海軍兵学校 歴史年表

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嘉永6年(1853)
10月15日 幕府は長崎奉行を通じオランダ商館長に海軍建設について助言、協力を求める。

安政2年(1855)
7月29日 長崎海軍伝習所を開く。

安政4年(1857)

4月11日 築地講武所内に軍艦教授所(操練所とも)を開く。

安政6年(1859)
5月18日 長崎海軍伝習所を閉鎖。

文久3年(1863)
4月 神戸に海軍操練所を開く。

慶応1年(1865)
3月9日 神戸の海軍操練所閉鎖。

慶応3年(1867)
11月 英国よりル・エ・レトシー以下数名を招き海軍術を伝習させる。

明治元年(1868)
2月 英国より招へいの教官を止める。

明治2年(1869)
3月 田中義門ら海軍操練所開設に従事。
9月18日 東京築地、広島藩邸に海軍操練所を創設。
11月27日 海軍操練所始業。

明治3年(1870)
2月23日 「千代田形」艦を稽古艦と定め操練所に。
8月7日 教官官名を定め兵学頭以下権少属に至るまで文官制とする。
10月27日 兵部大丞川村純義兵学頭を兼ねる。太政官布告により兵学寮規則、兵学寮内則定む。
11月4日 太政官布告により海軍兵学寮と改称。
11月8日 幼年生徒、壮年生徒を撰定する。

明治4年(1871)
1月8日 生徒の服制を定める。
1月10日 海軍兵学寮規則を定む。
2月22日 生徒11名に外国留学を命ずる。
3月17日 兵部大丞川村純義、兵学頭兼官に。
5月22日 生徒馬術の科を設く。
7月25日 新築学寮に移る。
7月28日 兵部省海軍部の所管となる。
8月5日 教官を武官制に。
8月25日 東京正午号砲当寮の所管となる。
9月24日 新生徒入寮。合計幼年生徒95名、壮年生徒19名にして在来生徒、幼年62名、壮年49名計 225名となる。
11月3日 海軍少将中牟田倉之助兵学頭に任ぜられる。

明治5年(1872)
1月9日海軍始式、勅語を賜る。
2月27日陸海軍省創立により当寮は海軍省の所轄となる。
5月18日練習艦「筑波」西海道御巡幸中艦隊に編入せられ、一部生徒乗艦。
8月4日幼年生徒を予科生徒、壮年生徒を本科生徒と改称す。土、日曜休日とする。
8月17日生徒食堂規則及び賞券法を定める。
8月28日予科学舎落成。当寮諸員勤務及び講堂規則を定める。

明治6年(1873)
1月28日 本寮生徒入寮年令15〜25年を改め13〜15年までと定める。
7月 海軍兵学寮に機関課を置く。
7月3日 本年夏季休業を7月15日から8月15日まで5週問と定める。
7月27日 英人雇教師アーチホールド・ルシアス・ドーグラス以下34名来着。
9月3日 イタリア皇甥トーマス殿下来寮。
9月18日 生徒志願者入寮前2週問通学させ、その適否を精査。
10月8日 ドーグラスの建議による兵学寮規則を定める。

明治7年(1874)
1月15日 生徒の修業科目(砲術、運用、測量、蒸汽、造船)変更。
1月 英国教師招へいにより学業はじめて実地に就く。
1月 生徒のためビリヤード設置を要求。
5月5日 機関生徒のため横須賀に当寮分校を置く。
5月10日 海軍練習艦初めて航行する。
6月3日 横須賀海軍兵学分校を開く。
9月20日 はじめて水雷の術を修む。
10月20日 予科生徒入校。
10月23日 会計学舎(芝山内)生徒教育開始。

明治8年(1875)
1月9日 海軍始式。
2月11日 分校生徒処罰規定を定める。
5月 機関生徒召募を告示。
6月9日 生徒を英国及び米国へ留学を命ずる。
7月23日 先任教師ドーグラス帰国。
9月2日 海岸に建築せる重砲台成る。
9月20日 砲術生徒学校を海兵士官学校と改称、10月機関科第1期生徒卒業。
10月17日 海軍少将兼兵学頭中牟田倉之助免兼官。
10月24日 海兵士官学校仮規則制定。
11月25日 三菱会社商船学校創設のため航海運用教官を貸与。

明治9年(1867)
1月6日 清国海軍生徒20名当寮視察。
1月30日 生徒長、生徒次長をおく。6月8日朝鮮国修信使来る。
6月15日 イギリス海軍中将ライダ来校。
8月31日 会計学舎を主計学舎と改称。
9月28日 海軍兵学寮を海軍兵学校と改称。
9月11日 予科生徒34名本科に進む。
9月28日 予科生徒13名機関本科に転入。
10月10日 海兵士官学校自今本校所属となり兵学校分校と改称。

