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鯛の婿の源八(たいのむこのげんぱち)
鬼鯛の異名。佐渡国の方言なり。鬼鯛とは鯛に似たる五六寸のものにて鱗粗く、背に三本、腹に二本の針ありて小魚を刺し捕え食う故の名なり。石鯛または松笠魚とも称す其味美ならず。
「全身ガサガサした鱗に細かい刺(とげ)があって淡黄色い、寔に外観の怖ろし気な魚である。東海道南郷の松原辺の家には此魚の乾物をよく吊してある。やはり悪病除けの呪だそうな」(吉凶百談)
「河豚の類にて鯛の婿三八郎というあり。所によりて源八と称する人もあり」(傍廂)
佐渡に鯛の婿源八という魚あり。しか名づけたる故は知らず」(燕石雑志)
金森註記:寔に → まことに
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田中十内(たなかじゅうない)
□を言う。田の字の中に十がない字。これもうそ字づくしの一。是等うその氏名は総て小供の文字遊びなり。
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田吾作(たごさく)
都会住の者が農民を嘲りていう語。人名の太郎作を田畑耕作の義にかけしなり。
「何作という名は、修理(内匠)の官に成たる人。清原氏なれば清作、平氏は平作、源氏は源作、太郎の人は太郎作、次郎は次郎作などいう也。修理の唐名をば匠作という故に何作という也」(貞丈雑記)
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只右衛門(ただうえもん)
相撲演劇その外総ての見世物場にて木戸銭を払わざる者または入場料を要する会合等に無料にて入る人をいえり。
町村内の顔役、ゴロツキ、新聞記者、刑事巡査等に多し。
川柳に「仕切場へ只右衛門手紙持って来る」といえるは、縁故ある者が紹介にてのロハ客なるべし。
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丹波太郎(たんばたろう)
大阪地方にて、夏日北方丹波国の山上に出ずる白雲をいう。此雲出ずる時は夕雨ありとせり。語原は「信濃太郎」に同じ。大江丸の俳句「先に立丹波太郎や道しるべ」
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沢庵(たくあん)
乾大根の糠漬けをいう。此語原には二説あり。一は東海寺の沢庵和尚が発明せし香ノ物なる故に名づくと言い、二は沢庵和尚の墓石が漬物の押石に似たる丸き無銘の石なる故名づくと言うなり。
今の東海寺にては沢庵漬を否定して「貯へ漬け」の誤伝なりと言い居れり。
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陀羅尼助(だらにすけ)
黄柏の生皮を練りつめて製せし薬をいう。味極めて苦し陀羅的とも称す。昔の僧が陀羅尼経を誦する時、睡眠を防ぐ助けとして服用せし故の名なりと言う。腹痛にも効ある薬なり。『和漢三才図会』には腎薬として最も特効ありと記せり。
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道八(どうはち)
素焼の茶器を言う。宝暦の頃、伊勢の高橋道八といえる者、京に上り粟田にて一種の陶器を製出せり。其製品および同巧の茶器を「道八」と呼べり。
金森註記:「だうはち」で立項されています。
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竹光(たけみつ)
竹にて造りたる刀身を言う。演劇用または強盗用には銀紙を張りて正物に擬せしもあり。
語原は刀鍛冶の名に、来国光、長船長光、兼光、栗田口吉光など、光の字ある名工の名に擬せし洒落なり。
川柳に「辻君の御所へ竹光公御入り」と言えるあり。夜鷹を奴が買いに行くとの意。竹光公とは竹光を帯べる人、即ち奴を言うなり。
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大八(だいはち)
荷車の大なる物を言う。大人八人分の力ありとして名づけしなり。昔の力士の名に瀧見山大八、宮城野大八あり。
文化頃には「四ッ車大八」といえる幕内の名力士もありたり。名実相応のものなりしならん。現今「伊藤大八」といえる凡人あり。
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大吉(だいきち)
