N響主席指揮者のパーヴォ・ヤルヴィの指揮による演奏会です。9月14日、15日に、サントリーホールで開催された定期公演(第1841回定期公演Bプログラム)と同じプログラムが、東京芸術劇場で演奏されるものであり、18日は福井でも同じ公演が行われます。14日の定期公演はNHK-FMで生中継されましたので、聴かれた方も多いものと思います。
私がN響を聴くのは、2013年3月以来ですので、3年半ぶりになります。また、パーヴォ・ヤルヴィの指揮での演奏を聴くのは、2000年11月の東京交響楽団第9回新潟定期以来の16年ぶり、2回目となります。
実は、今日は東京への出張があり、18時からの会議に出席しなければなりませんでした。とんぼ返りするのももったいなかったですので、早めに上京し、このコンサートを聴くことにしました。
池袋駅前の和風料理店で昼食を摂り、東京芸術劇場へと向かいました。名物の長いエスカレーターに乗ってコンサートホールへと上がっていきました。このホールに来たのは2014年4月以来ですので、約2年半ぶりになります。
今回の席は、2階席正面の後方のA席です。先回も同じような席だったように思います。我がホームグランドであるりゅーとぴあに比べて、席数は大差ないですが、容積は巨大です。パイプオルガンは音響反射板で隠されています。
拍手がない中団員が入場しました。拍手で迎えて、団員も起立して応えるという新潟方式に慣れていますと、ちょっと寂しく感じてしまいます。コンマスが出てきても拍手はなく、そのままチューニングとなりました。ヤルヴィが出てきて、漸く大きな拍手が贈られました。オケの配置は、コントラバスとチェロが左、ヴィオラが右側で、ヴァイオリンが左右に分かれる対向配置です。
最初は「はげ山の一夜」の原典版です。原典版はCDでは聴いていますが、実演で聴くのは初めてのように思います。リムスキー=コルサコフ版に慣れていますと、違和感も感じましたが、新鮮な音の響きで楽しめました。
大きなホールに豊潤に響き渡るオーケストラサウンド。残響豊かでありながらも音の分離がよく、クリアなサウンドが良いですね。
続いては、編成が小さくなった弦楽だけで、没後20周年である武満徹の曲です。さすがN響というような、透明感のあるきれいな弦楽のサウンドが良かったです。不勉強で、音楽的素養のない私は、こういう精神集中を要求されるような現代曲は馴染めず、理解もできないのですが、実演の場合は繊細な音の響きを楽しむことができます。私の能力では、音楽ではなく、音響を楽しむので精一杯です。
次は弦の編成がさらに小さくなり、管楽器、打楽器、ピアノ等が加わって、もう1曲武満徹です。この曲も、曲に込められた意味などは理解はできず、開き直って単純に音の響きを楽しみました。音響的には非常にきれいであり、オケの演奏としては非常に優れていたものと思います。ブラボーの声も上がっていました。
休憩後は普通の編成に戻って、ムソルグスキーです。最初は短い曲を1曲。美しい演奏ではありましたが、5分ほどのこの曲をここに置いた意義は何だったのか良くわかりません。
続いて「展覧会の絵」。これはN響奏者の実力が遺憾なく発揮されました。冒頭のトランペットソロから、名演が予想されました。
眼前に広がる音の絵巻。色彩感あふれる豊潤なオーケストラサウンドでありながらも、響きはあくまでもクリアであり、濁りは一切ありません。ホールの大きさ、響きの良さもあって、強奏部でも音は飽和することなく、各楽器がきれいに分離されて聴こえます。
N響の名手たちによるソロも見事と言うしかありません。終曲での鐘の大音響にはびっくり。この曲の実演は何度も聴いているはずですが、ここまで大音量で鐘を鳴らしたのは初めてのように思います。壮大なフィナーレを迎え、ホールは感動と興奮で満たされました。
N響とヤルヴィによる新時代到来を示唆するような、素晴らしい演奏でした。演奏はあくまでもきれいであり、洗練されています。ちょっとグロテスクなところがあるこの曲ですので、もっとどろどろと、荒々しく演奏しても良いかとも思いますが、これがヤルヴィの魅力なのかもしれません。
無駄な贅肉をそぎ落とした、引き締まった筋肉質の演奏とでもいいましょうか。細かなところまコントロールされ、それに応えたN響奏者の演奏技術の素晴らしさも賞賛されます。良い演奏でした。
気分が高揚した中、長いエスカレーターを下り、池袋の雑踏に身をゆだね、現実世界に引き戻されました。さあて、仕事に行かねば・・。
さて、NHK交響楽団は来年(2017年)1月7日に新潟での演奏会が発表になっています。指揮は、広上淳一、ピアノに小曽根真を迎えます。いかにも地方向けというような曲目に魅力はありませんが、小曽根さんは期待できますので、楽しみにしたいと思います。
(客席:2階L-21、A席:¥6000) |