃあないか」
「そうだよ。一、二三だもの、一年生さ」
「わざとこんなかんたんな数字で、いっそうなにかありそうに思わせたエビフライを、ひとつ、こっちからからかってやろうか」
「一番バッターから三番バッターまでに、エビフライを真青にさせたって、うらみだろう」
「一番バッターで、しこたまやられて、二三とつづいたってことの、しゃれだろう」
「みんなで、『一、二三』をつかってね。エビフライをまっかにしてやろうよ」
耳から耳へ、チョッチョッとなにかささやかれた。きいているうちに、にこっとして、次の耳にチョッチョッとささやく。高沢をのけた六年級ぜんぶの耳から耳へ、チョッチョッとささやきがつたわり終わると、いいかい、はじめようと目であいずして、まだ授業がある中二の教室の方へ、しのび足で、六年全級が進んだ。もちろん、いたずららしい目をみあわしあい、ふきだしそうになる口をおさえたり、むりにかたくむすんだりして。
中二の教室は、みょうにシーンとしていた。しのび足の六年級群の中から、しめしめという手まねと、失敗じゃあないかという身ぶりがおこった。教室の手まえ、十メートルばかりのところだ。
木下篤が、つまだって、時間割の板をみた。そして岡松一郎の耳へ口をつけた。岡松はドアのかぎあなからのぞいた。みんなの方をふりむいた岡松は、両手を胸のまんなかから、左右にはねる手つきをした。これは、
「快的、快的!」
ということに、日ごろからきまっていた。それからつづけて、声をださずに、口のかたちばかり、大きく、あけたてして、
「レ、キ、シ、の、リ、ン、ジ、シ、ケ、ン……」
みんなは、はねあがるかわりに、のびあがって、こおどりした。自分たちの、けいかくは、敵が、しずかにしているほど、ききがある。岡松一郎が、人さしゆびを、チョンと立てて、用意とあいずした。むらがって進んできた六年級は、パラパラと、一列にならび、三足ずつのかんかくをとった。木下が、さいごについた。岡松一郎が、チョンと立てた人さし指を、左にぐっと動かした。はじめのあいずである。
列は歩きだした。ちょうど、中二の教室の、後から、四枚めの窓ガラスのところへくると、さいしょの一人が、こっそりと、うぐいすのなき声をまねて、
「一テン」
つぎが一息おいて、
「二三、ホーホケキョ」
三人めがまた、
「一テン」
四人めが、こんどすずめのなき声で、
「二三、チュウチュクチュ」
教室の中からは、クスクスとしのび笑いがもれてきた。岡松一郎は、また人さし指で、口の右はしをおさえた。
「しっぽにつける鳥のなき声を、しばらくやめ……」
というあいずだ。六年級の一列、三歩かんかくの人数は、
「一テン」
「二三」
「一テン」
「二三」
と、後から四枚めガラスへむけて、こっそりつぶやいては、すぎていった。途中で教室の前のドアがギイとあいた。歴史の黒田先生がのぞいた。六年生はひるまず、やっぱり、
「一テン」
「二三」
と、歩調正しく、しずかにまじめに歩いていた。列の横で、さしずをしている岡松一郎が、黒田先生に目礼した。黒田先生は、このさまを、何かの実験さいちゅうなのだと思われたらしく、ドアをしめて、はいった。六年級群は、たちまち、頭の上で両手をふったりして、声だけはみださず、
「一テン」
「二三……」
と進んでいった。岡松一郎も木下篤のつぎについて、そっくり、四枚めのガラスを通りすぎるには、四分二十秒かかった。その足なみで、自分たちの教室へかえった六年級は、四つむこうの中二の教室へ、はっきりきこえるように、みんなそろって、
「一、二三!」
とピリオド(おわりの点)を打った。そしてさっぱりした顔つきの四十三人になった。自分たちの計画は成功したと確信した。さぞ、いまごろは、エビフライ、まっかになっているだろうと、みんなは、海老名敏男の赤い顔をみているようにゆかいがっていた。
「どれっくらい、ゆだったか、ぼく、兄さんにきいてみるね」
中二に、兄がいる佐藤禎二が、ためそうとした。
「うまくきけよ。こっちの手がわからないように、これからもときどき、一テン二三をやってやろう。中二で、ちがう先生の授業のたびにね」
それが翌日、
「海老名は、にんじんのひげほども、赤くならなかったそうだ」
「中二では、小六が、小なまいきに、海老名を、『一、二三』のでどころにきめてからかうつもりだが、じじつむこんなのだから、きっとしかえしはするとそうだんしている」
