久しぶりのコンサートです。10月も下旬となり肌寒くなりました。精神的ストレスもたまって、心の中は木枯らしです。今日のコンサートはストレス解消になりますやら。
いつもながらS席エリアの常連席以外はD席を除いて空席が目立ちます。ちょっと寂しいなあ。本日は若きマエストロ、ミッコ・フランク登場です。実は2001年2月の第10回新潟定期演奏会に客演するはずでしたが、急病のため、急遽アントニオ・ピロッリに交代したといういわくがあります。新潟としては2004年7月にベルギー国立管弦楽団とともに来演し、楽しませてもらった記憶があります。今回も今年の新潟定期の中では楽しみにしていたプログラムです。
まず、本日は中越地震からちょうど1年にあたり、照明を落とした中でバッハのアリアを弦楽で追悼演奏されました。演奏後のしばしの静寂が心にしみました。東響メンバーとフランクの心遣いに感謝です。
次いで全員揃って1曲目。全く知らない曲ですが、耳障りが良かったです。作曲者のラウタヴァーラはフィンランド作曲界の重鎮なのだそうですが、無教養な私にはわかるわけがありません。で、「アポテオシス」という曲は、1992年に作曲された交響曲第6番の第4楽章を改作したものだそうで、1999年に独立した曲として発表されたといいます。現代曲らしからぬ、響きの美しい曲です。ただし、それ以上の感慨はありませんでした。聴き足りないような欲求不満を感じました。交響曲として全曲聴いたら別の感想も持てたかも知れません。
2曲目はスクリデが登場し、シベリウス。力強さはないですが、流麗な演奏です。北欧風で容姿端麗。もともとシベリウスは好きな方ではないですが、正直言って退屈しました。こんなつまらない曲だったかなあ・・。この曲の実演は2004年3月、庄司紗矢香(デイヴィス指揮ロンドン響)で聴いていますが、たいそう感動した覚えがあります。この演奏はどうも私には合わないようです。アンコールはバッハ。これはいい演奏でした。
後半はお目当てのストラヴィンスキー。春の祭典と並んで私の大好きな曲です。これまでの実演では、全曲演奏ではゲルギエフに大感動し、前記した庄司がシベリウスを弾いたデイヴィス指揮ロンドン響公演でも演奏され、満足感を味わった記憶があります。組曲版(1919年版)は東響新潟定期の第4回で秋山さんの指揮で演奏されています。1945年版は初めてですが、大いに期待していました。そんな思い入れのある曲です。
序奏から引き込まれ、大いに期待を持たせましたが、曲の切れ目に休憩を入れるので緊張が緩んでしまいます。特に一番の盛り上げ所の「ロンド」から「地獄の踊り」の間に休憩を入れたのは気に入らなかったです。あそこは続けて演奏したら音響的にも心を打つのになあ。そしてフィナーレ最後の切り刻み。これが1945年版の特徴らしいですが、しっくりきません。私はやっぱり1919年版が好きです。今ひとつ盛り上がりきれない演奏でした。
フランクに拍手喝采する人もありましょうが、私の琴線には触れません。欲求不満だけが残りました。ストレス解消を期待したのですが、期待はずれと言うしかありません。ホール内にはブラボーの声も聴かれましたが、私は最後まで拍手する気にはなれませんでした。
本日のコンミスは大谷さん。東響の演奏は悪くなく、フランクが私に合わなかっただけなのだと思います。ストレスがたまりすぎて、感動する余裕を失っていたのかも知れません。いいことないかなあ・・・。私生活がしっかりしないと芸術どころじゃないというのが真相。
(客席:2階Cブロック*−*) |