平成10年度教育論文

教室に魅力を

−情報ネットワークを活用した、心豊かな学習活動の創造を目指して−

熊本市立川上小学校

教諭

堀本  寛

教諭

上村 孝直

教諭

前田 理代

講師

平山 美恵

1999.1.18


< 目 次 >

はじめに

○ 目 次

1 研究主題

2 研究主題設定の理由

3 研究の仮説

4 研究の計画 

5 研究の実際

5.1 「方言」の授業場面での活用の事例

5.2 「国際交流」の常時活動場面での活用の事例

6 研究の成果と今後の課題

おわりに


○ はじめに

 文部省が打ち出した「2002年までにすべての学校がインターネットにつながる」という夢のような目標は、昨年末の「先進的ネットワークモデル地域事業(30地域1050校)」の指定によって、にわかに現実味を帯びてきた。
 もちろん、我が熊本市においては、厳しい財政事情を反映して、こうした流れから大きく後れをとっている。とりわけハード面では、文部省の「新整備計画」のリミットである平成11年度のスタートを間近に控えながら、ようやく半数の中学校に基準の半数が導入されるのが決まった段階で、残る半数の中学校は次の機会待ちらしい。小学校など、まだ見通しすら立っていないのが現状だという。
 ただ、そうした熊本市ではあるが、大分市とともに先の「先進的ネットワークモデル地域事業」指定を受け、間もなく20校が高速な通信専用回線で結ばれることにより、流れが大きく変わり、今後は一気に加速しながら進んでいくであろうことは、疑いようもない。
 そんな中、我が川上小は、旧北部町時代の恵まれた施設設備を活かして早くから熱心に情報教育の研究に取り組み、平成8年度からは「熊本市パソコン通信モデル校(熊本市立の小・中・高校合わせて11校)」「こねっとプラン参加校(全国1014校で県内分は20校 )」として、教育情報ネットワーク利用に関する実践研究を、他校に先駆けて行ってきた。この結果、「熊本市に川上小あり」と、各地からの視察も相次いでいる。
 こうした流れを受けて、今年度は、最新の情報ネットワーク関連機器が持つ双方向性に着目し、学校外・教室外の新たな世界とコミュニケーションを図ることで、魅力あふれる授業づくり、ひいては教室づくりを目指し、取り組んできた。その結果、多くの成果や示唆に富んだ課題を得ることができた。
 ここに、こうした研究の成果をまとめることで、自らは今後の新たな取り組みへの指針を得るとともに、今後情報ネットワークが導入されていく各学校への一助となれば、たいへん幸いである。

1 研究主題

教 室 に 魅 力 を
−情報ネットワークを活用した、心豊かな学習活動の創造を目指して−

2 研究主題設定の理由

(1) 「魅力あふれる教室づくり」について
 21世紀を間近に控えた今、教育は大きな曲がり角に差し掛かっている。当然、マスコミに取り上げられることも多いが、残念ながらそれらの大半は、明るい話題とは程遠いものである。この1年を振り返ったたけでも、中学校での刺殺事件に代表される少年たちの問題行動や、史上最多を記録した不登校、そして蔓延する「いじめ」の問題など、枚挙にいとまがない。今や、「ムカつく」「切れる」「援助交際」などが流行語にまでなり、学校に勤めて毎日身近に接している者としては心の痛む毎日である。
 こうした、一見心の底まで乾ききった子どもたちではあるが、では本当にそうなのかと言うと、決してそうではない。むしろ、心の底では潤いのある生活、温かな時間を求めていることの裏返しではないかと思う。
 ということは、子どもたちが一日の大半を過ごす学校、とりわけ一番の居場所である教室が少しでも魅力のあるものとなり、潤いを与えることができれば、それは学校のみならず社会にも、たいへん大きな価値があることだと言える。

(2) 「情報ネットワークとその教育への活用」について
 「情報教育」は、今2つの意味で大きな曲がり角に差し掛かっていると思う。
 1つ目は、教育課程の改訂にあたり、極めて重要なものとして位置づけられるようになってきたこと。中学校技術家庭科において、以前は選択領域の1つでしかなかった「情報基礎」が、新教育課程では「情報とコンピュータ」と名前を変えて必修となり、すべての子どもが義務教育段階でコンピュータを使った授業を経験することになる。さらに、小学校3年生から新設される「総合的な学習の時間」でも、情報教育は重要な柱の1つとして例示されている。これらは、今日の日常生活が、今やコンピュータなしでは絶対に成立しない現状からすれば、ごく当然のことではある。だが、どちらかといえば世の流れに遅れがちな「学校」のこれまでの姿からすれば、たいへん画期的なものだと言うことができよう。
 2つ目は、コンピュータ利用の方向性の変化。かつて、ワープロ・表計算・データベースが「三種の神器」と呼ばれた時代は遠い昔。今パソコンを始める人の多くは、インターネット利用に興味が向いている。実際、インターネットというのは無限の可能性を秘めた、実に魅力的な代物である。文部省が、新教育課程での情報教育に、大きくインターネットを位置づけているのにも、大いに肯けようというものだ。
 もちろん、インターネットそのものも、大きな進化を遂げているのを見落としてはならない。特にこの1、2年、回線の大容量化、使いやすいソフトの登場、マシンの高性能化といった、通信環境の劇的な向上が進んでいる。それに伴い、様々な人々の夢のような欲求が、まだ不完全な形ではあるにせよ、次々と可能になり始めている。そのため、かつては文字だけでしか可能ではなかったインターネットによるコミュニケーションが、やがて静止画のやり取りが可能になり、今では映像や音声までも含めた双方向でのやりとりが可能となっている。
 このようなインターネットに代表される情報ネットワークを大いに活用することで、教育の可能性は無限に広がっていくのだ。

(3) 「心豊かな学習活動の創造」について
 使い古された言葉だが、「人間」とは「ひと の あいだ」と書く。子どもは、人の間で揉まれ、様々な経験を積みながら、一人前の人格を持った「人間」に成長していくのだ。ただ、残念ながら今ではそうした経験を積む機会は、驚くほど少ない。そのため、人との間に自分なりの関係を築いて存在すべき場所を確保することができない、つまり自分という存在に対して自信が持てない「透明な存在」の子どもが、今日のように増えているのだ。
 では、どんな能力が不足しているのか、逆に言えばどんな能力を身につけさせるべきなのかというと、それが「自己表現力」と言われるものであると思う。ただ、「自己表現力」と言うと多少一方通行的な誤った印象を与えるので、本稿ではこれを「コミュニケーション能力」と呼ぶことにする。
 コミュニケーション能力を適切に身につければ、多くの人とのコミュニケーションを通じて、信頼できる友だちや仲間を増やし、しっかりとした一定の自分の立場を築くことができる。また、喜びや悲しみを共有することで、共に慰め合い励まし合う経験を通して、豊かな心が育っていくのだ。
 こうしたコミュニケーション能力をより深く、より確かに身つけさせることが重要なのは、おそらく従来からも分かってはいたことであろう。しかし、残念ながら学校という組織や設備からくる制約が、それを阻んできた。しかしここで、情報ネットワークを活用した学習活動を創造し展開することにより、新たな人と人とのつながりを生み、育てることができる。なぜなら、それは従来なら絶対に不可能だった距離的・時間的など様々な制約を、いとも簡単に取り払ってくれるからだ。