「芸妓などの結う髷」と『日本類語大辞典』にあり。其髪の後姿が太き「大吉」の二字に見ゆとしての名称ならん。
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長右衛門(ちょううえもん)
『滑稽俳句集』所載、碧梧桐の俳句に「町の名は宗右衛門夜は長右衛門」といえるあり。大阪の宗右衛門町は色里にて、夜長く遊ぶ所と言える義ならん。
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長松 長吉(ちょうまつ ちょうきち)
丁稚の通称なり。荷兮の俳句に「長松が親の名で来る御慶かな」といえるもあり。讃岐にては丁稚を「長吉」と呼べり。「長吉」元は丁稚の「丁吉」ならんか。
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長八(ちょうはち)
出過ぎ者を長八と言うと『物云ふ辞典』にあり。昔大阪にて長八と言える出過ぎ者ありしに因るならん。
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茶羅助 茶利助(ちゃらすけ ちゃりすけ)
喘いつわり、チャラッポコを言う人の異名なり。おどけたる人をチャリと言う意にて「茶利助」とも呼べり。
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竹斎(ちくさい)
庸医を言う。薮井竹庵というに同じ。「筑斎」または「知苦斎」と書けるもあり。寛永頃鳥丸光広(からすまるみつひろ)の著作に『竹斎物語』といえる庸医旅行記あり。元禄頃まで盛んに行わる。これより出でし語なるべし。
金森註記:庸医(ようい) 凡庸な医者のことです。
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ちょか助(ちょかすけ)
軽挙者を言う。俗にチョカチョカする人と言うに同じ。木念寺報には「立居のマメなる人をちょこ助という、東都の方言なり」とあり。「か」と「こ」は相通にて同義なり。
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忠助(ちゅうすけ)
鼠を言う。チューチューとの鳴声によるなり。「荒れ鼠」という地謡の文句には、鼠の名として忠兵衛、忠左衛門、ちゅちゅらの忠助などあり。
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忠兵衛(ちゅうべえ)
詐欺師仲間にての符牒(隠語)に取持役の者を「忠兵衛」と言うよし古新聞の記事にて見たり。
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陣吉(じんきち)
三河甲斐上野等にて、腰におぶる長き袋財布を言えり。
昔は布切にて造りたる物なりしが、近世は皮にて製せしもあり。東京にてもそれを陣吉と呼べり。甚だ便利よき袋といえる義にて、甚吉と呼びしならんとの説あれどもさにあらずして陣中の兵士どもが用いしに因るならん。
金森註記:「ぢんきち」で立項されています。
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強蔵 弱蔵(つよぞう よわぞう)
「強蔵」とは精力旺盛の男を言う。『好色一代男』を始め、大阪版の淫書に此語多く出ず。『色里三所世帯』には「日本一の強蔵」などあり。此「強蔵」に反する者を「弱蔵」と言えり。『好色一代女』に「男の弱蔵は女の身にしては悲しきものぞかし」とあり。尚此外の淫書にも多く見ゆ。これ『猥褻廃語辞彙』に記載せし全文なり。
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筑紫三郎(つくしさぶろう)
筑後川を言う。流域三十五里余あり。『本朝俗諺志』に曰く「坂東太郎は刀禰川、四国二郎は阿波の吉野川、筑紫三郎は筑後川をいう。是日本三大河也」。吉野川を四国三郎と称して、筑後川を筑紫二郎とも呼べり。
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鶴太夫(つるたゆう)
万歳の太夫を言う。其舞衣に鶴の模様あるによる。文化頃の狂句に「せん年の通り舞来る鶴太夫」といえるもあり。
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づぶ六(づぶろく)
乱酔者を言う。づぶは全くの義。全く本性違える酔漢。六は人名に擬せしのみにて意義なし。