とわかって、みんながっかりのうえに、やっかいなことをふやす、この「一、二三」が海老名でなければ、どんな手長ざるだろうとうわさした。先生が習字の時間に、
「中二でね、小六に、雪中野球を申しこんできたよ。大寒中になって、雪がふんでもぬからないくらい凍ったら、やろう。校庭を、いまからたいらにしておこうというんだ。試合の日は、小六のつごうのいい日をきめるようにってさ」
みんなは下をむいた。投手がないのをみこして、中二のいじわるだ。うつむいた頭から、なんかよいふんべつが、したたりでないかと、みんなは、あっちこっちにくびをかしげた。そのかたむいた頭が、あんまりかわいそうだったとみえて、ニョキニョキとあげさせるものがとびこんできた。
「あっ、きれいな小鳥!」
「冬になると、エサがないから……」
「なんの鳥だろう」
みんなは取りたかった。鳥は教室のてんじょうにくっついてバタバタとんだ。あんまりさわぐと、おいつめられて、窓からでて、となりの理科教室へひいてある電線にとまって、ほらもうどうにもなるまいと、みどり色のくびをくりくりさせている。みんなは残りおしげにみおくるばかりだ。そのとき、教室の窓から、つと黒いものがとんだ。小鳥の足にあたった。小鳥は雪にパタリとおちた。
小鳥は六年級に、足のきずをいたわられて、かわれることになった。小鳥の足にとんだのは鉄の文ちんであった。高沢少年が、となりの席の文ちんを、だまってとると、ヒュッと投げつけたのだ。先生は、
「左ききだね。高沢。きみ、投手になりたまえ」
手なみを目のまえにみた級は、これをしょうちせずにいられなかった。高沢少年は、つぎの休み時間から、雪だま投げのなかまに加わった。高沢少年の雪だまは、ずいぶん思いがけないとび方をして、あてようとする目じるしに、磁石と鉄のように、きっとカチッと吸いついた。
「高沢あ。なんでいままで、ごねてばかりいたんだい。こんなすごいうでがあるのに……」
高沢少年ははずかしそうに笑った。級へきてからはじめての笑顔であった。ふかくて暗い谷に、久しぶりにほんの少し日ざしがさして、みたこともない植物や、うもれていた鉱物が、人の目にふれるときみたいであった。
「いいかい、高沢、投げる人と、うけとる人が、みかたなんだよ、うけとる人のすぐ前に、じごくの鉄棒みたいなもので、じゃまして、ほうったたまを、はねとばしちまう方が敵なんだよ」
とルールを教えるにも一苦労であった。
「じゃ、じごくの棒にたまがあたらないように、うまく、その後のつかみ手のまん中へいれりゃいいんだろう?」
高沢少年が、まともに口をきいたのもはじめてだ。
「そうそう、それだよ。たのむよ、高沢」
全級にたのまれた高沢少年は、ものすごかった。皮のボールくらいかたくにぎった雪だまを、あらゆる角度から、あらゆる線をえがいて走らせた。たいていなら二三度は、まつ葉湯に手をつけにくる時間、高沢は一度もこなかった。
「だいじな手だぜ、しもやけをつくっちゃ、だいなしだ」
「だいじょうぶ。こすっているから、しもやけなんかにゃ、なるもんか」
高沢の手は、しもやけがきらってるように、しもやけにならなかった。
「おいらがね、たまをこんなふうにしたら、こういくってのを、とらまえる方で、こころえてくんないかなあ」
高沢のたまは、じつにふしぎであった。知らない人には、てんでけんとうのつかない投げ方をした。
「山にいてよ。鳥をとるときにゃ、鳥やけだものってもなあな、とっても感がはやいで。さとられたらもうにげてしまう。とんでもない方へとばしそうにして、それでぶっつけちまうんだよ」
石つぶてで、鳥やうさぎややまめを取る方法を、みんなに話してきかした。
「それそれ、やまめや、うさぎをまんまとかついでしとめるわざで、中二をやっつけてくれよ」
級の意気はあがった。高沢の目つきはやさしくなった。猛練習はつづけられた。
中二といっしょに校庭の雪ならしの時は、高沢少年は、くまのようにはたらいた。やや、たいらになった校庭で、おたがい練習をはじめると、海老名敏男は、高沢少年の後へきて、よくじっとたってみていた。ある日、とうとう、
「おいきみ。きみはどこのチームからうつってきたんだい。コーチャアはだれだい?」
高沢少年はだまっていた。きかれた言葉がわからないのだ。いまはしたしくなった級友たちには、だまっている高沢が、なんと答えていいかとほうにくれているのがわかった。みんなで海老名敏男のきくことが、高沢少年にわかるようにかわるがわる説明した。やっとうなずいた高沢少年は答えだした。