3 研究の仮説

情報ネットワークを活用し、心豊かな学習活動を創造することで、魅力的な教室を作ることができる

4 研究の計画

(1) どの範囲で取り組むか
 本校は、熊本市内においては、機材や環境の上で、情報ネットワーク利用に最も恵まれた小学校である。しかし、だからと言って他県や他郡市の先進校のように、最新のマシンが学級の児童分用意され、そのすべてがインターネットに接続しているような環境とは、かけ離れた現状である。人的にも、常駐のシステム管理者がいたり、情報教育の専任者がいたりするわけではない。機材・人ともに、ごく普通の学校と同じレベルの配置しかなされていない。
 したがって、本研究においては、あくまで取り組みの範囲は身動きの取りやすい学級・学年を基本とし、期間もあくまで無理のない期間に限ることとした。

(2) どの場面で取り組むか
 委員会活動などを例にとれば、子どもたちの活動というのは、時間割に位置づけられた授業での場面と、位置づけられていない常時活動の場面との2つに大別される。
 本研究においても、授業の場面での活用と、常時活動での活用の2つの柱に分けて、実践を進めてみることにした。

(3) 「パソコン通信モデル校」「こねっとプラン参加校」であることとの関わり
 一口に「情報ネットワークの活用」と言っても、その方法は千差万別であり、すべてを試みることは困難である。また、2、3年前ならば学校の看板を掲げたホームページを開設するだけで、珍しさからかなりの反響が見込まれた。しかし、学校のホームページが珍しくなくなった今日では、ある程度的を絞って取り組むことが必要である。
 幸い、本校は旧北部町時代の遺産で、今では少々古くなったが20台を軽く越えるパソコンを有している。また、熊本市内80の小学校のうち、たった5つしかない「パソコン通信モデル校」のひとつである。そのため、インターネットにつながる端末を1台とはいえ有しており、これと従来の機種を組み合わせることで、電子メールのやり取りはかなり可能である。文字ばかりで少々寂しいとは言え、電子メールは短時間で手軽に作成が可能であり、メーリングリスト(注:特定のメールアドレスに送ったメールが、そこに登録されている仲間全員に自動的に転送される仕組み)の活用と相まって、適正な範囲内での深く息の長い交流を可能にしてくれそうだ。
 また本校は、H8年11月にスタートした「こねっとプラン」に、熊本市内で唯一、県内でも20しかない参加校の1つとして活動している。このスタートに当たり、本校は主催者のNTTより「フェニックス」が利用可能なパソコン端末1台の寄贈を受け、同時に市教育委員会より「パソコン通信モデル校」用のアナログ回線をデジタル回線(ISDN)に切り替えていただいた。「フェニックス」は、映像と音声を同時にやり取りできる、たいへん優れたシステムである。インターネットを介さずに直繋ぎする(注:ここを誤解している人がたいへん多い!)ため、先方までの高額な電話代がかかるのが難点だが、反面回線状態は常に安定しているし、横から割り込まれたり他者に覗き見られたりする心配もない。
 こうした本校の特性を活かすため、「電子メール(メーリングリスト)」および「フェニックス」の活用を前提に、実践を進めていくことにした。

5 研究の実際

5.1 「方言」の授業場面での活用の事例 〜「フェニックス」の利用を通して〜


 (1) 題材設定の理由
 4年生国語科には、「方言」が登場する。各地の特徴的な言葉づかいを知ることで、一口に「日本語」と言っても、地域の気候・風土・くらし方に応じた様々な表現があることを学習するのだ。
 この学習活動には、情報ネットワークを使った先進事例がたいへん多い。遠く離れた地域とつながることで、極めて特異な表現(向こうからすれば、こちらのものもそうなのであるが)と出会うことができるのは自明の理だが、情報ネットワークは、そのための簡便で安価な手段を提供してくれるからだ。我々も、情報ネットワークを活用して、この「方言」の学習活動を展開していくことにした。
 しかし、「方言」というのはバラバラな言葉が単独に存在しているわけではない。それが使われるニュアンスとかイントネーションとか、そういった物をすべて含んだ形で存在しているわけだ。しかし先進事例では、言葉(単語)だけが一人歩きしているものがほとんどである。これは、電子メールやホームページという、文字だけをコミュニケーションの手段としている制約から来る、致し方のないことではある。
 しかし本校は、前項で述べた通り、映像と音声を同時に使ったコミュニケーションを可能にする「フェニックス」を有している。この「フェニックス」を有効に活用すれば、先進事例にも勝る、さらに有意義な「方言」の学習ができるのではないか、と我々は考えた。

 (2) 実践上の問題点とその解決
 しかし、「フェニックス」を使った実践には、大きく2つの問題が立ちはだかった。
 1つ目は、通信相手の確保。前項でも述べたとおり、「フェニックス」は、インターネットを介さずに直繋ぎするため、逆に言えば明確な通信相手をあらかじめ確保しておく必要がある。しかも、通信相手も「フェニックス」を持っていなくてはならない。
 事実、H9年7月に当時の3年1組(現4年1組)が碩台小と結んで「フェニックス」による、社会科「わたしたちの校区じまん」の学習(熊本市コンピュータ教育研究会の研究授業)を実施した際は、碩台小に「フェニックス」がなかったため、臨時ISDN回線を引き機材も貸し出していただく、というずいぶん無理なお願いをNTTさんに聞いていただいたおかげで、ようやく実現したくらいだ。
「方言」の学習では、通信相手が遠方であればあるほど有意義な学習の展開が期待できるが、こうした条件を満たす通信相手の確保は、その分さらに困難になる。
 2つ目は、通信費の問題。直繋ぎする「フェニックス」は、常に安定したコミュニケーションが可能な反面、そこまでの電話代がかかる。熊本市内なら大した額ではないが、遠方になればなるほど、通信費は非常に高額(注:そこまでの通常の電話代のちょうど2倍)となる。熊本市では比較的恵まれた環境の本校であるが、それでも残念ながら、そこまで高額な通信費の捻出は、絶対に困難である。
 このような困難に直面して、実践をあきらめかけていた矢先、2つの問題を一挙に解決するような電話が飛び込んできた。それは、茨城県土浦市立土浦第二小(以下「土浦」と約す)で4年生を担任している山口健次先生からのものだった。山口先生は、我々と全く同じ理由から「方言」の学習に「フェニックス」が活用できないかと考え、通信相手を捜すことにした。そして、「こねっとプラン参加校」には「フェニックス」が寄贈されていることに目を付け、NTTのホームページに掲載されている参加校一覧から、我が川上小に狙いを絞って電話されたのだ。しかも、「うちは研究指定校だから、予算は潤沢にあります。こちらから電話をかけます(注:フェニックス利用時の電話代は、通常の電話代と同じくかけた方にだけ加算され、受けた方には1円も加算されない)から、お願いできませんか」という、願ってもない条件だった。
 もちろん我々は、各方面と調整を図った上で、喜び勇んですぐに「こちらこそ、よろしくお願いします!」という返事を書き送った。こうして偶然にも、2つの問題は一挙に解決されたのだ。

 (3) 実践の準備
 山口先生や、その同学年担任でTTを組まれる曳埜先生とは、その後電子メールや電話を通じて頻繁に連絡を取りながら、授業に向けた準備を進めていった。それらの中で、以下のようなアウトラインが浮かび上がってきた。
○ 土浦第二小の研究発表会(H10.11.27)当日がメインとなるが、ちょうど両校 とも3クラスずつであるから、1クラスずつの交流を3回に分けて行い、全員の子どもが 「フェニックス」による交流を経験できるようにする。発表会当日の授業には、こちらが 昨年「フェニックス交流」の経験がある学級、土浦が曳埜先生の学級を充てることとする。 それに向けて、1回目の交流を11月19日に、2回目を11月25日に行い、反省点を 改善しながらより意義深いものに練り上げていく。
○ 映像と音声を同時に伝える利点を活かすため、劇化を取り入れて会話や動作で方言の味 わいが出るようにする。つまり、同じ共通語のシナリオに基づいた劇を、熊本弁と茨城弁 とでやる。
これを受けて、土浦の山口先生の学級で作成された共通語のシナリオは、以下の通りである。