明治10年(1877)
1月18日 予科生徒50名採用入学。
2月19日 鹿児島県暴動につき本校所轄「筑波」艦当分鎮守府所轄常備艦に定められ、砲員不足       のため生徒23名乗艦のまま23日横須賀発兵庫に向う。
2月23日 生徒21名「浅間」艦及び「日進」艦に分乗。
5月19日 海外留学生帰京の者、医務局生徒及び造船所生徒を除き自今兵学校管轄と定める。
8月22日 「筑波」艦本校所轄練習艦に定める。
10月31日 白今本校に次長を置く。
11月9日 本科生徒伊集院五郎、深尾弘、イギリス留学申付ける。
12月15日 午後3時芝離宮に於て本校雇教師イギリス人ウイルラン夫妻以下10名接待。
11月16日 主計学舎を廃止する。

明治11年(1878)
1月14日 本校卒業生徒斎藤実以下18名実地練習のため「乾行」艦乗組を命ぜらる。
1月17日 帆船「肇敏丸」当分の間練習艦として兵学校所轄となる。
1月19日 兵学校所轄横須賀分校を造船所内に移す。
4月5日 海軍大佐仁礼景範校長仰せ付けらる。
4月27日 「金剛」艦を本校所轄練習艦と定める。
6月4日 兵学校所轄横須賀分校を自今兵学校付属機関学校と改称。
6月20日 機関科生徒12名召募を東京府へ達する。
7月22日 卒業生徒出羽重遠以下35名海軍少尉補に任ずる。
9月16日 生徒採用の制を改め其員数を定める。
10月30日 独見所を新設し室内の制を立つ。
11月5日 兵学校生徒整列その他信号のため喇叭専務の定員2名を定める。
12月5日 兵学校規則、内則改正。
12月13日 「摂津」艦自今練習艦と定められ本校所轄となる。
12月26日 自今海軍始式廃せられる。

明治12年(1879)
1月4日 海軍兵学校規則改正。1月9日機関科1号生徒、分校より新校移転。
2月12日 非常警備規則、防火規則を設く。
2月15日 教場出入規律を設く。
2月18日 生徒夏服は従前背広折襟製のものを自今冬服同様ジャケット製に改める。
3月25日 生徒懲戒法を定める。
4月2日 海軍卿川村純義巡閲あり。
4月15日 教務課を廃し、航海、砲術、運用、編輯、機関、普通学の6課を置く。
6月8日 ドイツ皇孫プリンス・ハインリッヒ臨校。
6月19日 ロシア軍艦「ジギイット」艦長来校。
7月8日 生徒賞与式施行。
7月16日 アメリカ前大統領グラント氏来校。
8月9日 生徒山内万寿治以下16名海軍少尉補、生徒森友信六以7名海軍機関士副に任ぜられる。
9月27日 海軍少尉補川村正介、海軍生徒申し付けられ三年間イギリス留学を命ぜらる。
9月30日 中川重光以下12名入校申し付けられる。
12月4日 イタリア皇族ゼーワ侯来校。
12月23日 生徒郡司成忠海軍少尉補に任ぜらる。
12月 プリンスハインリッヒ(独)、グラント将軍(米)海軍兵学校見学。

明治13年(1880)
1月20日 兵学校所轄「筑波」艦を航海練習艦に、同「乾行」艦、「摂津」艦、「雷電」艦を繋泊練習艦と定める。軍人の遺族は官費にて予科に入学を許す。
3月15日 生徒1月1日菜菓料廃する。
3月17日 兵学校生徒年令を14年より18年までとする。
3月26日 兵学校運用、砲術、航海科28名召募告達。
6月24日 ロシア海軍少将ラスランペコーフ及び士官来校。
7月30日 志願者90名中28名採用。
8月28日 朝鮮国修親使一行来校。
9月 海軍兵学校機関課長職員及び生徒付属機関学校に転入。
10月30日 「竜驤」艦航海練習艦となる。
12月17日 生徒島村速雄以下30名海軍少将補に。
12月21日 スペイン国代理公使トリゲロス、安南国在留スペイン公使ラルドネ来校。

