< 目 次 > ○ はじめに ○ 目 次 1 研究主題 2 研究主題について 3 研究の仮説 4 研究の実際 4.1 社会科「戦争について調べたこと」での活用の事例 4.2 総合学習「昔のことを調べよう」での活用の事例 ○ おわりに 【参 考 文 献】 【関連ホームページ】 |
今年の幕開けを騒がせた「2000年問題」は、我々の生活がいかにコンピュータ、もっと言えばコンピュータ・ネットワークに依存しているかということを、図らずも証明することとなった。もちろん、結局大きな問題は起こらず、アメリカでは「騒ぎ過ぎだった」という総括までなされているのは周知の事実だが・・・ちょっとでもコンピュータのシステム、とりわけネットワーク・システムをかじったことのある者なら、「もしも…。」ということを考えた時に、空恐ろしい気持ちになるのもまた事実である。何しろ、膨大なシステムの中のたった1ヶ所がダウンしてしまうと、その影響を受けてすべてのシステムがダウンしてしまうのだから。
このような中、我が川上小は「先進的教育用ネットワークモデル地域事業」(以下「学校インターネットと略す)により、本年度に衛星通信を利用した高速な通信専用回線でインターネットに結ばれ、サーバーや通信端末として14台の最新のパソコンが導入された。これほどの環境が整ったのは、熊本市内80の小学校のうち、本校を含めてわずか4校だけである。
もちろん、インターネットを活用した教育活動は、まだスタートしたばかりで実践例に乏しく、体系化された先行研究事例等もほとんど無いに等しい。しかしそれを裏返して考えてみれば、自由な発想での取り組みが可能であり、アイディア次第で多くの有意義な活動が創造できる。今、一番やりがいのある分野と言えるだろう。
私は、こうした流れを受けて今年度は、本校に整備された「先進的ネットワーク」を活用した魅力あふれる授業づくり、ひいては教室づくりを目指し、様々な活動に取り組んできた。その結果、多くの成果や示唆に富んだ課題を得ることができた。
ここに、こうした研究の成果の一端をまとめることで、自らは今後の新たな取り組みへの指針を得るとともに、今後情報ネットワークが導入されていく各学校への一助となれば、たいへん幸いである。
教 室 に 魅 力 を
−「先進的ネットワーク」を活用した学習活動の創造を目指して−
(1) 「先進的ネットワーク」とは何か
まず初めに、「先進的ネットワーク」とは何か、ということをはっきりさせておきたい。
現在、よほど特殊な企業や研究機関でない限り、いわゆる「インターネット接続」に使う手段は、電話回線である。これは、私がはるか12年も前に始めた「パソコン通信」の時代から、一貫して使われてきたものである。
もちろん12年前に比べれば、通信環境は激変した。当時私が手に入れた最新式のモデム(パソコンの信号を音声に変換し、電話回線を通してデータをやりとりするための装置)の通信速度は、最高で1200(単位はbps=バイト・パー・セコンド:一秒間にやりとりできるデータの量を表し、この数字が大きければ大きいほど高速。以下同じ)。しかも、当時県内にひとつしかない「PC−VAN」の1200のアクセスポイントは話し中が多かったため、やむなく300のアクセスポイントにつないだりもしたものだ。それが、現在ではモデムの最高速度は56.6k=56600にまで達している。普通の電話回線を使ってさえそうなのだが、さらにちょっと手続きしてISDNに変更すると、通常で64k=64000、バルク(2チャンネル同時につなぐ)でなら128k=128000もの速度を確保できる。つまり、私がパソコン通信を始めた当初の、実に100倍以上も高速な通信が可能な環境が、ごく身近なところまで整えられてきたわけだ。
しかし、それだけ高速な通信環境でさえ、もはや時代遅れとなりつつある。その具体的中身は後で述べるが、それよりもさらに高速な通信環境を整えるためには、もはや通常の電話回線では対応が難しくなりつつある。そんなわけで、いわば次世代型とも言える全く新しい通信方式が、様々な分野で研究開発されているのである。そして、それによって整えられた情報通信ネットワークが、ここで言う「先進的ネットワーク」なのである。
(2) いろいろな「先進的ネットワーク」の長所・短所
一口に「先進的ネットワーク」と言っても、これから述べるように様々な方式ものがある。そして今のところ、そのどれもが決定的な主流の座を占めるに至ってはいない。言い換えるなら、それらはすべて長所と短所を併せ持っている。そして、その特徴を知った上でうまく付き合っていくことが、今後必要になってくるだろう。
では、具体的にどんなものが、「先進的ネットワーク」なのだろうか。
@ 光ファイバー
言わずと知れた、次世代を担う高速通信網の代表選手である。もちろん、すでに今日の通信網の根幹部分は、この光ファイバーが担っている。熊本市でも、日吉東小と東町中にこの方式が導入されており、実に高速で快適だと聞く。ただ、この方式は工事が非常に難しいそうだ。しかも、使用料が現在は非常に高額である(だから、熊本市のモデル校20のうち、光ファイバーは最も少ない2校にとどまっているのであろう)。そんな光ファイバー網を、各家庭や各端末にまで行き渡らせるには、かなりの費用と年月が必要である。私は、「光ファイバーは意外に普及しない。したとしても、次世代のさらに次の世代になる。」と見ている。
A WLL(光無線)
これも、非常に高速だと聞く。しかし、無線という特性から到達距離には限界があり、しかも直線で結んだときに障害物がない(見通しが利く)のも条件となる。つまりこれで結べるのは、事実上市の中心部のごく限られた地域ということになる。実際、熊本市では藤園中と竜南中の2校だけにしか導入されていない。しかも、市の中心部(当然たくさんのビルが建ち並んでいる)でしかも見通しが利く(無線が妨げられない)というのは、私に言わせれば明らかな自己矛盾である。たとえ新たな線の引き回しが基幹部の最少限だけで済むとはいえ、遠隔地を切り捨てることに繋がりかねないこの通信方式が、機会均等を重んじる公教育にあって主流の座を占めることは、ほとんどあり得ないと私は見ている。
B CATV(ケーブルテレビ)
既存のケーブルテレビ網を活用し、この中にインターネットの信号を流して利用しようという方法である。既存の物を利用するから投資が安く済み、運用にも大した費用はかからない割に、非常な高速通信が可能なことから、他の方式に比べれば破格とも言える値段ですでにサービスが提供されている地域もある(熊本市でも、まもなく商用のサービスが開始されるようだ)。そのためか、熊本市でも西原小・帯山小・託麻中・東野中・武蔵中・出水南中・長嶺中・桜木中、最多の8校がこの方式をとっている。現時点では、提供会社が安定したサービスを提供できる能力があるかとか、ケーブルテレビ網がどこまで延びているか、とかの課題もあるものの、速くて安いという相反する要求に十分応えられるという意味で、次世代の中心はこの方式と、次に述べるDSLになると、私は見ている。