< 共 通 語 >

◎夕飯時

父:おなかがすいた。そろそろ夕御飯を食べよう。
母:おじいちゃんが帰っていないよ。ちょっと呼んできて。
姉:おじいちゃんは、稲刈りでたくさん働いたから、「疲れた、疲れた」と言って、寝ているよ。
母:そうか。寝ていれば、大丈夫だよ。
父:それでは、先にごちそうになろう。
全員:いただきます。
父:まず、この大きい魚から食べよう。
弟:ちょっと冷たいな。それに、こげているよ。
姉:こげたところを、こすり取って食べなよ。
弟:こんな魚、おいしくないよ。ぼくは、いらないよ。
姉:それじゃあ、ご飯はどうするの?
弟:厚いステーキが食べたいなあ。
母:もう、この子はうるさいね。本当に頭に来る子だよ。
父:しょうがないな。こんないいかげんな子は知らないよ。もう食べなくていいだろう。
弟:そんなあ。ぼくにも食べさせてちょうだい。

○ 即時性という利点を活かすため、その場で感想を出し合ったり、互いに質問したりする   時間を十分に確保する。
 これらを受けて、川上小でもこの共通語のシナリオをもとに、熊本弁の劇のシナリオを作っていった。とはいえ、子どもたちには「熊本弁」がさっぱり分からず、だいぶ担任が手伝うことになった。もっとも、担任も「熊本弁」と言うにはだいぶ怪しい年代の者が多く、加えて一口に「熊本弁」とは言っても、地域や使う人によって言い方は様々ある。ここはどうすべきかな、やっぱりこうした方がいいかな、などと散々頭を悩ますことになった。
 かくしてたいへんな苦労の末に出来上がったのが、以下のシナリオである。

< 熊 本 弁 >

◎夕飯時

父:腹ん減ったなあ。ぼちぼち晩飯ば食おうかい。
母:おじいちゃんが帰って来とらっさんとよ。ちょっと、呼んできて。
姉:おじいちゃんは、稲刈りでたいぎゃながまだしたけん、「くたびれた」て言うて、寝とらすよ。
母:そやんね。寝とらすとなら、よかね。
父:そしたら、はよ、ごっつぉうになろかね。
全員:いただきます。
父:まず、こんふとか魚から食べようかね。
弟:ちいっと冷たかね。それに、こげとるばい。
姉:こげたとこっば、こすり取って食べなっせ。
弟:こぎゃん魚、うもなかよ。ぼかあ、いらん。
姉:そんなら、ご飯はどやんすっと?
弟:あーつかステーキば食うてみろごたるねえ。
母:あーもう、こん子はせからしかねえ。ほんなこつ頭に来る子たい。
父:しょんなかな。こぎゃんうーばんぎゃー子は知らんぞ。もう食わんでっちゃよかばい。
弟:そんなあ。ぼくにも食わさせてはいよ。

共通語、熊本弁、茨城弁(後述する)の3つを並べて比較してみると、分かっていたこととは言え、あまりの違いに改めて驚かされる。

 (4) 実践の実際(その1)
 11月19日、期待と不安で迎えた1回目の「フェニックス交流」。土浦は、山口先生が担任の4年2組。こちらは、前田が担任の4年2組。新採2年目の前田は、大学時代からある程度パソコンを使ってきた経験はあるものの、授業で使うのは初めて。まして、「フェニックス」など。思わず、緊張から表情が堅くなる。一方の子どもたちは、逆に画面に自分の姿を見つけて(注:「フェニックス」では、画面に相手とこちらの両方の映像が映る)は、無邪気に手を振る。これで大丈夫だろうか?ちゃんと授業として成立するだろうか?不安がよぎる。
 10時50分、待ちに待った土浦からのコール。自動的に応対したパソコンの画面に、土浦の教室と、そこに集う子どもたちの姿がいきなりあらわれる。「わあっ」子どもたちから、思わずどよめきが起こる。その本当の意義を理解できている子など居ないのであろうが、ともかく凄いことが始まったというのは、肌で感じたのだろう。
 土浦の子の司会で、交流が始まる。実にハキハキしている。相当練習を積んできたようだ。一方川上の子たちは、急に固まってしまった。まずい。案の定、先方の学校紹介、そして茨城弁での方言劇と、あまりのすばらしさに圧倒されてしまい、あんなに練習を積んだ発表の子どもさえ、原稿の紙にかじりつくように下を向いたまま、小さい声でしどろもどろするだけ。「では、感想や質問を」と投げかけられても、誰の手も挙がらない。
 しかし、ここで「こんなこともあろうか」と用意しておいた備えが物を言った。前田学級の子どもたちは、時間が余った時に備えて、方言クイズを用意していたのだ。子どもたちは、ゴッホ画用紙に大書した熊本弁、たとえば「とっとっと」を画面に出し、声に出して読みながら、「これはどういう意味でしょう」と聞く。もちろん向こうは分からないから、「ヒントを下さい」となる。「『この席、とっとっと?』というふうに使います」と文脈を説明すると、「分かりました。『確保しているんですか?』という意味ですね」となるわけだ。まさに、双方向性を持つ「フェニックス」の特質を活かした活動であり、子どもたちは大いに乗って、交流は盛り上がった。
 反省点も多い1回目の交流だったが、思いのほか収穫も多く、何より互いの子どもたちに意義深い経験となった。以下は、1回目の直後にいただいた山口先生からのメールの引用である。

今日はどうもありがとうございました。初めての交流としてよくできたと思っています。子どもたちも楽しく活動できたようで,「もっとやりたいなー。」と話していました。
(中略)
このあとうちのクラスでは,感想と,お手紙を送るつもりでいます。
始まるまではとてもドキドキしていた私ですが,終わったときは子供たちと同じように喜んでいました。子供たちの喜びはきっとそれ以上でしょう。本当にありがとうございます。


 (5) 実践の実際(その2)
 11月25日、反省にもとづき互いに修正を加えた2回目の交流。土浦は、曳埜先生が飛び込み授業の4年3組。こちらは、堀本が担任の4年3組。教員歴20年を優に越える堀本は、パソコンはおろかワ−プロをさえ使わないが、授業のツボどころは心得ている。堀本は、カメラの前に立った子どもが緊張することを前提に、NHKニュースばりに、劇のシナリオをカメラの死角になる真横に置いた。また、年齢的なものもあって、熊本弁のイントネーションの指導はお手の物。おかげで子どもたちは、しっかりカメラの方を見ながら、立派な「熊本弁」での劇を披露した。また、クイズでも傑作な出題が相次ぎ、交流は大いに盛り上がった。
 前回、川上のクイズ形式がたいへんよかったということで、今回は土浦もクイズ形式をとってきた。互いに見当もつかない方言の出題に首をひねり、正解かどうかに一喜一憂する様は、端から見ていてもたいへん心打たれる物があった。
 ただ、余りに盛り上がりすぎてしまったため、予定の15分の2倍の30分近くかかってしまった。そのため3回目の本番では、クイズは4問に限り、それぞれ3つの選択肢を用意しておこう、ということになった。

