ギドン・クレーメル トリオ
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2026年5月6日(水)14:00 長岡リリックホール コンサートホール
ヴァイオリン:ギドン・クレーメル
チェロ:ギードレ・ディルヴァナウスカイテ、 ピアノ:ゲオルギス・オソーキンス
 
アルヴォ・ペルト:アリーナのために
坂本龍一:Andata
ショパン:幻想ポロネーズ 変イ長調 Op.61

V. シルヴェストロフ:独奏ヴァイオリンのための「セレナード」

ギヤ・カンチェリ:ピアノ・トリオのための「ミデルハイム」

(休憩15分)

アルヴォ・ペルト:モーツァルト・アダージョ

ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第7番 変ホ長調 Op.97「大公」

(アンコール)
シューベルト:君はわが憩い(ピアノ三重奏版)
 

 世界的ヴァイオリニストとして、好き嫌いは別にして、音楽好きの方ならギドン・クレーメルの名前を知らない人はいないでしょう。
 私のCD棚を見てみましたら、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲やピアソラ、そして自身が結成したオケによるマーラー/ショスタコーヴィチの交響曲など数枚のCDがありました。古典から現代まで、ジャンルを超えた多彩な活躍をしていたことに改めて気付きました。

 ご高齢になられたはずであり、まだ現役で活躍されているとは知りませんでした。長岡リリックホールでこのコンサートが開催されることを知り、新潟でクレーメルを聴くチャンスはもうないものと思われ、貴重な演奏会になることは間違いありませんでしたので、長岡遠征することにしました。

 私がクレーメルの演奏を聴くのは、2014年4月に、りゅーとぴあでジンマン指揮のチューリヒ・トーンハレ管弦楽団との共演を聴いて以来ですので、実に12年ぶりとなります。
 そのとき既に加齢を感じさせて、輝きを失っているような印象を持ちましたが、さらに年齢を重ねて79歳になられ、どんな演奏を聴かせてくれるのか興味深く思いました。
 とはいえ、プログラムによっては行く気にならなかったかもしれませんが、今回は私が大好きなペルトの曲を2曲演奏しますので、行く決断の大きな要因となりました。

 ということで、今日は長岡リリックホール開館30周年記念のギドン・クレーメル トリオの演奏会です。GWの5連休の最終日であり、昨日の新潟クラシックストリートの疲れが取りきれず、どうしようかと思案しましたが、元気を振り絞って出かけることにしました。

 長岡市内の某所で休息して昼食を摂り、長岡リリックホールに向かいました。駐車場に車をとめました が、無料というのはありがたいですね。
 ラウンジでひと休みして、開場が始まったところでロビーに出て入場し、席に着いてこの原稿を書きながら、開演を待ちました。
 プログラムには「曲順変更・追加曲のお知らせ」の紙が挟み込まれていました。坂本龍一の「Andata」とシルヴェストロフの独奏ヴァイオリンのための「セレナード」が追加されており、ウクライナの作曲家・シルヴェストロフ作品を戦争の苦しみの中にあるウクライナ人への敬意と平和への祈りを込めて演奏するとのことでした。

 開演時間となり場内が暗転し、ステージにピアノのゲオルギス・オソーキンスが登場して、最初はピアノ独奏で開演しました。
 私が好きなペルトの「アリーナのために」で演奏が始まりました。単純な音の響きからなり、 音と音との間の静寂の中に深遠な音があります。 ゆったりと音を響かせて、無音の静寂と隣り合う音楽が心に響きました。
 開演最初の曲であり、まだ精神集中する心の準備も不十分でしたが、いきなりの緊張感ある演奏に、一気に引き込まれました。

 全く切れ目なく、気付かないうちに坂本龍一の「Andata」に移行し、静かで深遠な音楽が心に響いてきました。さらに曲調が変わったかと思うと、ショパンの「幻想ポロネーズ」が始まりました。
 なるほど「Andata」をつなぎに使うことで、シームレスに「幻想ポロネーズ」に移行することができ、この曲を追加したオソーキンスさんの意図が理解できました。

 「Andata」は「アリーナのために」のような単純な音型ではなく、メロディがありますが、ペルトと同様に清廉な響きが心に沁みました。
 「幻想ポロネーズ」は、幻想という名前の如く、他のポロネーズとは違って、幻想的な雰囲気を持ちますが、これまでの流れに沿った穏やかな演奏でした。でも先日聴いた中川優芽花さんの演奏にはかないません。

