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フィリピン活動記:

出来事 その3

  • 台風19号
  • スモーキーマウンテン
  • 国家経済開発庁LAN構築
  • 職場のクリスマスパーティー
  • 風邪でダウン

  • ※ プライバシーを考慮して、掲載している画像には軽くぼかしをいれています。ご了承ください。


    台風19号 2003年11月1日

    昨日より降り続いている雨が強さを増し、しだいに風も出てきました。
    もしやと思ってインターネットで確認してみると、台風19号が通過する様子。
    やがてテレビが不通になり、送電が止まり、水も出なくなりました。

    ※ しかし、電話は別回線なのでインターネットは利用可能。ひょっとしたら災害に一番強いのはインターネットかも。

    外は暴風雨。ものすごく暇である。外出できないし、テレビも見られないし、本当にすることがない。外の様子をぼーっと観察しながら、酒でも飲む。
    ドンからTEXがあり、ろうそくを用意しておいたほうが良いとのこと。このまま行くと夜は真っ暗。ろうそくと懐中電灯を準備しておく。
    昼飯はスパゲティを茹でて食べる。夜は冷凍庫に作りおきしておいたハンバーグと昼のスパゲティをいただく。食料と飲料水は確保しておいたので、なんとか大丈夫でした。これからもいざというときのために食料と飲料水は切らさないようにしておかなければならない。
    食器は雨水を利用して洗う。水が出ないのでトイレは流せない。今度、水をためるための桶を買わなければ。

    翌日。台風一過。さわやかな朝。
    昼頃に送電が復活。続いて水、テレビも復旧。
    近所を見渡すと、木や竹が数本折れており、テラスにある木製の物干しが倒壊。その程度ですんでよかったです。

    ※ 前回の台風では、トゥゲガラオ空港が倒壊、隣のイサベラ州などは数か月たっても電気が復旧しないといった有様でした。

    フィリピンは台風の発生地。天気予報を見たところで急には対策をとれません。。。


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    スモーキーマウンテン 2003年11月15日

    フィリピンで活動しているNGO、SALT主催の勉強会に参加しました。この勉強会は、スモーキーマウンテンを訪れて、ゴミ山の問題について考えるものです。実際にゴミ山を訪れて、自分なりにこの問題について考えてみたいと思いました。

    出来事画像0301 スモーキーマウンテン:ゴミ山の上に建物が建ち、また畑などもあります。

    マニラ首都圏の北東部ケソン市の一角に広大なゴミ投棄場があります。分別されないまま運び込まれるゴミは強烈な日差しにさらされ、化学変化を起こし、自然発火して絶えず煙をあげていることから「スモーキーマウンテン」と呼ばれます。
    強烈な悪臭と暑さの中、再生可能な物品を拾い歩き、それを廃品回収業者に売って生計をたてる「スカベンジャー」と呼ばれる人たちがいます。その中には子供も混じっています。
    スカベンジャーの大半は、田舎の島々から都会のマニラへ仕事を求めてやってきた人たちです。「ここなら仕事がつきることはない。一生懸命働けば家族がなんとか食べていける。」と期待してスモーキーマウンテンのスラム街に移り住んできました。
    ゴミが捨てられている限り、彼らは仕事を失うことはありません。しかし、その実態は非常に過酷です。
    彼らの家はいつ崩れてくるかわからないゴミ山のすぐ脇にあり、そこから出る悪臭や化学物質を含んだ煙に絶えずさらされています。
    医療機関はほとんどなく、交通費・治療費がなければ怪我をしても病気になっても我慢をして、ただ弱っていくのを待つほかにありません。簡単に治るはずの病気で命を落とす人たちが後を絶ちません。
    彼らは一家で12時間近く働いて1ヶ月2,000ペソ(=約4,000円)の収入を得ています。お金がなくて食べ物を買えないときは、ゴミ捨て場から拾ってきたものを食べています。 栄養失調の子供たちは約40%に達します。小学校も半分以上が卒業していません。
    スモーキーマウンテンは貧困の象徴といえます。

