平成8年度教育論文

教室に魅力を

−インターネットこの1年−

熊本市立川上小学校 教諭 上村 孝直

1997.1.14


< 目 次 >

はじめに

T 本研究のねらい

U 「インターネットと教育」をめぐる情勢

V 研究の実際

1.インターネット接続

2.ホームページ開設

3.「パソコン通信モデル校」委嘱

4.「スイカって、こうやって育つんだね」

5.ホームページ再び

6.「こねっとプラン」参加

W まとめにかえて〜「個人情報保護条例」の壁〜

1.「個人情報保護条例」に関する新聞記事

2.「個人を特定できる情報」と「個人を識別できる情報」

3.今、何をなすべきか


<はじめに>

 1年前のちょうど今頃、自分がいったい何をしていたかを考えると、全く空恐ろしくなる。なぜなら、標題のインターネットへの接続はおろか、買ったばかりのWindows95をまともに動かすことすらできなかった。それが今では拙いとはいえ自らホームページ作成に関わり、1日何十通もの電子メールをやりとりしているからだ。果たして来年の今頃は…まったく想像もできない。
 しかし、これは何も私に限ったことではない。書店の雑誌コーナーを覗けば、驚くほどたくさんのパソコン関係のものが、所狭しと並んでいる。そして、そのほとんどが「インターネット」を謳ったものである。それだけ、世の中の関心や需要が、急速に高まっているわけだ。
 本稿では、そのインターネットに真正面から取り組み、それを「魅力ある教室づくり」に生かしてきたこの1年の私の取り組みの様子を書き綴ることで、新たなステップへの礎としたい。

T 本研究のねらい

 本研究の中で明らかにしたいのは、以下のような諸点である。

 @インターネットは、たいへん有効な教育手段である
 最近、世間ではインターネットのマイナス面がしきりに強調されることが多くなった。それに便乗して、教育界でもいわれなき理由から、あちこちで利用に対する圧力がかかり始めている。したがって、ここでその有効性を明らかにしておくことは、大いに意義があると思われる。

 Aインターネットは、誰にでも利用できる
 手前味噌で恐縮だが、私はインターネットに関して何ら公的なルートで研修を受けたことはない。まったくの独学である。いや、だいたいパソコンそのものが、私が教師になってから個人的にやり始めたものだ。決して、大学時代にそういうのが専門の学部だったわけでも、過去そういう研究校に籍を置いていたわけでもない。逆に言えば、そんな私でさえできることは、誰だってやろうと思いさえすればできるはずだ。

 Bインターネットはコンピュータ活用の幅を大きく広げることができる
 本稿で述べる、私が勤務する春竹小学校(前任)と川上小学校(現任)は、どちらもごくふつうの公立小学校である。大学附属小のように選ばれた先生・生徒に、恵まれた設備と潤沢な研究費があるわけではない。まして、研究指定を受けて特別なコンピュータ教育を行っているわけでもない。もちろん川上小は、後述するように「パソコン通信モデル校」の委嘱・「こねっとプラン」参加校への選定を受け、現在は熊本市内で最も整った設備を有している。しかし、それはごくごく最近のことで、それも他の先進地に比べれば実に寂しく、お世辞にも「恵まれている」とは言い難い。しかしそれを逆に考えれば、春竹小学校・川上小学校で私が実践できることは、熱意さえあれば、どんな学校でも最低限これくらいは可能だ、という確かな指標になるはずだ。

U 「インターネットと教育」をめぐる情勢

 はじめに、今なぜこれほど「インターネット」が注目を集めているかについて、私なりの考えを述べることにする。
 中教審答申に、「すべての学校のインターネット接続」が盛り込まれて以来、教育界でもようやく「インターネット=情報ネットワーク利用」が急速に注目を集めるようになってきた。それには、私が考えるに、2つの大きな背景があると思う。

  ア.「学校」は「託児所」ではない
 一昨年夏、「国家100年の計」と題した模擬討論番組が、NHKで放送された。丹波哲朗扮する首相が、「いじめ」「不登校」などで行き詰まっている教育の現状を打開するため、学校制度の抜本的な改革を提言する。その柱が、現在の学校の廃止→情報ネットワーク(テレビ会議システム)による在宅授業、であった。それに対して野党が提出した代替案は、現在の学校制度を廃止するという一点では通ずるところがあるものの、学校そのものはすべて私立として残し、それぞれが「冒険学校」とか何とかの独自性を生かしたものに生まれ変わる、というものであった。
 たまたまこの番組を視聴した私は、極論するとこれを、「学校」対「託児所」の対立であると考えた。なぜなら前者の意見は、子どもたちに教えるべき体系化されたものを、いかに能率よく習得させるかと、いう考えに立った主張(=昔からの「学校」観)である。一方後者は、いかに子どもたちを喜んで学校に通わせるか(=親は後顧の憂いなく仕事に出かけられる)ということに重きを置いた主張である。
 本来、学校設置の目的は前者である。しかし今日の現状、とりわけ保護者の後者に対するニーズは、すでに無視できないほど高くなっている。そんな学校を「学問の場」として守ると同時に、しかも子どもたちを学校へ引きつけるような「魅力あるもの」というのは、「インターネット」をおいて他にはないのだ。

  イ.「インターネット」は学校に残された最後の砦である
 私には、今春高校受験の姪がいる。その母(=私の姉)の昨年最大の関心事は、「どこの塾に通わせるか」であった。そして、郡内で最もハードだと評判の塾に通い始めた姪は見る見る成績を上げ、塾の先生からも「今の成績なら、志望の○○高校は大丈夫ですよ」というお墨付きを貰うに至った。そんな姉の嬉しそうな姿を見ながら、肉親である一方で公立学校の教員でもある私は、実に複雑な気持ちになる。「中学校の先生は、何をやっているのか?」と。
 しかし、それを私のクラスに振り返って考えて見れば、さもありなんと思い当たることが山ほどある。水泳大会のリレーで優勝の原動力となったのは、スイミングの選手コースで鍛え抜かれた子。音楽会の伴奏者は、ピアノの先生に小さい頃から個人レッスンを受けている子。毛筆大会で入賞したのは、すべて習字教室に通っている子…。
 そういえば、2年前の謝恩会である母親から聞いた言葉は、今でも私の耳から離れない。某有名中学に合格したその子の母親は、真に私への感謝を込めて語ったのであるが、その言葉は「先生のおかげで、うちの子はとても勉強が好きになって、それで5年生から塾に行き始めたんですよ!」という、公立学校の教員たる者としては、決して素直には喜べないものであったからだ。
 今や、小・中学校はもちろん、高校・大学も含めて、学校で教えていることが世の中の一流だ、ということは皆無と言っていいだろう。そんな中で唯一残されたもの、それが「コンピュータ教育」であり「インターネット」であるわけだ。この最後の砦を最大限に生かしながら、学校の存在意義を保っていけるかどうか、今まさに正念場ということができよう。

V 研究の実際

 1.インターネット接続

  (1) インターネットとの出会い
 さて、このような背景の中で、私がどのように「インターネット」に出会い、それに取り組んできたかについて、話を始めよう。
 私自身が「インターネット」に出会ったのは、ほぼ2年前のことである。H6年11月、小国町で行われた「ひのくにねっと」というパソコン通信ネットワークの交流会で、NTTの方が実演をされた。さらに同月末、流通情報会館で行われた「くらしと情報化展」でも、同じ実演を見た。たまたま担当者の岸田和文さん・本田治子さんは、以前から「ひのくにねっと」を通じた知り合いであったので、私は親しく話す中でいくつかの質問し、最新の情報を得ることができた。だが、このころはまだ、ショーウィンドウの中に飾られている高価な宝石を見るような気分で、まさか自分が後にそれを手に取ったり身につけたりする事になるとは、考えもしなかった。
 ただ、このころからパソコン専門誌にもちらほらとインターネット関連の特集や記事が載るようになってくる。幸いにも予備知識を持っていた私は、分からないなりに関心をもってそれらに触れ、その中からなにがしかのものを吸収できたのは、実に幸いなことであった。
  (2) インターネットの意識化

 転機は、突然やってきた。
 H7年8月、私はかねてからのパソコン通信仲間である、愛媛県喜多郡長浜町のトヨシゲ(大野茂久)さんを訪れた。トヨシゲさんの本業は専業農家であるが、町おこしグループが主催するパソコン通信「赤橋ネット」運営の中心として活躍される一方で、地元豊茂地区の子どもたちを集めて「ピコピコクラブ」という社会教育のパソコン教室を主催しておられる。その前年(H6年)夏に私がニュージーランドへホームステイした折りは、そのピコピコクラブとで国際チャットをやり、大いに感動し合ったものだ。ちょうど「長浜町・海の祭典」という夏祭りが催されるのを機会に、私も初めて長浜町に足を運んで、トヨシゲさんとの感激の対面を果たしたわけだ。
 さて、その夜はトヨシゲさん宅にご厄介になって、翌日「松山からパソコンに詳しい人が来て、『町づくり委員会』のパソコンをインターネットにつなぐための設定をしてくれる」というので、私もついていくことにした。何でもトヨシゲさんは、すでに松山大学でインターネットに関する講習を受け、そこでもらったアカウント(接続資格)を使って接続すべく、雑誌の付録などを駆使して何度も挑戦し、ことごとく失敗していたそうだ。そこで、援軍を呼んだのだという。
 ショックだった。これまで、一部の先進的な情報産業としか縁がないと思っていたインターネットに、どちらかと言えば私よりもさらに縁のなさそうなトヨシゲさんが…少々焦りを感じた。
 松山からやって来たのは、愛媛新聞社の宮本秀明さんだった。愛媛新聞社は「アクセス愛媛」というパソコン通信ネットワークを運営しており、その中心人物が宮本さん。ちなみに「アクセス愛媛」は、愛媛県内のパソコン通信ネットワークに「共通ボード」設置を提唱し、それに必要な技術的情報や多大な労力を提供するなど、たいへん先進的な役割を果たしてきたところである。
 宮本さんは、今思えば、Windows3.1を使ってインターネット接続する際に不可欠なソフト、すなわち「WinSock」の一種である「トランペット」をインストールし、トヨシゲさんのアカウントを設定した。と言ってもそれは英語版であったから、当時の私にはただ「訳のわからない、凄いことをやっている」という以外理解できなかったが…。さらに実際に電話をかけてインターネットにつなぎ、アメリカのサイトから「ネットスケープ」の最新版をダウンロード。それをさっそくインストールし、あちこちのホームページを覗いて回った。14.4Kのモデムを使っていたためスピードは遅いものの、確かにあのNTTの実演で見たのと同じものが、今、目の前のパソコンに映っていた。これは、当時の私には驚異に値することだった。
 私もぜひやりたいと思った。しかし、宮本さんは「一般の人がインターネットにつなぐには、プロバイダー(接続サービス会社)と契約する必要がある。九州ではすでに大分や福岡にはあるが、熊本にはまだない。大学かどこかの協力を得ないと、インターネット接続はまだ難しい」と語り、一筋縄では行かないのを痛感させられた。

  (3) インターネットへの道のり
 しかし、縁は異なもの。9月初め、前出のNTT本田さんが結婚して東京へ行くことになり、その送別会をパソコン通信仲間で催した際、岸田さんと再び親しく話す機会を得た。岸田さんは、熊本ではインターネットでこの人の右に出る者はない、という電子応用機器研究所(電応研)の中島泰彦さんを紹介してくれた。このころすでに電子メールだけは、パソコン通信のNifty経由でインターネットへ送ることができたので、さっそく連絡をとった。中島さんからは、「いつでも電応研にいらしゃい。あなたがやりたいことを、伺いましょう」という返信をいただいた。
「あなたがやりたいこと〜」と言われて、私は戸惑った。それまで「インターネットにつなぎたい」という願望はあったのだが、ではつないでから何をするのか、というのは全く頭になかったからだ。中島さんには「運動会の翌日(代休日)に伺わせて下さい」とお願いしたものの、具体的なアイディアはまったくない。一体どうしたらいいのか…。
 しかし、ここでも私に道を開いてくれたのはトヨシゲさんだった。運動会も間近に迫ったある日、トヨシゲさんから電子メールが届いた。「『町づくり委員会』のホームページを作りました。ぜひ機会があったら、覗いてみて下さい」と。「そうだ、ホームページだ。これまで情報を受けとることばかり考えていたけど、発想を変えて発信することに使ってみたら、どんなにかおもしろいだろう」そんなアイディアを持って、雨で一日延びた運動会翌日、私は電応研を訪れた。
 電応研は、本来企業などから技術的な相談に乗ることを生業とし、2時間を越えれば幾ら、というように相談料金もきちんと決まっているらしい。しかし、自ら「私の時計は進み方が遅くて…」と苦笑する中島さんは、それを遥かに上回る長時間、厭な顔一つせずに付き合ってくれた。トヨシゲさんの開いたホームページの実際の画面も見せてくれ、「ここは、こういう仕組みになっているんですよ」と解説し、私のつまらない質問にもいちいち丁寧に説明してくれた。残念ながら当時の私には、それでもあまりよく理解できなかったが…したがって、私の拙いアイディアなど披露すべくもなかった。ただ、この日聞いた言葉の中で、今でもはっきりと脳裏に刻んでいるものがある。「これからの教育は、これを抜きにしては語れなくなる」と。