 オソーキンスが退場して、少し不安定な足取りで、あずき色のシャツで白髪のクレーメルがゆっくりと登場しました。
 ヴァイオリン独奏で、追加された曲のシルヴェストロフの「セレナード」が演奏されました。ソフトで、音量が少なく、少し弱々しく演奏が始まり、枯れた音を聴かせてくれました。
 ウクライナの人々に捧げる曲として演奏されましたが、繊細な音が祈りの気持ちを倍増させて胸が痛みました。最後はピチカートで終わりました。

 クレーメルがゆっくりと退場し、ステージがピアノトリオ用にセットされて、続いてはカンチェリの「 ミデルハイム 」です。
 チェロのディルヴァナウスカイテ、ピアノのオソーキンス、そしてクレーメルの3人が登場して席に着き、おもむろに演奏が始まりました。
 ピアノの強い打鍵で始まり、ヴァイオリンとチェロが加わり、深遠な響きで演奏が続きました。ゆったりと、静かにヴァイオリンが繊細に歌い、ピアノとチェロが絡み合いました。強弱を反復して、不安を掻き立てるように音量を上げるも、すぐに繊細に歌い、霧の中をさまよいました。
 不安な気分と緊張感で緊迫した空気がホールを満たしました。寂しく歩みを進めて足取りが止まり、息も絶え絶えに、静かに消え入るように演奏が終わりました。音が消え、緊張感から解放されて大きな拍手が贈られて休憩に入りました。

 後半最初は、ピアノトリオで、ペルトの「モーツァルト・アダージョ」です。この曲は、以前トリオ・ベルガルモの演奏を聴いたことがありました。
 少し明るくチェロとヴァイオリンが歌うも、ヴァイオリンは繊細とも言えましょうが、弱々しく艶がなく、これがこの曲の表現方法と言われればそうかなとは思いましたが、 枯葉のように感じました。 静かな緊張感の中に曲が終わりました。

 譜めくりが登場して、続いてはベートーヴェンのピアノ三重奏曲「大公」です。明るいピアノで始まって、ヴァイオリンとチェロが加わりました。
 これまでの印象と変わらずに、ヴァイオリンは音量も艶もなく感じました。明るく若々しいピアノと枯れたヴァイオリンの対比が異質であり、これを豊かな響きのチェロが取り持つという構図でした。
 第2楽章は、ヴァイオリンとチェロが明るく歌い、ピアノが加わって軽やかに進みました。しかし、ヴァイオリンの音の細さには変わりありません。
 第3楽章は、軽やかなピアノで始まり、ヴァイオリン、チェロがゆったりと美しく歌うもほどほどでした。ピアノは美しく響かせていましたが・・。静けさから明るさを増して、ゆったりと終わりました。
 第4楽章は、明るく軽快に始まりました。快活なピアノと、生気の乏しいヴァイオリンの間を取り持つように、チェロが音量を抑え気味に演奏していました。ピアノが演奏を牽引して、ほどほどの盛り上がりで終わりました。

 大きな拍手が贈られて、アンコールに シューベルトの「君はわが憩い」が演奏されました。ピアノに導かれてヴァイオリンが美しく歌い、続いてチェロが同じメロディをゆったりと歌いました。そして、ヴァイオリンとチェロが交互に歌い、静かにゆったりと終わりました。
 演奏の内容は別にして、老練のクレーメルと、それを支えたピアノのオソーキンス、チェロのディルヴァナウスカイテに大きな拍手が贈られました。

 振り返れば、演奏技術や音量を要さず、精神性の高さで勝負できる曲を選び、前半はピアノ独奏に任せて、高齢のクレーメルの負担を少なくするようなプログラムが組まれていたように思いました。
 ステージの出入りや椅子からの立ち上がりなど、巨匠とは言え、衰えた姿は明らかであり、他の2人のサポートを得ていました。
 演奏も同様であり、クレーメルに選ばれた若き2人が、クレーメルに寄り添い、クレーメルが描く精神性の高い音楽に形作ってくれたように思います。
 12年前に聴いた時も「枯れた音色で、弱々しい」という感想を持ちましたが、今回はそれ以上に潤いに欠けて、弱々しく枯れた音でした。ドライフラワーならまだしも、枯葉という印象でしたが、これも味わいのひとつと言えましょうか。
 良く解釈すれば、弱音の表現が素晴らしく、内省的で精神性の高い、神々しいまでの繊細な音楽と言えなくもありません。
 演奏を楽しむというより、最晩年のクレーメルの演奏を生で聴くという貴重な体験をしたということでは、意味ある演奏会だったと思います。

 今回の来日公演は各地で開催され、東京・金沢・軽井沢を経ての長岡公演でした。連日の演奏会で、移動だけでもお疲れのことと思いますが、長岡まで来てくれたことを感謝したいと思います。ご健康を心よりお祈り申し上げます。
 

(客席:12-10、¥5000)