明治14年(1881)
3月9日 ハワイ国皇帝臨校。
6月15日 ロシア海軍中将レソフスキー氏外2名来校
6月17日 「金剛」艦長海軍大佐伊藤吉兵学校長に。
7月5日 朝鮮視察使来校。
7月9日 本校生徒及第評書授与式、優等者賞与式、海軍卿来校。
7月5日 生徒舟木鎌太郎イギリス留学より帰朝。
7月28日 海軍機関学校設置。生徒定員36名、在学期問6ヶ年。
8月15日 生徒井上良智米国留学より帰朝。
8月23日 機関生徒44名入学試験。
8月25日 生徒世良田亮アメリカ留学より帰朝。
9月12日 「乾行」艦廃艦。
9月15日 生徒今泉利義以下35名海軍少尉補に任ぜらる。
10月12日 兵学校中機関科廃止。
10月24日 生徒被服地質サージより小倉織に変更。
11月19日 卒業証書授与式。

明治15年(1882)
1月16日 勅諭御下賜に就て海軍卿訓示。
1月20日 ロシア軍艦艦長2名及び士官6名来校。
1月23日 ロシア海軍士官ヘックルミセス来校。
3月13日 生徒に白色毛布貸与。
4月7日 兵学枚生徒航海練習艦の兵学校所轄を止め常備艦を所要時用いる。
5月2日 スペイン公使及びゼネラル・ウイラ、エドカン・モール来校。
5月11日 予科生徒20名召募告達。
6月2日 ポルトガル公使他4名来校。
6月29日 朝鮮人金玉均、徐光範ら来校。
7月8日 卒業証書授与式、賞与式。
9月8日 吉見乾海以下16名入校許可。
9月11日 明治9年兵学校事務章程及び各校規則を廃し、本校条令設定され、海軍将校となるべき生徒を教育する所とする。
9月15日 本校予科生徒規則仮定、生徒学術課程制定。
9月18日 予科生徒24名入校、当校所轄分校を予科学舎と改称。
9月22日 イタリア軍艦「クリストフオロ・コロンボ」号艦長ラプラー及び同国公使ランシャルス来校。
10月 海軍機関学校条令制定、生徒総員48名。
10月6日 茶山豊也以下4名入校。
10月12日 海軍少将松村淳蔵海軍兵学校長仰せ付けられる。
11月10日 生徒井上保以下17名卒業証書授与式、即日海軍少尉侯補生に任ぜらる。
11月18日 主計学舎を芝公園に再興。

明治16年(1883)
1月29日 イギリス軍艦「キュラソー」艦長カピテン・ロング来校。
2月1日 生徒の体重毎月頭医官において審査。
3月1日 兵学機関両校生徒席次准士官次席と定める。
3月30日 兵学機関両校生徒手当金及び被服その他給与法制定(省達)。
5月25日 スペイン海軍機関士マニュール・ジナルド来校。
5月28日 生徒志願者107名中37名合格。
6月5日 生徒館新築落成す。
6月9日 生徒心得改定。
7月9日 生徒の及第証書及び褒賞授与式施行、兼ねて生徒館開館式を行う。
7月12日 本校及び機関学校通学士官等の給与規則制定。
8月10日 生徒試験合格者37名入校。
8月18日 本校教授及び教授補を廃止し海軍教官を置く。
9月17日 生徒席次は学術得点のみを以てしたが白今品行点を合算することとする。
10月11日 海軍教官の位置は海軍技術官の上とする。
10月15日 生徒加藤定吉以下27名卒業証書授与式、同少尉補に任ぜられる。
10月25日 米国公使ベンハム及び同国領事ジョンス来校。
12月20日 17年6月生徒18名召募告達。

明治17年(1884)
1月21日 軍務局長海軍中将伊藤祐麿免本職兵学校長に。兵学校長海軍少将松村淳蔵免本職中     艦隊司令官に。
3月15日 生徒心得に教場規則、温習所規則、撃剣場規則、水泳規則、小銃射的規則を内則中より抜粋しこれを一冊とする。
3月23日 予科生徒溝口為五郎英国留学。
7月10日 本科4号5号生徒に証書授与式及び本科予科生徒褒賞授与式。
7月25日 予科生徒松村竜雄以下9名本科に編入。
9月4日 上野亮以下51名入校を命ずる。
9月24日 東京商船学校卒業後は海軍士官或は准士官の予備員に定める。
12月22日 本校通学士官及び卒業生徒二木勇次郎以下25名に卒業証書授与式挙行。

明治18年(1885)
1月22日 明治20年卒業すべき生徒の学期を1年短縮。
4月16日 明治21年、22年に卒業すべき生徒の学期を各1年宛短縮。
5月21日 生徒志願者258名中合格者5名。
7月3日 生徒の就業を3年に短縮のため本年に限り暑中休業を8月1日から9月10日と改正。
9月14日 イギリス海軍大将ドウーエル氏来校。
9月26日 生徒志願者253名試験開始。
12月1日 入校試験及第者57名入校。
12月28日 海軍中将伊東祐麿校長を免ぜられ海軍少将松村淳蔵校長に。

明治19年(1886)

