「パソコン通信」と言うと、まだ一般には「興味はあるけど、自分にはとてもとても…」と尻込みされる方も多いようです。しかし、実際にやってみると意外に簡単(極めようとすればずいぶん奥が深いですが)で、とても楽しいものです。ここでは、そんなパソコン通信と私の出会いから現在までを、特に子どもたちとの関わりを中心にできるだけ詳しく述べていきたいと思います。
本来、理科系とはまったく無縁な私がパソコン通信について述べるのは、漁師がスイカの出来不出来を批評するように無謀なことでしょう(たぶん、受講者のみなさんの中にも、私などよりずっとパソコンに詳しい方がおられると思います)。ですが、逆にそのことを通して、パソコン通信を少しでも身近に感じていただければ幸いです。
私が初めてパソコンに出会ったのは、大学の研究室ですから、もう10年以上前になります。卒論の指導教授が、研究室に当時最先端のPC9801を導入したのです。そのパソコンに向かう教授の姿を見たときは、小柄な教授が本当にひと回りもふた回りも大きく感じたものでした。しかし、当時その高価な器械にわれわれ学生(それも文科の)が触れさせてもらうなど、とても考えられないことでした。
就職して2年目(S61.5)、私も卓上型のワープロを買いました。小さな液晶画面に3行しか表示されない、反応も遅い、今思えばずいぶん高い代物でしたが、それでもきれいな字で印刷できるというのは、字が下手な私にとって、何よりの宝でした。
さらにその1年半後(S63.1)、そろそろワープロに飽き足らなくなっていた私は、久しぶりに遊びに行った高校教員の叔父の家で、PC9801VM−21と出会いました。そして、いろいろな実演をしてもらううち、今までまったくの高嶺の花だと思っていたパソコンが、急に身近に思えてきたのです。元々衝動買いの名人の私は、「よし」とばかりにすぐ電器屋に走り、当時最先端で、軽自動車が軽く買えるように高価なPC9801VX−21のフルセットを買ったのです。
VX−21が届いた日のことは、今でも忘れません。立ち上げ方も何も分からず、時間があっという間に過ぎていきました。でも、それは本当に楽しい時間でした。そして、その処理速度の速さ・・・今ではイライラしてしまいますが・・・それはまさに、感動のひと時でした。
S63.4、私は天草の離島、御所浦(嵐口小)に転勤しました。一人暮らしで、時間だけは十分にありますから、パソコンゲームなどをたくさん集めてやっていました。
さてそんなある日、友人のお父さんがこぢんまりとパソコンの取り引きをやっておられて、帰省してその事務所におじゃましたら、たまたまパソコン通信をやっておられる最中でした。私も雑誌か何かで目にすることはありましたが、実際に見たのは初めてで、本当に驚きました。確か、まだ当時は県内にID(会員番号みたいなもの)を持った人が何人かしかいない、と言われていましたから、今思えば本当に幸運だったと思います。
そこで、わさもん(「新しい物好き」という意味の熊本弁)の私はその場でモデムを買い求め、すぐにPC−VANという有料の全国ネットに入会手続きをとりました。確かIDが下りるまでは、2ヶ月以上かかったと思います(今もでしょうか?)。その待ち遠しかったこと。
こうして、私もパソコン通信の仲間になったのです。と言っても、たまに熊本の地域掲示板を覗いて、ちょこっと書き込むくらいでした。ただ、島での一人暮らしで何となく心細いのをなぐさめるには、それでも十分でした。
個人的にちょこちょことパソコン通信を楽しむだけだった私に転機が訪れたのは、およそ半年後でした。いつものように、熊本の地域掲示板を覗いていた私の目に、衝撃的なメッセージが飛び込んできたのです。それが、以下の文です。
#7845/7853 熊本 ★タイトル (CPC01384) 89/ 1/30 20: 9 ( 25) ★内容 1.島の特産物はなんですか。 いそがしいかもしれませんが、おしえていただけるのならぜひお願いします。 加山・薄田・山口・山田 1989年1月29日 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 突然、申し訳ございません。 |
この蓮見先生は、確か今、このネットの教育SIGのサブオペか何かをしておられる方です。NTTのパソコン通信PR用のビデオにも登場されていました。
ともかく、今までは自分の趣味の範囲でしかなかったパソコン通信に、こんな使い方があるのか、と知ったのは、たいへんな驚きでした。
さて、私はさっそく当時受け持ちの5年生に返事の作文を書かせました。幸い、御所浦町の主要な産業である農業・漁業は、1学期にたっぷり時間をとって調べてありましたから、子どもたちも興味を損なわずに取り組めました。そして、できあがった次の返事を、私が電子メールにして送りました。
旭町小のみなさんへ こんにちは。ぼくたちは、熊本県天草郡御所浦(ごしょうら)町立嵐口(あらくち)小学校の5年生です。みなさんが島のようすを知りたいということなので、ぼくたちの島や学校の紹介をします。 1.島の特産物 2.島の人のおもな仕事 3.島のようす みなさんの勉強の役に立ちそうですか?最後に、ぼくたちの作ったかえ歌を紹介します。
ご返事、お待ちしています。 1989年2月2日 |
