2007年7月16日、柏崎市を中心に、新潟県中越沖地震が発生し、多大な被害を被りました。昨秋、その復興祈念の無料コンサートをツィメルマンが開催することになりましたが、健康上の理由で残念ながらキャンセルされてしまいました。その穴埋めとしてのコンサートが、震災後ちょうど1年になる7月15日に、被災者を招待して柏崎市で開催されることになりました。市内唯一の大ホールである市民会館は復旧の見込みなく、購入したばかりのスタインウェイも被災したと聞きました。そのためコンサートは産業文化会館という400席ちょっとの小さな多目的ホールで開催されます。現役ピアニストでは世界最高と言ってもいいツィメルマンを迎え、招待された方々は幸運と思います。震災からの復興に弾みがつくものと思います。
この柏崎でのコンサートに関連して、新潟でもリサイタルが開催されることになりました。当初のアナウンスでは、今回の来日では、柏崎と新潟だけでのコンサートとの触れ込みでしたが、東京でオケとの共演もありましたし、柏崎同様に昨年キャンセルになった軽井沢の大賀ホールでもチャリティ・コンサートが行われています。
雨は少ないながらも、さすがに梅雨。天候が優れませんが、午後になって少しずつ晴れてきました。今日は仕事だったので、職場から直接駆けつけました。開場少し前に着いたのですが、ロビーは開場を待つ多くの人たちで賑わっていました。私の知人、同業者の皆さんもチラホラ。挨拶も十分できず申し訳ありませんでした。
開場ともに入場しましたが、県外からも多くの人たちが来られていたようで、「りゅーとぴあ」が初めての方が多いようでした。いつものコンサートとは違って多彩な方々がみえていたようです。これほどのコンサートなのでチケット完売間違いなしと考えていましたが、かなり空席があったのは意外でした。こんな機会はめったにないのにと、もったいなく感じました。音楽関係者の姿も見られ、Cブロック最前列にはツィメルマンのご子息もおられました。親子そっくりなのには驚きました。演奏曲目はつい数日前に発表されたばかりですが、最後のバツェヴィチは聴いたことがないのでどんな曲か気になりました。ポーランドの作曲家であり、同郷のツィメルマンとしては思い入れがありそうです。
ツィメルマンが登場し、挨拶もそこそこにバッハの演奏が始まりました。柔らかなピアノの調べ、響きの良いホールがピアノの音色を際だたせます。天上の音楽ともいうべき演奏に酔いしれました。続いてはベートーヴェン。実はどうして「悲愴」なんだろうと内心ガッカリしていたのですが、とんでもありませんでした。ダイナミックかつ繊細な音。強靱なフォルテシモでも音は濁らず、ピアニシモの美しさは比類なし。いつも聴くスタインウェイの音とは全く異なります。まさにツィメルマンの音です。曲としてはあまりにポピュラー過ぎる「悲愴」ですが、これまで聴いた「悲愴」とは全く違った曲に感じました。
後半のブラームスも言いようのない美しさです。始めは優しく、最後は力強く、4曲をひとつの曲のように演奏しました。そして圧巻はバツェヴィチ。当然初めて聴く曲ですが、音の輝き、ほとばしる情熱と超絶技巧に息を呑みました。現代曲で馴染みにくいかと危惧していましたが、きらめく音の洪水に身をゆだね、精神的高揚を抑えきれませんでした。観客も真剣に聴き入り、音の余韻、無音の美しさを感じることができました。アンコールのシマノフスキも同様のすばらしさ。スタンディングオベーションで終演となりました。
なお、アンコールのシマノフスキは、りゅーとぴあ発表では「ポーランド民謡による幻想曲作品10」となっていましたが、「幻想曲」ではなく、「変奏曲」が正しいかと思います。
やはり、たまには超一流の演奏を聴かないといけませんね。新潟ではこういう機会がめったにありません。アマチュアとか地元演奏家ばかり聴いていると耳が衰えるようです。私にとって音楽は芸術である前に娯楽であり、精神性がどうの、演奏技術がどうのとご託を並べるのは嫌いなのですが、このように心にダイレクトに迫ってくる音楽に出会うと、これこそ芸術だと感じ入ってしまいます。最近音楽を聴く機会が増えましたが、このような感動を覚えることはたまにしかありません。新潟のような田舎町で貴重なリサイタルを開いてくれたツィメルマンに感謝です。
さて、私の席の周りには、包み紙バリバリのあめ玉オバサンとか、ペットボトル・オバサン、鼻息スースー・オバサンとか、いつもの方々がおられましたが、ステージに駆け寄って贈り物を渡したオバサンには仰天しました。さすがにオバタリアンパワーにはかないません。
(客席:C6−7、S席会員割引:7650円) |