閑話休題
          

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「海軍兵学校」関連書籍

海軍大将 海軍における最高位。天皇が直接親任する。
宜侯(ようそろ)

 「おもかじいっぱーい」「とりかじいっぱーい」「ようそろー」

大本営発表  大本営発表は、太平洋戦争中846回行われている。
指揮官先頭・率先垂範 日本海軍には、「指揮官先頭、率先垂範」の伝統が脈々と生きている。
奇跡のキスカ撤退 米軍に木村艦隊を発見されることもなく、完全無血で5200の将兵を救出した。
戦艦「陸奥」謎の爆沈 昭和18年6月8日、瀬戸内海離島に仮停泊中の戦艦「陸奥」は、謎の大爆発を起こした。
『戦争論』 「戦争は政治におけるとは異なる手段をもってする政治の継続に他ならない」(クラウゼヴィッツ)
山本五十六と「逆立ち」 逆立ちは山本五十六の得意芸の一つだ。
水交会 会員に毎月送られてくる、会報『水交』の執筆記事は、資料としても貴重な寄稿文が数多くある。
『ラバウル戦線異常なし』 補給がまったく途絶えたラバウル地区では、現地自活を始めたが・・・
新名丈夫 「敵が飛行機で攻めに来るのに竹槍をもっては戦ひ得ないのだ」
伊藤正徳 「戦艦大和が比類なき大艦であったやうに伊藤正徳は、比類なき大海軍記者であった」
一枚の写真 タイムズ・スクエアで撮られた「一枚の写真」は、米国民の喜びをセンセーションに表現している。
続・一枚の写真 実は対独戦勝利の際に撮影されたものだった可能性が強い。
好運艦「雪風」 太平洋戦争中の主要な作戦にほとんど参加し、無傷に近い形で、敗戦を迎えた軍艦がある。
中島飛行機と知久平 町工場を、一代で世界に冠たる航空機メーカーに育てた中島知久平。
幻のフィルム 産経新聞は、映画監督亀井文夫の知られざる「幻のフィルム」、『制空』の存在を報じた。
艇長・佐久間勉大尉 沈没した潜水艇の中、日本海軍100年の大計を憂い、冷静沈着にも問題点を書き残した。
日本海軍と武士道精神 世界は間もなくこれを聞き伝えて、伊東提督の措置を世界海軍礼節の最高峰と褒め讃えた。
封じ袴の大将 「予ガ海軍大将ニナル日コレヲ開キ見ン」と、密封していた母親手製の袴を38年ぶりに着て見せた。
原爆実験と「長門」 「長門」の最後は、栄光の連合艦隊旗艦としての矜持を、厳として守りつつその幕を閉じた。
フリート・イン・ビーイング 戦わずして勝つ海軍、存在すること自体が強力な意味を持つ艦隊、それがフリート・イン・ビーイングの思想だ
海軍兵学校と遠洋航海 一番の収穫は、諸外国の実状を自分の目でつぶさに見ながら、国際的見識を高めることにあった
海軍士官と隠語 「・・・おい、テッポウ。昨日は、ケップのお伴でレスに行ったところ、ワシのインチが現れてねえ・・・」
中津留達雄大尉 中津留の操縦する「彗星」は、終戦を祝い煌々と明かりを点けた米軍キャンプを避け突入した。
山本五十六・凡将論 生出寿は、井上成美が東郷の神格化されたヴェールを剥ぎ取ったように、元帥・山本五十六を俎上にのせた。
山本五十六と愛人 昭和29年4月18日号の『週刊朝日』は、新橋の芸者「梅龍」が、山本五十六の愛人であったことを報じた。
セシル・ブロック セシル・ブロックは、昭和7年から3年間を海軍兵学校英語教官として江田島で過ごした。
スプールアンス 戦艦『大和』を、トーゴー・スタイルで葬ることが、日本海軍の名誉ある最後にもなると思う
若き日の権兵衛1 「教官室に乱入、あるいは教官と乱闘、あるいはテーブル、イスなどを破壊し、流血の暴挙を演ずるに至れり」
若き日の権兵衛2 25歳の権兵衛は、遠洋航海から帰投、浩然の気を養うべく品川に登楼し、17歳のトキと出会い一目惚れする。
淵田美津雄中佐 淵田が演説すると、黒山の人だかりとなり警官も出動し、彼の乗るトラックは身動きがとれないほどであった。
海軍兵学校と皇族 課業も普通学は、特別個人教授で行われたが、軍事学、訓育、体育等はすべて一般生徒と一緒に行われた。
御賜の短剣 大正15年3月、兵学校卒業時に拝受された御下賜品の短剣が、大國魂神杜(東京都府中市)へ奉納された。
消えた軍艦『畝傍』 巡洋艦『畝傍』は、明治19年10月18日仏での竣工を終え日本への回航中、忽然とその姿を消してしまった。
甦る「幻のフィルム」 今、ドキュメンタリー作品「緑の海平線」のなかで、重要なファクターとして「制空」が60年の歳月を経て甦る。
工藤俊作と武士道精神 426名の英国海軍兵を救助した、戦後、最近まで知られざる武士道精神。
次室士官心得 抄 ガンルームを公室とする若手士官たちの日常心掛けるべき心得の抄録.
連合艦隊司令長官 歴代の連合艦隊司令長官24名を写真で紹介。
米国の報道管制 言論・報道の自由が保障されていた戦時下の米国での報道管制とは。
『昭和天皇の艦長』 漢那憲和は「昭和天皇の艦長」と知られ、予備役編入後は国政へ転出し、生涯沖縄に尽くす。
『大震災に見るリーダー』 今、わが国に求めれているのは、強力なリーダーシップを持った総理大臣である。
 緑の連隊長  吉松喜三陸軍大佐は、その「善行」により戦争相手国の将校から感謝状をもらった。
 海軍と”脚気”  明治15年、海軍兵学校練習航海で、「龍驤」に大量の”脚気”患者が発生し、航行不能となる事態が起きた。
 海軍士官モットー  海軍士官として心掛くべき主なモットー