2月17日 本校条令(4章85条)を設定。生徒の学期を4期4年とし、3期は本学修業、終りの1期航海練習艦に実地演習、第3期に水雷術の1科を加える。従来の予科生徒は現在修学中の者のみとし以後これを置かず。生徒を分隊に編制して6分隊とし各分隊に曹長1名、伍長1名、伍長補1名をおき、袖章を付し徽標とし、各号に号長及び副号長をおく。
3月1日 仏国軍艦「プリモゲー」艦長ピユーシー氏他士官2名来校。
3月15日 生徒分隊曹長を生徒分隊教導と改称。
5月8日 アメリカ軍艦「トレントン」乗組海軍少将ダヴイス氏来校。
5月21日 海軍省告示第34号海軍生徒召募規則設定。年令、兵学校生徒16〜20、機関学校生徒16〜20、軍医生徒17〜20、主計生徒18〜22。生徒志願者372名試験。
6月1日 江田島視察測量のため主計少監原田啓等5名広島県へ出張仰付けらる。7月2日主計学舎を海軍主計学校と改称。
7月22日 コレラ病蔓延のため在校生徒全員を外出させる。
10月1日 森山慶三郎以下58名仮入校。
10月2日 生徒隔離所より帰校授業を始める。
10月9日 及第証書並びに褒賞授与式挙行。
10月13日 旧摂津艦を自今授業船と改称する。
10月30日 仮入校中の森山慶三郎以下53名入校。
11月2日 海軍諸学校に文官教官を設置。
11月5日 イギリス東洋艦隊司令長官スミルトン氏来校。
12月7日 1号生徒江頭安太郎以下19名卒業証書授与式、12月9日付少尉候補生を命ぜられる。

明治20年(1887)

5月16日 生徒志願者563名中57名合格。
5月24日 松村淳蔵特授男爵、華族に列せられる。
7月9日 「竜驤」乗組生徒伊藤乙次郎以下36名少尉侯補生を命ぜられる。
7月25日 第3期生徒荒尾富三郎以下43名卒業証書授与式、海軍少尉侯補生を命ぜられる。
7月28日 機関学校を廃せられ本校課程に機関学を増加、機関学校より兵学校へ転校人員95名。
8月31日 「東京丸」を自今将校生徒学習船と称する。
9月13日 予科生徒平賀徳太郎以下7名本科生徒を命ずる、増田敬五郎以下57名仮入校。
9月28日 松村淳蔵校長を免ぜられ待命、海軍少将有地品之允校長に。
10月10日 「竜驤」乗組海軍少尉侯補生伊藤乙次郎以下35名卒業証書授与式、増田敬五郎以下53名生徒を命ず。

明治21年(1888)
1月18日 召募規則により本年生徒55名召募。
4月 江田島に新築中の物理講堂、水雷講堂、運用講堂、重砲台、官舎、文庫、倉庫、活版所、製図講堂、雛型陳列場、柔道場等落成。
5月7日 生徒志願者635名、合格57名、6月15日仮入校の上、55名生徒を命ず。
6月13日 勅令第44号を以て海軍兵学校官制を公布、海軍大臣の直轄と定むる。
6月29日 海軍省令第8号を以て本校条令改正。
7月14日 百武三郎以下55名に生徒を命ずる。
7月16日 在校生徒の証書授与式、褒賞授与式。
8月1日 本校江田島に移る。東京丸を生徒学習船とし船内において同月13日より開庁。
10月23日 海軍主計学校学舎を築地に移す。

明治22年(1889)

2月 本年8月生徒50名召募告達。
2月27日 少主計候補生の教育開始。
4月20日 1号生徒64名及び甲号生徒16名卒業証書授与、少尉侯補生を命ぜられ、「金剛」、「比叡」に配乗。
5月17日 有地品之允校長を免ぜられ海軍参謀部長に。
7月12日 運用術練習のため端舟にて本島一周。
8月1日 東京広鳥にて生徒志願者795名の入学試験を行う。
8月15日 海軍主計学校にて練習生教育を開始。
9月3日 海軍次官樺山資紀来校。
10月23日 八戸三輪次郎以下35名生徒を命ずる。

明治23年(1890)
2月5日 生徒の分隊を改正して8分隊とし先進号生徒を以て各分隊の部長、部長補を命じそれより1名ずつ席次を追い各分隊に分配編成。
8月生徒50名召募告達。
4月22日生徒木山信吉以下29名卒業証書授与式。
7月17日1号生徒秋山真之以下88名卒業証書授与、海軍少尉侯補生を命ぜられ「金剛」「比叡」の2艦に配乗。
9月24日 海軍少将、本山漸本校校長に。
10月18日 海軍兵学校官制を廃し海軍兵学校条例を制定。海軍兵学校に機関科を再設。
10月24日 生徒隊司令部を自今監事部と改称。
11月24日 日高二男助以下35名生徒を命ずる。
12月 機関生徒10名を召募。