C DSL(デジタル回線)
既存の電話回線(メタル線)を利用しながら、その中を流れる信号の種類(周波数)を変えることによって、全く新しい方式の通信をしようというのが、この方式である。当然、投資が安くて済むので高速な通信環境が安価に供給されることは間違いない(間もなく一般向けのサービスが始まるようだが、アナウンスされている価格は非常に安価である)。熊本市でも、五福小・京陵中・西山中・江南中・市立商業高と、CATVに次いで多い5校がこの方式をとっている。技術的には、既存のISDNとの干渉など難しい問題もあるようだが、その辺は世界に冠たる通信会社NTTが、メンツにかけても克服するだろう。通信速度も、光ファイバー等に比べればずいぶん遅いとはいうものの、従来の方式に比べればずっと速い。すべての条件に「まあまあ」な点で日本人の好みに合うこの方式は、私はかなり普及すると見ている。
D 衛星通信
我が川上小と花陵中・三和中の3校に導入されたのが、この方式である。他の方式が専用線として繋ぎっぱなし(利用時間に関わらず料金は一定)であるのに対して、上り線でISDNを利用するこの方式では、利用時間が長くなればその分上り線の回線使用料も跳ね上がる。しかも、高速になるのは下りだけである。ネットサーフィンやダウンロードだけならメリットもあるが、そんな中途半端な通信方式が、双方向性が要求されるこれからの時代にふさわしいかどうかはかなり疑問である。そんな理由からか、一般へのサービスはかなり以前に開始されたが、現在に至ってもあまり普及しているとは言い難い。つまり、現状のままでこの方式が次世代の主流を占めるとは、私には到底思えない。ただし、すでに双方向通信が可能な衛星通信が開発され、実用化の一歩手前まで来ていると聞く。言うまでもなく、どんな山間地や離島でも、ユーザーが市街地と同じ投資で同じ通信環境を整えることができる衛星通信のメリットは、極めて大きい。そして(私もかつて離島の学校に4年間勤務していたから実感しているのだが)そのような地域の学校ほど、情報通信に対するニーズも高い。今回の「学校インターネット」でも、全国的に見れば、この衛星通信による接続校が一番多い。私は、この方式でのノウハウの蓄積が、衛星通信の急速な進歩をもたらし、引いては全国的な学校への「先進的ネットワーク」導入の大きな鍵になる、と見ている。
(3) 「高速」であることとはどういうことか
以上、いろいろな方式の「先進的ネットワーク」についてに述べてきたが、いずれも「どのくらいの投資で、どのくらい安定した『高速な』通信環境が得られるか」がキーワードである。では、それほど「高速」が求められるのは、どうしてだろうか。
初めに述べたように、私はパソコン通信(広い意味では今日のインターネットもパソコン通信だが、ここでは狭い意味での文字のやりとりによるBBSを指すことにする)の時代から通信に関わってきた。当時の通信速度は1200という、今から考えると信じられないくらいに遅かったのだが、それでも別にストレスを感じたことはなかった。なぜなら、文字だけのデータというのは非常にコンパクトで、低速な通信速度でもそれなりに読み書きのスピードが確保できたからである。全国様々な人たちからもたらされるメッセージを受け取るのは、文字だけとは言え、たいへんな感動を覚えたものである。
時代が進み、通信速度は9600とか14400という具合に、飛躍的に速くなってくる。こうなると、同じパソコン通信でも文字のやりとりだけではなく、「ダウンロード」や「バイナリー・メール」といったプログラムそのもののやりとりが可能になる。つまり、電子掲示板上のフリーソフトを手に入れたり、お絵かきソフトや画像処理ソフトで自作したファイルをそのまま友人に送ったり、といったことが可能になってきたのだ。「百聞は一見に如かず」と言うように、画像の持つインパクトは極めて大きい。しかしそのファイル量は、文字だけに比べればふた桁以上も違う。それが、通信速度の向上により、実用的レベルでやりとり可能となったのだ。
そして、インターネット時代の幕開け。インターネットは、従来のパソコン通信がコマンドを使った特殊な操作を必要としたのに対して、GUI(グラフィック・ユーザーズ・インターフェース:画像による直感的な操作が可能)を使った、全く新しい発想による通信方式である(という説明は本当は間違いで、本来「インターネット」とはネットワークの枠を取り払うという概念であり、それがどんな方式よって使われるかとは全く別問題なのだが、ここではごく一般の人がすぐに思い浮かべる概念に基づいて話を進めるので、そういう説明にとどめておくことにする)。それを可能にしたのが、28.8kにも達する高速な通信環境であったことは、言うまでもない。これにより、ホームページや電子メール(それも、従来のような文字だけのものではなく、文字飾りや画像を加えたカラフルなもの)を使って、世界を相手に極めて手軽に受発信することが可能になったのだ。
さらに、56.6kにも達するモデムの高速化や、ISDNの急速な普及と、それに続く「先進的ネットワーク」の導入によって、従来は難しかった質の高い画像はもちろん、ほとんど不可能と考えられていた音声(それも極度の圧縮をかけた質の悪いものではなく、CD並の音質のもの)や、ついには動画までもが、受発信可能になる。そしてそれらを組み合わせることで、「テレビ会議」さえもが可能になってくるのだ。
このように、情報ネットワークが「高速である」ということは、「もっとこんなことをしたいな。」「さらにこんなことができたらいいな。」という私たちの願いを、技術的に可能にしてくれるということなのである。
(4) 「高速」であることが最終目的ではない
ここでひとつ、我々教師が心得て置かねばならない問題を指摘しておきたい。
我々教師は、授業に「学校インターネット」を使う、利用者の一員である。その環境の長所・短所をよく理解した上で、いかに教育活動に利用するかが大切である。逆に言えば、いかに高速な環境が整ってもそれはまだ道半ばで、それをどう生かして、今まで不可能であったこと、不可能ではないがなかなかうまくいかなかったことを、どう日常の教育活動に無理なく取り入れていくかが問題なのである。
今回の事業は、主に郵政省がスポンサーとなっている。穿った見方をすれば、郵政省にとっては、どの通信方法が実際にどれくらい使い勝手が良くて、技術的にどれくらい安定しているか、といったデータが欲しいのであって、それが教育上どのような効果を上げたかというのは、あくまで二次的な資料でしかない。
しかし、我々教師にとってはそれこそが最も大切なことで、極論すれば、与えられた通信方式は何であれ、その環境をどう実践に生かし、どんな教育活動を創造していくかというのが、最大の課題である。
本稿では、そのことを念頭に置きながら、その具体的事例について述べていくことにする。
「先進的ネットワーク」を活用し、新たな学習活動を創造することで、魅力的な教室を作ることができる