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天一太郎(てんいちたろう)
陰暦に所謂天一天上の朔日を言う。天一天上とは天一神別名長神というが天上に登り居る十六日間をいう。古き諺に「天一天上に雨降らず。十方暮に風吹かず。八専に日和なし」といえり。此天一太郎の日に雨降り出せば、爾後の天気好からずとのことなり。
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天九郎(てんくろう)
古歌に「家々の軒に蚊やり火たてならべ、てんくらうなる夕煙哉」といえるがあり。日が暮れて天が暗く成れば蚊やり火をたくとの義。此てんくらうを人名に擬して、「天九郎」と書けるなり。
また天九郎といえる鎗鍛冶の名ありて、鎗形の一種に天九郎といえるがありと言う。
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鉄砲呆助 鉄砲矢八(てっぽうほうすけ てっぽうやはち)
古き俗語に「やッちき鉄砲呆助」といえるあり。向う見ずにムヤミな事をする馬鹿者という義なるべし。
魯庵のバクダンと題せる記事中に「嘘月村の鉄砲矢八のホラ咄し」といえる語ありたり。鉄砲は嘘、矢八は連発の義なるべし。
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出歯亀(でばかめ)
好色の甚だしき者をいう。明治四十一年春、東京大久保の植木職人池田亀太郎といえる者、常に女湯を覗きて手淫を行い、終には婦女を強奸して死に致せし事あり。此男出歯なりし故「出歯亀」との渾名ありしより、当時諸新聞に出歯亀事件などと記せしこと喧伝し、「出歯亀」の語は肉欲主義者の代名詞に成れり。尚「出歯る」といえる動詞も出来て、性欲発展の意義に使用さるるに至れり。
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調市(ちょういち)
丁稚の通称なり。江戸に言いし語。川柳に「年玉の給仕を調市して歩き」、「薬取のしこし山は調市作」、「算盤のお舟に乗せて調市引」など多くあり。長松、長吉に同じく意義はなかるべし。
金森註記:「てういち」で立項されています。
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てこ鶴(てこづる)
遊女の名に千代鶴、花鶴、綾鶏、秀鶴、若鶴などいえるが多くあり。それに擬して、美貌ならざる端女郎を「てこ鶴さん」と呼べり。素見客などの言い初めし悪ジャレなり。テコズルとは手にあまる、持てあますなどの意にて、お茶ひき女郎に相応しき名とせしなれり。寛政頃の川柳に「てこ鶴といふ傾城を浅黄買ひ」といえるあり。これは田舎武士に床番をさせる女郎を言いしにて、呼べども来らず、客がテコズルの義なり。
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でれ助(でれすけ)
女に耽溺する男を言う。俗にデレルと言うに因るなり。デレルはダレルの転にて、ダレ込む、ハマル、陥るの義ならん。明治十五年頃大阪の流行唄に「来なはッたか、でれ助さん」などいう文句ありたり。
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でこ助(でこすけ)
出額を言う。でことも言えり。「でこ」は出処(でこ)なるべし。
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土左衛門(どざえもん)
「享保九年午六月、深川八幡社地の相撲の番付を見しに成瀬川土左衛門、奥州産前頭のはじめにあり。案ずるに江戸の方言に、溺死の者を土左衛門というは、成瀬川肥大の者ゆえに、水死して渾身膨れふとりたるを、土左衛門の如しと戯れ言いしが、ついに方言となりしという。八百屋お七の狂言に、土左衛門伝吉という者あるも、成瀬川が名をかり用いたるものとぞ」(近世奇跡考)
明和の川柳に「三味線を握つて覗く土左衛門」といえるあり、川端の茶屋に於ける芸妓をいえるなり。
女の溺死者を「おどさ」または「女左衛門」といえることは別項「お」の部および「に」の部に記せり。
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土用三郎(どようさぶろう)
夏の土用に入りし日より三日目を言う。天一太郎、八専二郎、寒四郎等の兄弟なり。農家に此日を厄日とし、此日の天候によりて其年の豊凶をトす。即ち快晴を可とし、降雨を不可とするなり。
