新型コロナウイルス感染に伴って、今シーズンの東京交響楽団新潟定期演奏会は当初の予定が大きく変更変更されることとなり、定期演奏会としてでなく、新潟特別演奏会として開催されています。
定期会員券はすべてキャンセルされ、公演ごとに一般発売されることになりました。7月の演奏会は新潟特別演奏会「2020盛夏」として開催され、ジョナサン・ノットが映像で指揮するという前代未聞の離れ業で感動をもたらしました。
今回は、本来なら第121回新潟定期演奏会として、リオネル・ブランギエの指揮、アリーナ・イブラギモヴァのヴァイオリン独奏で開催されるはずでしたが、両者の来日が困難のため、指揮者は尾高忠明さん、ヴァイオリンが川久保賜紀さんに変更になりました。曲目も一部変更され、コダーイの管弦楽のための協奏曲が、リャードフの交響詩「魔法にかけられた湖」に変更されました。
今日の指揮者の尾高忠明さんは、2013年3月にNHK交響楽団と新潟市に来演し、同年10月にも札幌交響楽団と新潟市と魚沼市で演奏していますので、新潟は7年ぶりになります。
コンチェルトを演奏する川久保賜紀さんも、2013年9月の東京交響楽団第79回新潟定期演奏会に来演して以来ですので、7年ぶりです。
今日のプログラムは、昨日サントリーホールで開催された東京交響楽団第638回定期演奏会と同じであり、昨日の演奏は
“Live from Suntory Hall !” として無料生配信されましたので、視聴された方もおられたのではないかと思います。私もどんなものかと覗いてみたのですが、画質も音質も良くて、演奏に引き込まれてしまい、結局全部視聴してしまいました。それにしましても、無料で配信するとは東響も大したものですね。
上越地方では大雨警報が発令されましたが、新潟市は小雨がぱらつく程度で済みました。気温は高くなく、比較的過ごしやすい9月最後の日曜日となりました。昼にロビーコンサートを聴かせていただいた後、某所で休息を取り、再びりゅーとぴあに戻りました。
体温チェックを受けて入館。既に開場されていましたので、受付で自分でチケットの半券を切って入場しました。
客席の使用制限が緩和され、クラシックコンサートでは全席の使用が可能となりましたが、すでにソーシャルディスタンスを確保した状態でのチケット販売がされており、そのまま前後・左右1席おきのままになっていました。
販売席数が減らされ、定期会員がキャンセルになったせいもあろうかと思いますが、客席が間引かれたことを勘案しても空席がかなり目立ち、これまでの東響の演奏会の中でも集客数としては一番少ないかもしれません。私の席は2階の正面左寄りの最前列で見晴らし良好です。
ステージ上では、オーボエ、コントラバス、チェレスタ等が入念に音出しをしており、次第に気分が盛り上がってきました。客席にはテレビカメラが数台配置されていましたが、収録して何かに使われるのでしょうか。
開演時間となり、いつものように拍手の中に団員が入場。全員揃うまで起立して待つ東響新潟定期方式です。昨日のサントリーホールでは、拍手のない中に団員が入場していて寂しく感じました。やはり新潟方式は素晴らしいですね。
コンマスはニキティンさん。次席は廣岡さん、田尻さんは2列目です。管楽器以外は、いつもの東響マスクを着けていますが、ニキティンさんはマスクなしです。弦5部は、私の目視で14-12-10-8-6。対向配置ではない通常の並びです。
尾高さんが登場して、1曲目はリャードフの「魔法にかけられた湖」です。この曲を聴くは、2004年7月の第27回新潟定期(指揮:アンドレイ・ボレイコ)以来16年ぶりです。
尾高さんは指揮棒なしでの指揮です。森に囲まれて静かに佇む湖。月の光が湖面に輝き、時折吹き抜けるそよ風が湖面を揺らす。そんな情景が思い浮かぶような美しいメロディに、心が洗われるかのようでした。東響の弦楽の美しさを実感しました。
弦が減らされて、私の目視で12-10-8-6-5となり、ステージが整えられて、2曲目は 川久保賜紀さんをソリストに迎えて、ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番です。
この曲を聴くのは、2017年10月の第102回新潟定期(指揮:ダニエル・ビャルナソン、Vn:神尾真由子)以来3年ぶりですが、川久保さんは、この曲を2006年5月の第36回新潟定期(指揮:ドミトリー・キタエンコ)で演奏しており、素晴らしい演奏にブラボーの嵐だったと記録されています。あれから14年経ち、今回はどのような演奏になるのか楽しみでした。