 (6) 実践の実際(その3)
 11月27日、いよいよ研究発表会本番の3回目。土浦は、曳埜先生が担任する4年1組。こちらは、平山が担任する4年1組。平山は、パソコンこそ使えないが、熱心な若手教師である。先方が研究発表会ということで相当なプレッシャーを感じながらも、それをはねのけるようながんばりで、子どもたちと準備を進めてきた。子どもたちも、昨年碩台小との「フェニックス交流授業」の経験を振り返り、どんなものを準備してどんな提示をしたら効果的かなど、記憶を呼び覚ましながらそれらが本番でより活きるよう、工夫を重ねてきた。
 13時40分、予定通り土浦よりコール。互いの端末は正常に動いており、問題なし。先方の画面後方には、なるほど研究発表会の参観者と思われる大人の姿が、たくさん見える。責任重大。しかし、さすが昨年経験しているだけあって、子どもたちは落ち着いている。これなら、大丈夫!
 13時45分、土浦の研究授業が始まる。曳埜先生の冒頭での指導の後、司会の子にバトンタッチ。互いに挨拶を交わした後、いつものように土浦から先に、学校紹介と方言の劇。これまでにも増して、実にうまい。もちろん、今日初めて茨城弁を聞く4年1組の子どもたちは、完全に劇の中に引き込まれていった。くだんの劇の茨城弁によるものは、以下の通りである。

< 茨 城 弁 >

◎夕飯時

父:腹へった。はー夕飯食べっぺ。
母:おじいちゃんが帰ってねえど。ちょっとよばってこーよ。
姉:おじいちゃんは、稲刈りでうんと働いたから、「こわい、こわい」って言って、寝てっと。
母:ほうけ。寝れば、だいじだ。
父:んじゃ、先によばれっぺ。
全員:いただきます。
父:まず、このいかい魚からやっつけっぺ。
弟:ちょっとひやっこいな。それに、こげてっと。
姉:こげたとこ、かっぱいて食べろよ。
弟:こうた魚、うまかねえなあ。あらは、いんね。
姉:したっけ、ご飯はどうすんだ?
弟:あつこいステーキが食いてえなあ。
母:もう、この子はうっさいねー。ほんとにいじやける子だよ。
父:しゃあんめ。こうたこじゃっぺは知んね。もう食べなくてよかっぺ。
弟:そんなあ。おらにも食わさせてくれよー。

   さて次は、川上小の番。これまで2回は、どちらかというと相手に気押され気味だったが、昨年の経験を持つだけあって、今日は落ち着きの面からも発表内容の面からもバッチリ。余裕を持って見ていられる。学校紹介では、位置を示すための地図や特産物を描いた絵などを駆使して、実に具体的な分かりやすい説明。劇でも、本番を想定して相当な練習を積んだだけあって、役の子はすべてのせりふを暗記し、少しの淀みもなく、しかも熊本弁の味わい豊かに表現することができた。土浦の子が、授業後の感想発表で「とーっても上手だった」と言い、それに周りの子がしきりに肯いていたくらいである。
 クイズでは、土浦の曳埜先生の創意工夫で、3つの選択肢にグー・チョキ・パーを当てはめ、全員がどれと思うかを意志表示することにした。これにより、大幅な時間短縮が図れるだけでなく、全員が自分の考えを明示するので参加の意識がより高まり、正解かどうかに一喜一憂する楽しみが増す。また、出題した側も、画面の向こうの反応をリアルタイムに楽しむことで、自分の出した方言の持ち味の本当の重みを知ることができる。事実、出題した側では子どもたちが画面を覗き込みながら「あっ、グーが多いみたい」などと呟くし、答えた側では正解が発表されると同時に「やったー」「あーあ」といった歓声が教室じゅうに響きわたった。この場でやりとりされたクイズと正解は、以下の通りである。

< 土浦から川上へのクイズ >

・おにんこ(おにぎり) 

・いしこい(ダサい)

 ・さらける(こける)

 ・ばっち(末っ子)

 

< 川上から土浦へのクイズ >

・むしゃのよか(かっこいい)

・すーすーする(体が寒い)

・しゃんむりでん(どうしても)

・むぞらしかぁ(かわいい)

 かくして、予定の15分は、アッという間に過ぎた。名残を惜しみながら、互いに別れの挨拶をして通信を終えたが、どの子もみんな相手の姿が画面から消えるまで、画面に向かって力一杯手を振り返していた姿は、今でも瞼に焼き付いて離れない。

 (7) 実践の残してくれたもの
 授業の後、さっそく土浦の山口先生からメールが届いた。

お疲れさまでした! 今回の交流も無事に,そして素晴らしくできたのではないでしょうか。
こちらでは200人を越す参観者がフェニックスめあてに押し寄せてきていました。
(中略)
このような楽しい機会をまた持てるといいなと思います。

さらに後日、先生方からのお手紙を添えて、土浦の子どもたちからのお手紙が送られてきた。その一例を、以下に紹介する。

 川上小のみなさん、わたしたちの茨城弁のげきはどうでしたか。わたしは、お母さんの役でした。ちょっと言葉をまちがえたけど、あせらずできました。川上小のみなさんがクイズを出してくれた時、ぜんぜんわかりませんでした。
 だから、もっと熊本県の言葉を知りたいです。一回でいいから、熊本県に行ってみたいです。川上小のみなさんと、もうちょっとしゃべりたかったけど、時間がなかったので残念です。
 川上小のみなさんのことはわすれません。ありがとうございました。

 

川上小のみなさんへ

 わたしは、フェニックスで川上小のみなさんとはじめて会いました。川上小では、いつも方言を使っているんですか? 二小では、方言を使っていません。わたしは、げきをやっていましたが、と中つまづいてしまいました。川上小では、すらすら言えてすごいですね。
 土浦からすごくはなれているのに、顔が見えたり声が聞こえたりして、おもしろかったです。問題も、すごく楽しかったです。
 また、フェニックスで話したりしたいですね。

 もちろん、これと相前後して川上小からも、土浦あてにたくさんの手紙が送られた。その例を、以下に掲げる。

 土浦第二小のみんな、元気ですか。私たちは、元気です。
 フェニックス交流では、いばらぎべんで、末っ子のことを「ばっち」と言うのに、私はびっくりしたよ!! 熊本べんでびっくりしたのは、なんですか? 私がよそうするには、「しゃんむりでん(どうしても)」と「むしゃのよか(かっこいい)」がびっくりしたんじゃないかな?と思います。熊本に住んでいる私にも、方言の本を見てびっくりしたことがありました。それは、「ダンダン」です。ぴらぴらと本をめくっていると、「ダンダン」それはなんだ?と思って見てみると、「ありがとうという意味です」と書いてあってびっくりしました。いばらぎに住んでいる人も、これがいばらぎべん?と思ったことはないですか?
 みんなも、「方言なんて」と思わず、方言をたくさん使いましょう。

 

 土浦第二小のみなさんへ

 こんにちは。わたしたちのげきは、楽しかったですか。方言クイズは、楽しかったですか。私は、「ばっち」という言葉の意味を、「ばっちい(きたない)」と思ってました。でも、「末っ子」という意味だったので、おどろきました。
 ところで、熊本の名所には、熊本城やあそ山がありますが、いばらぎの名所といえば、何がありますか。
 もし熊本に来る機会があれば、ぜひ川上小に遊びに来て下さい。

 このような郵便によるメッセージのやりとりは、それぞれの学級同士で今も続いている。個人レベルで手紙のやり取りを始めたペアも多く誕生し、中には長距離電話がかかってきたと報告に来る子もいるらしい。担任としては、余計なことかも知れないが「電話代は大丈夫なの?」と思わず心配してしまうそうだが。
 それはともかく、「フェニックス」を活用した学習活動が、子どもたちの世界を大きく広げ、新たな、そして豊かな人と人とのつながりをもたらしてくれたのだということが、ここから見て取れるのではなかろうか。

 (8) 実践の成果
「フェニックス」による交流が一段落したところで、子どもたちにアンケートを採った。記述式としたため、数値化してグラフに表すことはできないので、代表的な意見を以下に紹介する。ここから、本実践が情報教育のみならず、国語科本来の授業実践としてもたいへん有効であったことが、十分読みとれると思う。

