〜雑記帳〜
(更新日時1997年11月18日)
11月18日
『物バカ日誌2<デジカメ編>』
デジカメを買いました。
で、しばらく使ってみて・・・売りました(←アホ)
いやその・・・これは私の考え違い、かつ選択ミスだったんです。
35万画素(640*480)でもまあ何とかなるかな〜と思ったのですが・・・。
デジカメと言う物に対する考え方が根本的な部分で違っていたんですね。
一部業務用機を除いては、まだDTPの用途など考える段階には来ていなかった。
もちろんメーカーによってその考え方は様々あり、その後に調べてみたら理想に近い仕様を持つ機種もいくつかありましたが・・・。
それ以前は、まあこの辺のクラスではどれでもそう大差無いと思っていたんですね。
ただ、現在のデジカメはけして普通の銀塩式カメラの替わりにはならない・・・と言う事はわかりました。
メガピクセルクラスでようやっと、使い物に・・・なるのかな?
少なくとも現状では安い一眼レフとフィルムスキャナー買った方が百倍は価値があると、感じました。
いや、あくまでも私の考える画像の使い方では・・・ですので。
普通の使い方、あるいはメモ用と割り切って使えばこんなに便利な物は無いです。
いっそデジメモとかって名前にすれば良かったかも。
その場合は27万画素でも良いので出来る限りコンパクトなのが欲しい。
胸ポケットに入る位で価格も安く・・・あ、これならありますね。やはり単に私の失敗でした(笑)
と、泣き言ばかりではなんですね。
とりあえず使ってみて最低限こうあって欲しいと言う希望など・・・。
- 光学式ファインダーの装備と液晶モニターのオフ機能
- レンズ及び液晶モニター部の防護カバーの装備
この2点は特にQVシリーズに言えますね。これだけで随分電池の消耗は防げると思います。カバーとスイッチを連動させれば保護と同時に誤動作防止にもなりますね。
- スーパーファインモードの装備
これも一部の機種では低圧縮・無圧縮として採用しているものもあるのですが・・・一般的なファインモード(1MB当たり10〜15枚)ってのは圧縮キツ過ぎます。解像度よりも私はこっちが問題だと思っています。
また色情報の劣化ももう少しなんとかならないっスか?これこそ信号処理をチューニングでカバー出来るとこだと思うのですが・・・。
- 使えないケースなど付ける必要無し!(笑)
実はこれ、MDや他のポータブル機でもいつも気になってたんですが、付属で付いてくる巾着とか只の袋状ソフトケース・・・アレいらないんじゃない?
本来使用しながら、あるいはすぐに使用出来る状態で持ち運べなくてはならないのに・・・せめてベルトに通せるようにしておくくらい出来ないのでしょうか?
- 虚飾の排除
と、これは市場が成熟して来た事でボチボチと。
これまでのみんな銀ピカでいかにもデジタル〜な外観から脱皮の時期。意味の無い高級感よりも機能・操作性の追求。
個人的には”現場監督(*1)”みたいなのに出て来て欲しいですね(笑)
と、こうした条件については今のところカメラメーカーの製品の方が理想に近いです。
ただ、トータルでの仕様のまとめ方についてはまだどこも紆余曲折と言うか、何をしたら良いか決めあぐねているように感じられます。
市場では80万画素以上にニーズが以降しつつあるようですが・・・さて、98年には再び食指を動かされるモデルが登場して来てくれるでしょうか?
(*1)シンプルかつヘビーデューティな仕様の35ミリカメラ
11月10日
『好きこそは遠くに置きて・・・』
えー・・・今回の話題は固いです。
加えて若干個人的な嗜好も入っておりますので、不適当な発言あるいは不穏当と受け取られかねない部分もあるかも知れませんが、願うところは犯罪の無い・・・法的
なだけでなく真の意味での・・・無い社会ですので。
と言うわけで・・・最近何かと話題の児童ポルノ規正法案。
子供が犠牲になる犯罪の撲滅と言う点では私も賛成です。
が、どうもかつての過ちを繰り返そうとしているのではないか?と危惧しております。
その規制が単なる少女写真集やコミックにまで及ぶと言うのは・・・むしろ逆効果を生む危険
をはらんでいる、と言う事を。
犯罪はそれらが生み出すのでは無いと言う事をまた忘れてしまったのだろうか?
しかし人は何かしら理由を求めたがる。でないと不安で仕方が無い。
理由が必要だ。目に見える、誰にもわかる理由が。
・・・なぜ?・・・
ホラービデオを持っていた。アニメを見ていた。美少女コミック誌があった。
アレだ。アレがけしからん。アレが原因で事件は起きた。
だから無くしてしまえ。それさえ無ければ大丈夫。
ほら、もう安心だ。
しかし・・・また事件は起きる。
なぜならば、本当の理由は目に見えないところにある。
それはたぶん心の中に。いや、誰の・・・ではなく、誰もの心の中に。
だから、見たくないし認めたくない。
いいや違う。私は違う。
彼は心が弱いんだ。愛情が足りなかったんだ。だから過ちを犯した。
そしてそのきっかけを作ったのがアレだ。
だから無くしてしまえ。そうすれば大丈夫だ。
大丈夫なはずだ。これでもう安心・・・。
そして・・・事件は繰り返す。
ちなみに私は自分ではロリコンだと思っています・・・が、思うにこのテの犯罪は概
ねそう言ったロリコン者が抱く少女に対する愛着あるいは性欲とは違ったところから発
生しているように見受けられます。
妄想するのは構わないと思う。犯そうが殺そうが(不穏当ですね)
もっとも、いつもそれしか考えられなくなってたら・・・マズイですね。
いや、マズイのは妄想そのもの・・・では無く、そう言う状態に追い込んだ要因。
これはニュースなどで見ていつも感じるの事なのですが、彼らはおそらく・・・誰で
も良かったのだろうな・・・と。
弱い者であれば・・・自分の欲望・焦燥・孤独・不安などなどを受け入れさせられる
ものであるならば。
すなわちこれは自分を苦しませる現実に対する復讐・・その身代わりなのだと。
だからより破滅的になる・・・。
表面的に安心したいだけなら、それは目を閉じているのと変わらない。
見えなくして消し去ったつもりでいるよりも、少しづつでも目を開けて防ぐ方が良いと
思う。
私がロリコンだと自認するのも抑止の意味があるからです。
自分はロリコンだから・・・むやみに少女に近づいてはならない・・・と。
それに、ロリコンで無くても全く健全で悩みの無い人間などいない、と思うんです。
もしいるとしたら・・・それって一番人間ばなれしている気がする。
あるいはその中途半端に不健全な状態こそが健全な状態なのだと。
健全な自分と不健全な自分、大嫌いな自分と大好きな自分、優しい自分と残酷な自分。
いくつもの相反する自分と言う天秤を悩みながら時には間違えながら支え続ける事で
人は生きてゆくものだと思う。
少しくらいは傾いたって良い。自分の力で・・・いや時には誰かに手伝ってもらって
も良い・・・天秤を投げ出したりしない限りは。