明治24年(1891)
2月5日 小田切延寿以下10名機関生徒を命ずる。
2月18日 海軍大学校教官海軍少佐三須宗太郎本校監事長に補せられる。
2月23日 将校生徒30名、機関生徒10名召募告示。
6月8日 生徒館の新築に着手。
7月17日 加藤寛治以下60名卒業証書授与式、即日海軍少尉侯補生に任ぜられ、「比叡」乗組を命ぜられる。
8月1日 将校生徒、機関生徒志願者546名試験開始。
10月16日 軍艦「鳳翔」本校附属、来る12月機関生徒9名召募。
11月24日 内田虎三郎以下30名将校生徒を命ずる。
12月17日 機関生徒志願者192名試験開始、30日終了。

明治25年(1892)
2月12日 岡崎貞伍以下10名機関生徒を命ずる。
3月8日 本年8月将校生徒20名召募告達。
6月25日 本年12月機関生徒20名召募通達。
7月12日 呉軍港司令官海軍少将山崎景則本職を免じ本校長に。
7月26日 百武三郎以下50名卒業証書授与式、即日海軍少尉侯補生を命じ「金剛」乗組。
8月1日 将校生徒志願者574名入学試験施行。
11月24日 大谷幸四郎以下20名に将校生徒を命ずる。
12月12日 校長山崎景則本職を免じ横須賀軍港司令官兼将官会議議員に補せられる。
12月17日 機関生徒志願者294名入学試験施行。本校と呉間電線架設成り通話開始。

明治26年(1893)

2月6日 機関生徒池田岩三郎以下20名入校。
3月 下記建物は26年3月新設のものが本校付属となる。生徒館、事務所、兵舎、糧食並びに物品格納所、賄夫部屋及び厨、薪炭置場、商人溜所、海岸  守衛見張所、器機場、生徒館食堂、同浴室。
7月6日 江田島村赤痢流行。
9月16日 機関生徒20名召募告達。
10月1日 将校生徒114名を6分隊に編成、機関生徒37名を2分隊に編成。
11月24日 筑土次郎以下18名入校。
11月29日 勅令第217号により本校条令改正、兵学校、機関学校別とし、生徒採用年令を16年ない     し19年に、生徒入校時兵籍編入等改正、機関学校分離により機関生徒39名横須賀に移る。
12月19日 大石馨以下31名に卒業証書授与。
12月26日 付属船艇は、現用中のものを除き、汽艇等6隻、端舟18隻、水船2隻を呉鎮守府所管と定める。
12月30日 海軍省達第152号により海軍兵学校、機関学校、機関工練習所、技手練習所、海軍砲術練習所、海軍水雷術練習所各教程を定める。

明治27年(1894)

3月 水源地諸工事完成。
7月14日 柴山校長佐世保鎮守府長官心得に転任。
7月28日 予備海軍大佐吉島辰寧校長として赴任。
7月30日 本校備付の大砲を呉軍港防御用として呉鎮守府司令長官に引渡す。
8月8日 日清戦争に生徒乗艦出征の必要あり、関係法令改正。
10月16日 海軍省告示第20号により生徒13名臨時召集。
10月 海軍機関学校第1期生卒業。
11月2日 大本営(広島)にて祝勝会あり、生徒61名出張、黄海海戦の実況を天覧。
11月10日 海軍省告示第25号を以て兵学校生徒31名、機関学校生徒28名出願期日11月30日まで延期。
11月15日 卒業式、古川テ三郎以下32名卒業。
12月15日 生徒総員「江田島丸」乗艦、実習。

明治28年(1895)
1月29日 生徒36名入校。
6月19日 勅令第80号により生徒採用年令19年未満を満20年以下に改める。
7月25日 校長予備海軍大佐吉島吉寧召集解除。海軍大佐日高壮之丞校長に。
8月31日 達第87号を以て本校規則改正。学術優等、品行善良の二種賞牌の外相当の綬を定める。
8月島内にコレラ流行。
12月21日 卒業式、竹内兼蔵以下24名卒業。

明治29年(1896)

1月17日 在校生徒300としこれに伴う建築拡張計画を提出。
2月5日 生徒62名入校。2月25日機関学校志願者試験を広島にて本校引受実施。
8月13日 募集生徒員数123名に改める。
10月6日 海軍服制改正。
11月9日 中村良三以下123名入校。
12月9日 服装規則中、生徒在校中は儀式外出中に限り短剣を佩用。12月11日丸山寿美太郎以下19名卒業式。

