東京での長い生活を終えて、いまは田舎暮らしである。同じような文化的環境を此処で望むのは無理であるが、なぜかコンビニなどもあって通常の生活にさしたる不便は感じない。
ただコンピュータ関連の書籍や雑誌を置いた書店がないのにはずいぶん困ったが、これも尾道の駅前に大型書店ができて不十分ながらも解消された。
ラオックスのような大型の専門店は東京でもごく一部の地域にしかないのだし、紀伊國屋書店のオンラインショッピングを利用すれば、在庫の状況にもよるが数日で入手できるし、これで由としなければならないだろう。
しかし私の場合はもうひとつ別のことがある。腰痛の治療である。いままでは府中はり灸院というところで治療を受けていたのだが、こちらでは私の思うような鍼灸院がなかなか見つからない。本当にちゃんと消毒をしているのかと疑われるところもあり、そのうちに探すのをあきらめてしまった。
腰痛の原因は中学の陸上部での過度な練習にあるが、直接には友人と行った尾道・広島間の自転車旅行が引き金になっている。いまのようなサイクリング車のない時代のことだから腰への負担が大きかったのだろう。
治療に行った先々で、子供の頃に腰を強く打ったことはあるかと聞かれたが、その時は思い当たることがなく、自転車旅行のことを話していた。が、つい最近ふとしたことで六年生のとき校舎の二階から飛び降りたことを思い出した。どうもこれが本当の原因なのだろうといまでは思っている。
就職のために上京したわけだが、その職場は腰痛にはひどく悪い環境であった。電子計算機の製造が主体の工場に配属されたのだが、空調によって夏でも冬でも室温は常に18度前後に保たれている。
当時の計算機を正常に動作させるには、これぐらいの温度に設定しておかなければならなかったのだろうが、腰痛は一挙に悪化してしまった。鍼・灸・マッサージ・整体・カイロプラクティックと渡り歩き、雑誌の記事を頼りに遠くまで出かけたこともある。だがいずれも長続きすることはなかった。
京王線沿線の分倍河原に住んでいたので、府中には食事や買い物にしょっちゅう出かけていた。通る道筋は大体決まっていて、定食屋・パチンコ・スーパーという独身にありがちなパターンの生活である。
たまにはこれに飽きも来るので、普段は通らない道をぶらぶらしていたら「府中はり灸院」の看板が目に留まった。ここなら定時間後でも自転車で来れば間に合うので一度はたずねてみようと考えた。
とは言うものの、電話での応対はぶっきらぼうだし、場所は怪しげなスナックのとなりだし、最初は玄関口のところで引き返してしまった。そうこうするうちに、またひどく調子が悪くなり、決心をして治療を受けることにした。
先生の石村国興さんは体躯もいかつく、頭は丸坊主で、しまったと思ったが観念することにした。問わず語りに症状を伝えたが、口調は電話と変わらないものの悪い人でないらしいことはすぐにわかった。患者も多く評判がよさそうである。何よりもこれだと確信したのは、全身の状態がよくならなければだめだとのことで、文字通り頭のてっぺんから足のつま先まで治療していただいたことである。
だまされたつもりで、しばらく来なさいとおっしゃるので、勧めにしたがって通ってみることにした。一週間に二回ずつ数ヶ月は続けただろうか。次第に鈍痛も薄れ、二回が一回になり、一年ほど経った時点では一ヶ月に一回ぐらい体調管理のために治療を受ければよいまでに快復した。腰痛そのものがなくなることはなかったが、曰く言い難い痛みからは解放された。
それ以来のことになるので、かれこれ二十五年以上もお世話になったことになる。遠方でお伺いすることはできないのだが、いまでも時節時節のお知らせを欠かさずいただいている。私は日記に類する記録を持たないが、カルテには時々の出来事も記入されているようだ。腰痛にかまけてプライベートなこともけっこう口にしているらしく、妙な形で四半世紀の記録が府中市に残ってしまっている。
はり治療と聞くと、痛いのではないか、また肝炎などへの感染のおそれがあるのではないかと、心配が先に立ってしまう方は多いと思う。一部の鍼治療のように深く刺すわけではなく、皮膚に浅く刺すだけなので痛みはほとんど感じない。ときどき皮膚の張り具合によって痛みを感ずることはあるが、頓着するような先生ではないので「痛い」の一言で済む。感染については私の二十五年の経験が参考になるかと思うが、消毒方法など詳しく尋ねてもいやがられることはない。
医師の診断があれば健康保険の適用もあるときいている。私の場合は体調と腰痛がシンクロしているので、腰痛のことばかりであるが、ハイテク症候群などで不調の方はいちど訪ねてみることをおすすめする。
ひどく疲れていたこともあり、ご挨拶もせずに帰ってしまった。宣伝にでもなればと考え、恥を承知でこれを書くことにした。
(金森國臣 2002年5月9日)
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