4 研究の実際
4.1 社会科「戦争について調べたこと」での活用の事例〜ホームページの検索〜
(1) 単元設定の理由
6年生社会科では、歴史を学習する。一口に「歴史」と言っても、数千年・数万年にも及ぶ人々の営みを、66時間という限られたわずかな授業時間の中で学習するのだから、どうしても広く浅くなぞらざるを得ない。とはいえ、それが単なる知識だけに終わってはいけない。やはりポイントポイントでは、身近な生活圏との関わりを、しっかりと押さえていきたいところである。実際、私が担任する6年1組でも、校庭から出土した縄文遺跡の写真や、校区内の「鹿子木(かのこぎ)」という地名の由来、江戸時代に参勤交代で休憩所として使われていた「御馬下の角小屋(みまげのかどごや)」のこと、西南戦争での戦死者を祀る「明徳官軍墓地」について、などを、教科書の記述と関連させながら扱ってきた。
10月に入り、時代は昭和へと進んでくる。昭和と言えば、戦争。子どもたちの祖父母が実際に体験した時代。教科書にも、「レポートや絵本を作ろう」と銘打って、お年寄りから戦争について聞きとった話をまとめる、という小単元が用意されている。我が川上校区は地域柄祖父母との同居が多く、しかも翌11月には長崎への修学旅行を控えている。時期といい内容といい、まさに打ってつけの内容だ。早速、計画を練ることにした。
(2) 本校の情報教育に関わる環境と子どもたちの実態
ここで、本校の情報教育に関わる環境と、本学級の子どもたちの実態について簡単に述べておく。男子19名女子19名計38名からなる我が6年1組は、6年生への進級時の学級減に伴い、新たに編成されたクラスである。
我が川上小は、旧北部町時代にFM77を20台も導入し、早くから情報教育に取り組んできた。今日でも、昼休みはちょうど図書室がそうであるように、パソコン室を開放して「情報委員会」の子どもたちがそのお世話をする、というようにな場面に、その遺産を見ることができる。子どもたちのパソコンに対するリテラシーは、市内のどの学校よりも高いものと、私は密かに自負している。ただ、(お楽しみ会とかではなく)授業での活用となると、いささか機械の性能に限界があり、他の小学校並にしか進んでいないのが実状だった。
そんな中、昨年度私が担任していた男子15名女子14名計29名からなる5年4組は、少人数でとても手が届いた上、いろいろな機会に偶然恵まれたこともあって、海外日本人学校との電子メールによる交流や「フェニックス(テレビ会議システムで、詳しいことは後述する)」による交流学習などを体験してきた。当時Windowsが動作するようなパソコンはわずか2台しかなかったが、その少ない数をうまく使い回しながら、限られた環境でたくさんの成果をあげてきた。その詳細は、年度が変わった5月6日(日)に放送されたKKTのテレビ番組「ドクター・クラナガン」で紹介されたとおりである。
それらを受けてさらに今年度は、と意気込んでいたのだが、残念ながら児童数の減少によって学級減=クラス替えを余儀なくされ、また一からのスタートとなった。おまけに、それまで「パソコン通信モデル校」として配給されていた電話回線が引き揚げとなり、代わりの「学校インターネット」による衛星回線の導入が遅々として進まなかったため(結局利用可能になったのは10月になってからで、しかも12月までメールは使えなかった)、実践への取りかかりも大きく遅れた。
ただ、夏休み終盤に校内LANで結ばれた最新のパソコン14台が導入され、さらに10月8日に衛星回線の設定が完了してインターネット接続ができるようになると、元来のリテラシーの高さに加えて、昨年度の5年4組から今年度我が6年1組に配属されてきた8人の子どもたちが、各グループの中心になってみんなを引っ張ることとなった。
(3) 実践の準備
実践の手始めに、子どもたちに自分の祖父母または近所のお年寄りなど、話を伺えそうな方と簡単な内容を書いて提出させる。
[図1 お年寄りへの聞き取り用紙]
それを私の方で一覧にまとめ、子どもたちと話し合いながら、内容に応じてグループ分けをした。その結果、以下のような6つのグループができあがった。
○「川上小への空襲」
あけみ,けいこ,みさと,ともや,
りょういち,けんた,ひでゆき,なおき,たつのり
○「熊本大空襲」
みきこ,みき,きみか,たかとも,ゆうや
○「長崎原爆」
しんいち,ともかず,しげお
○「大陸からの引き揚げ」
はるか,かおる,ともみ,すぐる
○「戦時中の食べ物や暮らし」
けいこ,あずさ,えり,ゆみ,ともよ,さゆり,けんご,ひろし
○「戦争体験」
ひろき,たかひろ,ひろかず,だいさく,りゅういち,ゆみ,みずほ,みあき,なつみ
これらのグループごとに、各自が詳しく聞き取ったことをつなぎ合わせ、画像など入れてひとつの「電子紙芝居」にまとめることにした。電子紙芝居とは、パソコン画面が手元の操作で次々に切り替わっていくもので、ここではマイクロソフト・パワーポイントを使ったが、最近各社から子どもにも簡単に操作可能なものが次々に発売されていることからも分かるように、調べ学習のまとめの手段として、俄然注目を集めている分野だ。
(4) 実践の実際とその問題点の克服
実際に学習を進めていくと、各グループによって資料の集まり方にばらつきが出てきた。 たとえば「戦争体験」グループでは、体験談をまとめた「比島戦終末記」など貴重な資料が集まった。「戦時中の食べ物」は子ども向けの本が、「熊本大空襲」は熊日新聞社から出た本が、それぞれ図書室から見つかり、たくさんの写真をスキャナーで読み込んで、資料として活用した(外部へは出さないという前提で、この作業を行った)。「川上小への空襲」も、学校の沿革誌から写真を取り込んだり、当時小学生だったおじいちゃんに挿し絵を描いてもらったりして乗り切った。
しかし、2つのグループには、大きな問題が立ちはだかった。「中国からの引き揚げ」グループと、「長崎原爆」グループである。
@「中国からの引き揚げ」グループの問題点とその解決
実は私の母も、中国(満州)からの引き揚げ者の一人である。当時14才だった母の記憶は今でも鮮明で、小さい頃から折に触れて苦労話を聞かされてきたものである。この話題には、私も強い思い入れがあった。だが、逃げるようにして向こうを発ってきた母やその家族の手元には、当然ながら1枚の写真すら残ってはいない。「中国からの引き揚げ」グループの中心として祖父から話を聞き取ったはるかも、また同様である。何かいい方法はないだろうか…昨年度から私のクラスにおり、「ドクター・クラナガン」の中で久保里美さんに「キッドピクス(お絵かきソフト)」の使い方を伝授したほど操作に長けたはるかは、開通間もないインターネットに目を付けた。「先生、どこかのホームページに、そんな写真はないでしょうか。」と。