この後も、お礼の手紙やら何やらで、何回か手紙のやりとりをしました。さらに蓮見先生に教えられて、(それまではそんなものがあることさえ知らなかった)教育SIGに顔を出し、いろいろな方と知り合いになりました。その中には、本渡市出身の東京の堀田龍也先生もおられ、話が弾みました。
こうして、一見充実した日々を過ごしていたのですが、実は大きな落とし穴が待っていたのです。それは・・・「みかかさん」(カナで「みかか」と打つと「NTT」となる)の請求書。何と、8万円。あの血の気が引いていく感覚は、今でも忘れません。でも、考えてみれば、天草から熊本までは当時3分120円で、長崎よりも高かったのですから、当然と言えば当然かも知れません。
さてそんなわけで、こんなことを続けていたら、いくらへき地手当があっても破産する、と反省した私は、以後パソ通を大幅に控えるようになりました。時期的にも、6年生担任で仕事が忙しくなったし、島暮らしにも慣れて魚釣りに燃えるようになったし
すっかりパソ通とは縁遠くなっていた私に、2年後再び転機が訪れました。
当時(H3.10)1、2年生だけの小さな分校(外平分校)にいた私のところに、読売新聞西部本社から「パソコン通信作文コンペ」の申し込み案内が送られてきました。ちょうど小学校のテーマが「私たちの学校自慢」なので、外平分校のよさや楽しい様子などを、大勢の見知らぬ人たちに伝え、そのことで子どもたちのふるさとに対する愛情を育て、さらには分校生活のいい思い出にするよい機会だ、と思って、私はさっそく申し込みました。
コンペが始まると、子どもたちはたいへん意欲的に、作文を次々と仕上げてきました。幸いこの期間、ホストのYOMINET(北九州市)へはフリーダイヤル(通話料無料)でアクセスできましたから、私は山のような作文を、電話代を気にせずに送りまくることができました。
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かくして外平分校は、1ヶ月余の間に154もの作文とメッセージを送り、見事「NTTトーク賞」(特別賞)を受けることができたのです。
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さらにこの受賞式で、金賞を受けた上益城郡袴野小と「交流会をしよう」という話が盛り上がり、2月23日(日)に熊本市のスケート場で感激の対面が実現しました。
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その感激を、当時袴野小6年の新宅真奈美さんは、1年後にこう作文に書いています(一部を抜粋)。
初めて真人香ちゃんに会ったときの喜びは、今でもわすれることができません。この人が真人香ちゃんなんだなあ、と思いました。まるで、ずっと前から、友だちだったみたいに意気とうごうし、スケートをしながら、真人香ちゃんたち分校の人と、仲良くなることができました。そして、天草のことをくわしく教えてもらいました。真人香ちゃんのお父さん・お母さん方の仕事の様子も分かりました。ご両親は、いつもいっしょに海に魚を取りに行かれるそうです。真人香ちゃんは、海で取れたというほら貝の貝がらをおみやげに持ってきてくれました。それは、今まで見たことのない大きな貝がらだったので、びっくりしました。 |
しかしこの直後の異動で、私も、袴野小の高田信一先生(現御船町立小坂小)も異動してしまい、残念ながら両校のパソコン通信による交流は途絶えてしまいました。ですが、子どもたち同士の個人的なつながりは、今も続いているそうです。
こぢんまりとして家族的な反面、どうしてもマンネリ化しがちだった分校に、パソコン通信は新しい風を吹き込んでくれました。そして私も、このことを通して再び、パソコン通信の持つ力を再認識したのです。
H4.4、私は現在の熊本市立春竹小に異動しました。同時に住居も実家に戻り、市内通話料金でパソコン通信ができるようになりました。
しかも4年生という、委員会もなく部活等もあまり忙しくない、結構動く学年の担任になりました。これはパソコン通信に取り組めるな、と思っていた矢先の6月、NTTから「九州電力ふれあい旬間」の作文コンクールに合わせた臨時ネット(KYU−NET)設置の知らせがありました。私は、これはチャンスだと思って、子どもたちにパソコン通信のすばらしさを説き、参加を促しました。幸い、さすが熊本市内だけあってワープロを扱える子が数人おり、この子らを中心に何通もの手紙を自分たちでワープロ(一太郎)のファイルに仕上げていきました。おかげで、学期末の忙しい時期にもメッセージを送ることができました。
しかし、時期が学期末だったこと、福岡までの電話代が送信者(こちら)持ちだったこと、などが原因で他校からの反応はほとんどなく、「パソコン通信作文コンペ」のような盛り上がりを期待していた私には、残念な結果に終わりました。
ただ、当の子どもたちは、そうがっかりはしなかったようです。むしろこれをきっかけに、パソコン通信で送る喜びを知ったこと、ワープロがだいぶ打てるようになったこと、などで結構満足したようです。
4年生では、2学期に入ってすぐ社会科で「わたしたちの熊本県」という学習をします。熊本県各地の地形や気候の様子と、それに基づいた産業について学習していくのです。
