FRANCE98
オランダ代表情報 Koninklijke Nederlandsche Voetbalbond |
オランダ代表、国際舞台での主な成績
1974年WorldCup西ドイツ大会 | ||
成績:準優勝 オランダが世界にデビューした大会といっても過言ではない。世界中のサッカーファンがヨハン・クライフ率いるオレンジ軍団に魅了され、近代サッカーの基盤となったトータルフットボールを展開した。サッカーファンの誰もがオランダの強さを認め、優勝を疑わなかったが、地元西ドイツの勝利への執念に敗れ去った。 |
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出場した 主な選手 |
ヨハン・クライフ、アリー・ハーン ヨハン・ニースケンス レンセンブリンク、ルート・クロル |
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1978年WorldCupアルゼンチン大会 | ||
成績:準優勝 クライフは出場しなかったが、オランダは2大会連続で決勝の舞台に立った。結果はまたしても地元チームに惜敗。クライフはワールドカップ地区予選には参加したが、約一ヶ月間の遠征で家族と離れるのを嫌がりアルゼンチンには行かなかった。この行動でもわかるようにワールドカップで優勝した各国より勝利への執着心、ワールドカップ制覇への意欲が少ないように思える。 |
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出場した 主な選手 |
ヨハン・ニースケンス、アリー・ハーン (現オランダ代表コーチ) レンセンブリンク、ルート・クロル |
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1982、1986WorldCupは地区予選敗退 |
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1988年欧州選手権 | ||
成績:優勝 オランダが初めて手にした国際タイトル。優勝するべくして優勝した大会だった。全盛期を迎えつつあるBIG4と献身的な働きをする名脇役が機能し他国を寄せ付けなかった。また決勝でのファン・バステンのボレーシュートは伝説となった。この優勝の後行われた各国際大会では毎回、優勝候補と言われるようになる。 |
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出場した 主な選手 |
フリット、ファン・バステン、ライカールト、 ロナルド・クーマン、エルウィン・クーマン ファネンブルグ(元ジュビロ) ファン・ブロイケレン |
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1990年WorldCupイタリア大会 | ||
成績:ベスト16 BIG4が揃った唯一のワールドカップ。それだけに期待も高く、優勝候補筆頭に挙げられていた。優勝候補筆頭と言われたオランダには間違いなく慢心していた。この大会で優勝するドイツと決勝トーナメント初戦で対戦、オランダにとっての宿敵である。しかしフェラーとライカールトが退場となり中盤の要を失ったオランダはまたしてもゲルマン魂の前に敗れ去る。事実上の決勝と言われてもベスト16という結果は満足のいくものでは無かった。 |
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出場した 主な選手 |
フリット、ファン・バステン ライカールト、ロナルド・クーマン ファン・ブロイケレン |
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1992年欧州選手権 | ||
成績:準優勝 この大会も優勝間違いなしと言われた大会。優勝候補筆頭、その理由は大きく分けて2つあった。まずBIG4の安定、円熟した働きは誰もが認めるところだった。また、WorldCupイタリア大会での敗戦がオランダの気に緩みを無くしていた。しかし、オランダはこういったマスコミのコメントに対しまたしても調子に乗ってしまった。それが試合に現れたのは繰り上げ出場であるダークホース、デンマークとの決勝でだった。 |
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出場した 主な選手 |
フリット、ファン・バステン ライカールト、ロナルド・クーマン ベルカンプ、ファン・ブロイケレン |
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1994年WorldCupアメリカ大会 | ||
成績:ベスト8 サッカー不毛の地アメリカでの大会は炎天下で試合が行われることがわかっていた。そこでフリットはこれまでの全員攻撃、全員守備では優勝を狙えないとアドフォカート監督の方針を批判。結局フリットは代表を辞退しファン・バステンも怪我で出場できないという戦力の低下を認めざるを得なかった。しかし、新たにオーフェルマルス、ベルカンプ、デ・ブール兄弟らがチームの主力となりつつあった。ベルカンプはこの時点でファン・バステンに代わるエースとして期待され、その片鱗を見せたのは事実である。特に準々決勝のブラジル戦はこの大会のNo.1ゲームだと感じた。ベベト、ロマーリオのアベックゴールで2点を先制されたオランダがヴィンター、ベルカンプのゴールで同点、このまま逆転するかと思ったが、ブランコの超人的フリーキックの前に涙をのんだ。 |
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出場した 主な選手 |
ライカールト、クーマン ベルカンプ、オーフェルマルス ロナルド・デ・ブール、フランク・デ・ブール |
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1996年欧州選手権 | ||
成績:ベスト8 ベスト8と言っても決勝トーナメント初戦敗退である。この大会もオランダは優勝候補と言われていた。優勝候補の要因にはアヤックスの強さがあった。しかしまたしても自滅。今度は前々から話題になっていた人種問題である。それが表面化したのが大会中で、ダヴィッツがヒディング監督を、白人を優先して使うと批判。チームはがたがたになり地元イングランドには4−1の大敗。かろうじて決勝トーナメントに進むもPK戦で惜敗。 |
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出場した 主な選手 |
ベルカンプ、ブリント、コクー ロナルド・デ・ブール、フランク・デ・ブール ダヴィッツ、シードルフ、クライフェルト |