25年前ぐらいのことだから随分以前の話になるが、パソコン自体の性能が劣っていたこともあり、翻訳ソフトとなると最低でもワークステーションでなければ動かなかった。
もう少し正確に言えば、市販されているものではUNIXワークステーション対応の翻訳ソフトしかなかったように思う。
マニュアルの作成を手伝いに出かけていた会社が、たまたまワークステーションを販売していたのだが、嬉しいことにソフトのラインアップに英日翻訳のソフトが含まれていた。
頼み込んで使用させてもらうことにしたが、業務ではなく単なる遊びのようなことでも仕様評価にもなるとの建前で了承してもらった。
最終的には、この翻訳ソフトを実装したワークステーションを個人で所有することになるのだが、正規の販売価格は両方で500万円ぐらいしたのだと思う。もちろん型落ちのモデルであるし、廃棄寸前の製品でもあったので、安価に販売してもらった。
ワークステーションとはいえ、MPUが386という時代なので現在と比較すること自体に無理があるのだが、それでも手元であれこれ試すことができるのは有り難かった。
そうこうするうちに、バブル崩壊に伴う業績不振によってリストラされることになった。自営の道を歩まざるを得なかったのだが、しばらくしてなぜか翻訳の仕事が入るようになった。
試用感覚で使っていた段階で、この翻訳結果であれば、ある程度は実用になるとの感触は得ていたので、翻訳の仕事に活用することにした。2009年末の現時点でも同じことなのだが、出力の結果がそのまま使えることはないし、当時も期待はしていなかった。
技術翻訳の場合は専門用語の統一に気を使うので、単に用語を置き換えてくれればよいという程度のことであった。もちろん用語の置き換えだけでも入力の手間が省けるので、作業効率は格段に向上する。
今では笑い話のようなことになるのだけれど、翻訳精度以前の問題として、翻訳速度が相当なネックになっていた。難解な文章は、翻訳ソフトも苦手なようで、どうかすると一文の翻訳に30分もかかる有り様であった。
そのためにバッチ処理と言っていいのか、1日の作業量を約2000ワードとして、そのファイルを夜中に翻訳させていた。朝には実行が終了しているので、出力をテキスト形式でフロッピー・ディスクに保存し、パソコンに移して翻訳作業を行うという方法である。無論OSはWindowsではなくMS-DOSの時代であった。
今でも思い出すのは、本当に翻訳アルゴリズムが脆弱で、技術文書に頻出する命令文がうまく翻訳できなかったことで、そのため、いちいち「They」を文頭に追加していたようなことであった。
長文になると全く歯が立たず、フリーズしてしまうので、一文を短くする工夫もとっていた。例えば、コロンの直後で強制改行したり、時には文章を書き換えたりして何とかしのいでいた。
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