明治30年(1897)
1月26日 入学試験規格変更(従来の英、漢、数に加え、図画、地理、歴史、地文、物理、化学を加う)上申。31年夏の試験より実施。
4月 条令改正により筑土次郎以下18名卒業。
4月14日 自今卒業生の姓名を官報に掲載。
4月23日 学期称号第1期第2期とし、第1第2学年等に改め、生徒称号には創立以来入校順序に従い第何期生徒の称号を以って、当時の1号生徒を第24期生とする。
7月 海軍機関学校校舎増築。
7月15日 採用試験。978名中116名合格。
9月12日 生徒岡本米次郎、海兵団勤務3等水兵安野幸太郎のため殺害される。
9月21日 勅令第327号による本校条令改正により3年課程となる。9月27日本校規則改正により学術優等章、品行善良章を制定し共に軍服の襟に付着。
12月18日 卒業式。第25期生徒松岡静雄以下32名卒業。

明治31年(1898)
1月 海軍機関学校生徒増員により白浜の地に校舎新築。
1月6日 第28期生徒116名入校。1月25日舶刀操法及び舶鎗操法を廃止。
12月13日 第26期生徒木原静輔以下59名卒業。
12月17日 第29期生徒137名入校。生徒総員370名,12個分隊に編成。

明治32年(1699)
1月10日 授業上各期生徒を4部に分け、各期航海、砲術、水雷運用、機関、普通学担任教官を定める。
2月6日 生徒運動会として能美島高田村付近にて兎狩を施行。
2月24日 官立道庁府県立尋常中学校優等卒業者若くは海軍大臣がこれと同等以上の学科程度を     有すると認定したる公私立学校の優等卒業者は特別学科の試験のみ実施することとなる。
3月26日 生徒外出区域を江田島全部、津久茂、高田、中村、飛渡瀬村と定める。
4月体育は従来各学年毎であったのを、各分隊毎とし優劣混合。4月1日新築柔道場落成。
4月23日 生徒大運動会として小銃競点射撃施行。
5月3日 毎木曜日午後別科後より食事用意まで養浩館に於て生徒茶菓の使用許可。
5月15日 海軍主計官練習所を設置し、海軍主計官及び少主計侯補生に対する学生教育を再興し、併せて練習生の教育を行う。
7月21日 採用試験、1374名中210名採用。
9月4日 アルゼンチン共和国練習艦「プレシデントサーミエント」江田内入港。
9月22日 軍艦筑波本校付属となる。兵員を全部兵舎より「筑波」に移す。
12月16日 第27期生徒中村良二以下113名卒業。「金剛」「比叡」に分乗。
12月24日 第30期生徒210名入校。

明治33年(1900)
3月15日 英国公使館付海軍武官オートレー来校。
4月1日 生徒は校内に於て一切喫煙することを禁ずる。
5月1日 校の内外を論ぜず生徒の喫煙を厳禁。各号章を白丸に黒一線二線三線に制定し事業服に付着。但し奇数分隊右肋、偶数分隊左肋とし下線を乳の上一寸とする。
5月4日 自費を以て牛乳または卵を使用することを禁じる。
5月24日 本校条令改正により本校は海軍教育本部に属する。
6月6日 自今生徒は水、金曜日夕食時に糧食費支弁にて菓子を給与。白今生徒教場往復の整列は生徒館前と定める。
6月7日 ドイツ公使館付武官海軍少佐ギューレル来校。
6月11日 乗馬練習に関する規程を設ける。
7月7日 採用試験。8月7日終了。1429名中合格者223名。
10月10日 軍艦「鎮辺」役務を解かれ、警備艦のまま生徒練習用として本校付属。
11月16日 生徒食堂建増、温習所。。
12月13日 第28期生徒卒業式。波多野貞夫以下104名、海軍少尉侯補生を命ぜられる。「厳島」、「橋立」に分乗。
12月17日 第31期生徒196名入校。

明治34年(1901)
1月15日 生徒の遊歩区域を江田島及び東西能美島全部と定める。
3月3日 生徒一同喫煙禁止の処丁年以上のものには喫煙を許す。
5月22日 ドイツ公使館付海軍大佐ギューレール来校。
7月7日 採用試験開始、志願者1704名。
9月 海軍機関学校白浜校舎落成移転。
12月14日 第29期生徒溝部洋六以下125名卒業。海軍少尉候補生を命ぜられ「金剛」、「比叡」分乗。
12月15日 生徒597名の分隊編成を行う。
12月16日 第32期生徒190名入校、17日入校式。