 2.ホームページ開設

  (1) ついに仮接続
 11月に入ると、ますます事態は急展開する。その2ヶ月前の9月、県教委の「ニュータッチ計画に基づく研究グループ助成」に、春竹小3人・桜木中2人で作った自主的な研究グループ「熊本教育情報ネットワーク研究同志会」から助成申請を出し、助成決定の通知を受けた。
 この事業は、本来教材ソフト開発を目的としている。我々は、ソフト開発はプレゼンテーション作成ツール「KiT」を使うこととして(後にインターネット上より入手した「KiT95」に変更)、教材は社会科の「日本のいろいろな地域」を題材に決め、それに必要な画像を集めるための手段にパソコン通信やインターネットを用いるため、準備に入った。そして、本屋に並んでいた「インターネット・スターターキット」を購入し、その付録ソフトを使ってASAHIネットに入会。ただ、当時のASAHIネットは高速なアクセスポイントが福岡にしかなかったため、電話代の心配から設定を済ませたノートパソコンを市教育センターに持ち込み、試験的につながせていただく。成功。電応研で見たトヨシゲさんのホームページと同じもの(当たり前だが)が、自分のパソコンの画面に現れたときの感動は、今でも忘れない。
 この接続成功には、後に思えば大きな意味があった。なぜなら、何気なくASAHIネットのホームページからリンクをたどって眺めていた私に、「教育関係者の方歓迎!!」の文字が飛び込んできたからだ。これは、埼玉県立大宮工業高校の先生である梅沢晃さんのホームページで、そこからたどって「TEAchers NET」のメーリング・リスト(以下MLと略す)を知ったのだ。
 MLというのは、電子掲示板を持たないインターネット上で編み出された、とても手軽な広報手段である。ある情報をたくさんの人に知らせたいとする。しかし、1通1通電子メールにして送るのはたいへんだ。そこで、ある特定の宛先(ML投稿用アドレス)に電子メールを送れば、自動的にそのMLに登録している全員に全く同じものが転送される。当然自分には全然関係のない物も送られてくるが、そんな物はマウスの操作ひとつですぐに消して、読み飛ばせばよい。
 さっそく「TEA NET」に登録。驚いたことにそこには、10年前に私が学級でパソコン通信に取り組むきっかけを作ってくれた東京の蓮見信夫さんや、前出「KiT」の作者パスカル(加藤譲)さんらもいた。この後、この方たちからの様々な話題やアドバイスに刺激を受けることができたおかげで、私は様々な困難もめげず、インターネットへとひた走る力を得ることができたのだ。

  (2) Windows95導入
 さらにそのころ、水前寺にオープンした「インターネット・カフェ」の設立会社MCAが、近く熊本初のプロバイダー事業を始めるという噂を聞き、さっそく出向く。すでにそれなりの知識を得ていた私は、スタッフの迷回答に若干の不安を覚えはしたものの、その場で契約。同時に、発売されたばかりのWindows95をあらかじめインストールした、最新型のパソコンを購入。ついでに28.8Kの高速モデムも買って設定を終え、事業開始の12月8日をひたすら待つ。
 いよいよ開始当日、すぐにアクセス。電話はつながった。だが、途中で意味不明のメッセージが出てしまい、何度やっても、いくらあちこちいじってもダメ。折しも、流通情報会館で行われていた「暮らしと情報化展」のマイクロソフトのブースで、同社の技術担当者から改めて設定方法を習うことができたので、喜び勇んで再挑戦。しかし、それでもダメ。実はこれ、NEC版のバグ(プログラム上の欠陥)が原因だったのだが、当時の私には知る由もない。
 パテーションを切り直し、Windows3.1&WinSockでやっても結果は同じ。学期末の繁忙期にもかかわらず、連日連夜徹夜で悪戦苦闘を続けるが、ことごとく失敗する。
 早くも冬休み。年賀状を書きながらひらめいた私は、中学時代からの友人鬼塚英雄君に連絡を取った。あのニュージーランドとの国際パソコン通信で、技術的なアドバイスをしてくれた彼は、私の予想通り当時はすでにインターネットにも詳しかった。すぐに家に呼び、設定を頼む。タウンズ・ユーザーの彼は、Windows95の知識は全くなかったが、「ともかくつながればいいから」と、使い慣れたWindows3.1&WinSockで完璧と思われる設定を済ませてくれた。しかし、やっぱりつながらない。彼はその後も、持ち帰っていろいろ研究してくれたが、結果は同じ。しかも、プロバイダーに電話で質問をしても、まともな答えは返って来ないという。「プロバイダー側に、何らかの欠陥があるのではないか?」というのが、私と彼の最終的に行き着きかけていた結論だった。

  (3) ついに接続成功
 しかし正月2日、ハルハル(春田克彦)さんが「ひのくにねっと」の電子掲示板に書き込んだメッセージを見て、愕然とする。ハルハルさんとは、県の農業試験場(当時は球磨郡)に勤める傍ら、自分でパソコン通信ネットを主催しておられる、たいへんバイタリティーあふれる方だ。 書き込みの内容は、ハルハルさんが自分のホームページのデーターを、Niftyを通じてftp(ファイル転送の規格)で「ニューコアラ」(大分)に送り込み、それを私と同じプロバイダーを通じて検証した、つまりうまくながった、というものだった。しかもその時、Windows95を使ったというのである。すぐに、熊本市内に帰省中のハルハルさんに連絡をとった。あいにく正月休み中のことで、ようやく電話をもらったのは5日、すでに球磨郡に帰られた後だった。それでもハルハルさんは、長距離電話を厭わず、「画面を開いて下さい。(電話で話しながら)設定をしていきましょう」と言ってくれた。私はあわてて、手元のノートパソコンを開く(レジュームしているのですぐ電源が入るから)。後に思えば、この偶然が私にとって幸運だった。
 ハルハルさんの指示通りに、各所を設定する。すでに試行錯誤を繰り返していた私にとって、特に目新しいところはない。でも、ものは試し、やってみよう。ノートパソコンにモデムをつないで、電話をかける。いつもなら、この数秒後に意味不明のメッセージが出ておじゃんになるのだが…「あれっ、つながった!」そこには何と、夢にまで見た「接続しました」の文字が現れたのである。すぐに「ネットスケープ」から「OPEN」を開いて、トヨシゲさんのホームページのアドレスを打ってみると、そこにはあの「町づくり委員会」のホームページが! 続いて、ハルハルさんのホームページへ。おおっ、これもちゃんと見れる!! まさに感動ものだった。
 念のため、一旦電話を切って再びダイヤル。やはりちゃんとつながった。これならノートパソコンは完璧。あとはこの通りにデスクトップも設定すればつながるはずだ…早速設定し直す。特別何を変えたというわけではないが、「技術的なことを分かる必要はありません。私たちは、とにかくインターネットにつながればいいのです」というハルハルさんの言葉を思い出しながら、さっそくダイヤル。しかし…「あれっ、やっぱり同じだ!」 再び、ノートパソコンの画面と比べながら、設定を見直す。すべてノートの通りにしてある。唯一違うのは、モデムの設定速度だけ。ノートは旧式なので制限一杯の「19200」で止めてあるが、デスクトップは大勢の人に習った通り、モデムの最高速度の2倍の「57600」にしている。だが、新型のこのデスクトップは「115200」まで対応しているので、全然問題ないはずだが…。ほとんど期待もせずに、通信速度をノートと同じ「19200」に落としてからダイヤルしてみると…「あれっ、つながった!」かくして、念願の自宅からの通信環境が整ったのである。
 後日談になるが、2月下旬の「月刊アスキー」の記事で、私は「NEC版 Windows95」の中にたくさんバグがあり、その中の一つが「シリアルポート(RS232C)のドライバーに不具合があって、高速での接続ができない」であることを知った。私は半信半疑で雑誌の手順に従い、NECのホームページからバグ修正用プログラムをダウンロードして実行してから、さっそく通信速度を「57600」に上げてダイヤルしてみたところ…ちゃんとモデム最高速度の28800でつながったのである!! 私の頭をあれだけ悩ませたのは、単にメーカーのバグだったのだ。
 ただ、この騒動を通じてWindows95の隅々を見て回った私は、一気にそのエキスパートとなったのであるから、「人生万事塞翁が馬」である。

  (4) ホームページ開設宣言
「熊本教育情報ネットワーク研究同志会」の事業内容は、あくまで情報ネットワークを利用して集めた資料を使ってのソフト開発である(その事業に絡んだ実践等については県への報告文書で詳述し、近く冊子になるのでここでは触れない)。しかし、やはりホームページは作ってみたい。幸い、前出の「インターネット・スターター・キット」にはホームページの作り方も少し載っていたし、それをもとに契約したASAHIネットには無料でホームページのデーターを置ける場所が5Mもあった。これを利用しない手はない、いつかホームページを作ってみよう。こうした思いは、早くからあった。そんな私の思いに火をつけたのは、またもトヨシゲさんである。
 ようやくインターネットに本格接続を果たした興奮も少しはおさまった1月中旬、トヨシゲさんが「赤橋ネット」の電子掲示板にこう書いていた。「2月17日(土)に、町づくり委員会で、町民を対象にしたインターネットの講習会を開きます。その際、ネット・サーフィンするのに、どこかお勧めのホームページはありませんか?」と。これに一念発起した私は、すぐに書き送った。「じゃあ、その2日前の15日までに、私たちのホームページを完成させます。ぜひ見て下さいね」と。さあ、もう後には引けない。
 最近でこそ「便利なホームページ作成ツール」が星の数ほど手に入るが、当時は「ホームページづくり」とは言っても、結局はワープロ文書の間に「タグ」という表示方法の命令語を埋め込んでいく、試行錯誤と根気だけが頼りの作業だった。おまけに、スキャナーで写真を読むのも初めてだったし、ビデオキャプチャーはボードを持っていなかったのでCan-Beを購入したばかりの本荘小(そんな機能があるとは誰も知らなかった)に押し掛けたり、と手探りの毎日だった。

  (5) ホームページ立ち上げ
 そんな中でも、時代は確実に流れていく。2月に入ってすぐ、城西中の本田先生から「ホームページを立ち上げた」という知らせをいただく。熊本市立の学校で初めての立ち上げを目指していた私は、少なからずショックを受ける。同時に、もう先延ばしできない、と決意を新たにする。
「こんなのをホームページにできたら」というアイディアはたくさんあったが、結局できたのはその半分もなかった。でも、期限は期限。2月14日昼、森章三校長先生(当時)にすべての画面を見てもらってOKをいただいた上で、深夜、世はバレンタインで浮かれているのを尻目に私は一人寂しくパソコンに向かいながら、出来上がったホームページのデーターをASAHIネットに転送した。さっそく、インターネット上からネットスケープで検証。ちゃんと画面に映った。こうやって、見も知らぬ世界中の人たちが眺めてくれるのかと思うと、涙が出るほど嬉しかった。そのかわり、バグもたくさん発見して、数日間はその修正に大わらわだったが…。

  (6) ホームページ立ち上げの反響
 小天小に次いで熊本県内の小学校では2番目、熊本市内では城西中に次いで2番目、という春竹小学校のホームページ(正確には「『熊本教育情報ネットワーク研究同志会』の中の春竹小に関する部分」だが、以下も便宜上そのように表現する)は、すぐに各方面からの感想がメールが届いた。すべて「子どもたちの生き生きとした様子がよく伝わってきた」「作文がとても上手でびっくりした」等々の好意的な内容であった。中でも、九州東海大の山中守先生から「ホームページのコンセプトがしっかりしていて、たいへんすばらしい」とお褒めをいただいたのは、子どもたちも私も、たいへんな励みになった。
 肝心のトヨシゲさんは、インターネット講習会の中で春竹小のホームページを例示しながら、学校での活用を熱っぽく訴えたそうだ。その刺激を受けて、「赤橋ネット」会員のうち3人の先生たちが、俄然パソコン通信に熱心になったという。この先生たちが、今では情報化の追い風を受けて、長浜町や河辺村当局を動かし始めているようだ。