@ 茨城の小学校と交流してどうでしたか
 ・ちょっときんちょうしたけど、楽しかった。
 ・向こうの小学校の説明が上手で、びっくりした。
 ・向こうの「〜っぺ」などの言葉がおもしろかった。

A 茨城弁を聞いてどう思いましたか
 ・初めは変だなと思ったけど、話しているうちに分かってきた。
 ・自分たちは熊本の方言を正しいと思っていたので、いろいろな方言を知ってよかった。
 ・言う速さが速くて分からなかったけど、説明してくれたので、とてもよく分かった。

B 自分にとって方言のよさは?
 ・自分の気持ちをよく表現できる。
 ・短くて言いやすい。
 ・その土地どくとくの言い方で、おもしろい。

C 方言の欠点は?
 ・おこっていないのに、おこったように感じる。
 ・その土地の人にしか分からないこともある。

 (9) 今後の課題
 このように、たいへん有意義な「フェニックス」の活用であるが、こうした活動を今後も継続し、さらに広く深く実践していくためには、どうしても解決しなければならない2つの問題点がある。
 1つ目は、通信相手の確保の問題。前述したので詳細は省くが、今後「フェニックス」が大いに売れてほとんどの学校に行き渡りこれが「標準」となるか、または「標準」に耐えうる新たなシステムが開発されて急速に普及するか、いずれかの必要がある。しかし、「フェニックス」は定価で20万円近くと高価であり、急速な普及は難しいのではなかろうか。新たなシステムの開発には、もっと時間がかかりそうだ。いずれにしても、学習内容に応じて適切な通信相手を確保するための苦労は、当分続きそうだ。逆に言えば、日頃から電子メール等で常にアンテナを張り巡らし、情報発信に心がけておくという、地道な取り組みが、実はたいへん重要だということが言えるだろう。
 2つ目は、通信費の問題。今回の実践は、たまたま潤沢な予算の裏付けを持つ通信相手に巡り会えたおかげで実践が可能となったが、それがなければ不可能だったとも言える。現在、本校の通信回線に割り当てられた予算は年間10万円。1台しかない端末から、インターネットにダイヤルアップ接続をする分には、余程無茶な使い方をしない限り十分な額だ。しかし、「フェニックス」を、しかも遠方と直接つなぐような使い方をすれば、すぐに予算は底をつく。とは言え、一般にハード面に比べてソフト面にはなかなか予算をつけてもらえない我が国の現状においては、通信費の大幅増額は、かなり難しそうだ。また、NTTあたりでは学校向けに極めて低料金な通信費の設定を検討していようだが、これまた不確定な要素が多く、あまり期待できない。となると、あとはどうにかインターネット経由でつなぐしかないだろう。だが、最近はだいぶ改善されたとは言え、まだインターネット経由では一定時間にやり取りできるデータ量には限りがある。光ファイバー網が張り巡らされ、安定した回線が極めて低額な料金で供給されるようになるまでには、もうしばらくかかりそうだ。となると、当面は現在のシステムを使いながら、場面を厳選して取り組んでいくのが、案外最良の方法と言えるのかも知れない。

5.2 「国際交流」の常時活動場面での活用の事例 〜メーリングリストの利用を通して〜

 (1) 題材設定の理由
 5年生の社会科では、「我が国の国土の様子について理解できるようにし、(中略)国土に対する愛情を育てる」ことが、目標のひとつとして掲げられている。これが、6年生の「(前略)我が国と関係の深い国の様子や国際社会の中で占めている我が国の役割を理解できるようにし、世界の中の日本人としての自覚を育てる」ことにつながっていくのだ。
 このふたつの目標を見通したとき、あることに気づく。それは、5年生が国内、6年生が国外と、学年が上がるに連れて学習のエリアが広がっていくのはもちろんだが、6年生で学習するのは「我が国と〜」、つまりあくまで主体は我が国、すなわち自分の足下であり、そこから派生して世界へと広がって行くわけだ。ということは、5年時から自分の足下を、常に外と見比べながら理解していく習慣を身につけておけば、6年時の学習に極めて奏功することになる。
 そして、常に外と見比べるための極めて有効な手段が、本校にはある。それは、「インターネット」である。「インターネット」は、極めて安価に、しかも手軽に、国境や時差を越えて世界中からの情報をもたらしてくれる。
 こうしたことから、できれば海外と、子ども同士の日常的な交流を図りたい、ということは5年生を担任した当初から考えていた。

 (2) 実践上の問題点とその解決
 しかし、インターネットを使った実践を実行に移すにあたっては、大きな2つの問題が立ちはだかった。
 1つ目は、語学の問題。当たり前のことだが、インターネットの標準は英語。外国人が使っている(日本語未対応の)端末では、日本語など無意味な記号に化けてしまって、きちんと表示さえしてくれない。だからと言って、英語で文章を読み書きするのは、たとえ教師である我々であっても苦しい。まして小学生には、不可能である。
 2つ目は、通信相手の確保。インターネットの世界ではアメリカが突出している反面、他の国々は案外そうでもない。そんな中で、多様な通信相手を、しかも何のつてもない中から確保するのは非常に困難である。また、仮に確保できたとしても、それを長期間繋ぎ止めておくことは、よほどの工夫がないと難しい。
 このようなことから、海外との通信にはなかなか踏み切れないでいた。ところが10月下旬、この2つの問題点を一挙に解決してくれる電子メールが、あるメーリングリストを経由して飛び込んできた。

ACE関東の佐藤です。
上越支部の小川氏から下記のような依頼がACEネットに流されていました。ここに全文転送します。
−−−−−以下 転送文−−−−−
吉富さん、こんにちは。
以前、下記のような募集をしましたが、(当然ながら?)どなたも反応していただけませんでした。
北海道については稲里小学校さんにお願いすることができましたが、九州沖縄についてはコネがなくて協力していただける学校が見つかりません。
電子メールが使える学校で、国際共同学習に興味のある学校はないでしょうか。御紹介いただけると大変たすかりますが。
ーーーーー以下再掲載ーーーーーー
上越の小川です。
じつは日本人学校の共同学習プロジェクトの1つを御世話しています。そのプロジェクトで各学校で午前中(8時半)と午後(12時ー1時)に気温を測定して報告する活動を展開しようとしています。
現在のところ、テヘラン、ハンブルグ、上越で気温を測定しはじめていますが、ハンブルグの気温が結構低いので、北海道や九州の学校で参加してくれる学校があれば、日本の国土が
南北に長いことがデータで示せるのではないかと考えています。
ーーーーー引用終わりーーーーーー
よろしくお願いいたします。

「日本人学校の共同学習プロジェクト」ということは、当然日本語でいけそうだ。しかも、イラン・テヘランやドイツ・ハンブルグという、どちらかと言えばインターネットの世界ではマイナーなところが参加しており(後日ケニア・ナイロビも加わり、ますますその傾向は強まった)、数も多すぎず少なすぎずの適正規模だ。さらに嬉しいことには、「午前中(8時半)と午後(12時ー1時)に気温を測定して報告する」という、本校でも子どもたち自信の手で無理なく、しかも長続きできるような活動内容ではないか。これは素晴らしい。うん、これで行こう。
 さっそく、参加したい旨のメールを書き送った。するとさっそく翌日には、以下のようなメールが返ってきた。

At 7:05 AM -0000 98.10.20, 上村 孝直 wrote:

