このコンサートは、本来なら2020年5月31日に「第119回新潟定期演奏会」として開催されるはずでしたが、新型コロナ禍で延期になり、本日「新潟特別演奏会
2021睦月」として開催されることになりました。
中止ではなく延期ということは良かったのですが、延期された日が平日、それも夜ではなく15時開演です。一般労働者が聴きに行ける時間ではなく、何かの間違いではないかと思いましたが、やはり間違いではありませんでした。
東響のスケジュールでここしか空きがなかったものと思いますが、結果としてコアな東響ファンを切り捨てる形になり、集客が危ぶまれました。
今日の公演は、24日にミューザ川崎で開催された「第680回定期演奏会 in ミューザ川崎」と同じプログラムです。この公演も昨年5月30日に開催されるはずだった演奏会の振り替え公演で、会場をサントリーホールからミューザ川崎に移されて開催されました。緊急事態宣言下にあり、終演時間を早めるため、開演時間が19時から18時15分に変更されました。
東響は、土曜日は新国立劇場で「トスカ」、日曜日は川崎で定期演奏会、昨日は新国立劇場で再び「トスカ」、そして今日は新潟と、大変なハードスケジュールです。
17日の川崎定期演奏会は新型コロナ感染者が出て延期になり、数名の自宅待機者も出たとのことでしたが、演奏活動が再開されて何よりです。
緊急事態宣言下で新潟への移動の可否が心配されましたが、コンサートでの移動は不要不急の移動ではないと解釈され、予定通りの開催となりました。はるばる新潟までに来てくれたことに感謝するとともに、無事にコンサートが開催されたことを素直に喜びたいと思います。
今回のプログラムは、ベートーヴェン生誕250周年を記念して、後半にベートーヴェンが組まれましたが、交響曲ではなく、序曲を4曲演奏するというのが注目されます。
また、前半はボッケリーニ、ベリオ(編曲)、ベルク、後半はベートーヴェンと、いずれも頭文字は「B」ということで、東京(川崎)公演のチラシには「Bに捧ぐ」というキャッチコピーがあります。
さて、今回の指揮者は下野竜也さんです。下野さんの指揮による演奏は、下野さんが東響定期デビューを果たした2002年の9月に、新潟で開催された「東響ホリデーコンサート」を聴いたのが最初です。その後2012年9月に、東京芸術劇場のリニューアル記念演奏会で読売日本交響楽団を指揮した演奏を聴いたことがあり、以来9年振り3回目ということになります。
一方、南 紫音さんの演奏は、これまで新潟市で聴く機会はなく、2010年1月に長岡で開催されたフランツ・リスト室内管弦楽団との演奏会を聴いて以来ですので、11年振りになります。
今日は火曜日の午後ですので、本来なら仕事でコンサートに行けるはずはなかったのですが、ずっと以前からスケジュールを入れないよう調整し、仕事を午前中に切り上げ、午後に休暇をいただくことができました。
ゆっくりと車を走らせ、りゅーとぴあに到着。インフォで某コンサートのチケットを買い、ロビーをうろついていますと、ちょうど開場時間となり、私も入場してこの原稿を書き始めました。
ステージではコントラバスとバスクラリネットが音出しをしており、その後入れ代わりにハープや大太鼓も音出ししていました。
さて、予想通りではありますが、開演時間が近づいてもなかなか席が埋まりません。オケの人数より客が少なかったらどうしようと真面目に心配しました。
大都市とは違って、新潟のような地方都市では、平日昼の集客は難しいでしょう。平日昼開催でも、安価なワンコインコンサートではそれなりの集客実績がありますが、今回は入場料が高額でマニアックなプログラムの演奏会ですので仕方ないところでしょう。19時開演なら別だったのでしょうが。
ともあれ、これまでの東響の新潟での演奏会では最少の集客と思われます。授業の一環かも知れませんが、制服姿の学生さんがたくさん来られていて、高齢者主体の客席の平均年齢を下げてくれたのは良かったと思います。
拍手の中に団員が入場。全員揃うまで起立して待つ新潟方式です。最後にニキティンさんが登場して大きな拍手が贈られました。
弦5部は通常の配置で、私の目視で13-12-10-8-6、次席は田尻さんです。今月10日は小型サイズでしたが、今回は通常サイズで、ステージいっぱいのオケは壮観です。