明治35年(1902)
1月16日 各号生徒通常軍服の襟に学年章を付着。
5月24日 校長海軍少将河原要一特命仰せ付ける。
6月8日 古鷹山射的場新設、生徒競点射撃施行。
6月28日 軍艦「筑波」本校付属を解かれ、軍艦「鎮北」を以て生徒練習艦と定める。
12月14日 第30期生徒186名卒業式。「厳島」、「松島」、「橋立」分乗。
12月17日 第33期生徒174名入校。

明治36年(1903)

3月 水道鉄管全部完成。
6月 生徒分隊編成単学年組織を学年混合組織に変更。
6月15日 自今謹慎または処罰中にあるるものは帽子の覆を取除くことに定める。
8月21日 軍艦「鎮辺」、「鎮北」艦籍を除かれ、「鎮辺」は雑役船として本校付属。
9月2日 海軍生徒採用試験成績は白今部外に発表せず。
12月11日 生徒に授与された品行善良章は剥脱しないままでは学年毎に重ねて同一人に授与する制度を廃する。
12月14日 第31期生徒187名卒業式。「厳島」「橋立」「松島」分乗。
12月17日 第34期生徒189名入校。
12月22日 御修業中の栽仁王殿下白今兵学校生徒制服着用。
12月28日 校長東郷正路免本職、補第3艦隊司令官。

明治37年(1904)
4月16日 旅順口閉塞の際広瀬中佐の所持の海図一葉到着。
4月29日 旅順口閉塞の際「千代丸」の短舟一隻到着。
5月3日 日露戦役のため本校を戦時繁劇の庁と定める。
5月16日 例年6月より午後の授業がなかったが本年は試に午後1時間授業をなすことに定める。
7月11日 入学試験開始。
10月4日 ロシア機械水雷缶付属品共2個軍艦扶桑より寄贈。
11月14日 第32期生徒堀悌吉以下191名卒業式。「韓崎丸」乗艦。11月18日第35期生徒183名入校。
12月19日 新分隊編成。1号生徒の配合に関し各分隊に各部の者を平均に含め1号生徒の或部の者が見学等のため他出するも各分隊平均に1号生が残る。2・3号生徒は成績順序に各分隊に配合、全分隊は同一部。
12月23日 理化学講堂煉瓦二階建改築成る。
12月 電灯線1870間、電話線2411間。

明治38年(1905)

1月10日 始業式、観兵式。
2月26日 本校教育綱領定める。
3月30日 戦利品露式時限信管等69件兵器として備付認可。
6月2日 震災のため生徒館屋上破壊する。
7月 生徒志願者入学試験施行。
10月16日 日露戦役のため戦時繁劇庁となっていたところ、平時に復する。
11月28日 第33期生徒豊田貞次郎以下169名卒業式。
12月2日 第36期生徒192名入校。
12月5日 5日から7日の間補欠8名入校。

明治39年(1906)
1月11日 始業式、観兵式。
3月6日 イギリス王甥コンノート親王、イギリス軍艦「ダイヤデム」にて来校。
4月30日 イタリア皇族ウジネ殿下来校。
5月1日 下記学校全科卒業者で成績優良、品行端正なるものは入学試験の際特別学科試験を受けるべきものと認定。私立攻玉社中学校、私立正則中学校、私立東北中学校、私立暁星中学校。
7月7日 アルゼンチン練習艦「プレジデント・サミエレト」入港。艦長、領事、士官10名、候補生16名来校。
9月15日 明治32年海軍省告示第2号は39年12月31日限廃止。
10月15日 白今卒業証書授与式にて証書受領者多数のときは適宜総代者の証書受領の手続きをさせる。
11月19日 第34期生徒佐古良一以下174名卒業式。「厳島」、「松島」、「橋立」に分乗。
11月19日 海軍兵学校長兼教頭海軍少将富岡定恭免本職並兼職、補練習艦隊司令官。練習艦隊司令官海軍少将島村速雄免本職、補海軍兵学校長兼教頭。
11月24日 第37期生徒180名入校。
12月21日 本校規則改正により学年は3学年に分け、毎年9月11日より翌年9月10日までとする。
12月24日 島村校長兼職を免ぜらる。石橋大佐教頭兼監事長に。

明治40年(1907)
1月10日 始業式。乃木陸軍大将参観。
4月9日 栽仁王、輝久王両学友を定める。
4月15日 軍艦「安芸」進水式ににつき生徒総員見学。
4月22日 海軍主計官練習所を廃止し、海軍経理学校を設置する。
7月3日 海軍一般に水泳奨励の達示。
7月13日 入学試験開始。
9月21日 第38期生徒150名入校。
10月22日 現役下士卒は受験の上生徒採用できることに解釈統一。
11月19日 分隊編制換。各学年共成績順序により1分隊より12分隊に配員。
11月20日 第35期生徒171名卒業式。「厳島」、「橋立」、「松島」分乗。