さっそくリクエストに従い、サーチエンジン(検索用のホームページ)で「満州」「引き揚げ」などそれらしい言葉を打ち込んでみる。すると、意外にたくさんのヒットがあった。これを適当な数まで絞り込み、実際に中を覗いてみる。中には大はずれのページもあったが、大ヒットのページも数多く見つかった。特に、テレビ番組「徹子の部屋」で、俳優の芦田伸介さんをゲストに招いたときの記録(’96年8月15日放送分)には、芦田さんも引き揚げ者の一人であることや、当時の苦労話などがよくまとめられていて、たいへん参考になる内容だった(巻末「関連URL」参照)。他にも、かつての引き揚げ者が、数十年ぶりに現地(大連)を訪れたときの様子をまとめたページも見つかり、今日の繁栄ぶりと当時とのギャップを知る上で貴重な資料となった。さらに、本の検索のページで、「小さな引き揚げ者」という子ども向けの本が出版されていることも分かり、さっそくそのページから注文を出す通信販売で取り寄せた。これは、当時の引き揚げの実際を、写真家が隠し撮りで捕らえた貴重な映像を集めたもので、一気に資料不足を補うことができた。
これらの結果、「中国からの引き揚げ」グループは、<巻末資料1>に掲げるような立派な発表資料を用意できたのだった。
※Webでの公開にあたり、著作権の関係で、<巻末資料1>の掲載は見合わせた。
A「長崎原爆」グループの問題点とその解決
「長崎原爆」は、他のグループがすべて実体験者からの聞き取りを中心に据え、不足分を本などの資料で補っているのと違い、初めからすべて二次的な資料が頼りである。前項で述べた学習の趣旨から若干外れるのでどうかとは思ったが、翌11月に控える修学旅行の事前学習として学級のみんなで共有するには非常に有意義な内容なので、取り組ませることにした。
とは言え、教科書の簡単な記述しか手がかりはなく、図書室の本もことごとく広島原爆の資料しかない中での調べ学習は、たちまち行き詰まった。「何か、いい方法はないだろうか。」そんな折りもおり、衛星回線を使ったインターネット接続が完了した。早速、サーチエンジンで検索をかけてみる。すると…何と、修学旅行で訪れる長崎原爆資料館のホームページがあるではないか(巻末「関連URL」参照)。しかもそこには、展示資料や被爆当時の写真が満載されている。
さっそくプリントアウトして、担当の子どもたちに渡す。本文は大人向きなのでだいぶ難しいが、何より貴重な画像を満載しているので、大意を読みとるのは易しい。しかも、画像はホームページからクリック一つで直接パワーポイントの画面に貼り付けることができる。子どもたちの作業は、ぐんぐんはかどった。
これらの結果、「長崎原爆」グループは、<巻末資料2>に掲げるような立派な発表資料を用意できたのだった。また、原爆資料館の展示内容に沿ってまとめてあるため、修学旅行の事前学習としても非常に有効であった。
※Webでの公開にあたり、著作権の関係で、<巻末資料2>の掲載は見合わせた。
(5) 実践の発展
@ 学習の校内・地域への広がり
10月15日(金)の学校訪問。我が6年1組は、この「戦争について調べたこと」の学習発表会を公開した。
[図3,4 学習発表会の様子]
各グループによって、発表内容に多少のばらつきはあったものの、それぞれに集めた資料をうまく活用したものばかりで、参観された山田指導主事も「小学生としては、非常に質の高い内容だった。」としきりに感心しておられた。
続いて10月31日(日)に北部公民館で行われた「北部地域市民の集い」で、発表用のプレゼンテーションをすべて紙に印刷したものを展示。ちょうどお客さんには地域のお年寄りが多かったこともあって、このコーナーにだけはたくさんの人々が足を止め、説明の文章にもじっと見入っておられた。ある保護者の方も、「私たちが子どもの頃は、戦争のことなんてボーッとしか考えていなかったです。今の子どもたちは、こんな勉強ができて、本当に幸せですね。」としみじみおっしゃったものである。
さらに12月8日(水)の授業参観で、我ら6年生は学年集会を開き、3年前に本校を最後に停年退職され、現在校区内にお住まいの徳永哲也前校長先生をお招きし、戦争当時の川上小の様子について、お話を伺った。身近でしかも具体的なお話が、子どもたちの心に響くとてもいい機会となったのはもちろんだが、それもこれも、「戦争について調べたこと」の資料をつぶさにご覧になった徳永先生が、子どもたちの姿に感動して一肌脱いで下さったればのことである。
このようにして、学習の成果はプレゼンテーションやその印刷物を通して、学級のみんなに共有され、さらに校内へ、地域へと広がっていったのである。
A 原爆の語り部・小崎登明さんとのやりとり
11月8・9日の1泊2日、我ら6年生は修学旅行で長崎へと出かけた。初日の長崎では、午前中グラバー園を見学した後、午後は原爆資料館で展示物を見学し、被爆者のお話を聞いた。その講師(原爆の語り部)が、小崎登明さんである。
実は、小崎さんとは少々因縁がある。2年前、私がこの川上小でやはり6年生担任として修学旅行に行った際、講師を務めて下さったのが、小崎さんだった。原爆の語り部のお話は、私もそれまで何回か聞いたことがある。しかし、話の内容といい語り口といい、これはまたずいぶんいい方に巡り会えたものだと感心したものだった。しかもそのころ、小崎さんをテーマにしたドキュメンタリー番組をテレビ長崎が製作中で、川上小の子どもたちがお話を聞く様子もつぶさにテレビカメラが収めていった。そのうち実際の番組に使われたのはほんの数秒だったが、担当ディテクター東島さんから約半年後に送っていただいたその番組「生かされて−ある修道士の半生−」のビデオを見終わった私は、感動を新たにしたものだ。「平和の原点は 人間の痛みがわかる心を持つこと」という言葉は、こういう生き様の中から生まれてきたのだったのか、と。
その小崎さんの話が、今年も聞けるという。驚喜した私は、さっそく「生かされて−ある修道士の半生−」のビデオを子どもたちに見せることにする。子どもたちも、前項で述べた学習発表会で「長崎原爆」グループの発表を聞いて、思いが高まっていた時期だったので、強い感銘を受けたようだ。
そして、いよいよ当日の11月8日(月)。2年ぶりにお会いした小崎さんは、心なしか髪が真っ白になられたように感じた。肌の色つやも、あまりよくない。何でも、春先は体調を崩して入院されていたという。しかし、一旦話が始まると、さずがは小崎さん。無声映画の弁士を務められるほどの語り口のうまさと、平和への思いを込めたエネルギッシュな話しぶり、そして修道士らしい信念に裏打ちされた内容(もちろん、お話の中では宗教色など微塵も匂わせたりしないが)は、たちまち子どもたちを話の中に引き込み、50分間がアッという間に感じるくらい捕らえて離さなかった。
[図5 小崎さんからお話を聞く]
そんなわけだから、修学旅行から帰って書かせた作文には、ほとんどすべての子が小崎さんのことを取り上げ、平和への誓いを新たにしたのは言うまでもない。
[図6 小崎さんから贈られた言葉]
さらに、講話のお礼にと、全員で小崎さんにお手紙を書き送った。
[図7 小崎さんへ送った手紙の一例]
すると、その内容に感動された小崎さんから、ひとりひとり(全員)に対して、絵葉書が届いたのである。
