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(2011年1月)


2009年 / 熊澤尚人監督 / 麻生久美子

「音」と「隣」を掛け合わせたタイトルが暗示しているように、部屋が隣同士の男女が互いの生活音を聴きながらも、まったく顔を合わせることなく、数年を過ごすという有り得ない設定。

どうかするとストーカー的な匂いのする物語になる危険性もはらみつつ、最後の感動的な結末を迎えるためには、設定をそうせざるを得ないという苦しい展開が続く。

しかも二人の接点は非常に限られているから、ストーリーとしては男性と女性の二本立てにならざるを得ず、相互に関係して交錯することもないから、物語としては中途半端でインパクトは弱い。

とは言うものの、麻生久美子が普通の女性を普通に演じつつも飽きさせることのない演技力はさすがで、そうだよなぁと思わせる場面が多々あって楽しめる。

岡田准一が登場するところは話としても邪魔くさい内容なので気を抜きつつ、麻生久美子が写ったらキチッとみるという態勢をとっていれば、疲れることもない。

重要となる生活音が何であるかとか、お互いの関係とかがどうだとか、これが分かってしまうとラストの感動は味わえないから、ここでは書かないことにする。

麻生久美子のファンは必見の映画。


1981年 / 小栗康平監督 / 田村高廣, 藤田弓子, 加賀まりこ

この映画はすでに数回は観ていて、これで何回目になるのかは定かではないが、若い時には信雄や喜一が登場するシーンにばかり目が行って意識はそちらの方に向いてていた。

ところが、今回は晋平や貞子のほうに自然に目が向き、以前ではどうしてこのようなお決まりのセリフばかりなのかと思いつつ退屈していた部分が、特に含蓄のあるようなことに思え、見る立場が違えば感想も異なるものだと知って自分なりに驚いている。

複眼的な視点を前提とした演出構成を意図しているのだとようやく気付いたが、しかしいずれの場合も時代背景に対する監督の視点が揺らいでいるような内容ではないから、それに助けられて今までの感情を積み重ね、幾分かの深い情感を覚えたような気がした。

すでに観たことがある人でも、相当の年月を経ているのであれば、もう一度ご覧になることをお奨めしたい映画だと思う。


2006年 / 李相日監督 / 蒼井優, 豊川悦司, 松雪泰子

「常盤ハワイアンセンター」という名前は子供の頃からよく知っていた。

と言うのは、どうして「常盤」という寒冷地に「ハワイ」なんだろうと、この奇妙な組み合わせがずっと印象に残っていたが、この映画を観てその謎が解けたような気分になった。

東北地方の農村をターゲットとした、ある種の現代的な湯治場としての娯楽産業が必要であったことがこの映画を観るとよくわかり、それで常磐にハワイアンセンターという発想だったのかと強く納得した。

常盤炭鉱ではないけれども、炭鉱の閉鎖に伴って九州の産炭地から当地のような田舎にも人が流れてきたわけだが、それは今にして思えば、そういうことなのであって、これらの人達は相当に苦しい経済状況にあったことが今にしてわかる。

当時はまだ子供だから詳しい事情を知るわけもなく、もっと転校生に優しく接してやればよかったと反省している。しかし映画では、蒼井優や松雪泰子といった綺麗どころが演じているから、ある種のフィルターがかかって柔な話になっているのは、まぁエンターテイメントだから仕方がないとは思う。

NHKの番組で「新日本紀行」であったかどうか、常磐ハワイアンセンターを取り上げた番組があったはずなので、これと合わせてみると実情が見えてくると思う。、地元関係者にはたぶん必須の映像資料になると思うのだが検索しても出て来ないのは残念としか言いようがない。

蒼井優が出演した映画はこれまでにも何本か観たはずだが、彼女を女優として意識し始めたのはこの映画からで、ここでは出色の出来のように思う。

いろいろな思い入れもあり、回数としてはすでに3〜4回は観ている。


1951年 / 木下惠介監督 / 高峰秀子, 佐田啓二

子供の頃の映画は、こういった感じの映画が多かった。場面の急激な転換もないし、何だか落ち着いてみられるし、主張する点もことさらに大げさではないから邪魔な感じもしない。

毒にも薬にもならない映画と言ってしまえばそれまでだが、どこかホッとするところがあって、切なくて、これがいい。

若いころには高峰秀子はあまり好きな女優ではなかったが、今になってみると魅力的で、梅原龍三郎が好んで肖像画を描いたのも何となくわかるような気がする。

どこがどうとは言えないけれど、実にいい映画だった。日本初の総天然色映画なので観ておいて損はないと思う。


1977年 / 山田洋次監督 / 山田洋次, 倍賞千恵子

アメリカでリメイク版と言うのか、そういったものが製作されたと聞いたので、予告編があると思ってYouTubeを調べたらすぐに見つかた。

これがかなり良さそうな感じで非常に楽しみなのだが、それでオリジナル版の方をとりあえずは、「また」観ようと思って観始めた。

武田鉄也が、小汚い部屋でゴロゴロしているシーンから始まるから、しばらくして、これはひょっとするとまだ観ていなかったかもしれないと、気持ち的にはちょっと焦ってしまった。