「ああ、うさぎと、やまめチームからきたよ。コーチャアは、ぴよどりや。つぐみだ」
こんどば海老名敏男が、めんくらって、わからなかった。それを岡松一郎が説明した。
「そうか、どおりで、人わざだとは思われなかった」
海老名敏男は舌をまいて、くびをふった。
このおそるべき小六チームの投手、高沢少年は、こまったことに、時間をはかることが、からきしできなかった。まるで、時計ができない先の人間のようであった。自分のしたいことは、いつなんどきでも、のうのうとしていた。これでは、チームワークがとれない。だが、へたに急がせると、こじれてしまい、なおのこと、のろくするか、まるきりしなくなるやっかい者だ。それに、傍若無人に、不作法である。これもじょうずに教えないと、むくれる。
思いがけなくすばらしい投手をえた小六チームも、高沢少年のきげんをわるくしまいとびくびくして、ほねがおれた。先生は、
「きみたちが、高沢にけんとうがつかないように、高沢もきみたちに、けんとうがつかなくて、びくびくしているんだよ。むくれるのは、悲観しているんだよ。気にさわらないようになぐさめたまえ。あれは、物知らずだといわれるのが、いちばんこわくてつらいんだから」
「へいこうなんです先生。きみそれではこまるだろうと、えんりょしながら、こうしなきゃというと、きっと、どうでもいいって、ふてくされてしまうんです」
「もうちっと、手ぎわよく手術するんだよ。手術される方が、いたくなくね。マスイを先にかけといてね」
高沢少年によくきくマスイは、心からほめることであった。
「よう、みごとなボール」
ついみとれた級友が、後で高沢少年をかこんで、口々にほめそやすと、高沢少年は、うれしそうに、まぶたの厚い目をしばしばやって、
「なんでもねぇよ。ありゃあね、すくいあげ投げでね、おいらね、きのう、原っぱへいってさずかってきた投げ方なんだけどね」
といいここちになると、
「おいらあ、みんなにめんどうばっかりかけてなあ。あいらあ、いろんなことになれないもんでなあ。おいらあ、しまったって思うときばっかりでなあ。おいらあ、山にいると、いまごろからくまがりだから、わざのみせどころなんだけどなあ。去年の大寒の最中、もうあぶないってくまがりで、おいらの投げなわが、あばれてたくまのくびにな、なつかしそうにうまくとびついてよ。つづけてうった投げ刀が、目をやらかしてよ。くまはまるまって、たおれたよ。血が雪にしたたってね、ちょうど、一月の二十三日だ」
これが高沢少年の、なによりのてがらなのだ。きいている級友たちは、敏感な者からじゅんに、赤字の「一、二三」がうかんできた。
「ああ、そうか」
高沢少年は、だれも自分をみとめてくれず、はえでも一匹たかってきたようにあつかうのが、とてもかなしくて、自分のなによりのほこりの日を、書かずにいられなかったのだ。
「一、二三、ね」
みんなも、自分のことのようにいってみて、ほほえんで、目をうるませた。高沢少年の目はもちろん、うるんで、ストーヴの火をみつめていた。みんなはなんだか、ひどく自分たちが、知らずにむごいことをしたようなここちで、すまなかった。
清潔でないのは、こっちのみんなの心で、はきはきさせてやらなかったのも、こっちで、あるいは、ひじょうにずるかったのもこっちで、らんぼうなのも、こっちのみんなだったようだ。高沢少年もなんにもいわずに、心の中でいけなかったことを、はっきりと数えあげて、切りとろうとしているらしい。
ストーヴの上の水盤から、たちのぼる湯気のような、やさしくやわらかいあたたかさが、おたがいの心の中を自由にかよい。はじめたここちがしてきた。
「ね、みんな、試合の日は、一月二十三日ときめようね。大寒の最中で、雪もよく凍っているだろうから」
木下篤が、うるんだ目のままでいった。高沢少年は、ことばでこたえられずに、太いくびを一つ、ガクンとうなずかした、
「いいかい、一月二十三日」
級のみんなも、いものこ頭や、きんちゃく頭をそれぞれにうなずいた。
「さあ、もう一週間の、一月二十三日」
みんなは、また練習と応援にたちあがった。
「一、二三」
あらためて、ボールドのまんなかに赤く大きく書かれた。
「勝ったら、りんごの皮で、一、二三だよ」
「一、二三」は小六の級に、おたがいを思いやる心をかよわせる数字であった。
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