[図8 小崎さんから届いたお葉書の一例]
これはもう、講師と聴衆というよりは、平和を愛する仲間と言った方がいいかも知れない。そんなやりとりが、その後も続いているのである。
(6) 実践の考察
このように、「戦争について調べたこと」の実践を通して、子どもたちは様々なことを学び、新たなつながりも生まれた。そのことと、本稿のテーマである「先進的ネットワーク」とは、どう関わるだろうか。
結論から言えば、必要不可欠と言うほどのことはない。ホームページを検索し、そこから画像を取り出し、それをプレゼンテーションにまとめて…といった作業は、何も先進的ネットワークの専売特許ではない。また、子どもたちの学習成果をホームページに掲示するという現在進行中の計画も、従来のネットワークだって可能なことだ。
では、何が違うのだろうか。一言で言えば、質が違うのだ。高速な先進的ネットワ−クであれば、サーチエンジンに引っかかってきたものを丹念に一つずつ見ていくのも、画像が豊富に使われている「重い」ページを隅々まで見て歩くのも、ほとんど苦にならない。他でもできるが、これでやるととても快適である。
そして、この「快適」というのは、実に重要なことだ。私は、パソコンを使うのが仕事ではない。「だから高性能な物は要らない。」という言い方をする人もいるが、私は逆で、「本業をきちんとこなした上で余った時間で能率よく片づけ、それが苦にならないようにするためには、快適な環境をもたらす高性能のものが必要。」と本気で思っているし、常に機器のチェーンアップには心を砕いている。小学校の学級担任には、基本的に空き時間はない。加えて、パソコンを活用した学習も、現時点ではあくまで正規の教科の時間で行うことになる。そんなことに割くことのできる時間など、ほんのわずかしかない。そのわずかの時間で、最大の成果を上げるには、十分すぎるほど快適な環境が不可欠なのだ。そして、それがあるからこそ、万難を排してでも、さらにまた新たなことに取り組んでみようかという気にもなろうというものだ。
それから、現在開設準備中のホームページに、ぜひこの「小崎さんとのやりとり」も紹介したいし、できれば小崎さんのお話を生の音声でライブラリー化したいと考えている。もちろん、実現には小崎さんの許可が必要になるが、これまで築いた信頼関係をもとに、きっと協力していただけるものと信じている。もし実現すれば、非常に貴重な資料となるだろう。なぜなら、本物の持つ臨場感がなくなるとはいえ、長崎に足を運んで直接お話を聞ける学校はごく限られているからだ。小崎さんのお話は、すでに2度にわたってノーカットでデジタルビデオに収めてあるから、技術的にはすぐにも可能。音声という、文字や静止画に比べて格段に大きなファイルも、「先進的ネットワーク」を活用すれば、かなり質の高い状態で提供できるはずだ。
このように、我が川上小にもたらされた「先進的ネットワーク」は、時期的にも内容的にも、まったくもって最高のものだったと言うことができよう。
4.2 総合学習「昔のことを調べよう」での活用の事例〜テレビ会議による他校との交流〜
(1) 題材設定の理由
前項でも述べたとおり、6年生の社会科では我が国の歴史について学習をする。それらが単なる知識に止まらぬよう、私はその端々で、身近な地域との関わりを押さえてきた。
本校と同じ「学校インターネット」モデル校である日吉東小の6年生でも、同じように地域の昔の様子を調べる、という取り組みをしてきたそうだ。そして、担任の才所先生から「地域について調べたことを発表し合うテレビ会議を、10月29日にやらせてほしい。」という依頼があったのは、当日まであまり期間のない、しかも私が国体を控え役員としてあわただしい毎日を送っていたころであった。
準備期間もなく、しかもあわただしい毎日ではあったが、せっかく開通した「学校インターネット」を活用した取り組みに、他校に先駆けて早く取りかかるというのは大賛成。それに、何よりテレビ会議がどれだけ子どもたちに強いインパクトを与え、いかに有意義なものであるかは、過去何回も経験してきた私が、一番よく知っている。ネットワークの向こうにいる聞き手を意識するからこそ、いい調べ学習ができるのだ。「どうにか、やれる範囲でがんばりましょう。」私は、そう返事を書き送った。
(2) 実践上の問題点とその克服
しかし、才所先生とメールや電話で打ち合わせをしていくうち、様々な問題点が浮かび上がってくる。
まずは、授業の中身について。1時間(45分間)の中で、双方からの発表を行い、それに質問を出し合うのでは、間違いなく時間が不足しそうだ。そこで、初回である今回は日吉東小からの発表に絞り、川上小からの発表は2回目以降に譲ることにした。
次に、使用するシステム。今日、「テレビ会議」といえば「フェニックス」の代名詞と言っても過言でないほど、様々な研究発表会や公開授業では、「フェニックス」が使われる。「フェニックス」とは、NTTの商品名で、ソフトも含めて価格が20万円もする、テレビ会議専用の拡張ボードである。3年前の「NTTこねっとプラン」スタートに当たり、参加1000校のすべてに、パソコン本体とともに寄贈されてから、急速に普及するようになった。ISDN2チャンネルを同時に使うため、かなりの帯域幅を、しかも安定して確保できる。さらに、1チャンネルを音声に、もう1チャンネルを画像に使っているため、互いに干渉し合うことなく、非常に安定して動作する。画像は少々コマ送り気味になるが、音声は非常にクリアで、まるで隣の教室と会話しているかのような錯覚にとらわれたりもする。
しかし、この「フェニックス」にもいくつかの弱点がある。最大のものが、「フェニックス」同士でしか繋ぐことができない、ということだ(他の弱点については、後述する)。そして、日吉東小には、この「フェニックス」はない。だから、これまで慣れ親しんだ「フェニックス」は使えない。
そこで、代わりに「マイクロソフト・ネットミーティング」を使うことにする。「ネットミーティング」は、インターネットの回線を通してデータをやりとりするものだ。日吉東小も本校も、インターネットに高速で繋がっているのだから、かなりの帯域幅が確保できそうだ。それに、このソフトは元々Windowsの中に入っており、マイクソフト社のホームページから最新版を無料でダウンロードすることもできる。まさに、両校に打ってつけのシステムと思えた。
そのネットミーティングを使って、前日の28日放課後遅くまでかかって、接続のテストをする。互いに初めて扱うソフトで、大きな書店を捜しても「ネットミーティング」に関するものはない。まさに手探りでの挑戦で、初めはなかなかうまくいかなかったが、互いに携帯電話を片手に設定を打ち合わせながら調整し合って、どうにか実用レベルまでこぎ着け、本番への見通しをつけることができた。
(3) 実践の実際
こうして迎えた、テレビ会議本番。本学級の子どもたちは、初めて体験するテレビ会議に、胸をワクワクさせながら臨んだ。