ラストシーンがあまりにも記憶に鮮明に焼き付いているから、途中の部分はすっ飛ばされてしまっているのか、それとも予告だけで観た気分になってしまっていたのか、いずれかなのだが、そういうことを抜きにしても、これは観ることにしてよかったと本当に思った。

武田鉄也が何かのテレビ番組で、監督に指示された演技が力不足でどうにもできず、スタッフを長時間待たせるわけだが、その中に高倉健がいるのが辛くて泣きそうになったとか、そういう思い出話をしていた。

その時は奇妙に感じていたが、しかし、こうして主役級でこれだけ出ずっぱりであれば、それはもう大変な事だったことが漸くわかった。

しかも、具合が悪いことに相手役が桃井かおり。

映画の公開が昭和52年なので、当時の様子がつぶさに分かることも私にとっては有り難いことで、不覚にも昔のことを思い出してしまった。

夕張は今は散々の状態になっていても、けれども住んでいた人達にとってみれば、これは本当に懐かしい光景になるのだろうと思ってしまい、ちょっとしんみりしてしまった。


2009年 / アルゼンチン映画 / フアン・ホセ・カンパネラ監督

字幕が英語だったので、ほとんど解らなかったのだけれども、これは大人の映画だから、スペイン語ではもっと気の利いた会話をしているのだと思うし、主演の男女の渋い演技とあいまって、ずいぶん楽しめる映画なのだろうとも思う。

アルゼンチン国内の映画賞を総なめしたそうだから、レベルが低いはずはなく、こういう時には日本語しか解らないというのは随分つまらないことだと思ってしまう。

スペイン語ができる日本人が、ブログできっちり評論しているのを見ると相当に悔しい。少し言い訳をすると、構成自体が複雑で何がなんだか理解できないうちに終わってしまったということがある。

つまり、25年前の事件を振り返る設定になっているから頻繁に時代が切り替わるし、しかも俳優が同じだから何時の時代のことなのか混乱してしまうことがひとつ。(女性は髪の長さで判断するのだそうだけれど。)

事件のナゾを追いかけるミステリー的な場面も数多くあるから、これにも注意を払って集中していなければならない。

映画自体が「虚」の世界であることは無論のことなのだが、主人公が事件を題材に小説にすることで物語は始まるため、現実の事件の「実」と小説の「虚」が入り混じっているらしいことで、これがややこしさを倍加させている。

ただし、そのあたりの点を実にうまく演出しているし、俳優もそれに応えていて見事と言うしかないのではあるが。

基本的にはラブストーリーだと思って間違いないが、当時の政治に対する批判を加えつつ、それとなく現在の政治に対する問題提起もしているようだから、やはり原語でないと無理なのかもしれない。

映画を観て、監督の別の作品を観たいと思わせた映画は久しぶりだった。


1962年 / 小津安二郎監督 / 岩下志麻, 笠智衆, 佐田啓二, 岡田茉莉子

好みから言っても『秋刀魚の味』が一番の傑作だと思う。これは理由がハッキリしていて、岩下志麻と岡田茉莉子の二人に現実的な馴染みがあって、感情移入がしやすいということが第一にある。

女優はすべからく気が強いのだが、なかでもこの二人は図抜けていると思うが、楚々とした時代もあったわけで、このあたりの魅力の引き出し方が絶妙で観ているだけで楽しい。

またカラー作品なので、どの作品かが簡単に特定できることも気分的な安心感に繋がっている。

相変わらずの貴族的中流指向は致し方ないとしても、団地生活が東京では一般的になり始めた頃のことだろうから、ここに至ってようやく庶民的生活への距離感が縮まって来たのだろうとは思う。

大学を卒業して一流企業のサラリーマンになって、美人の奥さんをもらって、そして文化的生活を営むというのは、田舎の貧乏人にとっては当時でも夢のまた夢なのだが、努力すれば何とかなるかも知れないとの幻想はあっただろうから、そのあたりは反発よりも共感的感情のほうが強かったのかもしれない。

ある意味において、この映画が集大成になっていると思うから、いろいろなエピソードがかなり洗練された方法で再提示されていて、しかも緊張感が滲み出ていて飽きさせない。確かに一つ一つの場面が限りなく美しく撮影されているように思う。