そこで、これを機会に1学期に取り組んだパソコン通信を生かせないかと思い、9月23日(祝)に情報提供を呼びかけるメッセージを、PC−VANとくまさんネット(熊日新聞)の2つに送りました。さらに、それを見た方がひのくにねっと(熊本県農業農村活性化塾)に転送して下さり、県内各地から地域の様子を教える情報や応援のメッセージが、次々に届きました。特に、八代市立金剛小学校4年生の鶴山夏織さんと知り合いになることができました。
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かくして、わずか1ヶ月足らずの間に延べ20を越えるメッセージが届けられ、子どもたちもたいへん喜びました。そこで、これらを1冊の文集にまとめるべくワープロと格闘を始めました。幸い、1学期に取り組んだ成果でワープロを打てる子がだいぶおり、たいへん活躍してくれました。
その結果出来上がったのが、「わたしたちの熊本県」です。さらにこの内容が、ひのくにねっとを通して「ビレッジ」という農業関係者向けの雑誌に紹介され、子どもたちのたいへんな励みになりました(このことで、後に熊本県農業会議から表彰状までいただきました)。
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さらに11月からは、社会科で全国各地の様子を学習するのに合わせ、再びパソコン通信に取り組みました。
まず、熊本県で勉強したのと関連ある地域を全国から6つ選んで、PC−VANの地域別掲示板に、情報の提供を呼びかける手紙を書き込みました。すると、予想以上の反響があり、情報提供の手紙だけでも、北海道6・新潟3・長野7・山梨5・愛知岐阜6・沖縄4、計31。これに応援のメッセージを加えると、優に40を越えるたいへんな数になりました。また、内容も詳しくて、長野県のある方などは5,000字以上ありました。
こういう、読むだけでもたいへんな情報ばかりでしたが、再び子どもたちといっしょにワープロと格闘して文集にまとめる作業を行い、「いろいろな土地のくらしとわたしたちの国土」を完成させることができました。
さらに、この学習発表会を授業参観で行ったところ、先のひのくにねっとの会員の方3人も参観に来られ、感想を述べて行かれました。子どもたちは、それまで画面を通してしか知らなかった方たちと実際に対面することができ、パソコン通信の楽しみがますます深まったようでした。
春竹小では、慣例として3・5年進級時にクラス替えを行うため、2・4年生の学年末には学級文集を作ります。私の組でもいくつかのコーナーを設けて全員に書かせたのですが、その「4年5組での一番の思い出」には、私が「できるだけパソコン通信以外のことを書くように」と促したにも関わらず、それでも33名中12名がパソコン通信のことを書いていました。それだけ、子どもたちに強い印象を与えることができたのでしょう。
それに、「自分でやってみよう」という子も2人現れました。どちらも、以前に自分用のワープロ(通信機能付き)を買ってもらって、しばらくはいろいろ打っていたけど、その後はずっと埃をかぶっていたそうです。ところが学校でパソコン通信をやるようになって、また興味がよみがえったのです。ただ、パソコン通信をするには、さらにモデム(約2万円)を購入しなければなりませんし、電話代も結構かかります。ですから保護者から相談を受けたとき「あまりお勧めはできませんが」と私は答えたのですが、それでも「テレビゲームで遊ぶのを思えば、いいことに使うんだから」と決断されたようです。今では「ひのくにねっと」のIDもとり、すべて自分で操作して下記のような書き込みや読み込み・チャットまでやっています。
(MailR)「電子メール」を読む 7 of 7 93/03/27 14:19:29 7 line(s) from 1118 MAYUKO 題名 (Title): 先生ありがとう! 先生、びっくりした??? ところで・・・・さっきHIROAKIさんとCHATしましたよ!ちょっとおどろいたけどまあまあうまくできました。(びびってしまった!!)楽しかったです。 MAYUKO |
本当に、子どもの上達する速さというのは、すごいですね。
また、自宅から通信ができない子が、今でも「先生、この手紙を送って下さい」と教室にやってくることもあります。おかげで、前の教え子たちとコミュニケーションをとる、絶好の機会を提供してくれています。
今年度もまた4年生の担任になり、新しい子どもたちとパソコン通信に取りかかっています。この1ヶ月余でだいぶワープロの打ち方を覚えてきましたし、1人は今までゲームしかやっていなかった自宅のPC486で打って、ディスクに保存して持ってきます。
また、今年度になって「ひのくねっと」に、小坂小(御船町)と小天小(天水町)が加わり、下記のような手紙のやりとりが始まりました。
小坂小学校のりかさんへ はじめまして。春竹小学校4年2組のなつきです。 熊本市立春竹小学校 4年2組 なつき |
また、このネットが縁で、九州東海大学に留学中の、タイ王国メジョー大学助教授のパッタマさんが来月初旬、我が春竹小4年2組へ授業参観に来られる予定で、子どもたちはとても楽しみにしています。
さらに、春竹小では初めて、今年近くの休耕地を借りてサツマイモを作ることになり、ひのくねっとを通じてイモ苗の提供を呼びかけたところ、さすが農業関係のネットだけあって、さっそく農業改良普及所から提供の申し出があり、とても助かりました。
こういう具合に、今年度もまたパソコン通信とは縁の深い年になりそうです。