[図9 日吉東小とのテレビ会議の様子]
会議では、互いの学校や地域の紹介をし合った後、日吉東小からのグループ別の発表を聞き、それに対する質問や感想を伝えた。では、実際の会議の様子はどんなで、それを体験した子どもたちは、どんな感想を持っただろうか。翌日子どもたちが綴った作文をもとに、振り返ってみることにする。
<みきこの感想文> 日吉東小とテレビ会議をして、私は、とても楽しかったです。 |
<けいこの感想文> 私は、5年生の時「赤穂米」のことで、一度テレビ会議をしたことがあります。その時のテレビ会議は、組の代表がパソコン室に行ってやるという、小さなテレビ会議でした。今度のようにクラスみんなでやるテレビ会議は初めてなので、ドキドキしました。 |
<はるかの感想文> 遠くの学校と、声だけでなくその時の顔を見れるなんて、すごく驚いたし、こっちから「おーい。」と手をふったら、向こうも「おーい。」と手をふってくれたのがとても印象に残り、楽しく、うれしかったです。 |
(4) 実践の考察
このように、テレビ会議なるものを初めて体験した子どもたちは、強い衝撃を受けたのみならず、内容的にも有意義な交流学習を行うことができた。しかし、喜んでばかりもいられない。この実践が残した教訓、いわば今後に科せられた改善点は、あまりに大きい。以下、その具体的中身を検討し、私なりの考えを述べることにする。
@「ネットミーティング」は怖い
子どもたちの作文にあるように、テレビ会議の最中、画像が乱れたり音声が途切れたりと、通信状態は常に不安定だった。
実はこの約3週間後の11月17日(水)、本校3年2組が、福井県小浜市立西津小3年1組と「フェニックス」によるテレビ会議を行った。3年生社会科学習の成果をもとに、地域の特産物を互いに紹介し合う、といった内容で、我が6年1組も陰ながらサポーターとして会議に参加し、答えに詰まった3年生に代わって向こうからの方言に関する質問に答えたりもしたものだ。
[図10,11 ネットミーティング(左)とフェニックス(右)の画面の比較]
この「フェニックス」のよるテレビを体験して、子どもたちはどんな感想を持っただろうか。
(前回使ったネットミーティングはしばしば音声が途切れたが)今日はフェニックスだったので、声がよく聞こえて、とてもよかった。(けんご) |
子どもは正直である。つい先日、あれほど「ネットミーティング」によるテレビ会議に感動していたはずなのに、それより遙かに安定したシステムの凄味を目の当たりにすると、途端に評価が一変してしまう。
しかも、子どもたちの目は、テレビ会議の本質を、鋭く見抜いている。
前回(10/29)テレビ会議をした日吉東小は近く(熊本市内)の学校だったけど、今回のように遠いところの学校とだと、自分の住んでいるところと比べて、そこに適している特産品や行事などが分かって、とてもよかった。(はるか) |
向こうは雪が40センチくらい積もると言っていたので、熊本との気候の違いがよく分かった。(たかとも) |
今回はこちらの3年生が向こうに方言のクイズを出したけれど、次回はぜひ相手の学校からも方言クイズを出してもらって、その問題を解いてみたい。(みきこ) |
テレビ会議のような交流学習は、自分たちの身近な環境と違えば違うほど、より大きな効果を発揮する。つまり、遠くであればあるほど、子どもたちは有意義なテレビ会議ができる。そのことを、2回のテレビ会議から鋭く感じ取ってしまったわけだ。さらにこの思いは、西津小から、テレビ会議で紹介のあった「さばのへしこ」の現物が届くことによって、より強固なものとなった。
[図12,13 西津小から送られた「さばのへしこ」を手に喜ぶ子どもたち]
とは言え、通常の電話代の2倍が利用時間に応じてかかる「フェニックス」にそれを求めるのは、よほど潤沢な予算の裏付けがない限り、非常に難しい話である。実際、予算のない本校は、これまで通信に使える研究費を潤沢に持った研究校への協力(それであれば、向こうから電話をかけてくれるので、通信費はすべて向こうにかかる)という形で、「フェニックス」によるテレビ会議を行ってきた。今後も、そうした通信費が計上される見通しはない。
となると、通信費の心配をしなくていいインターネット経由のテレビ会議は、非常に魅力的だ。しかもそれなら、国内にとどまらず、海外とも実施が可能なのだ。海外と、リアルタイムに会話ができたら、どんなにか素晴らしいことだろう。
ただ、この私の実践から見るに、太い回線でほぼ直接繋がれた本校と日吉東小の間でさえ、あのように不安定だった。その原因が、本校が衛星通信という半専用線だからそれがネックになっているのか、ソフトの設定がもうひとつなのか、はたまた現時点での「ネットミーティング」はあの程度が限界なのか、どれが原因かは、私の伺い知るところではない。ただ、ひとつだけ間違いなく言えるのは、「現状では、さすがに『フェニックス』は安定していて、公開授業のように決してやり直しのきかない場面でも安心して使える。それに引き替え『ネットミーティング』は、何が起こるか分からず、怖くて使えない。」ということである。
とはいえ、繰り返しになるが、インターネット網を利用して世界中のどことでも極めて安価(タダ同然)にテレビ会議ができるというのは、それだけでたいへんな魅力である。今後、モデル校同士で、あるは外部の学校とも実験を積み重ね、ふさわしいソフトの選定や設定など技術的なノウハウを蓄積していきたいものである。
A プレゼンテーション能力の育成が重要
仮に、もう少し安定した状態でテレビ会議ができるようになったとしよう。その際重要なのは、有意義な交流学習をどう組み立てるか、言い換えれば、値打ちのある情報をいかにうまく相手に伝えるか、ということになろう。その時に重要になってくるのが、プレゼンテーションの能力ということになってくる。
子どもの感性は鋭く、見る目は厳しい。かおるは、日吉東小のプレゼンテーションに対する感想を、以下のように書き綴っている。
<かおるの感想文より一部を抜粋> どの班も、パソコンの画面の文字と、発表していることがまったく同じだったので、わざわざ画面を作った意味がないと思いました。 |
こうした点にも留意しながら、今後子どもたちのプレゼンテーション能力を高めるよう、指導していきたいものである。
B 周辺機器の充実と上手な利用を
前述したように、11月17日(水)、本校3年2組が、福井県小浜市立西津小3年1組と「フェニックス」によるテレビ会議を行い、我が6年1組もサポーターとして参加した。西津小は、今年度福井県の視聴覚研究大会が行われた学校で、その関係からフェニックスが導入され、「いつでも・どことでも・どれだけでも」テレビ会議ができるほど潤沢な予算が用意されたのだという。その結果、各学級ごとに全国各地に定期的な交流学習をする学校ができ、そのために機器使用枠の奪い合いが起こるほど、頻繁にテレビ会議を行っているそうだ。事実、11月15日(月)に我が川上小と接続テストをしたときも、3年生担任の細野先生の後ろにはずらりと6年生が並んでおり、「すみません、6年生が(他の学校との交流のため)待ってますから、今日はこれで失礼します。」と大慌てで通信を終えられたような状況だった。