  (7) 春竹小との別れ
 春は異動の季節。私も、川上小への異動を命じられた。4年続けて自宅近くへの異動希望を出していた私は、「どうせ今年も留任さ」と高をくくっていた。それが、思わぬ異動。それもよりによって、校内研の講師として招かれた川上小とは。そう言えばあの時、校長室で「こんなに自宅から近い学校に転勤できたらいいですね」と言った覚えも…。
 しかし、いざ異動が決まると、後ろ髪を引かれるのも事実。パソコン購入に理解を示し、翌年度にも可能な限りの予算投入を計画していた(事実、翌年度には最新型の本体,スキャナー,デジタルカメラ,ビデオプロジェクターまで購入)事務の重松先生からは、「あなたがいなくなったら、すべての構想が狂ってしまう」と言われてぐらっとくる。研究グループの仲間の竹田先生・西先生からも「これからももっとたくさんのことを教えて欲しかったのに」と言われる。何で異動の希望なんか出したんだろう、と一時後悔したのは事実。でも、辞令は辞令。「呼んでいただければ、すぐに駆けつけますから」そう言って、萎えそうになる自分の気持ちを断ち切った。

 3.「パソコン通信モデル校」委嘱

  (1) 新任校の環境
 新任の川上小へ挨拶に行き、徳永哲哉校長先生らよりお話を伺う。
 川上小には、「マイタッチ計画」で県より来た(FM77)3台に加えて、旧北部町時代に導入した(FM77)17台があり、そのための「視聴覚室」がある。これまで2年間にわたって、「日本語入力」を中心に据えた情報教育を校内研のテーマにしてきた。2年前に実践校予算でマッキントッシュのパソコンを導入しようとして指導課からストップがかかったこと、前年度には独自に通信回線を引こうとして施設課と一悶着あったこと、など私にとって心強い話も多かった。
 ただ、本年度からは環境教育にテーマを切り替えることになっている。「先生が来てくれると分かっとったら、そのまま情報教育にしとったとにねえ」という校長先生の言葉に少し落胆しながらも、「その方が、気楽に取り組めるからいいや!」と気を取り直す。
 コンピュータ教育担当者(=視聴覚室の管理者)に決まった私は、校長先生の許可を得て、さっそく春竹小に置いたままだった旧式の(PC98)5台を運び込む。すべて、新型を買った友人から「捨てるよりは」とタダで貰ったり、学生の引っ越しシーズンのゴミ出し日に熊大の近くで拾ったりした、ふた昔前の代物ばかり。それでもだましだまし使えば、パソコン通信用の文書(テキスト文書)を子どもに打たせるには十分である。それを置くための十分なスペースが、床電源やエアコンまである視聴覚室に確保できたのは、私にとってたいへんな幸運だった。なぜなら春竹小で、私はそのための「図書準備室」のスペースが欲しくて、2年間煩雑で誰もやりたがらない図書担当者の仕事を黙ってやり抜いたのだから…。

  (2) 新しい子どもたちの実態
 いよいよ新年度のスタート。私は、5年1組の担任と決まった。教室は、偶然にも視聴覚室に一番近い。学級の児童は、男子19人・女子14人・計33人。よく言えば純朴だが、悪く言えば打てば響くものがない。典型的な「田舎の子」である。不安がよぎる。
 案の定、スタート間もないある雨の日、中止した体育のかわりにワープロを打たせてみることにした。私の「この学校では、ワープロにずいぶん力を入れているようだね」という投げかけに、子どもたちは口々に自分たちが低学年からずっと、いかにワープロ経験が豊かで習熟しているかを語った。では、と課題を与えて実際に打たせてみると…びっくりした。かつての教え子たちなら半年もたたないうちに、3〜4人一組でやれば、少なくとも「ええっと『k』は…」などとキーをさがしたり、ましてローマ字表を見に行く組があるなど考えられない。それが、ほんの少しの例外を除いてすべてそうなのである。いかに子どもたちの話が宛にならないか、逆に言えば私の春竹小での実践がいかに子どもの(家庭等で身につけられた)能力に依存していたか、を見せつけられた思いがした。
 しかし、「転んだらシメタ」。すぐに思いかえる。過去の遺産(性能の劣るFM77の操作技術)にはまったく思い残しなく、PC98に移行できる。それに、この子たちを本物のパソコンの達人にすることができれば、それは正真正銘私の実践の成果である、と。

  (3) 「パソコン通信モデル校」委嘱へ
 新任校での新たな実践を始めるきっかけは、案外早くやってきた。
 5月の初め、市教委より「パソコン通信モデル校募集」の文書が届く。小学校5校・中学校5校・高校1校の計11校を「パソコン通信モデル校」に指定し、将来の「熊本市教育情報ネットワーク」構築へ向けての実践研究を行う、というものである。そして、それには通信用端末(パソコン)1台・電話回線1本・通信費および通話料付きという、これまでそのすべてを手出しでやってきた私などからすると、夢のように破格の条件であった。
 直ちに応募用紙を書いて、職員朝会にかける。異論は全く出ず、すんなり了承。すぐに応募し、返事を待つ。あちこちの学校から「うちも応募した」という話を聞き、不安を覚える。春竹小の竹田先生からも「うちも応募しました。うまく選んでもらえるといいな」という電子メールをいただいたので「はい、また一緒にやれるといいですね」と返事を書き送る。
 数週間後、川上小はモデル校に決定した旨の通知が届く。やった!! しかしそこには、「春竹小」の文字はなかった。竹田先生やかつての教え子たちのがっかりした顔を思い浮かべ、心の中で手を合わせながら、その分までがんばるぞ、と決意を新たにする。

 4.「スイカって、こうやって育つんだね」

  (1) 地域教材へのこだわり
 モデル校には決定したものの、実際に機器が配当されて通信環境が整うのは、まだまだ先。しかし、それを待ってはいられない。とりあえず、それを見据えた実践を開始することにする。
 少し話は遡るが、私は転任当初から、いつか地域教材として「スイカ」にこだわってみたいと考えていた。幸い、5年生の社会科で最初に出てくるのは「農業」。教科書では「米作」に続く「畑作」では、キュウリが取り上げてある。しかし、川上校区は全国一のスイカ産地植木町に隣接していて、やはりスイカづくりが盛ん。聞けば、私のクラスにもスイカ農家の子どもが数人いる。これを生かさない手はない。ここで、スイカづくりの秘密を学習に生かせないだろうか…。
 これには伏線がある。前年度、春竹小3年生の実践で、「ひのくにねっと」の仲間である田山裕明さん(球磨郡錦町)・鶴山正行さん(八代市)の2人のメロン農家の協力を得て、プリンスメロンと肥後グリーンとの育つ様子を比較し、それを作文にまとめる、という国語の授業をした。その中で最も印象的だったのは、肥後グリーンのネットは初めからついているのではなく、初めはつるんとしていて十分な大きさになってから一面にひびが入り、そこが盛り上がってネットになる、ということだった(特にそのビデオを授業参観でいっしょに見ていた保護者からは驚きの声も上がった)。そんな思いもしなかったような、それでいて農家にとってはごく当たり前で気にもとめていないような秘密が、きっとスイカにもあるはずだ。私には、そんな読みがあった。

  (2) 取材
 4月末の家庭訪問。ここはと思われる家で、それとなく投げかけてみる。幸い、小佐井亮祐さんが、すぐに興味を示してくれた。「メロンのネットが後から出る」という話をすると「先生、そら当たり前じゃなかですか」と言われる(後に知ったことだが、ここも数年前までネットメロンを作っておられたそうだ)。「あなたにとってはそうでしょう。でも、子どもたちやよその人たちにとっては、決して当たり前ではないんですよ。そんなことを学習に取り上げ、さらにパソコン通信やインターネットに流すことで、本当の理解につながっていくのです」と口説き落とす。
 連休初日の5月3日、ハウスにおじゃましてスイカづくりの様子をつぶさにビデオに収める。小佐井さんは、カメラを向けるとずいぶん緊張されたが、それでも育苗から定植・脇芽かぎ・ミツバチ交配・摘果・収穫と至るプロセスを、実物を示しながら分かりやすく丁寧に説明して下さった。それらをすぐに子どもたちに見せられるよう、1本のテープに編集し直した。

  (3) 川上小での「スイカについてのアンケート」結果
 ネットワークを意識したスイカの学習に入るに当たって、私はひとつの大きな流れを考えていた。子どもたちにアンケートをとって、後日同じものを全国各地の学校で実施していただく。その結果の比較を踏まえて「ふだんあなたたちがよく見聞きして、『当たり前だ』と思っていることが、実は他の地域の人々にとっては当たり前でも何でもない。だからスイカのことを知らないよその人たちに、スイカについてくわしく教えてあげよう」(つまり、うちの子はスイカのことはバッチリだ、という前提)。そのために、右に掲げたようなアンケートをとったのだが、結果をまとめた私は、あまりの驚きに声も出なかった。

「スイカ」についてのアンケート

1.あなたについて教えて下さい。
(1)あなたは何年生ですか? [ 5−33人 ]年生
(2)男子ですか女子ですか? (男子−19人  女子−14人)
(3)スイカは好きですか?  (すき−27人 どちらでもない−5人 きらい−1人)
(4)スイカをよく食べますか?
    (よく食べる−5人 けっこう食べる−19人 ほとんど食べない−9人)
(5)スイカが育っているところを見たことがありますか?
  (実際にある−7人 テレビや本でならある−13人 ない−13人)

2.スイカについて、あなたがどれくらい知っているかの質問です。
(1)スイカは、どちらの仲間ですか?  (やさい−31人  くだもの−2人)
(2)どうやってふやしますか。
    (チューリップみたいに球根を植える−2人 サツマイモみたいにさしめする−19人
      トマトみたいにたねをまく−12人  ミカンみたいに木にならせる−0人)
(3)自然の中で(あたためたり冷やしたりせずに)育てたら、いつ実ができますか?
      (春−4人 夏−23人 秋−5人 冬−1人)
(4)スイカを作る農家では、いろいろな工夫をして、いつごろからいつごろまで、実を出
  荷していると思いますか?
      [12〜8:平均4.8]月から[2〜11:平均7.5]月まで
(5)できた実は、ふつう1個でどれくらいの重さがあると思いますか?
        [1〜70:平均16.9]キロくらい
(6)それを、農家では1年間におよそ何個くらい生産していると思いますか?
        [10〜3000:平均340.5]個くらい
(7)熊本県のスイカの生産高(何円分のスイカを生産したか)は、47の都道府県のうち、
  多い方から何番目でしょうか?    [1〜41:平均16.1]番目
(8)熊本県で作ったスイカは、どこで一番食べられているでしょうか?
     (熊本県−4人 福岡県−13人 大阪府−10人 東京都−6人)

 この結果を、小佐井さんのお母さんが娘のバスケット部のお迎えに来られた際に、一足先に見ていただいて感想を伺ったところ、以下のようなコメントをいただいた。ずいぶん言葉を選びながらの小佐井さんのコメントには、「突飛でない」とは言いながらも、驚きの様子がありありと伺える。

 意外に、みんな突飛な考えではないな、と思いました。
 ですが、2-(2)の「差し芽で増える」と思っていた子が多いのには、驚きました。1-(5)も、もっと実際に見ている子が多いかな、と思っていました。みんな、自分のうちにないものには、興味がないのでしょうか? 意外と本物を知らないんですね。ただ、1-(3)で「すき」と答えた子が多かったので、ホッとしました。1-(4)でも、「けっこう食べる」という子が多いので、よかったです。でも、生産者としては、もっともっと食べてほしいですね。

 私は不安になった。「このアンケート結果は、本当に川上の子どもたちの実態を反映しているのだろうか? ひょっとしたら、このひと月の様々な会話の中で、何かしら固定観念を植え付けてしまっていないだろうか?」と。ちょうど、隣の5年2組の小林和子先生が、所用で午後出かけることになった。小林先生はパソコン通信にたいへん興味を持っておられ、昨年度6年生を担任中に、女性差別などに関する情報をパソコン通信から入手して学習に役立てる、という研究授業をされた方である。事情を話して、その時間にアンケートをとらせてほしいと頼むと、すぐに快諾してくれた。私は、できるだけ何も説明を加えずにアンケートをとり、直ちに集計。程度の差はあるものの、やはり傾向はほぼ同じ。翌日結果を知った小林先生も、たいへん驚いていた。

