本篇收むる所の幽霊及鴛鴦の二文共にLafcadio Hearn氏著Kwaidanの中より抜粋せしものなり。
怪談其他数多の同氏が著書はヲシントン、アービングの如き流暢なる英文を以てよく我國の人情風俗を書き表はしたるものにして泰西の読書社會は雙手を擧げて氏の著作を歡迎し氏を以て世界第一流の文學家となすに至れり。
ハ−ン氏は西暦一千八百五十年ギリシヤに生れぬ、
父はアイルランドの人にして母はギリシヤ人なりき父はギリシヤに居る事六年にして一家を携へて故郷アイルランドに歸り住みぬされど悲い哉父の不品行にして無慈悲なる、
遂に多年付き添ひきし妻をすて、新に土地の一少女を娶るに至り、
哀なる少年ハーンは叔母の許に養はるゝ事となり十四才の時巴里の紳學校へ送らるゝ事とはなりぬされど彼は基督教を好まざりしかば少しも紳學を勉強せず却て佛蘭西文學に耽り他日能文家たるの基礎を作りぬ、
巴里に居る事四ヶ年にして米國に渡りニユーヨークにて新聞社に入りしが、やがてシンシンナチに移り同じく記者として文名を恣にしたたりき、
されど氣候よろしからざりしかば去って佛蘭西の西印度請島中なるワルチニク島に渡り、後、日本の風俗人情を慕ひて遂に我國に来航するに至れり是れ實に千八百九十年の事なり
横濱に上陸して三ヶ月の後英語教師として松江中學に赴任し其地に於て小泉節子と結婚し終には三男一女を擧げたり、
翌年熊本高等學校に轉じ居る事三年にして紳戸クロニルの記者となり、初めて茲に小泉八雲と名のりて日本人となりぬ
翌年即千八百九十六年東京帝國大學の教授に任命せられ千九百三年に至る迄熱心に英文學を講じて學生の景慕する處たりしが
一朝或事情の爲に大學を辭せざるべからざる事となり代つて早稲田大學に講師となり忽ちにして前の如く生徒の敬服する處となりしも幾何もなくして病の為に没しぬ時に年五十四才、
著す所
Extocs and Retrospectives.
In Ghostly Japan. Shadowings.
A Japanese Miscellany.
Kotto. Kwaidan. Japan.
Glimpses of Unfamiliar Japan.
Out of the East. Kokoro. etc,
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