>  こんにちは、上村@熊本市立川上小です。
> > ーーーーー以下再掲載ーーーーーー
> > 上越の小川です。
> > じつは日本人学校の共同学習プロジェクトの1つを御世話しています。そのプロジェク> > トで各学校で午前中(8時半)と午後(12時ー1時)に気温を測定して報告する活動> > を展開しようとしています。
> おもしろい企画ですね。気温を測定するくらいなら、本校でも十分対応が可能でしょうか> ら、参加してみたいです(と、書いて送ればいいのでしょうか?)。
メールいただきましてありがとうございます。しかもこんなに早く協力を頂けるなんて、夢のようです。
それではさっそく、MLに登録させていただきたいと思います。
現在、各学校では子どもあるいは先生が、朝と昼過ぎに気温を測定してメーリングリストに報告してくれています。気温とともにそのときの学校の様子や、その子のことなどを数行書き添えて貰っています。
あとはMLの上で、いろいろお話をうかがえればと考えます。
またなにか問題等ありましたら、私あてにメールを下さいませ。

と同時に、この「温度測定メーリングリスト」を通じて、各地からの気温や話題が次々に届けられるようになった。ここまで佐藤氏が転載してくれたメールを見てからわずか1日。まさに、情報化社会の流れの速さを象徴したような出来事であった。

 (3) 実践にあたっての下準備
 取りかかりはアッという間の出来事だったが、取り組みは息長く続けて行かねばならない。そのためには無理のない体勢作りが必要だ。
 まず、身動きが取りやすい形で実践を進めていくため、上村の学級である5年4組独自の課外活動に位置づけることにした。さらに5年4組の中でも興味があるやりたい子を募って「インターネット・クラブ」を組織し、その子たちが責任を持って発信用メッセージをしたためることにした。日直のような当番制にして全員が平等に関わるのも、確かに意義深いことではある。しかし、メッセージ書きは、必ず昼休みか放課後になる。中には、この時間の外遊びや友だちとのおしゃべりを唯一の楽しみに学校に来ている子もいるだろう。そういう子たちを無理矢理パソコンに向かわせても、絶対に長続きなどしない。興味が湧いたら、いつでも自主的に加わったらいい。そう考えたからだ。

< 活 動 の 様 子 >


1 朝8時半と昼12時半に、日直が百葉箱の気温を計る
 
2 測定の結果をもとに、送信用のメッセージを書く
 

3 インターネット端末からメーリングリストに送る

受信した各校からのメッセージを読む

 幸い、そうしたあらゆるリスクを覚悟した上で、なお4人の子どもが初代のインターネット・クラブ員となった。5年4組の教室は本校舎にあるパソコン室から一番遠く離れたプレハブ教室にあるため、旧式のPC9801VX改を1台教室に持ち込み、一太郎Ver.3でワープロの練習をさせ、発信に備えた。

 (4) 実践の実際
 実践を長続きさせるには何より無理のない形で取り組ませるのが大切である。学級の全員に参加意識を持たせるため、温度測定は日直(2人1組)が行うこととし、測定結果は黒板の所定の場所に書き込むこととした。
 次に、身近な教室にパソコンを持ち込んですぐにメッセージが打てるようにしたのに加え、あらかじめ挨拶や署名などを書き込んだ雛形を作り、その文書ファイルを読み込んで必要なところだけ書き加えれば手軽に完成するようなシステムを整えた。完成したメッセージは、送信は上村がしてくれるので、フロッピーに保存して渡せばよい。
 しかし、たったそれだけの作業ではあるが、経験のない5年生にとっては大変な労力を要したのも事実である。ただ、経験を積むうちに子どもたちは見る見る上達していった。この辺りのことを、4人のメンバーの中でもひときわ熱心にかつやくしたみきこは、後に以下のように書き綴っている。

3学期にがんばりたいこと

5年4組 みきこ   

 私が2学期にがんばったことは、インターネットで他の学校と、電子メールのやりとりをしたことです。私たち「インターネットクラブ(注:5年4組の中に、希望者を募って作った集まり)」の人数は4人です。2人に分かれて、毎日交代でメールを書いて送ります。メールの内容は、朝8時半と昼12時半の気温。それから、今日の出来事や天気、読んだメールの感想などを書きます。
 文字を打つ時は、もちろんカナではなく、ローマ字を使って打ちます。だから、始めたばかりのころは、すごく時間がかかっていました。でも、3日に1回は必ず打つので、打つ速さがずいぶん速くなりました。
 メールのやりとりをしている学校は、北海道の稲里小学校、新潟の中郷小学校、イランのテヘラン日本人学校、ドイツのハンブルグ日本人学校、ケニアのナイロビ日本人学校の5つです。(以下は後述)

 かくして、温度測定プロジェクトのメール受発信は開始された。毎日各校から届けられるメールは、すべてプリントアウトして教室内の掲示板に学校ごとに貼り出すことにしたが、パソコン通信歴10年以上を誇る上村は、その経験から毎日必ずそのうちのいくつかを紹介し、自分たちの生活を常に振り返らせながら、そこに書いてある情報にどんな値打ちがあるかを考えさせた。たとえば、

明日はタイヤ交換日(?)です。(北海道・稲里小発 11/2)

こんなメールの一節を、誰かが気づくまで何回も繰り返して読む。おもむろに、ようやくひとりの子が気づく。「『タイヤ交換日』ってわざわざ書いてあるのは、古くなったから取り替えるのとは違うようだね」と。それをヒントに、「なるほど、そうか。それなら・・・そうだ、雪用のタイヤに取り替えるという意味なんだ」と別の子が気づく。教室には、一斉にどよめきが起こる。そんな何気ない一節にこだわることを続けていくと、子どもたちは次第に今までなら見落としていたことに、しっかりと気づくようになってくる。

今日は秋休み5日目です。(ドイツ・ハンブルグ発 10/23)

こんなメールの書き出しには、「『秋休み』なんて、日本にはないよね」などと、すぐに誰かが反応する。「いいなあ」「でもその分、他の休みが短いんじゃないの」、そんなどよめきが一斉に起こる。
 やがて、子どもたちに気づく力が育って来たところで、教師からの紹介をやめる。いつまでも続けていては本当の力は育たないし、第一教師の価値観を植え付けてしまうことになるからだ。しかし、紹介をやめた後も、掲示板に新しいメッセージを貼り出すたびに、子どもたちは興味深そうに眺め、いろいろなことに気づいていった。その一端を、前出のみきこの作文の続きによって紹介する。

 ある日、私は1枚のメールを見てびっくりしました。日本では、昼になるにつれて気温が上がっていくのに、逆に下がってしまう国があったからです。それは、ドイツという国でした。
 この他にも、メールのやりとりをしているうちに、北海道では11月の初めごろに、早くも雪用のタイヤに交換をしていたことや、外国でも、冬休みの期間がだいたいいっしょだということが分かりました。

 このように、受信するメールによってたくさんの有益な情報がもたらされたわけだが、一方それに応えてメールを送信することも、たいへん有益な活動であった。パソコン通信の世界では言い古されたことだが、自分たちのことを外に情報発信しようとすれば、厭が応にも情報発信に値するようなものを探し、よく考えよく調べなければならない。当然と言えば当然なことだが、人生経験が浅く生活経験に乏しい今時の子どもたちにとっては、実はこれがたいへんなことなのだ。まして、この「温度測定プロジェクト」は、相手が同じ日本人とは言え、広く全国・全世界が相手である。自分の想像さえできない環境にある人たちの、興味を引くような話題を捜すというのは、並大抵のことではない。
 送信を始めた当初、子どもたちがその日の気温に添えて書くメッセージには、ごく当たり障りのないものが多かった。たとえば、以下のようなものである。

 今日の天気は曇り時々雨で、昼の温度はあまり上がっていません。体育で「ハードル走」をやる予定でしたが、雨で運動場が使えないので、体育館でバスケットをしました。(熊本・川上小発 10/23)

やがて、各校の話題に接しながらも、一方通行の情報提供に終わっていること(これは、今日に至ってもなお、「温度測定プロジェクト」の問題点である。ただ、そのやむを得ない原因については後述する)に寂しさを覚え始めた子どもたちは、他校に向かって投げかけを始める。