    ※ 上記文章は一部をSALT配布の文書から引用。

    出来事画像0302 Jちゃん一家:真ん中の白いシャツがJちゃん(13歳にしては背が低いのがお分かりいただけると思います)、後ろの黄色いシャツがお父さん、両端にいるのは隊員たちです。

    私たちが訪れたのはJちゃん一家。
    彼女は13歳。学費が払えず、退学、入学を繰り返しているため、小学3年生のままです。現在はNGOの奨学金のおかげで小学校に通っています。「学校は楽しい。算数が好き。」と彼女は言います。
    お父さん、Jちゃん、妹、弟の4人暮らしです。先日、お母さんが別の男を作って駆け落ちしました。お父さんはそのショックで精神状態が不安定になり、現在は仕事をする気力がないようです。
    以前は、お父さん、お母さんの2人でゴミを拾っていましたが、現在は働いているのはお父さんひとり。「こんな状態だから、本当は子供たちにも働いてもらいたい。でも、小学校は卒業してほしいから、学校は辞めないで続けさせる。」と彼は言います。
    Jちゃんの家では豚を飼っています。ゴミ山から残飯を拾ってきて豚に食べさせて育てています。5ヶ月後、4,500ペソ(=約9,000円)で売れるそうです。現在は、この豚とゴミ拾いで生計を立てています。
    家は3畳程度、それに土間があります。家には電気が通っており、テレビも見ることができます。彼らに言わせると、地方で農業や漁業をやるよりもゴミ山での生活のほうが楽だそうです。

    スモーキーマウンテンを訪れていろいろ考えました。問題が大きすぎてどうしたらよいのかわからないというのが正直なところです。
    最大の原因は貧困にあります。フィリピンは先進国に天然資源などの原料を安い価格で輸出し、日本などの先進国から高い工業製品を購入するといった経済構造になっています。その結果、フィリピンはますます貧しくなり、逆に先進国はますます豊かになるという構造が出来あがります。フィリピン国内でも一部の支配層だけが豊かとなり、貧しい人は貧しいままとなっています。このような経済構造が続く限り、貧困問題は解決できないのかもしれません。
    私は今まで、ゴミを一掃すればよいと考えていました。しかし、そうなるとゴミ山で生活している人たちは路頭に迷います。
    生活のために、学校に通わずに働かなければならない子供たちもいます。
    短期的にみれば、教育はすぐに効果を発揮するものではありません。しかし、長期的に見れば、教育はいずれ生活の向上をもたらしてくれるものであり、必要なものと考えます。
    今すぐ自分に出来ることとして、学校に通う子供たちの援助を考えています。十分な教育を受けた人たちが増えれば、生活が豊かになるからです。


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    国家経済開発庁LAN構築 2003年11月21日

    出来事画像0303 感謝状:なんと感謝状をいただきました!

    国家経済開発庁第2地域事務所(NEDA Region Office 2、以下NEDA RO2)にて、LANの敷設を行いました。
    NEDA RO2ではLAN敷設のために、Hubやケーブルを購入しました。しかし、これらを接続して活用できる技術者がいないため、計画が進んでいませんでした。
    そこで、NEDA RO2が私の配属先CSUに依頼し、LAN敷設を行うことになったのです。

    NEDA RO2にてケーブルを作成、コンピュータの接続、Windows NTサーバのセットアップを行い、担当者への技術指導、さらには利用者へのプレゼンテーションを行いました。
    その結果、NEDA RO2にLANが敷設され、ネットワークを活用した業務を行うことができるようになりました。また、この活動に対して、NEDA RO2から感謝状をいただきました。


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    職場のクリスマスパーティー 2003年12月11日

    ここフィリピンはキリスト教の国。もちろんクリスマスは盛大に祝われる。この時期はフィリピン人が一番盛り上がる時期。
    フィリピンでは9月ごろになるとクリスマスツリーが出現する。12月に入れば街中はあちこちでイルミネーションが始まる。夜中のイルミネーションに浮かび上がる教会はとてもきれい。
    そんなわけで、フィリピンで過ごすクリスマスに期待をしていた。

    配属先では公費にて3つのクリスマスパーティーが開かれる。Faculty Clubのクリスマスパーティー、大学全体のクリスマスパーティー、工学部のクリスマスパーティである。
    そういうわけで、今日は職場のFaculty Clubのクリスマスパーティー。体育館に全キャンパスの教職員が集まる。
    午前中はミサ、退職する教職員の挨拶。
    午後から本格的なパーティーが始まる。

    出来事画像0304 クリスマスパーティー:歌う、踊る、騒ぐ、食べる!

