呼吸不全とは、肺での酸素(O2)と二酸化炭素(CO2)のガス交換がうまく行われず血液中の酸素分圧(PaO2)が減り、炭酸ガス分圧(PaCO2)が増加する状態を指します。筋ジスでは、呼吸筋の進行性の萎縮による胸郭の運動制限(肺活量低下:拘束性障害)により換気量が低下する事がその主たる原因です。DMDの場合は車椅子を自分でこげなくなった頃から問題となってくることが多いようです。また、筋強直性ジストロフィーの場合は、中枢神経の呼吸中枢の障害も加味され、PaCO2の上昇を来しやすいと考えられます。
呼吸不全治療には人工呼吸器の使用が必要であり、種々の人工呼吸法が工夫されています。気管切開による陽圧式人工呼吸が一番確実ですが、気管切開の必要がない体外式人工呼吸や鼻マスク式人工呼吸も広く使用されています。動脈血の炭酸ガス分圧(PaCO2)が 60Torrを越える頃が治療開始の目安となります。この頃になると、患者は自分で上半身や頭部を前後にゆすって呼吸する(胸部を圧迫したり解放したりして呼吸を助ける:舟こぎ呼吸)ようになり、呼吸不全治療開始のよい指標になります。
呼吸不全が問題となるような状況の時は、痰の喀出障害や嚥下障害も問題となることが多くなります。そのため痰づまりや誤嚥、呼吸器感染により呼吸不全は急激に悪化します。また呼吸不全の悪化が心不全にも影響を及ぼすし、さらに全身状態を悪くします。このように単に呼吸だけの問題でなく、全身的・総合的に考え、対策を講じる必要があります。また、呼吸機能の低下している患者の航空機利用の危険性も指摘されています。航空機内では気圧が低く、低酸素になりやすい状況があり、人工呼吸管理者の航空機利用には十分な注意を要します。
(1)呼吸不全の症状
全身倦怠、食欲不振、頭痛・頭重(特に起床時)、目覚めが悪い、チアノーゼ、冷汗、体位変換の要求増加、鼻翼呼吸、舟こぎ呼吸など。特に、初期は夜間の呼吸状態の悪化が中心なので、目覚めの頭痛、目覚めの悪さ、悪夢などがいい指標になります。
(2)呼吸機能の検査
肺活量の測定、血液ガス(BGA)、経皮動脈血酸素飽和度測定(SpO2:パルスオキシメーター)などの検査を定期的に行います。経験的に、肺活量が正常の40%を切るとそろそろ注意が必要です。
(3)呼吸不全の治療
1)呼吸訓練
当院では、肺活量の低下がみられる頃から、リハビリで呼吸訓練を開始しています。IPPVという器械を使った呼吸訓練を実施しています。呼吸筋の維持、胸郭の柔軟性の維持により肺活量を保つことが重要です。息を吸う力だけでなく吐く力も重要です。つまり、咳をし、痰を出す力を維持することも大切です。早期よりIPPV訓練をすることで、後の人工呼吸管理を受けやすくするという利点もあります。
2)酸素吸入
呼吸不全が進行してくると、夜間の低酸素が目立つようになります。これは、睡眠により呼吸が浅くなることが原因です。夜間の動脈血酸素飽和度をパルスオキシメターでモニターし、90%以下に低下する割合が目立つようなとき、微量の酸素吸入を行うと有効です。しかし、多量の酸素は、CO2ナルコーシスを誘発し、呼吸抑制を起こすのでむしろ危険です。筋ジスの呼吸不全の原因は換気障害なので、酸素吸入だけで問題は解決されません。さらに進行し、昼間も低酸素が続いたり、動脈血中の炭酸ガス濃度が高く、60Torr以上(正常は45Torr以下)になるようなときは人工呼吸管理が必要になります。
3)人工呼吸管理法
気管切開による陽圧式人工呼吸管理が一番確実ですが、初期の呼吸不全に対して従来は、体外式人工呼吸器(CR)を使用していました。しかし、装着が大変な割には必ずしも換気効率が良くないことから、最近は鼻マスク式人工呼吸(NIPPV)が盛んに行われています。
4)体外式人工呼吸(chest respirator: CR)
胸部にコルセットあるいはグリッドをかぶせ、さらにポンチョを着せて空気漏れのないようにし、コルセット内の空気を吸い出し陰圧にし、胸郭を広げさせて吸気する方法です。装着に手間がかかり、吸気圧・呼吸数の設定が難しい、その割に換気効率は良くない、などの欠点があります。