例えば、岩下志麻が角隠し姿で鴨居の下を通るシーンは、能の所作を思わせるほどで感嘆してしまう。

全体のテーマが老いであるのか、家族の消失と再生であるのか、そのあたりは判然としないが、いままではどこか他人事のようなことであったことが、身近に迫って来たためなのだろうか

映画に描かれている孤独感や絶望感は切実で喩えようもなく深いから、自分でも身につまされる想いがして、しばし暗然としてしまった。


1986年 / 中国映画 / 謝晋監督 / 劉暁慶

発表された当時から、絶対に観たい映画だと思っていたが、心のどこかに引っかかる部分があり、延び延びになってしまった。やっと観ることができたが、もう十年以上経ってしまったと思うと感慨無量の気分になる。

繰り返し流されたシーンは、主人公が路地を箒で掃くシーンなのだが、こういう牧歌的な部分があるにせよ、今となればドキュメンタリーに近い感覚で観ることになるので、やはりどこか胸にせまってくるものがある。

中国の昔の映画なので、演技が大仰な点は慣習的なこととして目をつぶれば、ほぼ実例に近いことが描かれているはずで、そう思うとよく撮影が可能だったと思う。

人々が政治に翻弄される姿は情けない限りなのだが、当事者にとってみれば悲惨この上ない話ではある。

しかし、これも歴史のなかではさざ波のようなことで、街ではまたこれからも繰り返し同じような生活が営まれ続けるのだと思うと、どこか切なくも勇気づけられて、救われたような気分にはなった。

ひとつひとつの出来事は、おそらくどこかであったことなんのだろうと想像する。


2008年 / アメリカ映画 / ウダヤン・プラサッド監督

リメイク版の作法という事なのだと思うが、ほぼ『幸福の黄色いハンカチ』を踏襲しているので、内容の理解に苦しむことはなかった。

やはり日本とアメリカの文化の違いというのだろうか、琴線に触れる部分がどこか微妙に違うようであって、それは風景などの描写に現れていると感じる。

あの広大な風景からウエットな情感が日本人に生まれるとは到底思えないのだが、アメリカ人ではそうなのかもしれないと思うと、そういう所にリメイク版のよさがあったりするではないかと思った。

桃井かおりの出演は余計なことだとは思ったが、やはり敬意の表れということで、まぁこれは許す。

今でもそうなのだが、武田鉄矢にはどうしても品がないから、それでも映画の雰囲気をぶち壊しにしていないのは、高倉健あたりがしっかりと抑えつけた結果だと思うが、こちらの方は実によかった。

どこか頼りげのない点は同じなのだけれど、このあたりは監督がちゃんと見抜いていて配役を相当に苦心したのだろう。

いろいろな暗喩がおそらく頻繁に組み込まれているのだと思うが、アメリカ映画は見慣れていないし、文化にも通じていないから、その辺りは残念だが仕方がない。

回想シーンの挿入は山田監督の方が優れていると思うが、映像技術は凄く進歩しているようで、それが確認できたということでもよい映画だった。

原題:The Yellow Handkerchief


2007年 / 山下敦弘監督 / 夏帆, 佐藤浩市

何回か観た後での感想になるから、ちょっと後付けのようなことになって苦しいのだけれど、これはどうも原作は漫画ではないかと思っていたら、そのとおりだった。

というのは、カット割りというのかどうか、シーンのつなぎ方が映像作家によるものとは思えないところがあって、そういう点では原作に忠実にしたがって撮影編集されているようで、これがこの作品の成功に繋がっているのだと思う。

田舎の小規模校の学校生活が中心に描かれていて、ノンフィクション的な場面もあるのだろうと思うのだが、これが実にリアル感があって楽しめる。

周囲の大人のささやかな出来事とも絡めつつ、各自が次第に成長する姿をとらえていて、これがいい感じで、もちろん実際に自分がこういう環境に入ったら気分が滅入ってしまうが、この場合は映画を観ているだけという気楽な立場だから問題なく楽しめる。

郵便局員(廣末哲万)のわざとらしい演技以外は皆が好演していて、佐藤浩市も実際にはこういう役柄が本来は合っているのではないかと思ったりする。

一番好きな場面は、そよが修学旅行先の東京のどこかで風の音を聴きながら歩いているところで、ファンタジー感を高めるためだろうと思うが、空にはアニメーションが挿入されていて、本来はこういう加工は好まないのだが、これであれば許せるというほど出来映えで、ここは必見だと思う。

この映画を観てからは、漫画が原作かどうか気になるようになったが、実に多くの映画かそうなので、漫画を読むと成績が落ちるとの刷り込みがある世代としては、ちょっと驚いてしまっている。

方言やイントネーションが当地とほぼ同じなので、これにも驚いた。

註記:「天然コケコッコー」ではなく「天然コケッコー」


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