 私たちの学校には、緑がたくさんあります。今の季節は、サルビアや、マリーゴールドなどのきれいな花が、たくさんさいています。
 今の季節、 みなさんの学校には、どんな花がさいていますか?(熊本・川上小発 10/28)

 これに対して、さっそく新潟・中郷小の木嶋先生がレス(レスポンス:誰かの書いたメッセージに対してコメントを返すこと−以下同じ)をつける。この辺りは、パソコン通信に長けた教員同士の阿吽の呼吸である。

こんにちは、熊本市立川上小学校5年4組のみきこ・ともよ・あきこさん。新潟県中郷小学校の木嶋です。
>  私たちの学校には、緑がたくさんあります。今の季節は、サルビアや、マリーゴールド
> などのきれいな花が、たくさんさいています。
 そろそろ花は散り始めています。冬が近づいてきています。

>  今の季節、 みなさんの学校には、どんな花がさいていますか?
 明日、学校の周りにどんな花が咲いているか調べてみます。楽しみにしていて下さい。
では!(新潟・中郷小発 10/28)

子どもたちは、大いに喜んで、今度はどんなことを書こうかとさらに工夫を始める。また、そんな「インターネット・クラブ」のメンバーの生き生きとした様子に魅力を感じ、次第に輪の中に加わる人数も増えていく。人数が増えれば、それだけ見逃してしまいがちなことにも、ちゃんと気づくようになる。

 私たちの学校には、桜の木があります。その木が、1週間くらい前から、1つ、2つ花を咲かせています。寒かったころから、急にあたたかくなってきたからでしょう。(熊本・川上小発 11/5)

というメッセージには、「えーっ、そうなの」と驚いた担任の上村が、わざわざその木のところまで確かめに行ったくらいであった。
 さらに、こういう経験を重ねていくと、今まで当然のこととしていたことにも、ふと疑問が湧いたりもする。たとえば、

 明日(11/3)は、「文化の日」の祝日でお休みです。海外日本人学校がお休みになるのは、やっぱり現地の祝日に合わせるのでしょうか?(熊本・川上小発 11/2)

これには、すかさずハンブルグの佐野先生より、以下の返事が返された。

日本人学校の祝日はドイツの祝日に合わせています。日本のゴールデンウイークが懐かしいです。(ドイツ・ハンブルグ発 11/2)

 こうしたことを繰り返すうち、やがて子どもたちは「自分たちへレスを返してもらったらこんなに嬉しいんだから、自分たちがレスを返せば、相手にも同じように喜んで貰えるに違いない」という肝心なことに気づいてきた。これは、大人にとってはごく当たり前のことだが、子どもたちにとっては、なかなか簡単には気づけないことなのだ。そして、そのことに自ら気づくまで待ったことで、それは強い思いとして心に焼き付けられ、息の長い活動を可能にする。

こんにちは、テヘラン日本人学校の近藤藍さん。
> そちらには委員会がありますか?
私たちの学校にもあります。ちなみに、あきこは飼育委員。すぐるは体育委員です。大変だけど、とーーっても楽しいです!(熊本・川上小発 12/5)

 

 こんにちは中郷小学校の小野さゆりさん。
> 音楽大好き人間です。よろしく
私たち(みきこ・ともよ・あおい・かなこ)は、さゆりさんと同じで音楽大好き人間です。特にみきこは、部活も委員会も音楽です。(熊本・川上小発 12/11)

このようなレスを繰り返すうち、次第に川上小がいろいろな話題をリードし、そこを中心にキャッチボールが交わされるような役目を担っていくことになる。

こんにちは。みきこさん、ともよささん、あおいさん、かなこさん。音楽が大好きな友達ができて、とてもうれしいです。私の友達はみんな、音楽が嫌いなんだそうです。それは、先生がいやなんだって。確かに少し、きびしいかもしれないけど、とってもいい先生なんだよ。それに、音楽は先生も大事だけど、自分の心が大事だと思うんだ。そう思わない?

 

 川上小学校のともよ・みきこ・かなこさんへ
 こんにちは。ハンブルク日本人学校5年の森本彩です。
 私達の学校でも、算数のまとめテストをしました。私達もやっぱり手間取りました。むずかしかったよ。
 私達の終業式は、12月22日です。その後は、楽しい冬休みです。3学期は1月6日から始まるんですよ。

このような経験を通して、子どもたちが情報ネットワークの素晴らしさに引き込まれていったのは、言うまでもない。先に引用した、みきこの作文は、以下のくだりで結ばれている。

 3学期もメールのやり取りを続けて、どんな遊びがあるのか、どんな食べ物があるか、などを聞いて、他の国のことをもっともっと知りたいと思っています。

 (5) 実践上の今後の課題
 このように、たいへん有意義なメーリングリストを利用した実践であるが、これをさらに意義深いものにするための課題は、まだまだ多い。
 まず1つ目は、通信環境格差の問題である。専用線(常に接続されたインターネット専用の高速回線)を持つ新潟・中郷小では、冬のこの時期、学校の積雪の様子をライブ中継している。校庭の一角を映し出す固定カメラの映像をホームページ上にリンクさせて、まさにたった今の様子を、理論上は地球上のどこからでも眺めることができるように仕組まれているのだ。百聞は一見にしかずで、これを見ると積雪量などの細かい数字からは湧かなかった実感が、すぐに湧いてくる。通信環境が整えば、このようなことまで可能になってくるわけだ。本校も、音楽会でのがんばりを多くの人に知ってもらおうと、本番でのビデオ音声を「リアル・オーディオ」でデコードし、ホームページ上に貼り付けた。これによって、理論上は世界中の人たちに、5年4組の合唱発表を聴いてもらうことができるはずだ。だが、通信環境に最も恵まれていないイラン・テヘランは、この雪の映像を見たくても見られないし、合唱を聴きたくても聴けない。なぜなら、イランではイスラム教の教義に反する情報が、インターネットを通じて外国から闇雲に流入してくるのを防ぐため、国じゅうがわざとオンラインでの接続ができない環境に置かれているのだそうだ(だのに、なぜ電子メールはやり取りできるのか、その辺りの技術的なことは皆目見当がつかないが)。その上たいへん不安定で、その分メール送信が遅れがちになるのだとか。メーリングリストは、最も恵まれない環境に合わせるのが原則。従って、各校ともホームページのことを話題にしたり、画像を添付したりすることは控えているのが現状だ。こうした通信環境格差の問題が解消され、もっとマルチメディアな交流がなされるようになると、そこで交わされる情報の質は、さらに高い物になるのは間違いないのだが。
 2つ目は、話題の質の問題。手前味噌で恐縮だが、我が川上小の加入によって、話題の質が急速に高まり、しかも頻繁なやり取りが交わされるようになってきた。とは言え、まだまだ話題には擦れ違いが多く、表現もせっかくの素材を活かしきれていない不十分なものが多い。その辺りをどう方向づけ、どう高めていくか、情報教育云々を言う前に教師の指導力と言うか、眼力そのものが問われると言えるかも知れない。
 3つ目は、時間確保の問題。朝と昼の2回気温を測定し、それにちょっとしたメッセージを添えて書き送ると言うのは、1回1回は大した作業ではないものの、それを毎日続けるというのは実に大変なことだ。小学校は実に時間的に窮屈で、しかも頻繁に行事などが組まれ、時間の確保はままならない。これは、高学年になればなるほど顕著で、ちょうど情報活用能力の高まりと反比例している。しかし、ゆとりがなければいい物は生まれないし、第一長続きしない。子どもたちに、活動のための時間をどう確保してやるか、今後の大きな課題である。

