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林泉集

目次

大正五年

大正四年

大正三年

大正二年

林泉集(中村憲吉)

林泉集(大正四年)

林泉集』の「大正四年」部分のテキストです。他の項目には、左のカラムからジャンプしてください。

歌集『しがらみ』(中村憲吉著)も全編テキストにしています。こちらも御覧ください。

凡例:

  • 旧字旧仮名です。 旧字が存在しない場合は、新字にしています。
  • JISコード外漢字は、〓のあとに組み合わせ文字で表しています。
  • 《 》は金森による註記です。おもにルビを示しています。

(2013年6月 金森国臣)


大正四年

大正四年

構橋晩景 一

大河口の夕燒がたの船工場音をやめたりその重きおとを 《大河口(おほかはぐち)、船工場(ふなこうぢやう)》

河口の船工場に起重機の音あがりてより日は久しくありけり

煤けむり河になづさふ夕づく日構橋のしたに帆の船來る 《煤(すす)、構橋(こうけう)》

ひろびろと河の口より夕映す構橋にちかづく大き帆のかげ 《夕映す(ゆふばえす)》

ひろびろと河の口よりゆふ映す橋のたもとの路樹一本に 《路樹一本(ろじゆいつぽん)》

ひろびろと河の口より夕ばえす橋に向きたる街の遠くに 《街(まち)》

ゆふ映の街のはしより海の見ゆとほく橋見ゆその海の島に

夕づく日構橋のなかを行けりしが我が足もとに帆を巻く音す

橋したの夕忙しき水のうへに小蒸汽船は來てとまりたり 《夕忙しき(ゆふいそがしき)、小蒸汽船(こじょうきせん)》

しまらくは構橋したの小蒸汽船より街衢にのぼる油烟の臭ひす 《街衢(ちまた)、油烟(ゆえん)、臭ひ(にほひ)》

橋詰の街樹に吹ける海のかぜ夕かたまけて凪ぎにけるかも 《橋詰(はしづめ)、街樹(がいじゆ)》

いつくしく海のゆふ映す橋づめの一本路樹にねむる寵鳥 《一本路樹(いつぽんろじゆ)、寵鳥(かごどり)》

橋づめの路樹に寵どり眠りけり海より吹ける風のゆたかに

永代橋はしづめの樹に文鳥の釣籠ひとつ暮れにけるかも 《永代橋(えいだいばし)、文鳥(ぶんてう)、釣籠(つりかご)》

構橋に電車のおとの繁くなれり大河口に灯のいろは濃く 《構橋(こうけう)、灯(ひ)》

夕ざれば馬車灯をつけて構橋のかげKきなかを近くくる見ゆ 《馬車(ばしや)、灯(ひ)》

千鳥橋

倉庫堀に小夜潮ふかしわが眼透し眼にみるものが白き架け橋 《倉庫堀(さうこぼり)、小夜(さよ)、わが眼(わがま)》

Kぐろと倉庫のあはひの隱り船しはぶき一つ寒けかりけれ 《倉庫(くら)、隱り(こもり)》

倉庫かげに夜ぶかくこもる堀おほみ漕ぎ出で來る灯火荷船 《倉庫(くら)、灯火(ともしび)、荷船(にぶね)》

倉庫竝の堀のおくがへ夜ごもりに入り行く船の水棹のもと 《倉庫竝(くらなみ)、水棹(みづざを)》

河岸倉に人のまだ居る聲さむし岸にみちたるさ夜の潮香に 《河岸倉(かしぐら)、潮香(しほか)》

河岸船に天窓あきし灯のあかり女のぞきて物を云ひつも 《天窓(ひきまど)》

さ夜ふけの星居幽けぎ千鳥橋他の橋へうつる寂しき人か 《星居(ほしゐ)、幽けぎ(かすけぎ)、千鳥橋(ちどりばし)》