当院ではこれまで Emerson社製を使用し、ポンチョ型を用いていました。最初は30分位から開始し、徐々に延長し、夜間消灯から起床までの使用を目標としました。通常、夜間の使用により、日中はCRなしで生活できる状態になります。換気効率としては、PCO2の10mmHgの低下、PO2の10mmHg上昇というところです。その後は血ガスやパルスオキシメターの値を見ながら使用時間を考えます。CRは騒音対策のため、当院では木箱に収納してあります。吸気圧の調整、回数の調整はそれぞれのダイヤルにより、細かい調整が難しいのが難点です。通常吸気圧は15〜20cmH2O、呼吸回数は20回程度としますが、回数の設定は吸気、呼気時間を別々に設定するので煩わしいです。(通常1:2位になるようにします。)
しばらく忘れ去られていた感がありましたが、モニター類が整備され、調整もしやすい新製品が最近発売され見直されつつあります。ただし、少し高価なのが難点です。
5)鼻マスク式人工呼吸 (nasal intermittent positive pressure ventilation: NIPPV)
気管切開がいらない人工呼吸法として、筋ジスの分野では全国的に普及しています。鼻に当てたマスクから空気を送り込むのですが、初めは慣れないので、日中少しずつ練習し夜間使用できるようにします。夜間きちんと使用できると、日中外せることが多いようです。ただし、マスクの煩わしさ、圧迫による皮膚潰瘍、胃に空気を飲み込んでしまう、口を開けると空気が漏れる、等の問題点があり工夫が必要です。鼻マスクの他に、鼻と口を覆うマスク、鼻に入れるプラグ、マウスピースなども使用されます。口からの呼吸は、mouth IPPV ということで MIPPV といいます。鼻からの方法、口からの方法を合わせて、非侵襲的間歇的陽圧呼吸 noninvasive IPPV と呼びますが、この略号も NIPPVとなります。
参考:NIPPV及びその変法について
(1)インターフェイス
@鼻:Nasal IPPV: NIPPV
鼻マスク、鼻プラグ(ADAMサーキット)、鼻ピース、
ミニマスク、個人用型取り鼻マスク
A口:Mouth IPPV: MIPPV
マウスピース、リップシール
B口鼻:Strapless oral nasal interface IPPV: SONI IPPV
フルフェイスマスク
(2)人工呼吸器
@従量式:PLV-100、LP-10、KV-1+1 他
一回換気量はエアリーク分も含め、やや多めに設定します。気道内圧は13〜20cmH2O位が目安です。酸素は通常不要です。
一定量だけ送り込むのでエアリークの補償はされません。
A従圧式:BiPAP S/T、Companion 335 他
吸気圧(IPAP)・呼気圧(EPAP)の差で呼吸が行われます。
器械により圧上限に限界(従来のBiPAPで20cmH2O、Companion
335で35cmH2O)があります。
長期となり胸郭のコンプライアンスが低下すると換気不足になる可能性があります。
換気量(volume)の調整はできません。アラーム類が不備、動作音がややうるさいという問題もあります。
BiPAPは器械の操作が簡単なことから、在宅用に普及しています。
(3)導入
練習が必要です。はじめは換気量・圧を少な目にして開始します。数分の使用から慣れさせます。
BiPAPならEPAP 8程度から徐々に上げます。
(4)問題点
皮膚潰瘍、エアリーク、腹部膨満、エアリークによる結膜炎、上気道乾燥、鼻閉・鼻汁などが問題となります。
排痰さえ問題なければ、気管切開はもはや不要であるとまで言い切る研究者もいますが、換気効率は気管切開に劣り、肺炎を起こして痰が多いようなときはまかないきれません。24時間マスクを付けっぱなしなようなら、むしろ気管切開した方が生活が向上するかも知れません。
6)気管切開による人工呼吸(Tracheostomy intermittent positive pressure ventilation:TIPPV)
