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■日本海軍沿革7(昭和8〜14年)

明治2〜15年  明治16〜25年 明治26〜36年 明治37〜大正2年 大正3〜10年 大正11〜昭和7年 昭和15〜17年昭和18〜20年             
◆昭和8年
1月、日本軍、山海関を占領。つ
いで国際連盟を脱退、これで日本は孤立化し、いよいよ大戦への道を歩むことになる。
5月、航空母艦龍驤竣工。
6月、霞ケ浦で海軍少年航空兵第一回卒業式。
12月、連合艦隊は、平時即戦体制として常置することに決定。司令長官は末次信正大将で、戦艦8、空母4、巡洋艦21、駆逐艦36、潜水艦27が最初の陣容。

◆昭和9年
3月、水雷艇友鶴、志白岐付近で荒天のため転覆、100人が殉職。月、東郷元帥88歳で死去。
7月、海軍兵器製作の大阪機械製作所に争議が起こる。900入の争議団は高野山に籠城したが、9月入って敗北。同じころ海軍出身の岡田啓介、内閣をつくる。ファシズムの波の前に、穏健な海軍軍人である岡田を選び、軍部を押えよううというのが、西園寺ら重臣の希望だった。
9月、海軍軍縮予備会議に山本五十六大佐を任命。
12月、海軍、急降下爆撃機を正式に採用。ワシントン海軍軍縮条約の廃棄をアメリカに通告。このころの海軍内部は、軍令部長末次信正らの艦隊派に握られ、岡田ら穏健派は押しきられていく。


◆昭和10年
9月、三陸東方洋上で訓練中の第四艦隊駆逐艦初雪、タ霧が、激浪のため船体切断。54人が殉職し、駆逐艦の船体強度が問題になる。
11月、上海で中山一等水兵射殺され、政府、中国に排日運動取締まりの強化を要請。
12月、海軍航空本部長に山本五十六中将就任。航空拡張をはかる。

同月、ロンドンで海軍軍縮会議はじまる。全権は永野修身。

◆昭和11年
1月、ロンドン軍縮会議から日本海軍脱退。以後、日本は軍備無制限時代に突入する。2月、ニ・ニ六事件起こる。海軍は陸戦隊を芝浦に上陸させ、、海軍省の警備につかせ、さらに土佐沖で演習中の連合艦隊に電報を打って東京湾に集結させた。
5月、木更津航空隊が開隊、ついで陸、海軍大臣・次官は現役とする旨公布される。
6月、国民唱歌が放送されるようになり、第一回に「海ゆかば…-・」が決定した。帝国国防方針、傭兵綱領の第三次改訂を裁可する。米ソを目標とし、海軍戦艦、空母各12隻、航空65隊。陸軍50個師団、航空142中隊を主要兵力とする内容だった。
8月、首・外・陸・海・蔵の五相会議で、大陸・南方への進出と軍備支実を定めた"国策の基準。を決定した。
9月、上海陸戦隊に狙撃事件発生。
10月、神戸沖で特別大演習観艦式。
11月、日独防共協定が成立。

12月、海軍次官に山本五十六中将、連合艦隊司令長官に米内光政大将が就任する。ワシントン軍縮会議失効。

◆昭和12年
7月、日華事変勃発(蘆溝橋事件)。
8月、上海で大山海軍中尉、斎藤一等水兵が国民軍正規兵に射殺される(第二次上海事件の発端)。海軍陸戦隊、上海で中国軍と交戦を開姶。海軍航空隊は台湾から南京、広徳、杭州、南昌への渡洋爆撃をはじめる。
9月、海軍、全中国海岸封鎖を宣言。
11月、戦艦大和が呉工廠で極秘裏に起工される。この艦の建造が計画されたのは昭和9年10月。が、軍縮中だったので条約失効を待って起工されたのである。46a砲9門、7万2000d、全長263b川の超戦艦だった。同月、日独伊防共協定調印。米内海相ら海軍首脳の穏健派は、これが米英を刺激することを案じた。大本営陸海軍部報道部設置。
12月、海軍機が米砲艦パネー号を誤爆し、撃沈させるという事件が起きる。航空母艦蒼龍竣工。1万5900d・後ミッドウェー海戦で沈没。

◆昭和13年
1月、陸戦隊、青島を占領、軍需工業動員法発令。
2月、英米大使、ロンドン軍縮条約の制限を越える艦船不建造の保障を要求。が政府は拒絶。
3月、米国、パネー号賠償金221万4000ドルを要求、日本承諾。
4月、大和型巨大艦の二番艦武蔵が三菱長崎造船所で極秘に起工される。その巨砲は敵艦に向かって撃たれ。ることはなかった。
6月、大本営御前会議。漢口.広東作戦を決定。
7月、五相会議、防共協定強化問題に関し、ドイツと対ソ軍事同盟締結の方針を決定。
月、バイアス湾敵前上陸。広東占領。武漢3鎮占領。このころ、海軍では極秘の甲標的潜水艦が制定され、豆潜航艇による特攻戦術の研究が本格化。
12月、海軍連合航空隊令公示。

◆昭和14年
1月、五相会議、三国同盟案に関し、日独伊相互武カ援助はソ連のみを対象とし、第三国は状況により対象とするとの妥協方針を決定。
2月、陸海軍部隊、海南島上陸。陵戦隊は三亜・楡林を占領。
3月、兵役法改正公布(兵役期間延長、短期現役制廃止になる)。
4月、海軍に12試艦戦(零戦の原)第1号初飛行。
7月、航空母艦飛龍を竣工、1万7300d。その後ミッドウェーであえなく沈没。米内海相暗殺計画発覚。米内海相は三国同盟の裏にひそむ危険・・・米英を敵に回すことや、欧州の戦争に日本がまきこまれることをおそれ、終始三国同盟に反対していた。だから右翼にねらわれたのだが、山本五十六次官も暗殺を覚悟し、遺書まで書いた。
11月、舞鶴鎮守府設置を公布。鎮守府は横須賀、呉、佐世保、舞鶴にあり、所管海軍区の防御および警備、ならびに所管の出帥準備に関することを掌る。鎮守府長官は天皇に直隷するが、作戦に関しては軍令部総長の指示により、司令長官には大将か中将が任ぜられた。このころ、海軍は96式4号艦戦を採用。零戦とー式陸止攻撃機の原型が初飛行した。

                昭和15〜17年

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