  (4) 全国での「スイカについてのアンケート」結果
 当初の私の予想(半分期待)は、「スイカのことをよく知っている川上の子」「ほとんど知らないよその子」だったのが、早くもその前提が崩れてしまった。しかし幾ら何でも、「ほとんど知らない川上の子」なら、「何にも知らないよその子」となるはずだ。そう思いながら、全国アンケートにとりかかった。
 ちょうどそのころ、東京・野間先生の尽力で「キッズ・リンク(子どもの輪)」というMLがスタートした。私も、長陽中の堀尾直史先生の紹介で、さっそく登録。すでに、全国各地の熱心な先生やたくさんの子どもが参加し、活発なメール交換がなされていた。
 そのキッズ・リンクに、前出のアンケートを流す。こういう取り組みというのは、反応があなた任せなのが怖いところだが、幸いにもこれまで他愛のないおしゃべりばかりだった中に1つのテーマを掲げた新鮮さが受けて、予想以上の数の、しかも広い地域からの回答を得た。これに本校職員の娘さんや、以前からのパソコン仲間の協力で得られた県内の分を合わせると、以下のように9つの学校のデーターが集まった。
 ○熊本市立清水小(10人) ○熊本県玉名郡天水町立小天小(36人) ○鳥取県中山小(34人)
 ○広島市立長束小(80人) ○愛媛県河辺村立河辺小(26人) ○滋賀県大津市立長等小(31人)
 ○東京都江北小(35人) ○宮城県仙台市立片平丁小(32人) ○山形市立第4小(1人)
その結果を集計した私は、愕然とした。「何にも知らないよその子」なんて、とんでもない。実態は、「なかなか知ってる他県の子」「少しは知ってる熊本県の子」「ほとんど知らない川上の子」だったのである。とりわけそれが顕著だったのは2-(7)の熊本県のスイカ生産高の順位予想で、県内勢の平均が川上小:14.9,清水小:10.7,小天小:17.0とすべてふた桁であるのに対して、県外勢は中山小:2.8,長束小:5.4,河辺小:7.7,長等小:3.9,江北小:5.7,片平丁小:4.3,第4小:1.0と、格段に正解(1位)に近い数値となっているのだ。

  (5) 「スイカって、こうやって育つんだね」の作文
 この結果を知った子どもたちの中には、さすがに「こんなことではいけない」という危機感が広がった。それをバネに、次なるステップに進むことにする。
 子どもたちに、小佐井さんのご協力でスイカの生育する様子をビデオに撮ってあることを告げ、国語の時間にそれを作文にまとめること、さらに社会科の時間にそれらをHTML形式のパソコン・ファイルにまとめて授業参観でおうちの人たちに見て貰うこと、の2つを提案した。子どもたちは俄然乗り気で、たいへん熱心にビデオを見てメモを取り、構成や表現を工夫して、力作を完成させていった。その一例を、以下に掲げる。

     「熊本県のスイカ」   熊本市立川上小学校 5年1組  なつみ

「今からアンケートを行います。」
先生が、みんなに紙を配った。みんな、アンケートの質問に、一生懸命答えている。私にとって、このアンケートは、とてもむずかしく、「これだ。」と、完全に分かったのは、あまりなかった。なんとかアンケートが終わって、提出した。みんな、
「あれ、なんて書いた。」「わたしはこう書いた。」「えー、私はこうかいちゃった。」
などと、アンケートのことを話している。その後、先生が答えを言った。私が、みごと大まちがいしていたところは、1年の生産量だ。本当は、2万こくらいなのに、私が書いたのはたったの60こ。「これでくらしていけるはずがないよなあ。」と、自分でも思った。あと1つ、スイカ1この重さだ。私は、1こたったの1キログラムと書いていた。正しい答えは、5キログラムくらい。母にも言われたが、1こ1キロだったら、小玉スイカだ。そう思と、「なんでこんなのまちがえたのかな。」というようなまちがいばかりしていた。
 アンケートをして、何日かすると、あすかさんの家から撮らせてもらったビデオを先生が見せてくれた。まず、スイカについて説明があって、早い物で3月、おそい物で8月にしゅうかくして、ふつう1万こ、多い所で2万この出荷をしているということ。スイカにかんしては、熊本県植木町が日本一だと教えてくれた。「熊本市は、植木町の続きだから、スイカをたくさん作っているんだな。」と、説明を聞いてよく分かった。
 ハウスについて説明があった。ハウスは、連とうハウスと単とうハウスという2種類があるらしい。連とうハウスというのは、ハウスがいくつかつながっているもので、単とうハウスというのは、1つ1つわかれているものだ。これは、ビデオを見てわかった。私は、ハウスにも、種類があるということを初めてしった。「連とうハウスと単とうハウスで、スイカを作っている時期は、同じ時かな。」とぎもんに思っていると、連とうハウスでは、11月から3月まで。5メートルの単とうハウスでは、4月から5月。4メートルでは6月上旬。3メートルでは、6月中旬に作って出荷しているという説明があった。
 ハウスの総面積が、30アール、横35メートルあって、その中に2000本のつるで2000玉のしゅうかくができて、「2番果」も合わせて4000玉、連とうハウス1つ、単とうハウス3つあるから、4000玉の4倍で、16000こくらいのしゅうかくができる。
 2番果というのは、スイカを2回作る、2回目のこと。1番果のしゅうかくが終わると、2番果が栄養をおもいっきりとるから、すぐに実がなるそうだ。私は「同じ所で2回も作るというのは、知らなかったな。すごいな。」と思った。
 ハウスが温かいのは、暖房があるからだ。その中心のボイラーから、親ダクトという直径80センチメートルのくだが2本でていて、その親ダクトから子ダクトという直径30センチメートルのくだがでていて、それをハウスと平行にひっぱり、その先から風が出て、12月から3月までは15度くらい、花が咲くころには18度から25度まで温めることができる。ハウスの中が暑くなりすぎないように、上の方のビニールが開け閉めできるようになっている。温かい空気が上へ上へと上がっていくからだ。
 スイカは、苗を作って育てる。その苗の中で、自根で育てるのではなく、「さしつぎ」と「よびつぎ」という2種類の育て方がある。さしつぎというのは、かんぴょう(まきずしのしんになるもの)のふた葉の真ん中に、細い竹で穴をあけて、スイカの苗をその穴にいれるというものだ。よびつぎというのは、かんぴょうとスイカを一緒にして途中をクリップでくっつけて1つにして、下と上を切って植える。それは、連作障害を防ぐためにするらしい。 その苗を植えつけて、1つのかぶから3本のつるを伸ばして4節目か5節目を目標に、め花を切ってつるを太くし、葉を多くする。それだけでは実がならない。実をならせるためには、め花とお花の花粉をくっつけなければならない。め花とお花の見分け方はめ花には、はじめから花の下に小さな実がなっていて、お花には実がない。
 花粉をくっつけるには、人の手でするか、みつばちを使うか、どちらかだ。4月から5月は、みつばちでできるが、3月から4月は、寒いからみつばちがあまり飛ばないので、人の手で行わなければならない。
 め花とお花をくっつけて、1日たつと3倍、1週間で、やく直径7センチメートルから、8センチメートル成長する。それから10日くらいすると3キログラムくらいになり、30日すると、5キログラムになる。実が成長してくると、ちゃっかぼうというぼうをさす。色は、赤、白、青、黄の順番。なぜちゃっかぼうをさすのかというと、まだ青いスイカや、うれすぎたスイカを出荷してはいけないから、おいしいスイカを出荷するために使うそうだ。 まだ、スイカが小さいときに、「てっか」というさ業をする。てっかというのは、1かぶ1本のつるにして、ふつうの5キログラムくらいから、エルサイズの7キロか8キログラムくらいにする。
 植え付けたり、しゅうかくを、毎日するわけではない。ふだんしている仕事はお花とめ花をくっつけたり、芽かぎ、温度管理をしているそうだ。芽かぎというのはたくさんの芽をちぎって、つるを3本だけにすること。とくに大切なのは、ハウスの温度管理。暑くなりすぎたり、寒くなりすぎてはいけないからだそうだ。
 スイカにかんしては、日本一の熊本県だけど、どうしてさかんなのかが、私はずっとぎもんに思っていた。ビデオを見ていると、朝冷えて、昼気温が高くなり、夜寒くなるという昼夜の温度の差があることと、土の水はけがいいからだそうだ。なぜ、水はけが悪いといけないかというと、水っぽいおいしくないスイカになってしまうんだそうだ。「水はけがいい土、昼夜の温度の差というじょうけんがそろっているからスイカ作りにむいているんだ。」と思った。
 このビデオをみて、苗も、さしつぎとよびつぎがあるということが分かったし植え付けてから、つるを3本にきちんとしたり、め花とお花の花粉をくっつけたら実がなるなど、いろいろな事が分かった。なぜスイカの生産がさかんなのかもわかった。ビニールハウスの中の暖房のこと、ビニールの開け閉めができることも分かった。スイカを育てるということが、どんなにむずかしかがよくわかった。今まで日本一のスイカの産地とか、ビニールハウスも工夫していることなど、知らなかったけれど、ビデオを見て、アンケートでわからなかったことや、いままで知りもしなかったし興味もなかったスイカ作りのことが、よくわかった。

これらの作文のうちのいくつかは、アンケートに答えてくれたすべての学校にお礼とともに電子メールで書き送ったのはもちろんだが、「ひのくにねっと」の電子掲示板にも書き込んだ。「ひのくにねっと」は熊本県農業会議の主催で、農業関係者が数多く参加している。そのせいもあってちょっとした反響を呼び、以下のようなメールを数多くいただいた。

題名(Title): 川上小5年1組・なつみさんへ

 スイカの作り方がわかりやすく、またくわしく書かれているので、楽しく読みました。ほんとうにくわしく観察しましたね。感心しました。
 熊本のスイカは日本一ですので、すばらしいですね。スイカの品質・大きさが一目でわかるように着実棒(ちゃっかぼう)を考えたのは、すばらしいアイデアと思います。農家の方々は頭がいいですね。
 もし時間があれば、熊本のスイカをどこの人々(熊本の人か、それとも東京の人なのか)が食べているのか、調べてみるのもおもしろいと思います。また、夏休みに熊本の人が食べているスイカはどこで作られたスイカが多いと思いますか? 熊本のスイカかな? それとも九州以外の県かな? もうすぐ夏休みですので、こんなことを考える時間がないのかもしれませんが。
 とにかく、くわしく書かれていて、大変おもしろかったです。

                                 山中     

  (6) 「お米についてのアンケート」
 この実践にはおまけがある。6月下旬、先に述べた「キッズ・リンク」に、仙台市立片平丁小から「お米についてのアンケート」が投稿された。明らかにうちの「スイカについてのアンケート」の2匹目のドジョウを狙った物である。文中には私の書いたままの表現がうようよしている。しかしそのことには、一言の断りもない。少々いやな気持ちがした。でも、ここで拗ねては私自身の値打ちを落とす。すぐに学級の子どもたちからアンケートをとり、結果を書き送った。同時に「赤橋ネット」に転載して、トヨシゲさんから豊茂小の結果も送って貰った。
 しかし、この2番煎じの印象が拭えない実践は、結局それに広島市立長束小の結果が加わっただけで、あとの書き込みはなかった。だが、わずか3校とはいえ、バラエティーに富んだ顔ぶれが揃った。右にその結果を紹介する。なお、表中の番号に該当する学校は以下のようになっている。
@100万都市の街中にある広島市立長束小学校
B山の中の愛媛県喜多郡長浜町立豊茂小学校
Aそのほぼ中間にある我が川上小学校

「お米についてのアンケート」結果

1、あなたについて教えてください。
 (1)あなたは何年生ですか?
      @5年生 A5年生 B1〜6年生(全校児童)
 (2)男子ですか女子ですか?
    @男子13人,女子15人 A男子19人,女子12人 B男子20人,女子15人
 (3)お米、パン、麺類の中で何が一番すきですか?
    ア お米 @25% A26% B14%
    イ パン @29% A42% B29%
    ウ 麺類 @46% A32% B57%