川久保さんは、昨夜と同じメタリック調のシルバーのドレスです。ちょっとセクシーで、川久保さんの美しさを一段と引き立てていました。
この曲は4楽章からなりますが、各楽章の性格の違い、対比が面白く、ヴァイオリンの深遠な響きが美しく、心に染みました。
第1楽章はノクターンで、いきなりの緩徐楽章です。低弦に載せて幽玄に歌うヴァイオリン。バスクラリネット、コントラファゴット、バステューバの地を這うような響きに、瞑想の世界へと誘われました。
第2楽章は一転して躍動感に溢れました。ショスタコーヴィチの署名音型「DSCH」が使われているそうですが、無学な私にはわかりません。でも耳に残るメロディが何度も出てきました。
第3楽章は再び緩徐楽章となりました。ホルンの咆哮に始まり、金管の重厚なコラールや低弦に載せて、ヴァイオリンが切なく、哀愁に満ちたメロディを奏で、胸に染み入りました。同じようなメロディを何度も繰り返した後の長大なカデンツァの素晴らしさには息を呑み、川久保さんの素晴らしさを再認識しました。
アタッカで第4楽章に突入。ミニマルミュージックの如く畳み掛けるように刻むリズムに載せて、ぐんぐんとスピードアップし、怒涛の如くフィナーレへと駆け上がりました。
興奮と感動の圧倒的な演奏に大きな拍手が贈られました。本来ならブラボーの嵐のはずなのですが、ブラボーの代わりに、力の限り拍手しました。数回のカーテンコールの後、ソリストアンコールなしに休憩に入りました。
後半はメインの バルトークの管弦楽のための協奏曲です。弦は再び増強されて14-12-10-8-6になりました。2台のハープをはじめ、ステージいっぱいのフル編成のオケは壮観ですね。
この曲は、有名曲ながらも生演奏で聴く機会は少なく、東響新潟定期では、2005年5月の第31回新潟定期(指揮:秋山和慶)以来15年ぶりです。そのほか2011年5月に、サントリーホールでの日本フィル第630回定期演奏会(指揮:小林研一郎)、2016年11月に、名古屋フィルハーモニー交響楽団新潟特別演奏会(指揮:小泉和裕)で聴く機会があり、私としましては、4年ぶり4回目になります。
管弦楽のための協奏曲と題されているように、オーケストラの各パートの力量が如実に示される曲なのですが、東響の名手たちが見事に演奏してくれました。特に管楽器の素晴らしさには感嘆しました。
第1楽章の「イントロダクション」は、地を這うような低弦の調べで演奏が始まりました。ステージ右側のヴィオラ・チェロ・コントラバスの低弦軍団と左側の高音のヴァイオリン軍団とがせめぎ合い、その戦いの中に、管楽器の各パートが順次現れて自己主張しました。大人しいはずのハープも、金属製の物で弦をはじいて鳴らし、存在をアピールしていました。各楽器の顔見せ的内容で、まさにイントロダクションでした。
第2楽章の「対の遊び」は、小太鼓に始まり、ちょっとユーモラスにも感じるメロディに載せて、各管楽器が2人ずつ対になって楽しげに演奏しました。金管の重厚なコラールの後再び賑やかに音楽を奏で、小太鼓が最後を締めくくりました。
第3楽章の「エレジー」は、まさにエレジーであり、切々と胸に溢れる思いを訴え、熱くやるせない感情を爆発させるような“嘆き節”に胸を熱くしました。
第4楽章の「中断された間奏曲」は、弦が奏でる叙情的な間奏曲のメロディを、ショスタコの7番ともレハールの「メリー・ウィドウ」ともいわれる陽気なメロディがかき乱して中断し、遊び心にニヤリとしました。
第5楽章の「フィナーレ」は、ホルンのファンファーレでヨーイ・ドン。全員で全力疾走しました。小休止をとった後、再び全力疾走し、フィナーレへと駆け抜け、大爆発しました。
オーケストラの各パートが、存分に実力を発揮し、互いにせめぎ合い、鼓舞し合い、感動の演奏を作り上げました。正にオーケストラのための協奏曲です。ホールは興奮に包まれ、大きな拍手の中に終演となりました。
前半も後半もお見事であり、東響の素晴らしさを再認識しました。フル編成のオケを聴く喜びもありましたし、感動で胸が高鳴りました。早くも今年のベストワン候補です。
晴れやかな気分でホールを後にしました。良い音楽を聴けて良かったです。
(客席:2階C2-11、S席:会員更新割引利用:\3250) |