山口多聞

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提督山口多聞海軍中将



先妻・敏子

29歳で三男を産んだあと、4人の子供を残し急逝。
山口は、次のように詠み、亡き妻に捧げた。
「敏子みまかりけるを嘆きて
己が身を顧みずして誠心を
捧げし人の忘られなくに
幼児にさぞや心の引かるらむ
後安らけく眠りませ君
所感
幼児の母や恋しと慕ふらむ
風の吹く日に雨の降る夜に
縫う人もなくほころびし我が袖に
秋風寒く沁み渡るなり
帰りては先ず我妻を見しものを
今日は誰にか会はむとすらむ」

妻・孝子

山口は、孝子に100通を越える書簡を残している。
彼は、手紙の最後に必ず、次のような一文を書き添えた。
「貴女だけのもの  多聞より」
「私だけのもの  孝子様」
開戦前にしたためた孝子宛遺書の最後は、
次のように結んでいる。
「・・・現世の縁は薄かった我々の交情は永遠です。
真の交わりは期間の長短にかかわらず、相互親愛了解
の程度如何によるものと信じます。私は衷心より貴女の
真心に感謝するとともに、天上より貴女の幸福を祈って
やまない次第です。では、くれぐれも御大事に。  多聞」

空母「飛龍」

日本海軍初の近代的空母。
「赤城」「加賀」に比較すると、半分の大きさで、
巡洋艦クラスのスピードを出すことができた。
水線長222b・排水量17300d・速力34.6ノット

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