一
自己とは他なし絶対無限の妙用に乗托して、任運に法爾に、この現前の境遇に落在せるもの、即ち是なり。
ただそれ絶対無限に乗託す、故に死生の事また憂うるに足らず。死生なおかつ憂うるに足らず、如何にいわんやこれより而下なる事項においてをや。追放可なり、獄牢甘んずべし。誹謗、擯斥、あまたの凌辱、あに意に介すべきものあらんや。我等はむしろひたすら絶対無限の我等に賦与せるものを楽しまんかな。
二
宇宙万有の千変万化は、皆これ一大不可思議の妙用に属す。而して我等はこれを当然通常の現象として、毫もこれを尊崇敬拝するの念を生ずることなし。我等にして智なく感なくば、すなわち止む。いやしくも智と感とを具備してこの如きは、けだし迷倒ならずとするを得んや。
一色の映ずるも、一香の薫ずるも、決して色香そのものの原起力に因るに非ず。皆彼の一大不可思議力の発動に基づくものならずばあらず。色香のみならず、我等自己そのものは如何。その従来するや、その趣向するや、一も我等の自ら意欲して左右し得る所のものにあらず。ただ生前死後の意の如くならざるのみならず、現前一念における心の起滅、また自在なるものにあらず。我等は絶対的に他力の掌中に在るものなり。
三
我等は死せざるべからず。我等は死するも、なお我等は滅せず。
生のみが我等にあらず、死もまた我等なり。我等は生死を並有するものなり。我等は生死に左右せらるべきものにあらざるなり。我等は生死以外に霊存するものなり。
しかれども、生死は我等の自由に指定し得るものにあらざるなり。生死は全く不可思議なる他力の妙用によるものなり。しかれば、我等は生死に対して悲喜すべからず。生死なおしかり、いわんやその他の転変においてをや。我等はむしろ宇宙万化の内において彼の無限他力の妙用を嘆賞せんのみ。
四
請うなかれ。求むるなかれ。なんじ何の不足かある。もし不足ありと思はば。これなんじの不信にあらずや。
如来はなんじがために必要なるものをなんじに賦与したるにあらずや。もしその賦与において不充分なるも、なんじは決してこれ以外に満足を得ること能はざるにあらやず。
けだし、なんじ自ら不足ありと思いて苦悩せば、なんじは愈々修養を進めて、如来の大命に安んずべきことを学ばざるべからず。これを人に請い、これを他に求むるが如きは卑なり、陋なり。如来の大命を侮辱するものなり。如来は侮辱を受くることなきも、なんじの苦悩をいかんせん。
五
無限他力何れのところにかある。自分の禀受においてこれを見る。自分の禀受は無限力の表顕なり。これを尊びこれを重んじ、もって如来の大恩を感謝せよ。
しかるに、自分の内に足るを求めずして、外物を追い、他人に従い、もって己を充たさんとす、顛倒にあらずや。
外物を追うは貪欲の源なり。他人に従うは瞋恚の源なり。
六
何をか修養の方法となす。曰く、すべからく自己を省察すべし、大道を知見すべし。大道を知見せば、自己にあるものに不足を感ずることなかるべし。自己に在るものに不足を感ぜざれば、他にあるものを求めざるべし。他にあるものを求めざれば、他と争うことなかるべし。自己に充足して、求めず、争わず、天下何のところにかこれより強勝なるものあらんや、何のところにかこれより広大なるものあらんや。かくして始めて、人界にありて独立自由の大義を発揚し得べきなり。
この如き自己は、外物他人のために傷害せらるるものに非ざるなり。傷害せらるべしと憂慮するは、妄念妄想なり。妄念妄想はこれを除却せざるぺからず。
七
独立者は常に生死巌頭に立在すべきなり。殺戮餓死、もとより覚悟の事たるべし。
すでに殺戮餓死を覚悟す。もし衣食あらば、これを受用すべし。尽くれば、従容死に就くべきなり。
而してもし妻子眷属あるものは、先ず彼等の衣食を先にすべし。すなわち、我が有る所のものは、我をおいて先ず彼等に給与せよ。その残る所をもって我を被養すべきなり。ただ、我死せば彼等如何して被養を得ん、と苦慮することなかれ。これには絶対他力の大道を確信せば足れり。かく大道は決して彼等を捨てざるべし。彼等は如何にかして被養の道を得るに到るべし。もし彼等到底これを得ざらんか、これ大道彼等に死を命ずるなり。彼等これを甘受すべきなり。ソクラテス氏曰く、「我セラリーに行きて不在なりしとき、天、人の慈愛を用ゐて彼等を被養しき。いま我もし遠き邦に逝かんに、天あにまた彼等を被養せざらんや」と。
(明治三十五年六月十日発行『精神界』所載)
絶対他力の救済 終
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