そんな西津小であるから、テレビ会議に必要な機器が非常に豊富で、その特性を生かした利用法もさすがと思わせるものがいくつもあった。それら、今後見習っていきたいことの主なものを列挙すると・・・。
ア. OHC(書画投影機)の利用
本校はこれまで、写真や文字は紙に印刷した物を厚紙で裏打ちして子どもに手で持たせ、それをビデオカメラでアップにして写していた。だが、手で持っているのを動かすなというのは土台無理な話で、どうしても微妙に動く。しかし、動くとその分画面ににじみが出て、細部まで読みとるのは難しくなる。さらに問題なのは、特にネットミーティングでは、この画像処理の際に多くのマシンパワーを食ってしまう(圧縮の関係で、全く同じ画面を映しておくのにはあまりマシンパワーを食わないようだが、少しで動くと、途端に処理が重くなる。もっとも、これは私の経験からの推測で、確かではない)ため、音声までが影響を受けて(フェニックスは音声を画像を別のチャンネルで流しているので、仮に画像が遅れても間引かれるだけで、音声は影響されない。しかしネットミーテイングは、画像と音声を一緒にパックして送るため、画像が遅れればその分音声も遅れる)、途切れ途切れになってしまう。であるから、この写真や文字をどうやって映し出すかというのは、実に大きな問題であった。その答えは、西津小とのテレビ会議で、西津の子がOHCを活用して実に鮮明な画像を送ってくれたことで、見つけるとができた。
ただ、「学校インターネット」でOHCの配当があった学校もあるが、本校にはあっていない。早急な導入が必要である。
イ. ビデオコンバーターの利用
本校はこれまで、パソコンの画面を相手に見せるときは、パソコンの画面や、プロジェクターで投影したスクリーンをビデオカメラで写していた。日吉東小も、同様であった。だが、どちらの方法を採っても同期の関係で筋が入るし、不鮮明である。私は以前から、どうにかならないものかと頭を悩ませていた。
解決策は、まさに「コロンブスの卵」であった。パソコンモニターへの信号を、ビデオコンバーターによってビデオ信号に変換し、ビデオカメラからの信号に代えて「フェニックス」に送り込んでしまえばいいのだ。
もちろん、問題点もある。それは、ビデオコンバータの性能。本校にあるビデオ・コンバーターは8年ほど前の、「PC−9801」用の物であるから、今日の「DOS/V」機の信号はうまく変換できず、画面のかなりの部分が切れる。来年度の予算で、ぜひ「DOS/V」機用の物を購入したい。
ウ. AV切り替え機の導入
さらに、瞬時にAV入力のソースが切り替えられる、切り替え機も必要である。最新のフェニックスには、ビデオカメラやビデオなど複数のAV入力端子が用意され、パソコンの画面上のマウス・クリックひとつでパッと切り替えが可能なのだそうだ。しかし、本校の「フェニックス」は最も初期の物で、本来は付属の専用カメラを差す端子に、変換プラグを介して市販のビデオカメラからのAV端子を繋いでいる状態。もちろん、予備の入力端子などもない。このボードでビデオカメラ・ビデオコンバーター・OHCなどたくさんの機器を活用して、効果的なプレゼンテーションを行うには、AV切り替え機のようなものが新たに必要である。これも、来年度の予算でどうにかしていきたいものだ。
ここまで述べてきたように、私は「教室に魅力を」というテーマを掲げ、「『先進的ネットワーク』を活用し、新たな学習活動を創造することで、魅力的な教室を作ることができる」という仮説のもとに、本研究を行ってきた。その結果、以下のような結論を得ることができた。
(1) 「『先進的情報ネットワーク』の活用」について
本研究の結果、衛星通信という全く新しいシステムを使うことによって、極めて高速な通信環境のもとで、快適なネットサーフィンとそれを活用したホームページの検索や巨大画像ファイルの取り込みを行うことができた。
インターネットの普及とともに、今やホームページの数は、天文学的な数にまで達し、さらにものすごい勢いで爆発的に増加しつつある。そしてその分、それらの中から必要な情報を、限られた時間内に捜す出すという作業も、実に困難なものとなっている。さらにそれぞれのホームページは、たくさんの画像を配してよりカラフルになっている分、確実に「重く」なっている。しかし、衛星通信による高速なアクセスは、それらの作業をほとんどストレスなく完了させてくれる。だからこそ、次にまた機会があるときは、気軽に取り組んでみようかという気にもなれるのだ。
また、衛星通信という高速な(半)専用回線で結ばれたことにより、従来はほとんど不可能だったインターネット経由の(ISDNによる直繋ぎではない)テレビ会議を行うことができた。もちろん、本文中で詳しく述べたように、その中身はまだ不安定で、実用には危ない部分もはらんでいる。それをさらに広範に、しかも継続的に活用していくには、まだまだ解決しなければならない課題が多い。だが、技術の進歩は日進月歩であり、今後さらに使い勝手がよく、安定した周辺機器やソフトが登場し、極めて安価に提供される可能性は高い。その日が来るまでに、テレビ会議に関する様々なノウハウを蓄積しておきたいものである。
(2) 「新たな学習活動の創造」について
子どもたちは、「学校インターネット」の活用によって、これまで情報教育先進校の川上小でさえ、滅多にできなかった「ホームページの検索」とその延長にある「プレゼンテーション」や、「テレビ会議」を生かした学習活動を体験することができた。
もちろん、これは、「創造」と呼べるほど目新しいことではないかも知れない。ネットサーフィンやテレビ会議そのものは、すでに3年前の「熊本市パソコン通信モデル校」指定や「NTTこねっとプラン」参加当時から可能になっていたものだ。ただ、低速な回線で、しかも電話代を気にしながらの活用には、自ずと限界がある。それが、学校インターネットの導入によって、思う存分活用することが可能になってきた。まさに、子どもたちの自由な発想を生かした、思いっきり回り道の許される活動が可能になったのだ。こうした、試行錯誤の中から自分が真に求めるものを見出していく活動は、まさに生きる力を育てるにふさわしいものである。来年度から移行措置として本校の教育課程に位置づけられる「総合的な学習の時間」でも、こうした活動が中核をなして行くであろうことは、想像に難くない。そうした意味では、着実に「創造」の一歩を踏み出したと言えるかも知れない。
いずれにしても、学校インターネットの事業は、まだスタートしたばかりである。本稿で述べた取り組みなど、それが本来持つ能力のいくらも生かしているとは思えない。まだ、アイディア次第で、どれだけでも有効な活用が可能であろう。そうした潜在的能力が少しでも引き出せるよう、モデル校の一員としてしっかりがんばっていきたいものである。