    学部ごとに前に出て踊ったり、カラオケ大会をしたり、腰を振ったりするちょっとエッチなゲームをしたり(日本だとセクハラ!)。
    ものすごい盛り上がりを見せる。普段の娯楽が少ないせいか、ここぞとばかりにみんな楽しんでいる。が、しかし、私はちっとも楽しくない。だって、、、面白くないし、踊りやカラオケだけが延々と続くし。強制的に踊らされるし。。。
    ていうか、普段お金がないくせに、授業を中止して公費でこういうパーティをやることっておかしいのではないだろうか。宗教観や文化の違いというのはあるが。
    その後のミリエンダがまた大変!バイキング形式だけど、食事時間になるとみんないっせいにダダダダーっと集まり、食事の取り合い。醜い争いである。。。結局私は食べられなかった。

    フィリピンのクリスマスなんて大っ嫌い!!である。


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    風邪でダウン 2003年12月12日

  • 12月12日(金)
  • 昼飯に外のPANCITERIAにてパンシットを食べる。このとき、喉に痛みを感じた。今日は暖かいから風邪では無いと思うのだが。。。

  • 12月13日(土)
  • 朝、シャワーを浴びる。もちろん水シャワー。その後、体がだるくなってきた。どうも風邪のようである。夜は教職員のエルネスの家のパーティに呼ばれた。しかし、どうしても体がだるいので途中で帰ってきた。

  • 12月14日(日)
  • 今日は外に出歩かず、家の中で資料作成をする。
    夜、ものすごく寒い。ぶるぶる震える。気温は15度くらいだろうか。雨が降っていたから気温がすごく下がっている。フィリピンは常夏の国だと思っていたから、厚手の服は持ってきていない。まさかフィリピンで凍えるとは。。。風邪が悪化するかもしれない。

  • 12月15日(月)
  • 熱があるので職場を休む。今日は大学全体のクリスマスパーティだが、まあどんなパーティか予測できるので、休んでいたほうが都合が良い。ドンに風邪だから休むと伝える。
    そういえば今日はNEDAに行って仕事をする予定だった。しょうがないので学部長に連絡して代わりに誰かをNEDAに行かせてやってくれとTXTする。
    症状を確認する。デング熱ではないようだ。
    教職員モニコが見舞いに来る。彼はバクラ(オカマ)という噂なので、1人でたずねてこられてビビる。
    ドンから見舞いのTXTがある。酒を飲んで寝れば治るとのこと。
    せっかくだから酒を飲んで寝る。

  • 12月16日(火)
  • ドンから見舞いの電話がある。水をいっぱい飲めとのこと。
    大家が見舞いに来る。水をいっぱい飲めとのこと。フィリピン流の風邪の治し方は水をいっぱい飲むことらしい。
    教職員メルチョルが見舞いに来る。みんな心配してくれているようだ。
    熱が下がってきたので、午後から職場に行こうとする。しかし、パーティで仕事は無いとの話なので、結局休むことにした。
    教職員アネットにNEDAでの仕事の話をTXTでする。今日はパーティだから誰もNEDAには行かないらしい。こうやって仕事はどんどん遅れ、ついにはその仕事は忘れ去られてしまうのだろう。。。

  • 12月17日(水)
  • 朝、ドンから電話がある。彼はマメな人である。今日も休んでいなさいとのこと。
    熱も下がっているので家で仕事をすることにする。
    午後、ドン、アネット、メロディ、ジョセフが見舞いにやってくる。
    夜、アネットとアルビンが見舞いにやってくる。
    風邪はもう治ったようだ。

    みんな、心配してくれてありがとう!


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