暇り橋を來る老婆あり夜の目には太葱一ぽん手に持ちしろし (一月作) 《暇り(かり)、老婆(らうば)、太葱(ふとねぎ)》

倉庫街

深川に夜を來つれば街ひくし潮かぜをおぼゆ近くの空に 《深川(ふかがは)、夜(よる)》

とつぷりと日暮れの後の倉庫街馬ひとつ居て尾を振るあはれ 《後(のち)、倉庫街(さうこまち)》

倉かげに馬は暗しもしみじみと尿を終へて蹄の音すも 《尿(いばり)、終へて(をへて)、蹄(つめ)》

馬ひとつ靜かにくらし吾がくれば吾れに口寄せ嘶かぬ愛しも 《嘶かぬ(なかぬ)、愛しも(かなしも)》

倉庫堀壁のきわには潮ふかしくらきさむさに千鳥も啼かず (一月作) 《倉庫堀(さうこぼり)》

晝の燈

日にけに光をふふむ風ふけば息なやましく夏さりにけり

吹きなやむ葉のかげに晝の燈の滲みて點る夏さりにけり 《燈(ひ)、點る(ともる)》

うとうとと眼にはおぼろに光るもの甍の上を吹きにけるかも 《眼(め)、甍(いらか)》

日並べてみんなみ甚く吹きぬれば思にあまる物言ひにけり 《日並べて(けならべて)、甚く(いたく)》

思ひ出て幽かにねたむ葉がくりの晝の燈光の顯しけなくに 《燈光(あかり)、顯し(うつし)》

樹のかげに晝の燈にぶし熱き葉の匂ひを嗅げば息はづみけり 《燈(ひ)》

憤るこころすなはち恥ぢにけり眞晝かがやく大道をあゆむ 《憤る(いきどほる)、眞晝(まひる)、大道(たいだう)》

みなづきの光眼いたし大道に鰌をころす鳴きごゑ聞こゆ (六月作) 《眼(め)》

草木發芽

花ぐるま路地にかくれて朝ながに鋏おと澄む春たちにけり 《鋏(はさみ)、澄む(すむ)》

火事あるは近くあらしも電車とまる街の灯なかに烟臭しも 《灯なか(ほなか)、臭しも(くさしも)》

街なかの濕り空地の草間にも土筆の萌ゆる春さりにけり 《濕り(しめり)、土筆(つくし)》

試驗すみし書物たまりて堆し机のつばき散り居たるかも (小閑を得て詠める歌五首) 《堆し(うづたかし)》

わが眉に試驗疲れの皺ふかし小夜更けてひとり鏡を見るも 《試驗疲れ(しけんづかれ)》

尠くも障子開くれば庭のものみな葉となりて居たりけるかも 《尠くも(すくなくも)》

小庭べに若芽ひらくはすくなくも半日待たねば心憎しも 《半日(ひなか)》

双眼鏡もて遠窓見れば心ぐし木の葉こまかに灯を蔽ひ居る (四月作) 《双眼鏡(めがね)、遠窓(とほまど)、灯(ひ)、蔽ひ(おほひ)》

峽の晝

やま峽の水くみ車田のなかに水こぼす間も物を思はしむ 《やま峽(やまがひ)》

田のなかに小屋ひとつありて山ちかし朝なさな見れば南瓜咲きつも 《小屋(こや)》

山の根へ田のうへの風の筋ほそぼそと通ふ眞ひるなりけり 《根(ね)、筋(すぢ)》

鳴きしきる藍草のふかみのきりぎりす深く染みにし戀ならなくに (三月作) 《藍草(あゐ)、染みにし(そみにし)》

五月雨をあはれと思ふ内の海ふるき湊に女見に來れば (五月作) 《湊(みなと)、女(ひと)》

悼左千夫翁

大正二年七月三十日深更、左千夫先生死去の電報千樫より來り、驚嘆措かず。遠くク里にありては衷心より之を信ずるを得ず。ひとり裏座敷にこもり、川を隔てし山に對して靜に思ふ時は、昨年來先生にこの悲し今徴候なきにしも非ざりしなり。