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どろ作(どろさく)
「浮世狂い」とは色町遊びを言う。どろ作とは泥水に溺るる者との義なるべし。
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豊助(とよすけ)
京楽焼の特種を言う。文政の頃、尾張国愛知の豊助という者、京の楽焼に漆を塗り蒔絵を施したる菓子鉢食器等を製出せり。これによって爾後外面漆器、内質陶器の物を豊助と称するなり。此事『日本陶器史』にもあり。
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徳助(とくすけ)
昔大阪にて「福助」人形を「徳助」と呼べり。福徳に因める名称なるべし。安永二年版の『吹寄蒙求』に、仙女伝のお福が徳助に嫁せんとする文句あり。
「お徳」が「お亀」「お福」と同義なること別項に記せり。
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毒庵(どくあん)
悪医者または庸医者を言う。お家騒動の際、毒を盛る悪医者、治術を知らぬ庸医者、共に人を毒し世を毒するの義なり。庵の字は村井長庵を筆頭として、道庵、良庵、忠庵、順庵など医者の名に庵号多きを以て言う。
右「毒庵」の意義に準じて、近世の外来語「ドクトル」は医師に相応しき語とせり。
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十筋右衛門(とうすじうえもん)
「人名にあらず、髪の毛の少きを言うなり。『新続犬筑波集』ちる頃や十筋右衛門の柳髪、家之、貞享三年の印本『好色一代女』三の巻に、髪の少きを悲む女の詞に、是見よと引ほどき給えば、かもじいくつか落ちて、地髪は十筋右衛門と恨めしさうに御泪に袖くれて云々とあり。『好色仕合揃』三の巻に、年の頃六十を過ぎて七十に近き白髪あたまの十筋右衛門云々。正徳頃の印本『前句附江戸雀』むつかしや十筋右衛門も玉くしげ。斯くあれば江戸にても言いし詞なるべし。さて右衛門というには何の意もなく、唯十筋ばかりというに助語として添えたる詞なれど、少し嘲る意はあるか」(足薪翁記)
また「三筋右衛門」、「六筋右衛門」とも言えり。
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十兵衛(とうべえ)
花骨牌遊び八々の役名なり。配付の札七枚の中、素物六枚にて鳥獣等の付きし札一枚なるを言う。精算の時其札を十に数うる故なり。普通には「十一(とういち)」と称するを人名に擬して「十兵衝」と言えり。
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鈍太郎(どんたろう)
〔醒睡笑〕吝太郎の條。傍仮字(ふりがな)ドンタラウとあり。其頃は樫吝なる者をドンタラウと云ひしにや」(俚言集覧)
明暦版の『野良虫』に「どん太郎」の語あり。また同明暦版の『桃源集』の序に「控田鈍太郎末孫白面書生」とあり。痴愚の義にも使いしことは「ウツケタ」の語にて明かなり。
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鈍沢(どんたく)
ノンキ者を言う。明治初年以来の語。安芸国広島の童謡に「うちの隣りの鈍沢に金魚を買ひにやつたらば、買ふ金魚の名を忘れ、鮒の酒呑んだやつと云つて買つたげな」といえるあり。
和蘭陀語の転訛「ロンダアダ」(日曜日)の再転「ドンタク」を休日の意に使い、いつも休日の如く心得居るノンキ者を、小僧の名めかして「鈍沢」と呼びしなり。
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東助 藤助(とうすけ とうすけ)
『物云ふ辞典』に「東助、容貌」とあり。木念寺報に「藤助、顔のこと」とあり。語原不詳。。
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藤四郎(とうしろう)
古瀬戸焼の茶器を言う。尾張国瀬戸村の加藤四郎左衛門景正(号春慶)の製作せし物および其陶法に倣いし茶碗、茶入等の通称なり。また「春慶」とも呼べり。
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藤九郎(とうくろう)
あほう鳥の異名なり。「信天翁(しんてんおう)」の項を見よ。語原は愚者の固有名詞なるべし。
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