確実な人工呼吸管理を行う上では、気管切開が一番であることは間違いありません。痰の吸引も容易です。カフにより、誤嚥の防止にも有効です。ただし、不都合な点、筋ジス固有の問題点もあります。
まず、一般的な問題点として、手術が必要であること、気管に直接気管カニューレを入れるので、清潔操作が必要なこと、定期的なカニューレ交換が必要なこと、気管カニューレの刺激で分泌物が多くなること、吸引が必要なこと、感染症を起こしやすいことなどの問題があります。
また、筋ジス固有の問題があります。筋ジスでは脊柱変形、胸郭変形に伴って、気管が変形しており丸くありません。そのため、カフに空気をたくさん入れても空気漏れが生じます。(しゃべれるという利点にもつながりますが。)そのため換気効率が悪くなることがあります。また長期になるとカフによる圧迫により、気管壁に潰瘍が生じる危険があります。筋ジスでは変形のため、より起こりやすいと言えます。また、気管の直ぐ上を腕頭動脈が横切っていますが、胸郭・脊柱の変形により、脊柱、動脈と胸骨の間に気管が挟まれ、気管潰瘍が深くなると、動脈に達して大出血を起こすことがあります。当院でも数例の経験があります。最近は、気管切開のやり方を工夫し出血例はありませんが、長期となると問題です。
7)舌咽頭呼吸法(Glossopharyngeal breathing: GPB)
舌と咽頭、喉頭をポンプのように動かして肺に空気を送り込む方法です。@まず舌・下顎を下げ、口腔と咽頭いっぱいに空気を満たす。A口を閉じ、軟口蓋を挙上して空気をとらえる。B下顎・舌などの口腔下部、喉頭を挙上し、同時に舌を動かして、空気を喉頭から気管へ押し込む。Cできるだけたくさんの空気を押し込んだ後、喉頭蓋を閉じ、以下、同様に繰り返す。これにより、1吹い当たり約60mlの空気を吸うことが可能で、10〜20吹い分の空気をため込んだ後受動的に吐き出せば、換気をある程度維持することが可能です。しかし、習熟が必用であり、どの患者も可能というわけではありません。
(4)排痰の問題
呼吸筋麻痺のため有効な咳ができないこと、咽頭筋麻痺のため分泌物が喉にたまりやすいことなどにより排痰の問題が生じます。呼吸不全と伴うことも多いです。特に、気道感染を起こして、痰量が増加したときが問題です。対策としては、去痰剤剤投与、ネブライザー、体位排痰、タッピング、バイブレーションなどがありますが、自力での排痰が困難な場合は、胸押しして排痰を補助したり、吸引器を使用する必要があります。最近では、排痰補助装置(Mechanical
In-Exsufflator:カフマシーン)も試されています。しかし、排痰障害が改善されず、痰や分泌物による窒息の危険が多いときは、気管内挿管、気管切開が必要となります。
徒手的咳嗽介助(Manually assisted coughing)
患者の胸郭下部に介助者の両手を置き、咳嗽に合わせて圧迫し、呼気流速を高めると排痰しやすくなります。マスクによる吸気補助などを併用するとより効果的です。
排痰補助装置(Mechanical In-Exsufflator: カフマシーン)の開発
呼吸筋の力が低下し肺活量が低下すると、痰を排出するための有効な咳を作り出すことができません。これを解決するため、気道に陽圧をかけ(最大40cmH2O)、急速に(0.1秒)陰圧(-40cmH2O)に移行させることにより、人工的な咳を作り出します。これにより10L/secの呼気流速(健常人の咳は6〜10L/sec)が得られ、気管支や肺に貯留した分泌物を除去することが可能となります。体位排痰法や徒手排痰介助法の併用により、より効果的に使用可能です。±10cmH2O程度の低圧から徐々に慣れさせるとよいです。1回につき5回まで繰り返します。それ以上は過換気になる危険があります。1回で改善しない場合は、30秒ほど休憩を入れて再度施行します。口腔内に痰が上がってきたら拭き取るか吸引します。これまで合併症の報告はありませんが、気胸のある患者には行わないようにします。