■機械翻訳との関わり始め
もう30年以上前のことで記憶があいまいなのだが、
人事でコンピュータの検査業務から英文マニュアルの作成業務へ配置替えになった。
かなり苦労して、なんとか技術英語が書ける程度のレベルには達し、そこそこ業務をこなせるようにはなったのだが、日英対訳の用語集がないことが仕事のネックになり始めた。
コンピュータの周辺装置を輸出するためのマニュアルなので、部品の数もさることながら、その種類も多岐にわたっている。
自分ひとりでこなせる量の翻訳であれば問題はないのだが、翻訳会社や翻訳者に依頼する場合には、やはり用語集がないとどうにも進まない時がある。
急遽作成し始めて何とかカタチにはなってきたのだが、やはり我流で作成してしまっているから、現行の方法でよいものか不安があった。
偶々、ある学会誌を読んでいたとき、機械翻訳の視察報告書があり、そこに研究所の主任研究員が参加しているのを見つけた。一面識もなかったのだが、思い切って内線電話をかけてみた。
偶々、ある学会誌を読んでいたとき、機械翻訳の視察報告書があり、そこに研究所の主任研究員が参加しているのを見つけた。一面識もなかったのだが、思い切って内線電話をかけてみた。
事情を説明して、何か参考になるような資料がありますかと、それほど深い考えもなく尋ねてみたのだが、こちらが驚くほど逆にいろいろな質問を受けた。
最初は用語集の提供といった程度の連絡だったが、研究所にいちど来てみませんかいうことになり、何かのミーティングがあるとのことで、その機会に初めて出かけた。
機械翻訳関係の小委員会のようだったと記憶しているが、当時は文学小説なども研究のテーマになっていたようで、『坊っちゃん』を翻訳の題材にしていたことを今でも鮮明に覚えている。
私としては、社内に翻訳仲間もいたので、全社的には技術マニュアルの翻訳は相当量あるはずなので、こちらの方面にも力を入れてほしいというようなことを要望した。
そういうことであれば、社内の翻訳量や翻訳費用を早速調査しようということになった。しかし、当時は経費項目に翻訳という項目はなく、いろいろな経費で捻出している場合が多いことも伝えた。私のところでもコピー代で処理していますと話すと驚いた様子であった。
最終的な調査結果は記憶に残っていないが、仰天するような金額であったことは間違いなく、技術マニュアルも視野に入れて開発する必要があるという結論に至ったと思う。
当時の機械翻訳ソフトはフォートランで記述し、それを大型コンピュータで動かすという時代だったので、もちろんユーザーとして利用するチャンスはまったくなかった。
しばらくして、この会社は退職した。
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