2、お米についての質問です。
 (1)1日に何回くらいお米を食べますか?
    ア 1回 @50% A 3% B 0%
    イ 2回 @36% A35% B 9%
    ウ 3回 @14% A62% B91%
 (2)1週間の給食に、何回くらいお米が出ますか?
    ア 1・2回  @100% A 0% B給食なし(弁当)
    イ 3・4回 @  0% A81%
    ウ 5・6回 @  0% A19%
 (3)家で食べているお米の名前を知っていますか?
    ア 知っている @61% A32% B34%
    イ 知らない @39% A68% B66%
 (4)どこで作られたお米ですか?
    ア 県 内  @36% A45% B69%
    イ 中部地方  @ 0% A 6% B 0%
    ウ 東北地方  @10% A 6% B 0%
    エ その他  @ 4% A 3% B14%
    オ 分からない @50% A40% B17%
 (5)田植えをしているところを見たことがありますか?
    ア あ る  @64% A97% B97%
    イ な い  @36% A 3% B 3%
 (6)将来、米づくりをしてみたいと思いますか?
    ア 思 う   @ 7% A23% B49%
    イ 思わない  @93% A77% B51%
 (7)次の中で、一番好きな食べ物はどれですか?
    ア ピ ザ  @54% A39% B34%
    イ スパゲッティ @21% A26% B24%
    ウ ハンバーグ @15% A23% B21%
    エ 焼魚 @10% A12% B21%
 (8)おじいさんやおばあさんと一緒に暮らしていますか?
    ア い る  @32% A42% B89%
    イ いない  @68% A58% B11%

これらの結果を分析すると、街中と山の中では、食事や嗜好にかなりの差が見られ、それは祖父母世代と同居しているかどうかに関係があるのではないか?という仮説が成り立ちそうだ。もっとも、それでも「お米が一番好き」という子は、一番多い川上小でさえ4人に1人しかいない。それに、「将来米づくりをしてみたい」という子は街中に行くほど極端に少なくて、長束小ではわずか10人に1人。川上小でも4人に1人。一番多い豊茂小でさえ2人に1人だけ。余計なお節介かも知れないが、日本の農業はどうなってしまうのか? と心配になった。
 そんな思いを、9月になって「熊本県統計グラフコンクール」応募にまとめてみることにする。実は、このコンクールの募集要項を持って川上小に依頼に来られたのが、昨年春竹小で担任していた子どものお母さんだった。私もたまたま職員室でお会いしたとき、「パソコンの部は応募が少ないので狙い目ですよ」と聞き、「それじゃあ、応募します」と約束をしてしまった。とはいえ、締め切りは2学期開始早々。がんばってみようという有志の子は集まったものの、どうしたものかと悩んでいたところに、ふと「お米についてのアンケート結果」の記憶が甦った。あれなら内容的には面白いし、パソコン通信も絡んで「パソコンの機能を十分生かした〜」という審査基準にもうまく合う。うん、これでいこう! とはいえ、結局出来上がったものは、ロータスで打ち出したグラフに、一太郎で書いた見出しや説明文を貼りつけただけの、いかにもにわか仕立てのもの。「佳作にでもなればいいな。入選にでもなったら最高」としか思っていなかった。ところが、後日連絡が入り、12点しかない特選のうちの「全国農林統計協会連合会長賞」に選ばれたというのだ。思いもよらぬたいへんな賞に、びっくりするやら嬉しいやら、ともかく驚いたものだ。もちろん、当該の子たちが思わぬ受賞に跳び上がって喜んだのは、言うまでもない。

  (7) 「漁業について教えてもらおう」
 スイカについての学習が一段落したころ、夏休みに稚内市で行われる研究会で、鹿児島県東町立鷹巣中の辻慎一郎先生との共同発表の話が持ち上がった。辻先生は、早くから技術家庭科の「情報基礎」の時間にホームページ作りを位置づけ、実践されてきた方。そんな方との共同発表は、ありがたい話ではあるが、校種も教科も違うのに、果たしてどんなことをすればいいのか?
 折しも、私のクラスの社会科では、畑作が終わって次は漁業。畑作に関しては、小佐井さんという最高の情報提供者を身近なところから得ることができたが、漁業に関しては絶対に無理。では、それにネットワークを絡ませてみては? つまり、私のクラスから教科書での勉強の中で、疑問に感じたこと・もっと知りたいことなどを長島にある鷹巣中に書き送る。それに、鷹巣中の生徒がホームページで答える、というものである。
 あまり時間がなかったせいもあり、ともかくこれでやってみようというわけで、教科書の学習だけでは不十分な点を尋ねるメールをしたためさせる。ようやく出来上がったのは、正直言って天草郡御所浦町に4年間も勤務していた私にはもどかしい内容ばかりだが、これも経験。目をつぶって送信。辻先生からは、担当には上鈴子という生徒がなったこと、とても真面目な子で、廃品回収が終わった後も学校に戻ってきてホームページを作っていたこと、などを知らせてもらう。
 いよいよ約束の7月10日(授業参観2日前)、わくわくする気持ちを抑えながら、鷹巣中のホームページを開く。そこには、「NEW」のマークがついた「漁業についての質問に答えて」という見出しが踊っていた。すぐに中身を覗く。大人の目から見ると拙いとはいえ、さすが中学生、ちゃんとホームページになっている。手作りの様子が初々しい(辻先生は、生徒の手作りの味を大切にするため、決して手を加えたりはしないそうだ)。文章もしっかりしていて、川上小の子どもたちの質問に、的確に答えている。しかも鮮明な画像つき。聞けば学校のデジタルカメラを借りて帰って、自分で撮ったとか(それを聞いた私がすぐにデジタルカメラを買ったのは言うまでもない)。翌日、さっそく子どもたちに画面を見せ、お礼と感想を書き送らせた。
 後日談になるが7月27日、私は辻先生と発表の打ち合わせをするため鷹巣中を訪れ、上さんと対面した。文章から受ける印象と違って小柄なとても口数の少ない子だったが、それでもパソコンに出会う以前に比べれば、ずいぶん自己表現できるようになった方だという。そんな上さんに、私は後で詳しく述べる「アールスメロン」と「こまちトマト」の苗をプレゼントした。上さんはずいぶん一生懸命に世話をしたようだが、それでも「アールスメロン」は8月14日の台風12号で雨に当たって病気になり枯死。「こまちトマト」はなぜかとうとう花が咲かず、鶴山さんから直接メールで指導を受けるも、あえなく失敗。そのかわり、年末には鶴山さんから立派な「こまちトマト」を送ってもらい、家族みんなで味わったそうだ。卒業後は、市来農芸高に進学するという。辻先生によれば必ずしも本人の希望にかなう選択ではなかったようだが、私への年賀状には、こまちトマトの感想に添えて「その学校はバイオとか植物を育てたりするので、トマトを立派に育てたいと思っています」という希望に満ちた言葉が書いてあった。ネットワークを通じた人々の温かさが、いかにこの子を救ったか、という格好の例と言えよう。

  (8) 学習発表会
 このようなアンケート結果とその考察、ビデオの内容(ビデオキャプチャーで落とした静止画と簡単な説明)、そして児童の作文などは、すべて授業参観で行う「学習発表会」で画面に提示できるよう、HTML形式のファイルにまとめた。もちろん、後に川上小のホームページを開く際、そこにアップできるようにという意味もある。鷹巣中の分も、こちらの機械に取り込んだ。
 発表会では、班ごとに担当を決めて発表から機械の操作まで、すべて子どもたちの手にゆだねた。と言っても、リンク先やロールアップをマウスでクリックするだけの実に簡単な操作なのだが、それでも参観の保護者の度肝を抜くには十分だった。もっとも、そのせいで肝心の中身に対する感心や驚きまでは行き着かなかったようだが…。一方の子どもたちは、これらの取り組みを通してパソコンの魅力を実感したことは、言うまでもない。

 5.ホームページ再び

  (1) 「個人情報保護条例」の暗雲
 7月末のこの時点まで、私が新天地川上小のホームページを立ち上げていないのには、実は深い訳がある。いわゆる「個人情報保護条例」の暗雲が、のしかかり始めていたからである。
 またも話は遡るが、6月中旬に行われた第1回目の「パソコン通信モデル校担当者会」で、かなりの部分を割いて「個人情報保護条例」に絡んだ話があった。この条例を厳密に運用すれば、学校でのパソコン通信自体が不可能になってしまうこと。モデル校事業は、いくつかの条件の下に折り合いをつけて実施にこぎつけたこと。その条件とは、@個人名を出さない Aインターネット接続は公的なプロバイダーを通して行う Bホームページ立ち上げに際しては教育委員会の許可を受ける の3つであること、などである。
 川上小のホームページを作るとしたら、@はやりようによってはどうにかクリアできそうだ。Bもきちんとした形で作っておけば、まあ大丈夫だろう。しかし、Aは頼りの県教育センターのプロバイダー事業開始が遅れに遅れて、一体いつから始まるのか見通しが立たない。それなら、いつになるか分からないホームページ立ち上げにこだわるよりも、従来のようにパソコン通信での実践を行い、どうしても必要な場合は私が自宅で該当のホームページのデーターをノートパソコンに落とし込んで子どもたちに提示する、という形をとろう。ここまで述べた実践は、すべてそうやって行ってきたものである。

  (2) 「IWEワーキング・グループ」
 6月下旬、小天小の吉冨先生よりメールが来た。「今、世界規模で行われている『インターネット・ワールド・エキスポ(以下IWEと略す)』に参加する『熊本パビリオン』が近くオープンする。その中の『学校パビリオン』のチーフである岩永先生(小川工業高)より、『ワーキング・グループ』のメンバーを小中各2人ずつ選出してほしいという依頼を受けたので、小学校の2人は自分とあなた、中学校の2人は長陽中の堀尾先生と桜木中の武田先生を推薦しようと思っているが、それでよいか?」という問いに、深く考えもしなかった私は、よく知っている仲間たちとまたおもしろいことができそうだ、と思って「がんばります」という返事を書き送った。
 しかし、すぐに問題点が露見する。「作業内容は、当然学校のホームページづくりが中心だろうから、熊本市立学校の職員は引き受けられないのでは」という武田先生の指摘で、ハッとする。「熊本パビリオン」オープンの7月7日は間近に迫っているのに、どうしたものか?
 だがここでも、救世主が登場する。前出の、電応研の中島さんである。「熊本パビリオン」本部の中島さんはこの話を聞き、「それなら、『熊本パビリオン』が公的なプロバイダーになればいいじゃないか」という逆転の発想で、県と市の教育委員会から後援をとるため、精力的な活動を開始される。もとより、情報化そのものは文部省も目指すものであり、後援はおりた。これで、「公的なプロバイダー」となったIWEに、ワーキンググループ要員に与えられたアカウントを使って接続し、そこに確保されたエリアにホームページを置くことができるようになったのだ。

  (3) ホームページの目玉は?
 川上小のホームページ立ち上げの目処がたってホッとするのも束の間、岩永先生よりたいへんな宿題が舞い込む。「あなたの立ち上げようとしているホームページの中に、IWE熊本の目玉になるようなおもしろいアイディアはないか?」と。もちろん、まだ立ち上げそのものが目的だった私に、そんなものはない。さて、どうしたものか?
 誰かが、「オープンの7月7日に生まれた動物の、成長の様子を追っていったら?」というアイディアを出した。それはおもしろい。しかし動物だったら、クローズの12月31日まではいくらも成長していないだろう。いや、待てよ。植物だったら、半年足らずの期間というのはちょうどいいんじゃないかな。それに、秋口には田山さんがアールスメロンを、鶴山さんがこまちトマトを収穫するので、7月7日というのは、ちょうど種まきにいいのでは?
 あやふやな推測を頼りに、まず鶴山さんに電話をする。幸い、その時期はトマトの種まきにちょうどいいという。そのころすでに、自分のホームページで電直(インターネットを使った産地直送)に取り組み始めていた鶴山さんからは、「いいアイディアですね。私も一度成長していく過程をまとめたいと思っていましたので、協力させて下さい」と力強い返事をいただく。
 勢いに乗って、すぐに田山さんにも電話。しかしこちらは、「学校で育てるなんて、とても無理ですよ。育ちっこないです」と返事は渋い。だが、私も引き下がれない。かつて、完成した「スイカって、こうして育つんだよ」のホームページを見た小佐井さんのお母さんが、「これを見れば、誰にだっておいしいスイカが作れそうですね」と言われた時、私は即座に「無理ですよ。だって、農家の方にはごく当たり前のノウハウが、私たちには想像もつかない、ってことがたくさんあるんですから」と答えたことがあった。そのことを例に引きながら「うまく育たないのも、それはまたそれで、貴重な勉強ですから」と言って田山さんを説得。どうにか協力を取り付ける。
 そして、学級でメロンやトマトを育て、それをホームページ上に公開し、ネットワーク上で田山さんや鶴山さんの育てたものと比較したりアドバイスを受けたりしていく、というアイディアを書き送る。岩永先生からは、「楽しそうですね。がんばって下さい」という返事をいただいた。
 準備が間に合わず7月7日には少し遅れたものの、「アールスメロン」は7月15日、「こまちトマト」は7月19日に種をまいた。その様子を写真に撮り、説明を加え、HTML形式にまとめて、ホームページ立ち上げに備える。7月17日、ついに待望の通信回線が引かれ、学校からの接続が可能なる。直ちにデーターを送って市教育センターの検証を受けた後、IWEにアップして、川上小のホームページは立ち上がった。以後、節目節目ごとに順次ホームページを更新していった。ありとあらゆるコーナーが混在する「熊本パビリオン」だが、少なくとも更新回数だけなら、我が川上小のホームページは間違いなく三指に入ると自負している。そのかわり、肝心の「アールスメロン」「こまちトマト」の栽培は、想像を絶する大変なものであった。