(3) 「魅力あふれる教室づくり」について
今回の実践の中で、子どもたちは生き生きと活動し、様々な能力を身につけた。ここ数年、家庭にもパソコンが急速に普及し、そのほとんどがインターネットに繋がるようになってきた。しかし、大半の家庭が「さて、何に使ったらいいの?」状態である。
本稿で述べた実践は、こうした家庭では決してやっていない(できない)パソコン活用法であり、新たに体験した子どもたちの大半が、「ためになった」「楽しかった」「もっとやりたい」と答えた。こうした学習の場となった教室もまた子どもたちにとって、より魅力ある場所となったに違いない。
ただ、ここで忘れてならないことが、2つある。
1つ目は、基本的にパソコンを使った授業は楽しい、しかしそのこと自体に甘んじてはならない、ということだ。子どもたちは、パソコンが大好きだ。ある意味で、パソコンを使った授業というだけで、十分満足してくれる。ましてそれが、高性能なマシンによる珍しい使い方であれば、なおさらだ。しかし、そこで満足してしまっては、パソコン、特に情報ネットワークを使った授業の醍醐味は、味わえない。楽しいことそのものは、目的ではない。それを活用することで、従来の学習では不可能だったことのうち、どんなことができるようになったのか、が問われなければならない。
2つ目は、楽しいことは大勢で共有したらもっと楽しい、ということだ。学級のみんなで、明確な目的に向かってみんなで話し合い、計画を練り、時には行き詰まり、試行錯誤し・・・そんな活動を積み上げていくというのは、ひとりで同じことをやるのに比べてずっと思い出深いものになる。そして、その活動の場としての教室は、いつまでも深く心に刻まれることになる。ただ、そうした活動に耐え得るものは、日常の狭い学校生活からはなかなか生まれてこない。だが、そこにパソコン、とりわけ「学校インターネット」が介在することで、一気に世界が広がり、あらゆる活動の可能性が広がる、ということが今回の研究から明らかになった。あとは、その可能性をどう活かし、どう高めていくか、そこに教員生活16年目を迎える私の、最大の課題が横たわっていると言えそうだ。
ただ今、かつての私の教え子であるまゆこ(高校2年生)が、アメリカに留学している。私の友人でもあるご両親が、異国にいる娘とやりとりするのは、何とEメール。「時差を考えず、好きなときに読んだり書いたりできるし、記録として残るし。これが一番いいですよ。まあ、いろいろと荷物を送らなきゃいけないんで、その時はそれに手紙を入れたりはしましたけどね。えっ、電話ですか?そんなもん、かけたことないですよ!」この言葉から、いったいどんな家庭を想像するだろうか。
答えは、「機械オンチ一家」。料理を作るのが大好きで、コーヒーを入れさせたら天下逸品のお父さん。映画大好きで、たいていの洋画はすべて見たというお母さん。そして、その2人の愛情に包まれて(その分やや過保護気味に?)育ってきた本人。しかし誰もが、電子機器に精通しているわけでも、その関係の仕事をしているわけでもない。たぶん、4年生の担任が私でなかったら、きっと今もインターネットとは無縁の生活を送っていただろう。
彼女が4年生の時、つまり7年前、私は学級の子どもたちのメッセージを「ひのくにねっと」や「PC−VAN」というパソコン通信の電子掲示板(もちろん、扱えるのは文字だけ)に書き込み、それに対して寄せられたメッセージを子どもたちに返す、という活動を行った。学校には通信回線がないので、送受信は私の自宅からだったし、子どもたちのメッセージもほとんどは紙に書かせて私が代行入力し、受け取ったメッセージも紙にプリントアウトして渡すというものだった。そういう、いわば「まがいもの」のパソコン通信ではあったが、それでも子どもたちはこの活動に熱中し、北は北海道・ニセコ町(その人「怪人ニセコ」さんは、現在町長を務めている)から、南は沖縄・那覇市にまで至る様々な人たちと、たくさんのメッセージをやりとりしたものだ。
そんな子どもたちに、ぜひ「チャット(おしゃべりという意味で、互いに共有した画面上で、メッセージの文字を打ち合って会話すること)」をさせてやりたいと思い、裏技を使って電話回線を転用し、その模様を日曜参観で公開した。OHPで映し出された透過型液晶の紫色の画面に、こちらからの「こんにちは」という呼びかけに応えて、通信相手から「こんにちは!」という文字が返って来たときには、思わず感動のどよめきが起こったものである。
それから7年。まゆこのアメリカ行きが本決まりになったとき、両親が一番にしたことは…「先生、インターネットができるパソコンを買うから、ついて来て。ついでに、すぐ使える状態に設定してくれたら、うれしいな!」両親揃ってパソコン通信の威力を実感したあの経験があったからこそ、すぐにその言葉が出てきたのであろう。
そして昨年6月、1年間の予定で情報通信の本場アメリカに渡ったまゆこは、自分のフリー・メールアドレスも取り、忙しいスケジュールの合間を縫って、学校やホームステイ先から、母国の両親とメールの送受信を繰り返している。まあ、使える端末が日本語に対応していないので、英語(ローマ字でもいいのだが、結局まどろっこしくて英語になってしまう)でやりとりしなければならないという制約はあるが、洋画で耳を鍛えたお母さんは、「ちょうどいい勉強になります。」と割り切っておられるようだ。
一方、英語が大の苦手で二の足を踏みそうになる私も、まゆこ専用のホームページを立ち上げて、そこに「リアル・オーディオ」でエンコードした音声ファイルを貼り付けたり(巻末の関連URL参照)、見出しだけのメールに年賀状をそっくり画像ファイルにしたものを添付したり、という具合に裏技を駆使して、どうにか英語を使わなくていいようにと工夫を凝らしている
これらこそが、生涯にわたって生きて働く力、いわゆる「生きる力」であろうか。
そんな力を、少なくともひとりの子どもとその家族が、たった1年の短い付き合いの中から学び取ってくれたことは、教師として無上の喜びである。そんな子どもを、これから先の教員生活でも、一人でも多く育てていきたい。そのためにも、まずは今の教え子たちに引き継ぐため、ぜひアメリカとのテレビ会議を実現させたいものである!!
【参 考 文 献】
・「インターネットが超快速」(月刊アスキー'99年12月号) 1999 アスキー
【関連ホームページ】
・今週の徹子の部屋 8月15日(木) 出演 芦田
伸介(あしだ しんすけ)
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/backno/html/960815.html
・長崎原爆資料館
http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/na-bomb/museum/museum01.html
・Homepage for Mayuko
http://www2b.biglobe.ne.jp/~takanao/mayuko/mayuko.htm