ふくやま草戸千軒ミュージアム(広島県立歴史博物館)ニュース 第104号 平成27年8月
「ギョクオン」?「ギョクウン」? 名前の読み方あれこれ
この秋の展示会の主人公,平田玉蘊さん。「蘊」は普段目にすることの少ない漢字ですが「蘊蓄(うんちく)のある」などに使われます。ちなみに「蘊」も「蓄」も集めるという意味です。そして,玉蘊も一般には「ギョクウン」とされていますが,今回の展示会では,「ギョクオン」さんとしました。最も大きな理由は,平田玉蘊の地元,尾道では「ギョクオン」さん,と言い伝えられてきた,ということを重視したためです。
同じようなケースは,平田玉蘊ともゆかりが深い菅茶山についても言えます。例えば角川書店の『日本史辞典』では見出し語は「カンサザン」です。しかし,私たちの博物館では「カンチャザン」と読んでいます。やはり茶山の地元の神辺(かんなべ)で「チャザン先生」と呼び習わされてきたことが大きな理由です。
さて,話を玉蘊に戻しましょう。本当はどちらなのでしょうか?
これについて,中国文学研究者の入谷仙介(いりたにせんすけ)氏がかつて興味深い指摘をしています(「真説・平田玉蘊」(岩波書店『図書』1996年10月号))。すなわち「蘊」は通常「ウン」と読めば「集める」だが,「オン」と読むとき「豊か」という意味を持つとある,というのです。玉蘊ファンは,ここで「なるほど!」と思うかもしれません。玉蘊の本名は平田豊(とよ)なのです。入谷さんはここに注目されました。残念ながら,この説はあまり注目されなかったのか,その後もあまりポピュラーではないようです。
実際に「蘊」を『大漢和辞典』で調べると,確かに「オン」と読むときは「饒(じょう)也」とありました。「豊饒」という熟語がありますが,「饒」は「豊」です。「蘊」は「豊」でした。
そこで妹で画家の玉葆(ぎょくほ)(本名 平田庸(よう))についても調べました。これまでは「葆」も「集める」という意味があり,姉妹揃って同じような意味であると説明されてきました。『大漢和辞典』で「葆」と,「庸」を調べてみると,共通する意味があることが確認できました!
つまり「蘊」と「豊」が同じ意味でつながったように「葆」と「庸」が「大」という意味でつながっていました。このような人名や地名を同じ意味を持つ(よりオシャレな)別の漢字に置き換えて表記することは,この当時に知識人の間では一般的なことでした。
ちなみに「玉」は,従来の説によると「玉の浦(=尾道)」を指すので,「玉蘊」と「玉葆」は,それぞれ「尾道の豊」と「尾道の庸」を示すと考えると自然なのではないでしょうか。入谷さんの説明はやはり説得力があると思いました。
余談ですが幕末維新期の政治家井上馨(かおる)は若い頃聞多と名乗っていました。「ぶんた」なのですが,いつしか「もんた」と誤読されたのが世間に広まっている,と先日,三宅紹宣(つぐのぶ)広島大学名誉教授から教えていただきました。(実は私も「もんた」と読んでいました)名前の読み方が複数ある場合,このように別の誤った読み方が広まって一般に受け入れられたケースもあるようです。その点,地元に耳からの音として伝えられた読み方には,それなりの「正しさ」があるのかもしれません。
さて,今回の展示会,玉蘊さんは「ギョクオン」さんでいきましょう!
(主任学芸員 久下実)
(画像をクリックするとサイズの大きな画像が表示されます。)
|