下野さんが登場し、1曲目はボッケリーニ(ベリオ編曲)の 「マドリードの夜の帰営ラッパ」です。スネアドラムが刻むリズムに導かれて軽快な音楽が流れ出て、思わず心が明るくなりました。遠くから軍楽隊が近づき、眼前を通り過ぎ、駐屯地へと帰営して行く光景が色彩感豊かに繰り広げられました。
原曲は1780年にボッケリーニが作曲した弦楽五重奏曲の第5楽章だそうですが、その古き時代の短い曲をベリオが壮大な現代の管弦楽曲に生まれ変わらせました。全く深刻味のない音楽で、大音量のオーケストラの醍醐味を単純に楽しめて良かったです。
ステージが整えられ、黒と銀のシックなドレス姿が麗しい南さんが登場して、2曲目はベルクのヴァイオリン協奏曲です。
2部構成からなる曲ですが、冒頭から意味深な怪しげなメロディが延々と流れ、清廉なヴァイオリンとオケとが融合して絡み合い、夢幻の世界へとトリップし、意識も遠のきそうになったとき、第2部の激しい音楽に我に返りました。
激しく揺れ動くヴァイオリンが荒々しいオケとともに混沌とした音楽を奏で、その後に揺れ動く波とともに平穏が訪れて、やがてクリスタルのように透明で、胸に突き刺さる音楽に心が清められました。
終盤にニキティンさんと南さんのソロが絡み合い、静寂の中に天に昇るかのような南さんのヴァイオリンの高音の美しさはこの世のものとは思えないほどでした。
第2部後半のアダージョ部分にはバッハのカンタータのコラールが引用されているそうですが、そのコラール自身を知らない私にはよくわかりません。しかし、厳寒の朝の空気のように澄み切った清らかな音楽は、浅学で汚れ切った私の心にも染み渡りました。
これほどまでに透明感にあふれ、剃刀の刃のように尖鋭なヴァイオリンはめったに聴けず、貴重な体験でした。下野さんが引き出した東響の美しいアンサンブルも称賛したいと思います。
おそらくは雑念にあふれた自宅でCDを聴いてもこのような感覚は味わえず、聴く方も心を研ぎすますコンサートホールならではの体験だったと思います。
この曲はベルクが可愛がっていたアルマ・マーラーの娘・マノンの訃報に接して作曲し、弔いの意味が込められているそうです。「ある天使の思い出に」という副題が付けられていますが、
聴き終わって なろほどと再認識しました。 また、この曲がベルク本人にとっても完成させた最後の曲となったことを知りますと、感慨も違ってきます。
休憩時間に新潟のクラシック界の重鎮のS氏に声をかけていただきましたが、素晴らしかったと絶賛されていました。確かにいい曲であり、いい演奏だったと思います。
こういう緊張感にあふれた複雑な音楽を、暗譜で引き切るヴァイオリニスト。プロってすごいんだなあと素人は単純に驚いてしまいます。
後半はベートーヴェンの序曲が4曲です。いずれもオペラ「フィデリオ」の序曲ですが、改訂の度に新しい序曲が作られました。これら1つのオペラに対して作られた4つの序曲をまとめて聴ける貴重な機会です。それにしましても、序曲を4回も作り直したベートーヴェンのこだわりはすごいですね。
最初は「フィデリオ序曲」です。一番最後に作られた最終型であり、演奏される機会も多く聴きなじみがありますが、はやりいい曲ですね。
続く「レオノーレ第1番」は実演では初めて聴きましたが、ちょっと平板に感じました。次の「レオノーレ第2番」は、一番有名な「レオノーレ第3番」とそっくりですが、未完成感が否めません。
最後の「レオノーレ第3番」はやはり良くできていますね。東響の見事な演奏と相まって、感動と興奮をもたらしました。下野さん率いる東響はお見事でした。
と、演奏そのものは素晴らしく、何の不満もありませんでしたが、「フィデリオ」と「レオノーレ第3番」だけでも良かったかなという印象を持ちました。特に「レオノーレ第2番」と「レオノーレ第3番」を続けて聴きますと、感動をそがれるような感もあります。
序曲にこだわるならば、「レオノーレ第1番、第2番」の代わりに「コリオラン序曲」とか「エグモント序曲」とか並べた方が良かったかなと、へそ曲がりな私は考えてしまいますが、ここはオペラ「フィデリオ」の序曲をまとめて演奏することに意義があるんでしょうね。
何はともあれ、前半・後半ともにいい演奏だったということは間違いありません。多忙な中に新潟に来演し、素晴らしいパフォーマンスで魅了した東響の皆さんに感謝したいと思います。
(客席:2階C2-9、¥6000) |