ら
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楽助(らくすけ)
『傾城色三味線』に「客は信渡国の住人麻生殿の御内、下六、藤七とて兄弟の楽助あり」と見ゆ。気楽者の義なり。
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り
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利休(りきゅう)
遊女の巧者を言う。昔京阪地方にては.遊女の商売上手なるを「お茶をよくたつ」と言えり。それに因みて茶道の巨擘たる千家の祖の名を代名詞にせしなり。明暦二年の版本、浪華新町の遊女評判記『増り草』には「郭中第一の利休なり」また「大利休なり」など記せり。
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龍頭太(りゅうとうだ)
「神祭に出る天狗の仮面を被り、とりかぶと水干奴袴にて出る」(俚言集覧)
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りん子(りんこ)
嫌いな女という義なり。江戸時代の駄洒落語に「いやになりん子、松田のおりん子」といえるあり。これより出でたる語なり。
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ろ
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露助(ろすけ)
露西亜人を侮りて呼ぶ語。ロスキーを日本の人名に言いなせるなり。日露戦争の時に創る。
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六蔵(ろくぞう)
馬方を言う。宗因の俳句に「申し申し六蔵がいふ女郎花」。西鶴の俳句に「関越すや六蔵がひく朝霞」というがありと。また転じて「八蔵」とも称すと言う。
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わ
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佗助(わびすけ)
「田喜庵が吟かと覚えつ「佗助は夜の椿の名なるべし」こは句意明かにして解に及ばず」と『さへづり草』にあり。「佗助椿、花の小き美事なる椿、冬咲く也」と『俚言集覧』にあり。「わび」は屈まる意、花の小さき椿との義なるべし。
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わこ左衛門(わこざえもん)
我妻を言う。『儒者の肝つぶしに』此語あり。「わこ」は女子を親み呼ぶ「我御前(わこせ)」の略なるべし。
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ゐ
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委細承知之助(いさいしょうちのすけ)
何事をも知りたるフリをする人を「承知之助」と呼べり。委細承知之助をこれと同義に用いることもあれど、また何事をも早呑込みにする人、即ち「委細承知しました」と口癖に言う人をも指し言うなり。
金森註記:「ゐさいしょうちのすけ」で立項されています。
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ゑ
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円助(えんすけ)
明治年間、金一円にて淫を売りし芸妓を円助芸妓と称し、単に円助とも呼ぶに至れり。一円助の略なり。また五十銭にてコロブ芸妓を「半助」と称せり。芸妓には松助、玉助、花助などいう男名に擬せし名多きに因るなり。
金森註記:「ゑんすけ」で立項されています。
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海老茶式部(えびちゃしきぶ)
明治三十五年頃、東京の各高等女学校にて女学生に海老茶色の袴を着せしめしが女子の着袴を珍とし、紫式都に擬して女学生を「海老茶式部」と呼べり。「蝦茶とは南瓜式部の間違か」など言う狂句もありたり。
金森註記:「ゑびちゃしきぶ」で立項されています。
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を
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女之助(おんなのすけ)
男に変装せる遊女を言う。川柳語なり。「股引と羽織で籠の鳥は逃げ」、「四郎兵衛に女之介はとつかまり」、「四郎兵衛が不首尾変生男子なり」といえるが如く、吉原の遊女が廓外へ脱出するには、男装にて大門の見張番人四郎兵衛の眼をかすめんとせしなり。
金森註記:「をんなのすけ」で立項されています。
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折助(おりすけ)
武家の中間と呼びし下僕の通称なり。「中間といふは下部と士との中間の者なれば、さいふ也」と『松屋筆記』にあり。主人の伴男なるが故に、虎の威をかりてワタクシ事も多かりしものか、下劣の輩を罵るに「折助根性」と言う語もありたり。
「折助」とは、主人外出の際、昼は主人の後に従い、夜は提灯持として主人の前に立つこと、恰も折句の題に類すとて名づけしならんか。
金森註記:「をりすけ」で立項されています。
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岡太夫(おかだゆう)
蕨餅を言う。延喜の帝、蕨餅を好ませられて岡太夫の名を授けたまふとの説あり。蕨を岡に生ふる舞手と見立てしなるべし。
金森註記:「をかだゆう」で立項されています。
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