6 研究の成果と今後の課題

 我々は、「教室に魅力を」というテーマを掲げ、「情報ネットワークを活用し、心豊かな学習活動を創造することで、魅力的な教室を作ることができる」という仮説のもとに、本研究を行ってきた。その結果、以下のような結論を得ることができた。

(1) 「情報ネットワークの活用」について
 本研究では、「フェニックス」「メーリングリスト」という、まだあまり普及していない最新のシステムを活用することにより、教育活動の幅が大きく広がり、子どもたちにより大きな可能性を現出することができた。もちろん、それをさらに広範に、しかも継続的に行っていくには、まだまだ解決しなければならない課題も多い。だが、技術の進歩は日進月歩であり、今後さらに魅力のある機器が登場し、安価に提供される可能性は高い。そうした意味から、情報ネットワークの高度利用が、より加速されることを祈りたい。
 ただ、教育はあくまで子どもたちの人格の完成が目的である。情報機器を使うことそのものが目的とならないように指導者は十分留意し、時にはあえて機器から離れた活動を組むくらいの、本質を見抜く「眼」を持って臨まなければならない。そういう意味で、これからますます教師の質と自己研鑽が問われることになってくるだろう。
 また、高性能な機器というのは、一方で、悪用するにも高性能である。昨年末に報道された、インターネットによる毒物宅配事件など、使い方を誤ったいい例である。ただ、情報モラルの指導というと、とかく「〜べからず」の指導が中心になってしまいがちだ。もっと前向きに、有効な活用法を身をもって体験させておくことは、極めて重要なのではなかろうか。そうした意味からも、今回の実践のは極めて有効なものであったと自負している。

(2) 「心豊かな学習活動の創造」について
 子どもたちは、情報ネットワークの活用によって、普通なら決して出会うことない人たちと出会い、一定の関係を築いていった。これは、考えてみれば物凄いことである。
 もちろん、こうした関係については、しばしばマスコミなどで「バーチャルな関係」「希薄な関係」と断じられ、現代の若者の病理として格好の標的にされることが多い。だが、果たしてそうなのだろうか。大きな誤解があると思う。
 それは、「バーチャルな関係」や「希薄な関係」そのものが問題なのではない、ということだ。一目見て恋心を抱いた人に対してあれこれと想像を膨らませ、ラブレターを書き送る、なんていうのは昔からあったことだ。保育園児が、サンタさんにお手紙を書くことだってよくある。「バーチャルな関係」がいけないのなら、それらだって同時に断じないと話が合わないのだが、そういう評論は聞いたことがない。「希薄な関係」にしたって、それがいけないのなら国際文通などできはしない。問題なのは、そうした関係そのものではなく、それだけに閉じこもり、身近な人との関係を絶ってしまう本人の生活態度そのものにあるのだ。だからこそ、我々は常に実生活を振り返らせ、そことの融合を図りながら実践を進めてきた。また、学級での活動は基本的に共同作業である。実践に取り組むことで、身近な人と人とのつながりが強くなることはあっても、希薄になるということはない。
 「フェニックス」による交流の後、土浦に書き送ったお手紙の中では、ほとんどの子が「わたしのクラスには、**君という楽しい人がいます」「私たちの先生は、**先生という、とっても楽しい先生です」「熊本の名所は〜です」といったことを話題にしている。そこには、むしろ身近な場所を振り返るいいきっかけとなっていることはあっても、バーチャルな関係に甘んじて身近な関係を絶ってしまうような気配は、みじんもない。
 また、年末にアメリカがイラクに対する武力行使に踏み切った際には、すかさず「お隣のイラン(テヘラン)では、影響はないですか? みんなで心配しています。」という電子メールが飛んだ。数日後に、「ご心配かけてすみません。イラン、特に私たちの住んでいるテヘランは全然関係ありません。」という返事が返ってくると、クラスを挙げて喜んだものである。小学5年生なら、頭に残らないか、残っても全くの夢物語程度の捉えしかできないのが普通であろうが、海外との交流によって、そうした感性が研ぎ澄まされてきたわけだ。
 このように、情報ネットワークの活用によって、子どもたちにはこの上なく心豊かな学習活動を体験し、他の方法では決して身に付くことのない能力を身につけた。今後も、このような活動を、今後さらに充実発展させていきたいものである。

(3) 「魅力あふれる教室づくり」について
 今回の我々の実践により、子どもたちは生き生きと活動し、様々な能力を身につけた。大多数の子が、「ためになった」「楽しかった」「もっとやりたい」と答えた。こうした学習の場となった教室もまた子どもたちにとって、より魅力ある場所となったに違いない。
 そして、ここで忘れてならないことが、2つある。
 1つ目は、基本的にパソコンを使った授業は楽しい、しかしそのこと自体に甘んじてはならない、ということ。子どもたちは、パソコンが大好きだ。ある意味で、パソコンを使った授業というだけで満足する。ましてそれが、高性能なマシンによる珍しい使い方であれば、なおさらだ。しかし、そこで満足してしまっては、パソコン、特に情報ネットワークを使った授業の醍醐味は、味わえない。楽しいことそのものは、目的とはなり得ない。同じように、パソコンを使うことではなく、活用することが問われなければならない。
 2つ目は、楽しいことは大勢で共有したらもっと楽しい、ということだ。学級のみんなで、明確な目的に向かってみんなで話し合い、計画を練り、時には行き詰まり、試行錯誤し・・・そんあ活動を積み上げていくというのは、ひとりで同じことをやるのに比べてずっと思い出深いものになる。そして、その活動の場としての教室は、いつまでも深く心に刻まれることになる。ただ、そうした活動に耐え得るような目標というのは、日常の狭い世界からはなかなか生まれない。だが、そこに情報ネットワークが介在することで、一気に世界が広がり、あらゆる活動の可能性が広がる、ということが今回の研究から明らかになった。あとは、その可能性をどう活かしていくか、そこに今後の教育における最大の課題が横たわっていると言えそうだ。

○ おわりに

 ここまで述べてきたように、情報ネットワークは、人と人とをつなぐ重要な手段として、今後ますますその価値が評価されてくると思う。しかし、究極するなら「手段」でしかない。それを有効に活用するかどうかは、「人」の側の問題であって、「情報ネットワーク」がそのものが問題なのではない。
「フェニックス交流」の相手校となった土浦の山口・曳埜両先生とは、偶然にも今回の実践に際して知り合い、共同で研究を進めていくこととなった。実践にあたっては、遠方で通信費がかさむということもあり、連絡がままならず時には不安を覚えることもあったが、互いの努力と創意工夫で困難を乗り越え、立派な成果を上げることができた。この偶然の出会いには、大いに感謝したい。また、4年生各学級の担任である堀本・前田・平山と、情報教育担当で5年生担任の上村がTTを組んで授業を行うに当たっては、実施が上村学級の専科の時間に限られることから、時間割変更などでだいぶ無理を聞いていただいた。しかし、その甲斐あって有効な実践を展開することができた。こうした校内での協力体制、いわば人的ネットワークづくりが、今後ますます重要になってくると思われる。
 また、「温度測定プロジェクト」参加は、メーリングリストの管理者である小川先生(上越教育大)をはじめ、たくさんの方々の仲介の賜物である。また、参加各校の先生方とも、一度も会ったことも話したこともないのだが、そこは情報教育に携わる者の阿吽の呼吸で、何らトラブルなく順調にメールのやり取りが行われている。このように類い希な機会を得たことは、たいへん幸いなことであった。
 今後も、こうしたたくさんの偶然を大切にしながら、より確かな広がりのある人的ネットワークを築き、それを活かした教育活動を展開することで、引いては教室が子どもたちにとってますます魅力あるものとなるよう、努力を傾けていきたい。


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