津軽ではこどもを、童子という。
雪はワラシの財産だ。年の暮れに、方々でキネの音がし出すと、村のワラシたちは雪ベラを持って、一面の雪原に出かけてゆく。好きな所へ、仲間だけで入って遊ぶクドを作りにゆく。クドとは空洞のなまりかも知れない。
クドはコンモリと雪が吹きだまりになった横はらを掘り下げて、屋根と壁から雪がかけ落ちて来ないように、よくたたきかためる。坐る所にはワラを敷き、ムシロ、ゴザ、サンダラボッチをのせる。これで自分たちの部屋が出来上ると、仲間が組になって、お盆か、ウチワの上に、家の年越ナマスをきざんだしっぽのニンジンとダイコンでこしえたウスとキネだの人形だのをのせてもちつきのすんだらしい家から、村中を一軒ずつのきなみに訪れる。
「カパカパに来たじゃ」
カパカパに来られた家では、モチを一つかみ祝儀に出す。一まわりすると、しこたまたまるので、クドに持ちこんで、火をたいたり、炭をおこして焼いて食べる。取っておきのリンゴもふところから出る。クドの雪に火照りがして、仲のいい友だちのなつかしい霜焼けほっぺたもあかるみ、ふざけながらのキョウエンはたまらなく楽しい。
七輪と貝焼鍋をもちこんで、干わらび、ニンジン、ゴボウ、ダイコン、焼どうふ、アゲをきざみこんだ貝の汁を温ため、それにタラの子もサケの子も、モチもほうりこんで、ポッポッとにたてて、フウフウふいて綿入れのえりにこぼしながら食べる味は、クドの中でこそ、無上にうまい。
はらいっぱいになれば、ねころんだり、はらばったり、昔語りをやる。モコ(お化)の来る話、人買い、ママコ話、バカムコの話、さては童謡になって、
「友達なァ友達なァ、花折りに行かねか、なんの花折りに、ボタン、シャクヤク、ケシの花折りに、一本折ってァ腰にさし、二本 ― 三本目に日がくれて、宿屋に泊ったきゃ、宿屋の姉様、銀のちょうし手に持って、金のちょうし手にもって、 ― おらほの山には、高いとこにゃたけの子、ふくいとこにゃふきの子、ニシコイワシコ沢山だァ沢山だァ」
雪のクドにこだまして、雪原に流れてゆくワラシの合唱。
そろそろいたずらがしてみたくなれば、道端にメドチというタテ穴をほり、上にほんのちょっと一皮雪をかぶせておき、通る人をおっことしてはやそうとかくれて待つが、メドチをいたずらした経験のある津軽の人はめったに落ちない。
ベンジャ(スケート)も、ソリ乗りもワラシの天下だ。岩木山と八甲田山がヤレヤレとすすめる。雪だらけのワラシらは、
「ワイ、熱い冬だじゃ、リンゴ食ねばまいね」
七夕まつりに、歴史の人を竹骨紙ばりの大人形とうろうにつくり、ローソクをつけて、
「アラッセラッセラッセラッセジャジスコジャン」
と銀河の下をねり歩くネプタのうれしさも、七日七夜の精進をして、
「サイギサイギ」
とお山まいりにゆく楽しさも、雪の中で、りんごをかじりながら津軽のワラシらはすでに予想をたてている。
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