TOPページへ

■日本海軍沿革9(昭和18〜20年)

明治2〜15年  明治16〜25年 明治26〜36年 明治37〜大正2年 大正3〜10年 大正11〜昭和7年 昭和8〜14年 昭和15〜17年                 
◆昭和18年

1月、ニューギニアでプナの日本軍玉砕(この方面の戦死者8000人)。レンネル島沖海戦。
2月、ガダルカナル撤退開始上戦闘の戦死者、餓死者2万50OO人にものぼった。
3月、ニューギニア増援のた日本輸送船団8隻、ダンビー海峡で全滅。ヴィラ.スタンモ沖夜戦。アツツ島沖海戦。
4月、”い号作戦”発令。4月5〜10日にソロモン方面、4月11〜20日にニューギニア方面を大空襲するという作戦だった。同じころ連合艦隊司令部ラパウルに進出。山本五十六大将、プイン視察の途中、搭乗機撃墜され戦死。かつて日米開戦に反対し、「一年間なら十分にあばれてみせましょうが、それから先は保証できません」といっていた山本は、望まない戦闘にみずから先頭にたち、そして"英雄”としての生活を閉じた。連合艦隊司令長官に古賀峯一大将就任。
5月、アッツ島守備隊玉砕(戦死2300人、米軍戦死400人、負傷1135人)。
7月、コロンパンガラ島沖海戦。
8月、ベラ湾の海戦。ついでキスカ島撤退。第五艦隊河瀬四郎中将が直接指揮して、霧を利用し5200の将兵を救出した。米軍はこの撤退に気づかず、2週間も無人の島に攻撃をつづけたのだった。
9月、海軍、絶対国防圏をパンダ海より力ロリン群島の線に後退。
10月、第二次ベラベラ海戦。

11月、ブーゲンビル島海戦。空母海鷹竣工。タラワ島、マキン島の守備隊玉砕。マキン島には海軍特別陸戦隊を主カとする七百余人、タラワには柴崎恵次海軍少将の指揮する横須賀第三特別根拠部隊5000人が守備していたが、五万余の米軍の前に、徹底的に抗戦したあげく玉砕。米軍も戦死千余、負傷二干余をだし、米本国にショックを与えた。
12月、空母神鷹竣工。

◆昭和19年

1月、空母千歳竣工。
2月、クェゼリン島、ルオット島守備隊玉砕。死者6800人。米機動部隊、トラック島空襲。艦船43隻沈没、航空機270機損失。日本の重要な海箪基地トラック諸島が無カになる。
3月、新型空母大鳳竣工。同じころ米機動部隊パラオに来襲。古賀連合艦隊長官、これをさけてダパオに行く途中で戦死5月、豊田副武大将が連合艦隊司令長官に就任。ただちに”あ号作戦”指示。陸軍大臣・統帥部陸軍参謀総長・首相を兼ねる東条は、5月下旬以降マリアナ・カロリン・ニューギニアを結ぶ海域内でアメリカ主カ艦隊を迎え撃とうと決意。これが”あ号作戦〃である。
文部省、学校の工場化を決意。
6月、米軍がサイパンに上陸。ぐマリアナ沖海戦はじまる。この日一日で総計315機を失い、日本航空兵力は粉砕されて二度と挑戦することができなくなった。さら旗艦大鳳、空母翔鶴、瑞鶴、飛鷹も撃沈され、日本はマリアナ、サイパン周辺の制空・制海権を失った。
7月、サイパン島守傭隊斎藤義次陸軍中将以下2万4000人玉砕。中部太平洋方面司令官海軍中将南雲忠一以下の海軍部隊も玉砕。小磯・米内内閣成立。
8月、テニアン島守備隊玉砕、グアム島守備隊玉砕、戦時型空母雲龍、天城が竣工。
10月、空母葛城竣工。神風特別攻撃隊「敷島隊」編成。米機動部隊、沖縄を空襲。台湾沖航空戦。大本営、捷一号作戦発動(フィリビン方面に陸海空の主力を集中し、決戦を行なう作戦)。25日、レイテ沖海戦(フィリビン近海で捷一号作戦により行なった三つの海戦を総称していう)。日本は旗艦大和をはじめ空母4、戦艦8、重巡9など連合艦隊の大部分を投人した。しかし台湾沖航空戦でほとんどの飛行機を失っていたため攻撃力はなく、空母その他のほとんどの艦船を失い、連合艦隊はここに事実上壊滅した。一方、海軍神風特攻隊の関行男大尉の率いる敷島隊の5人は、零戦に250キロの爆弾を積むと、米艦船に体当たり。空母セントルイス、同スワニー、同サンガモン、同キトカン・ペイ、軽巡サンタフェを大破。これを最初に、特攻は終戦までに出撃2664回、戦死2530人以上をだした。11月、海軍回天特攻隊、ウルシー奇襲。12月、空母信濃が米潜水艦の魚雷を受け、潮岬南方で沈没。

◆昭和20年
1月、大本営が本土決戦計画を決定。マニラで日米激戦はじまる。
2月、硫黄島に米軍上陸(3日に2万3000人の守傭隊玉砕)。B29の本土空襲あいつぐ。
3月、米軍、呉軍港を大空襲。人間ロケット爆弾"桜花隊”初出撃。
4月、沖縄本島に米軍上陸。敵艦
船に対する"菊水作戦”発動。鈴木貫太郎内閣成立。沖縄救援の戦艦大和は鹿児島・開聞岳南方で米機動部隊のため沈む。
5月、最高戦争指導者会議、和平方針を協議。B29東京夜間大空襲で皇居炎上。
6月、沖縄の地上部隊全滅皇、終戦の意志思示。特攻作戦"菊水作戦”打切り。陸海軍の本土決戦体制なる。
7月、米機動部隊、呉に大空襲。
8月、6日広島に原爆投下。9日長崎にも投下される。
8月15日終戦。

11月30日陸海軍省廃止。帝国海軍の歴史終わる。

☆引用・・・『毎日グラフ・別冊 あゝ江田島』1969・8・1


TOPページへ
「海軍兵学校」関連書籍
直線上に配置