何やらん心重たく突きつめて思ひて居れば風のかなしさ 《何(なに)》

向山の樹の間に何の花ならんこの夕かげに白く咲けるも (八月作) 《向山(むかやま)、樹の間(このま)》

大正三年。六月。若葉漸く更け梅雨期に入りて、陰鬱なる曇り日續けば、同人の間にはおのづから先生の追悼談多し。先生の肥滿せる肉體を思ひ出つつ

日ならべて膚にねばむ曇りかぜ居ても堪へじも亡き人思へば 《日ならべて(けならべて)、思へば(もへば)》

大正四年。七月二十五日。炎熱。龜井戸普門院にて三週忌法會。墓參後。鰌屋追悼會席上作。

潮あさき枕橋したに船とまり心忙きをれば橋のほこりすも 《枕橋(まくらばし)、忙き(せき)》

遅れ來てまづ眼に入るもの墓ちかきあささの溝が正に悲しも 《眼(め)、正に(まさに)》

眞夏日の墓べの溝にわく泡のふつふつとして靜こころなし 《眞夏日(まなつび)》

よく見ればあささの中に蛙浮き寂しくひかる墓べの溝に

大正五年七月十三日。小石川區上富坂發行所開催第四周忌歌會席上作。この日天久しく曇りて殆ど無風。予には左翁の死は不思議にも蒸し暑き雲を聯想せしむ。夜半に至りて大雨來る

曇り風ふみ月の風は吹けれども土にさみしく君が音ぞせぬ 《音(おと)》

くもり風うつつに吹きて居るゆゑにことごとく物の音の遥けさ 《音(おと)、遥けさ(はるけさ)》

曇りかぜ氣遠く吹けどしかれども上は寂しもひと甦らんや 《氣遠く(けどほく)、甦らんや(かへらんや)》

新月

夜ふかき月は隱れて新づまの離室の小戸に渡るかしこさ 《離室(はなれ)、小戸(をど)》

夜ふかき月はかくれてわが大君夜の御典につかへますらむ (十一月十四日) 《大君(おほきみ)、御典(みのり)》

淺宵裸馬の列

灯なかより埃ののぼる宵淺し十字街にくれば汗ながれけり 《灯なか(ほなか)、宵淺し(よひあさし)、十字街(つむじ)》

灯のなかを遠く疲れて行くならん淺夜の辻の裸馬の一列 《灯(ほ)、淺夜(あさよ)、一列(いちれつ)》

馬の居る灯の美しき夏の街馬はとほくに送らるるにかあらむ 《灯(ひ)、街(まち)》

列りて行く馬みな裸馬なりほこり立ちたる灯のなか行くも 《列りて(つらなりて)、裸馬(はだかうま)、灯(ひ)》

つらなりて淺夜のつじを行く馬のあらはなる背は寂しかりしも

いななかず裸馬のひと群とほりしが埃にほふも街のあかりに 《裸馬(らば)、ひと群(ひとむれ)》

辻のへの燈火のなかを疲れたる馬の太頸竝びゆく見ゆ 《燈火(あかり)》

馬のむれの馬の一匹立ちとまり街のあかりに埃掻きけり 《掻きけり(かきけり)》

十字路の灯なかを過ぎる馬の列腹に射したる灯のいろの見ゆ 《十字路(じふじろ)、灯なか(ほなか)》

ありありと遠き灯つづく十字路に馬とどまりて面大きなる 《面(おも)》

灯のかげに馬のおもわは疲れたり馬眼をとづる息のふかしも (八月作) 《眼(め)》

寒潮堀

夜くらし深川不動尊境内に潮風ながる裏の堀より

縁日の人ごみの中に灯はくらし潮風著く吹きにけるかも 《縁日(えんにち)、灯(ひ)、著く(しるく)》


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