  (4) 「アールスメロン」育てよう
   ア.「アールスメロン」の栽培・収穫
 まず「アールスメロン」は、田山さんから届いた10粒の種に、育て方を詳細に記した図解入りの虎の巻が添えてあった。その中で特に強調されていたのは、「絶対に雨に当てないように」ということだった。そこで、移動しやすいように鉢植えして、ベランダのひさしの下で育てることにした。おかげで始業式直前の台風8号、盆前の12号も、室内に取り込んでうまく被害を免れた。そのかわり、何分酷暑中の休業日のこと。ちょっと天気がいいと、すぐにカラカラに乾いてしまうので、ほぼ毎日、朝夕2回の水かけに欠かさず通ったものだ。その甲斐あって8月末には無事交配を終えることができた。田山さんから「メロンの場合、交配して実が成る段階までいけたら大したものです」と言われていた、その段階までこぎつけたのだ。嬉しかった。
 もっとも、そこからがまた長い道のりだった。成長点を止めると、途端に病気が出始める。それだけ株自体の体力が付いていなかったためだ。おまけに、次々に青虫がはびこり、ついには実までかじられてしまう。ベランダは子どもたちが裸足で行き来するので、農薬が使えない。その分、子どもたちの人海戦術で対抗するのだが、とても追いつかない。本当に、自然は厳しいと思った。さらに1つが、実の重さによる不安定さから何かの拍子に鉢ごと転んでしまい、大切な実が割れてしまったりもした。それでもどうにか、一応はネットの入ったメロンを4個も収穫できたのだから、我ながら対したものだと感動したものだ。
   イ.「アールスメロン・試食会」
 さて、そんな体験をもとに、10月25日に田山さんと鶴山さんをお招きして、「アールスメロン・試食会」を行った。この会の様子は、今年度の川上小学校の教育論文の中で紹介しているのでここでは割愛するが、せっかく育てた川上メロンも、当然田山さんのメロンには全く太刀打ちできなかったのは言うまでもない。ただ、それだけものを育てることの難しさや喜びを改めて実感できた、たいへん有意義で思い出深い会となったと確信している。

  (5) 「こまちトマト」を育てよう
   ア.「こまちトマト」の栽培・収穫
 一方の「こまちトマト」は、夏場の水かけが大変だった以外は、はるかに順調だった。むしろ、伸びようとする勢いが強すぎて、脇芽かぎが追いつかずに着果が遅れたくらいである。
 ただ、ここで誤解のないように説明しておくが、「こまちトマト」とは鶴山さんが名付けた独自のブランド名で、元はただの「桃太郎トマト」であり、冬場の干拓地特有の塩害で玉が太らないまま中身だけが完熟してしまう「塩トマト」を商品化したものだ。だから、鶴山さんから送られてきた種も「桃太郎トマト」の袋に入っていた。子どもたちは、まずそのことに驚いた。
 苦労の甲斐あって、私たちの育てた「こまちトマト」もどうにか収穫できた。そこでさっそく、11月8日の給食時間に私が切り分け、自分たちで味わってみた。「おいしい!」ともかく驚いた。大きさこそ小さいが、その辺で買ってきた物など全然問題にならない、実にいい味だ。「これなら、本物の『こまちトマト』に迫る味かも知れない」子どもたちの期待が膨らむ。「また鶴山さんに来てもらって、今度は『こまちトマト試食会』をしましょう」なんて無茶なことを言い出す子まで現れる。だが、そういう気持ちを少しでも大切にしてやりたいし、正直言って私も興味がある。何かいい方法は…。そうだ、私は14日に球磨郡上村に情報教育の研究発表会を見に行くことにしていた。その帰りに八代に寄ろう。そして、ビデオカメラの前で鶴山さんに試食していただき、コメントしてもらおう。翌々日はちょうど授業参観。そのビデオを見せてから、感想の作文を書いて発表する、という授業をやろう。うん、それがいい!! そうと決めたが吉日。私は最新型のデジタルビデオを買って、勇んで出張に出かけた。
   イ.「こまちトマト」試食のビデオ
 上村からの帰り、高速を八代で降りて鶴山さん宅へ。ところが、作業場で選果・箱詰め中の鶴山さんは、どことなく元気がない。それどころか、「先生、今夜は急いで帰らなんとですか?」と聞かれる。「いいえ、何か?」「そんなら、『やつしろグリーンネットの会』で今夜私がインターネットの設定方法を講義する予定だったとですが、代わりに行ってくれんですか。ちょっと石が疼いてですねえ」と。聞けば、最近調子のよくなかった「尿道結石」で、特に昨夜から猛烈な痛みが続いてほとんど寝ていないという。それでも寝込まずに(寝込めずに)仕事をされているのだから、本当に生き物を相手にする仕事はたいへんだ、と私は痛感した。
 講義の件は代役を引き受けたものの、選果や箱詰めは私にはできない。せめてものお手伝いにと箱を積み上げたりはしていたが、やがてついに堪えきれなくなって、「ちょっと横になってきます」と奥さんに後を任せて寝室に引っ込まれてしまった。これでは、とても試食のビデオどころではない。仕方がない、諦めようか。でもそれなら明後日の授業参観はどうしよう? そう悩みながら夕食のテーブルにつくと、いつもは部活で遅い次女で金剛小学校6年生の智佳子さんが、ちょうどその日は早く帰っていた。そうだ、同年代の智佳子さんの評価なら、子どもたちも別な意味で喜ぶに違いない。さっそく智佳子さんを口説き落として、ビデオを撮る。
 智佳子さんは、さすが奥さんが「この子の舌は確かですよ」と太鼓判を押されただけあって、おいしそうな色や艶には全くだまされず、「かたい」「ちょっとすっぱい」と川上トマトの問題点を指摘し、「やっぱり『こまち』の方がおいしい」と締めくくった。しかし、やはりそこは子ども。「じゃあ、今から撮るよ」と言ったとたん、緊張のため急に口数が少なくなり、さっきのような具体的感想が歯切れよく出てこない。一応撮影は終えたものの、これで子どもたちの期待に応えられるだろうか?
 その時、急に寝室の戸が開いた。何と、鶴山さんが起き出して来られたのだ。「少し具合がよくなったので、何かお腹に入れておこうと思って」と言われはしたものの、きっと試食のビデオのことが気にかかっていたのだろう。すぐに智佳子さんに命じて糖度計と本物の「こまちトマト」を持って来させ、奥さんから口の大きいコップに水をくんで貰って、準備を整えた。そしてまず初めに外見からの批評をした後で、「こうすれば、おいしいトマトかそうでないかが見分けられます」と言って、川上トマトをコップに入れた。川上トマトはぽっかりと浮いた。では、本物の「こまちトマト」は…「あっ、沈んだ」と思わず声を出してしまいそうになった。ちょうど数日前に新しい卵の見分け方(塩水につけて沈めば新しい)を授業したばかりだったので、どちらがおいしいかは言うまでもない。しかし、鶴山さんの評価はこれにとどまらない。実際にかじってみて、「うん、おいしいです。おいしいですが、汁気が足りないですね。少し水を切りすぎたんじゃないかな?」実は、まったくその通りだった。
 さらに糖度計を取り出し、測定。「ふつうスーパーなどで売っているのは、4.0くらいなんですが、みなさんのは…5.5ありますね」うれしかった。思わず「やった」と声を上げそうになった。あの学級で試食した時の好評は、決して間違いではなかったのだ。しかしそれなら、「こまちトマト」はいったいどれくらいあるのだろうか? 「ええっと、こまちは…8.3ありますね」糖度計を覗いたその鶴山さんの言葉に、私は声を失った。
 鶴山さんのおかげで、すばらしい内容のビデオが撮影できた。しかし…鶴山さんはホッとしたのか、「また疼きだした」と言って、再び寝室に戻って行かれた。たった3口のトマトを食べただけで。その背中に向かって心の中で手を合わせながら、私は、明後日はいい授業をして、鶴山さんの病気が吹っ飛ぶような作文を書き送るぞ、と誓った。
 翌々日の授業は、むろん大成功。「水に沈むトマト」は、子どもたちの度肝を抜いた。そして、その中に込められた鶴山さんの温かい心づかいに対する感動を原稿用紙にぶつけるように、力作を書き上げていった。以下に、その一例を掲げる。

「鶴山さんへ」

熊本市立川上小学校 5年1組 さゆり    

 鶴山さん、この間は、体のぐあいが悪いのに、私たちのためにビデオをとらせてもらってありがとうございました。おかげで私たちは、食べなくても、おいしいトマトの見分け方が分かるようになりました。それに、川上小学校で作ったトマトの味を見てもらって、やっぱ
りむずかしいんだなあとあらためて思いました。上村先生から、こまちトマトの箱や実を見せてもらいました。やはり川上小学校で作ったのとは、見かけもぜんぜんちがいます。
 それから、とう度計で計ってみるときに、私たちのトマトは水けがなくて、鶴山さんは「空気が多く入っている。」と言われましたね。それからとう度計で実さいに計ってみたところ、川上小学校でできたトマトは、5.5度くらいでした。それにくらべて鶴山さんの家で作ったトマトは、8.3度くらいでした。鶴山さんが「こまちトマト」としてお店に売るのは、とう度計で計ってだいたい8度から上だということが分かりました。だから、川上小学校で作ったトマトは、ふつうのトマトよりは少し甘いけれど、鶴山さんの家で作ったトマトにくらべると、くらべ物にならないほど、鶴山さんの方が上です。さすがプロですね。みんなが感心していました。あのビデオをとらせていただいたおかげで、私たちの勉強にすごく役立ちました。
 お体のちょうしが悪いのに無理をして、いろいろなことを教えて下さって、ありがとうございました。また今度トマトを作るときには、鶴山さんが作るトマトのようにはいかないかも知れないけれど、できるだけおいしいトマトを作ってみたいです。鶴山さん、本当にありがとうございました。

 6.「こねっとプラン」参加

  (1) 「こねっとプラン」参加のいきさつ

「こねっとプラン」の「こねっと」とは、「子どもネットワーク」の略である。つまりNTTが3億円の巨費を投じ、全国1000校に対してインターネット接続のため現金30万円の寄付と技術的な支援をする、というものである。先行した通産省の「100校プロジェクト」に対して「1000校プロジェクト」とも言う。ただ「現金の寄付は受けられない」という自治体が多く、実際にはほとんどのところで現物での寄付となったようだ。また、協賛企業から追加していろいろなものが寄付される模様で、その最初の物が、次章で述べる小室哲哉氏による「フェニックス」である。
 実は、この「こねっとプラン」はたいへん有名になりながら、応募すらできなかった自治体も多い(ほとんどがそうだと言っていいかも知れない)。なぜなら「30万円」の算出根拠は、当初2年間に必要な回線使用料&通話料、民間プロバイダーの使用料等 となっていたからだ。つまり、最初の2年間はそれでやれるが、以降は予算の裏付けがない。それで、自治体レベルで導入の計画があれば「渡りに舟」となるわけだが、それがなければ見送りとなってしまうのだ。
 我が熊本市でも、応募に関してはいろいろな部署の利害が絡んで、だいぶ悶着があったらしい。しかし、結局「回線使用料&通話料などの予算的な裏付けがある『パソコン通信モデル校』だけは、応募してよい」というところに落ち着いた。もちろん我が川上小は、職員会議に諮った上で応募。そして10月下旬、市内唯一の「こねっとプラン参加校」に決定した旨、通知をもらった。

  (2) 「キックオフ・セミナー」
 その「こねっとプラン」のスタートを飾るイベントが、11月27日に「キックオフ・セミナー」と銘打ち、全国1000の参加校を「フェニックス」(テレビ会議システム)で結んで行われた。
 我が川上小は、幸運にも全国20しかない「拠点校」に選ばれ、余分に臨時の回線を引いていただいた上に、ひときわ優秀なスタッフを派遣してもらった。おかげで前々日・前日・当日午前中のテスト運用中は、何の問題もなくずっと順調であった。ところが、開始の午後3時近くになって次々に回線が切れ、3時からの支店セレモニー(熊本支店長あいさつやテープカットなど)があっている間、スタッフは裏で携帯電話を片手に走り回っていた。それでも一時は「あと10分間待ってみて、このまま復旧しなかったら、それ以上待っていても仕方がないから…」という絶望的な話まで、スタッフの口から漏れたりもした。幸い「拠点校」として最優先で復旧してもらえたが、それでも3時37分。よそでは4時半近くまでかかったところや、とうとう諦めたところもあったようだ。それに、その後はどうにか順調にいってたのに、小室哲哉氏に対する質問の3校目あたり(4時40分ごろ)で突然割り込みが入り、音声だけはすぐに復活したが画像はそのまま固まってしまって、終了までどうしようもなかった。これだけの多地点を同時に結んでのこの企画には、画期的な分だけ、多少の無理があったようだ。ただ、子どもたちには「こういうことができるんだ」ということを体験できただけでも、十分価値があったものと信じている。

  (3) 「テレビ会議」をやってみよう
 有意義な「キックオフ・セミナー」ではあったが、不満も残った。子どもたちは1時間半の間、画面がカクカクとしか動かず、時々変な割り込みが入る「性能の悪いテレビ」をひたすら眺めていただけ。これでは、テレビ会議の持ち味である双方向性は全く生かせていない。一度、ちゃんとした経験を積ませてあげたい。どこかいい相手はないだろうか?
 ちょうど「キッズ・リンク」でも「キックオフ・セミナー」の話題が出、それに受け答えするうち、同じく参加校の新潟県松之山町立浦田小や宮城県仙台市立片平丁小とで、テレビ会議をやってみようと話が盛り上がる。NTT担当部長の斎藤さんからも、応援のメッセージが届く。
「フェニックス」の最大の問題点は、電話代。最寄りのアクセスポイントまでの電話代さえ払えばいいパソコン通信やインターネットと違って、「フェニックス」は普通の電話と同じように1対1を直につなぐので、そこまでの電話代が必要になる。ただ、受ける方は電話代は要らない。
「キックオフ・セミナー」で1000校を同時にISDN回線でつなぐに当たり、国道3号線(本線が通っている)に近い本校には本物のISDN回線が来たものの、それが難しい学校は臨時の回線が引かれていた。浦田小と片平丁小に引かれたのはその臨時回線(通話料不要)で、しかも「2学期一杯は残しておきますので、どうぞ役立てて下さい」と言われているという。これはチャンス、というわけで、すぐにテレビ会議交流を申し込む。
 北の方の学校は、昼が短いせいで午後の日課がとても早いため、なかなか時間帯が折り合わない。それでも、ともかくやってみようということで、浦田小と12月4日6時間目クラブ活動の時間に、待望のテレビ会議を行った。松之山は、私も4年前に「雪ん子列車」のリーダーとして同行したことのある、懐かしい町だ。冬休みだというのにポカポカ陽気のあの冬も、行ってみたらたいへんな量の雪が積もっていたっけ。これはいい交流ができそうだ、と期待していたら、それ以上におもしろい交流ができた。最高だったのは、こちらからの「雪だるまが作れる(くらい運動場に雪が積もっている)なんて、すごい!」というリクエストに応えて、数人の子たちがすぐに運動場へ走って小さな雪だるまを作り、カメラの前に持ってきてくれたこと。熊本で雪だるまが作れるほど積もるなんて、数年に1回あるかないかだから、とても感動した。それに、浦田小の清水先生は「フェニックス」の操作方法をとても熟知されていて、「ホワイトボード」を使って、学校の周りに積もっている雪の様子や、雪かきの様子、運動場の脇に設けられたそり滑り用のスロープなどの写真を、次々に送ってくれた。その画像が画面に現れる度に、子どもたちからは大きなどよめきがわき起こったものだ。
 もちろんうちも、昼休みの校内の様子をビデオに収めて流した。設定がうまくできずに、テレビ画面にカメラを向けて見てもらったので、同期が合わずに太い線が画面に出てしまい、見づらかったであろう。それでも、雰囲気くらいは感じてもらえたようで、むこうから好意的な感想がたくさん返ってきて、ホッとした。そして、清水先生の「あっ、もう4時になりました。子どもたちは部活動がありますので、そろそろ終わりましょうか」という言葉で区切りをつけたのだが、それに続く「子どもたちはこれから、運動場でクロスカントリーの練習です」に、この日最大のどよめきが起こったのは、言うまでもない。

  (4) 「全国テレビ会議『冬の日 日本列島』」への取り組み
 新潟との有意義なテレビ会議をできたのはよかったが、学習に役立てるという意味から、もっと発展させたものをやってみたい。今度は、4年生社会科「わたしたちの国土」に関連して、各地の違いを浮き彫りにするということに力点を置き、あらかじめ話し合うテーマを決めておこう。また、多地点接続をしてみよう、ということになった。幸い斎藤さんの尽力で「多地点接続装置(MCU)」を使って10校程度の接続が無料でできるよう、取りはからっていただく。
 しかし、何分学期末で各校とも行事が目白押しなため、肝心の期日がなかなか決まらない。当初は21日(冬至)に照準を合わせていたが、北の方ではその日が終業式だと分かり断念。一時は翌年送りも覚悟するが、この「全国初の試み」をぜひ年内にやろうという強い意見が出て、19日午前実施に落ち着く。そして14日夜に以下の文書を「キッズ・リンク」他のMLに流した。

「テレビ会議『冬の日 日本列島』」要項(案)

1.目的:小学校4年生社会科では、日本列島各地の様々な特色ある地域の学習をする。そ
     こで、冬の日の列島各地をテレビ会議システム「フェニックス」で結んで、その
     地域の様子を子どもたちの生の声で発表し合うことを通じて、自分の地域の特色
     や自分と異なる地域の様子に気づかせる。

2.日時:平成8年12月19日(木)11:00〜12:00

3.参加校:宮城県仙台市立片平丁小学校(4年生)
      新潟県東頸城郡松之山町立浦田小学校(4・5年生)
      熊本県熊本市立川上小学校(4・5年生) ほか計10校以内
  #たくさんの学校で賑やかにやりたいのは山々ですが、増えすぎると多地点接続装置が
   対応できません。それに、先日のセミナーに続いてまたもや画面を眺めるだけでは、
   子どもたちがかわいそうです。それで、10校以内でおさえたいと思います。

4.内容:1.開会宣言および会議内容の確認
  (案) 2.各校からの報告(各校4分程度)
      ・当日の日の出,日の入り時刻のデータ
      ・前日の朝の最低・昼の最高気温のデータ
      ・前日昼の天気&校内の様子(特に外での遊び)の画像
      ・盛んな冬の遊びや部活動の様子の画像&服装の実演
      ・特色ある地域の産業の画像や実物の提示
  3.各校への質問&協議(10分程度)
     4.感想発表(各校30秒程度)
     5.再会を祈って(まとめも含めて)

5.申込締切:12月17日(火)午前10:00
  #上記の時刻までに、私(t-uemura@mxa.meshnet.or.jp)宛に、メールを下さい。

6.備考:参加には「フェニックス」&ISDN回線が必要です。

私は「参加希望が多すぎたら」という危惧を抱いていたが、周知期間が短かったため学校行事等の調整がつかなかったこと、MCU(東京)までの高額な電話代がネックになったこと、などの理由で「参加したいんだけど、ちょっと」という学校が多く、上記の3校に新潟県上越市立高士小・和歌山市立有功小・島根県邑智郡石見町立石見東小が加わった計6校となった。そのかわり、数は少ないがまるで測ったように日本中に散らばっていて、いい交流ができそうだ。
 我が熊本・川上小は、南の温暖な地の代表という位置づけになる。それなら、育苗中のスイカを借りてきて画面に提示し、後々成育状況を知らせながら実ったスイカを送れば、すばらしい交流に育ちそうだ。うん、これはいい。小佐井さんに相談してみようか?そんなことも考えていた。

  (5) 幻の「全国テレビ会議」参加
 ところがここにきて、思いも寄らぬ問題が持ち上がる。「個人情報保護条例」である。
 16日朝、市役所の担当部署から、モデル校を管轄する市教育センターに対し「テレビ会議は条例に抵触するので、行わないように」という指導があったのだ。市教育センターでは、副所長の田中三喜男先生が本校の「キックオフ・セミナー」に列席して実際にご覧になっていたこともあり、事情説明に訪れた職員にこぞって、つながっている相手が特定できるテレビ会議の方が個人情報保護の観点から安全性が高い、画像や音声が複合的かつリアルタイムにやりとりできるので大きな教育的効果が期待できる、等々の理由を挙げて翻意を促されたらしい。しかし、結局「条例がある以上どうにもならない」ということになったわけだ。
 この知らせを聞いた私が大いに落胆したのはもちろんだが、それ以上にがっかりしたのはクラスの子どもたちである。「えっ、じゃあもう、どこともやれないんですか?」勘のいいめぐみが、無念そうにぽつりと漏らしたその一言は、今も私の耳から離れない。でも、残念ながら私の力ではどうしようもない。「また何か方法を考えるから、それまで我慢しよう」と言うしかなかった。
 各校に事情を説明して川上小の参加を取り消し、コーディネーター役は片平丁小の成田先生に引き継ぐ。それでもMCUの使用願いは、行きがかり上、熊本支店を通じて私が提出したが…。
 いよいよ、「全国テレビ会議」の当日。私は開始前の10時から年休をとり、NTT熊本支店へと向かった。もちろん、「全国テレビ会議」を視聴するためである。このテレビ会議の様子は、私が終了直後に関係者へ書き送ったメールを以下に引用することで、説明に代える。

 こんにちは、上村@熊本市立川上小です。「テレビ会議」参加の5校の先生方、たいへんお疲れさまでした。私も、NTT熊本支店で準備の様子から最後まで、こっそり&ばっちり見させてもらいました。
 準備の段階では、あちこちでフリーズが起こっていたようですね。我が熊本支店でも2度フリーズしたので「小さい画面で見た方が安全」という噂に従ったところ、あとは大丈夫でした。各校も、どうにか最後までいけたみたいですね。
 本当に、1時間がアッと言う間でした。結果として5校しか集まらなかったのが、かえって幸いしましね。それに、どこの子どもたちの発表も、それぞれの地域性を生かしていて、よかったです。

(仙台:片平丁小)「光の〜」のビデオが、とてもきれいでした。日の出・日の入りの時刻も、和歌山や島根と比べると、違いがよく分かりましたね。

(松之山:浦田小)また登場してくれましたね、雪だるま。降雪が間に合わなかったのは残念ですが、それ以上に実物が活躍してくれたので、すばらしいです。

(上越:高士小)あれが「かんじき」なんですね。初めて見ました。「新潟コシヒカリ」の本場ですか、おいしそう。ちなみに今頃の時期は何を作っている(作っていない)のかな?

(和歌山:有功小)さすがは6年生、発表がとても上手でした。ドングリ21万個というのには、本当にびっくり。特産物の果物も、短期間によく準備できましたね。

(島根:石見東小)ビデオの切り換えがうまく行かず、残念でしたね。でも、内容はちゃんと分かりました。外は吹雪だって。そしたら明日あたりが新潟かな?

 たいへんすばらしいテレビ会議になって、私までが本当にうれしかったです。コーディネーターの成田先生、そして各校の先生方、支援されたNTTの方々、本当にお疲れさまでした。ぜひ、この「全国初」の試みをあちこちで宣伝して、情報化の動きをドンドン加速させ
ましょう(そうすれば、うちも…)。

  (6) 「テレビ会議」には参加できなかったけれど
 この、「幻のテレビ会議参加」には、実は大きなおまけがある。
 川上小参加不可となった時点では、まだ和歌山・有功小は参加表明していなかった。川上を除いた残る4校はすべて北日本か日本海側で、学習のねらいからいくと、ぜひ温暖な地の学校がほしい。私は県内の「こねっと」参加校に電話で直接交渉するとともに、トヨシゲさんにメールを送って事情を話し、NTT松山支店を通じて愛媛県内を当たってもらった。これらの働きかけは、結局はすべて不発に終わるが…翌々日、学校に大きなミカン箱が届く。何とトヨシゲさんから、自宅でとれたミカンとキウイを、「『テレビ会議』に参加できず、子どもたちががっかりしているだろうから、少しでも元気が出るように」と送ってくれたのだ。
 さっそく、翌日の調理実習のデザートとして味わう。もちろん、子どもたちからは笑みがこぼれる。「テレビ会議」に参加して、多くの学校と語り合うことはできなかったけれど、それ以上のもの…人のほんとうの温かさ…に触れることができた子どもたちは本当に幸せだ、と私は思う。

W まとめにかえて〜「個人情報保護条例」の壁〜

 このように、たくさんの人たちの温かい思いに支えられ励まされて順風満帆で走り続けてきた、インターネットに取り組んだ私のこの1年は、最後に来て大きな躓きで終わった。だが、これで引き下がるわけにはいかない。多くの人たちの厚意と、そして教育に向けられたたいへんな期待に応えるためにも、ここでもう一度その厚い壁である「個人情報保護条例」についておさらいし、それとの上手な付き合い方を考え、そして将来的な提言を添えて、まとめにかえることにする。

 1.「個人情報保護条例」に関する新聞記事
 きっかけは、「ASAHIパソコン(11/15号)」にわずか8行くらい、川上小のホームページが紹介されたことだった。それを見た朝日新聞熊本支局の記者から、「取材をしたい」という連絡が入り、私が応対した。徳永校長は、てっきり川上小のホームページの紹介か何かのための取材と思ったようだが、狙いは案の定、「『個人情報保護条例』の問題に直面している現場の先生の話を聞きたい」ということだった。何でもうちのホームページが「一番その気遣いを感じる」ということで、白羽の矢を立てたそうだ。そしてそれが11月24日の、以下の記事となった。

パ ソ コ ン 教 育 に 足 か せ − 個 人 情 報 保 護 条 例 −

 インターネットを利用したパソコン教育が県内でも急速に普及しているが、10年ほど前に自治体で相次いで作られた個人情報保護条例が思わぬ足かせになっている。住民基本台帳などを電算処理するのに伴い、プライバシー保護を目的に、外部のコンピューターとの接続を規制する条項が盛り込まれた。その条項が、学校のパソコンにも適用されるからだ。子どもの作文や絵画をホームページに紹介するにしても、作者名を載せるのはご法度。世界の友だちに電子メールを書いても自己紹介はだめ。県教委には運用基準はなく、教育現場は因惑している。

=現場教師に戸惑いも 接続規制の条項を適用=

●顔写真を不鮮明に
「あきのり・けんさく・ゆうじの3人で、飼育小屋の紹介をします」。熊本市西梶尾町の川上小学校では今年7月、日本人初の女性宇宙飛行士、向井千秋さんとともにスペースシャトルで宇宙飛行をした「宇宙メダカ」の子孫を飼育している様子を紹介するホームページを開設した。外国からも電子メールが届く人気だ。しかし、登場する子どもの姓名の名だけをひらがなで表示し、顔写真も判別できないように解像度を落としてある。
「個人の活動ではなく、学級単位の活動を紹介するようにしているが、条例を意識しすぎると無味乾燥なものになってしまう」。指導する上村孝直教諭(35)は制作の苦労を語る。

●学校対応まちまち
 熊本市は1986年、「電子計算組織の運営に係る個人情報の保護に関する条例」を制定し、個人情報を扱う市のコンピユーターの接続を禁止した。主管の市情報企画部では、市教委が購入した学校のパソコンにも適用されるとの見解だ。外部と接続はできるが、ホームページや電子メールで児童・生徒の名前など、個人を特定できる情報の発信は認めていない。 県教委によると、県内では現在、16の公立学校がホームページを開設している。今年度中に55校をインターネットに接続し、98年には全校を結ぶ予定だ。県内では熊本市以外に、個人情報保護条例が35市町村で制定されている。だが、具体的な規定がないため、ホームページに児童・生徒の名前を一切載せない学校や先生の名前なら載せるところなどまちまちだ。県教委では、児童・生徒の名前や顔写真は掲載しないように指導しているが、現在細かい運用基準づくりを急ピッチで進めている。

●基準作り進むが…
 基準づくりに当たっては、考え方は様々だ。熊本市教育センターの田中三喜男副所長は「インターネットは性や暴力を扱った情報も流れるうえ、誘拐などだれがどんな目的で見ているかわからない。子どもの安全を守るために匿名は仕方ない」と話す。一方、福島良能・市情報企画部長は「技術革新が進み、規制条項が時代にそぐわなくなってきた。今後は個々のケースに応じた細則を設ける必要がある」と指摘する。東京都杉並区のように、個人情報に限らず、いかなる接続も認めない自治体もある。
 県立大総合管理学部の片岡勅教授(行政管理論)は「個人情報の保護は必要だが、情報のうちどの情報を公開してほしくないかは人によって異なる。一律に規制するのではなく、公開される本人や保護者に了解をとるなど運用の仕方に工夫が必要だ」と話す。
 上村教諭は十年前、御所浦町の小学校でパソコン通信を使って東京の小学校と交流を始めるなど、パソコン教育に力を入れてきた。「インターネットは遠くの人とも気軽にコミュニケーションでき、子どもの探求心をいっきに広げることができる。もっともっと輪を広げていきたいが、現状はなかなか難しいです」

2.「個人を特定できる情報」と「個人を識別できる情報」
 長時間話した中で、大筋は記事の通りだが、完全に割愛されてしまった部分が2つある。
 1つ目。記:「(インターネットが絡んだ犯罪が起こった時に学校の責任が問われるなんて)そんな心配をしていたら、何もできないでしょう」 私:「そんな学校にしちゃったのは、あなたたちマスコミじゃないですか。特に朝日さん、おたくが一番問題だよ!」 記:「…」
 2つ目。記:「個人名が出せないと、いろいろと出来ないことが出てくるでしょう」 私:「あるかなあ? まあ、そういう前提でやれば、それなりにやり方はありますからねえ」
 ちなみに、只今大モメ中の世田谷の問題も、「あれほど個人情報(個人名や写真)を出すことに固執する必要があるのか(出さなかったときのデメリットがそんなにあるのか)」という疑問の声が、「個人情報保護条例」に直面している現場の先生たちの間で、日に日に大きくなっている。もっとも、評論家のセンセイたちは、たとえば「週刊現代12/12号」に立花隆氏が書いているとおり、現実を無視した実に気楽なものである(特に百校・千校の部分は笑ってしまう)。

ホームページに介入した世田谷区教育委員会の暗愚(96/12/12)

 世田谷区の区立小学校で、5年生の担任教師がインターネットにホームページを開設し、そこにクラスの児童31人の集合写真や、児童たちが自分で書いた自己紹介文などをのせたところ、区の教育委員会が、それは区の個人情報保護条例に違反するから削除せよと求め、教師がそれを拒否したというので、もめにもめている。
 ほとんど信じ難いほどバカな話である。いま小中学校にコンピュータがどんどん入り、インターネットにクラスのホームページを開くなどということはどこでもやっていることである。児童がいやがっていることを無理にさせたというならともかく、このケースは、児童も父母もみんなインターネットにのることを喜んでいるのである。
 アメリカでは、5億ドルかけて、小中高の学校すべてをインターネットでつなぐというプロジェクトがはじまった。日本でも、昨年は文部省のきも入りで百校プロジェクトというのが行われ、いまそれが拡大して、千校プロジェクトになろうとしている。
 三鷹市では、市の独自の予算で、市内の公立の小中学校全部をインターネットにつなぐというプロジェクトがはじまっている。
 いますでに、インターネットにホームページを開いている小学校のクラスは日本に沢山あり、どこでも、児童一人一人がそこにちょっとした自己紹介をのせたりしている。そのページを見たよその学校の児童からEメールがとどいたりして、インターネット上の電子的交流がはじまっている。
 それがなぜいけないのか。違反するといわれる個人情報保護条例とは何なのか。
 実は、これに類した条例は、全国の地方自治体の約3分の1にあたる1200自治体にあり、うち約900自治体は、コンピュータを外部のコンピュータにつなぐことを原則禁止にしているという。(中略)
 そこでいう保護されるべき情報とは、役所に保存されている個人のプライバシーにかかわる情報のことであって、児童が書いた自己紹介文などでは全くその範疇に入らない。学校に保管されている情報で、保護されるべき個人情報とは、その児童の成績とか、身体検査の結果とか、家庭調査票といったたぐいである。
 それなのに、個人情報保護条例を根拠に、ホームページの削除を求める区教委はほとんど頭がおかしいというべきである。
 区教委でも、これはあまりに杓子定規と思われるのを恐れてか、新聞記者に問われると、あれこれいろんな理由をつけ加えている。「児童の名前がインターネットにのると、教育関係の業者が営業に使うなど悪用される危険性」(毎日新聞)、「誘拐などの犯罪に結びつく危険性」(読売新聞)などというのだが、バカも休み休みいってほしい。教育関係の業者はとっくの昔に児童名簿を手に入れて使っているだろうし、誘拐を企てる犯罪者は、児童が書いた自己紹介文などではなく、もっとちゃんとした情報収集をするだろう。
 これほど訳がわからない人が教育委員会にのさばっている世田谷に住まなくてよかった。

「こういう保護者を持たなくて良かった」と思うのは、私だけではなかろう。後段の部分が納得できないわけは、先に述べた朝日新聞の記者に対する私の言葉で十分である。また、前段の「どこでもやっている」「どこでも、児童一人一人がそこにちょっとした自己紹介をのせたりしている」は明らかな誇大妄想だし、「児童も父母もみんなインターネットにのることを喜んでいる」というのは、問題のすり替えだ。喜んでいるのは、ホームページ上でこれは△△の○○さんと「特定」してもらうことではなく、これは自分(あるいは自分の子ども)だと「識別」できることなのだ。メールの宛先にしたって同じ。「特定」できなくても、「識別」さえできればメールは届くのだから。
 そうした考えから私なりに知恵を絞って、「個人を特定できる情報」と「個人(通信相手)を識別するための情報」を区別したのが、朝日新聞記事の中にある私なりのガイドラインである。もっとも、それが必ず条例に沿っているという保証はないが。

 3.今、何をなすべきか
 学校が、子どもたちにとってこれほど魅力ないものになってしまったのは、外部からの圧力に屈して「〜をするな」と言うばかりで、「〜をしよう」という部分をおろそかにしてきたからだと、私は思う。インターネットと「個人情報保護条例」の問題にしても同じである。だから、ここでもまた同じ過ちを繰り返してはならない。
 その打開にひとつの手がかりになりそうな書き込みをキッズリンクで見つけたので、それを紹介して、本稿を締めくくる。以下は、ヤフー(世界最高のホームページ検索サーバー)にある、インターネットを利用する上での「子ども向けのルール」の日本語訳である(山田浩之氏訳)。

「アメリカの子供向け」のネット上での安全のための注意事項

a:自分の住所、電話番号、両親の職場の住所や電話番号、学校の名前や住所などを、両親の許可なしに誰かに教えないこと。
b:なにか変なことがあったら、すぐ両親につたえること。
c:両親の了解なしに、ネット上で会った人と会うことは危険です。もし両親が許可しても、公共の場で親同伴で会うこと。
d:両親の許可なしに、自分の写真などを誰かに送らないこと。
e:ヒワイな内容や、気分を悪くさせるようなメール等には、返事を書かないこと。そのようなメール等をもらうのは、もらう人が悪いのではありませんから、もしそうなってしまったら、両親にそのことをすぐ伝えましょう。そうすれば、サービスプロバイダーに連絡を取ってくれるでしょう。
f:ネットでのルールを両親と話して決めてみてはどうでしょう。何時に使うかとか、1日何時間までにするとか、どういったところを見るかとか。両親の了解なしにこの約束を破って、他のところに見に行かないこと。

もちろん、これだけなら日本の悪名高き「校則」と大差はないが、驚いたのはこれに続く解説だ。

原文は自分が「子供」だとして「I will」の文体で書かれていますから、これを日本語のどのような文体にしたらいいのかは私はわかりません。日本語だと「You should」の文体にすぐなってしまいますね。でも「I will」と「You should」の間にはbig difference がありますから、そのニュアンスを伝えるのは私には至難です :-)

この「You should」ではなく「I will」を大切にして、インターネットを大きく育てていくことが、これからの教室に大いなる魅力と活力をもたらすものと、私は信じてやまない。


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