明治41年(1908)
1月10日 始業式。
3月10日 栽仁王本月2日より病気。
4月30日 加藤海軍次官来校。ドイツ大使付武官海軍少佐ランゲ、広島師団留学ドイツ陸軍歩兵大尉フォン・トロシュケ来校。
5月21日 フランス東洋艦隊旗艦「ダントル・カストル」入港、長官ベラン少将、艦長シーボール大佐、参謀ショバン大尉、大使館付き武官マルチーン大尉来校。
6月7日 海軍大臣来校巡視。
6月25日 チリ練習艦「ゼネラル・バケダノ」艦長以下侯補生30名来校。
7月11日 生徒志願者採用試験開始。
8月28日 島村速雄海軍中将校長を免ぜられ海軍大学校長。練習艦隊司令官海軍少将吉松茂太郎本職を免ぜられ海軍兵学校長に。
9月14日 第39期生徒150名入校。
9月23日 スウェーデン公使館付武官来校。
11月21日 第36期生徒佐藤市郎以下170名卒業式。

明治42年(1909)
1月10日 始業式。
3月20日 第1艦隊(「香取」「筑波」「生駒」「敷島」「日進」)入港、22日出港。
4月22日 海軍経理学校生徒教育を開始。
5月7日 機関侯補生練習艦「千歳」入港、8日出港。
5月13日 伊国軍艦「ピュグリア」艦長以下7名来校。
9月11日 第40期生徒150名入校。

明治43年(1910)
1月10日 始業式。
2月4日 オーストリア艦「パンテル」艦長以下士官数名来校。
3月25日 第7駆逐艦「伊吹」、清国軍艦「海容」「海折」入港、「浅問」24日入港。清国載濤殿下校内巡覧。
3月29日 イタリア軍艦「カラブクア」艦長以下将校6名来校。
4月15日 上村第1艦隊司令長官来校。
6月4日 雇外国人官舎竣成。
7月14日 ポルトガル艦「エスカブリエル」入港、艦長以下来校。7月18日第38期生徒原清以下149名卒業式。軍艦「阿蘇」にて博恭王臨場。侯補生「浅間」、「笠置」配乗。成績優等者への賜物本年より短剣となる(従来双眼鏡)。
9月12日 第41期生徒120名入校。
10月31日 「千代田」、水雷艇2隻及び「伊吹」「竜田」、駆逐艦4隻入港即日出港。清国載洵殿下来校。
12月1日 校長吉松中将補海軍大学校長。軍令部参謀海軍少将山下源太郎補海軍兵学校長。

明治44年(1911)

2月9日 教育本部長より、自今学校記録を備え記注することとなる。
6月20日 上命により侍従武官男爵西紳六郎差遣され校内視察。
7月18日 第39期生徒多賀高秀以下148名卒業式。阿蘇、宗谷に配乗。
9月1日 第42期生徒120名入校。

明治45年(1912)
1月22日 兵学と普通学理科とのすり合わせのため教授要旨及び理科教科書編纂委員を命ずる。
6月26日 本校内則改正により普通学科を普通学文化及び理科に区分する。
7月14日 生徒採用試験開始、8月3日終了。
7月17日 第40期生徒岡新以下144名卒業式。
8月1日 午前8時先帝陛下の奉弔式。軍艦に於ては分時弔砲60発を行う。
8月28日 本校条令中一部改正、生徒修業年限3年4ヵ月となる等。8月29日生徒の修業期間第1学年は9月11日 より翌年12月末日、第2、第3学年は、1月1日より12月末日に終る。
9月9日 第3学年、第2学年生徒234名東京へ出張。第43期生徒100名入校。
11月13日 本校午砲規則を定める。
11月20日 数学教令、物理学教令、化学教令、英語教令を定める。
12月11日 力学教令を定める。

大正2年(1913)
3月4日 九州大学総長山川健次郎博士講話。
5月7日 上村海軍大将来校。
5月21日 来る9月より開始すべき準備教程修業中の生徒を第1学年予科生徒と呼称する。
9月3日 訓育提要制定。第44期生徒100名入校。
10月9日 毎年11月10日東京湾に於て恒例観艦式挙行の通達。
11月29日 第44期(第1学年予科生徒)練習艦退艦。
12月1日 練習艦「浅間」「吾妻」練習艦隊に編入。
12月19日 第41期生徒小西千比古以下118名卒業式。

大正3年(1914)
2月25日 勅諭栞改訂委員組織す。
3月22日 皇太子雍仁、宣仁両皇子、御召艦「薩摩」にて入港。
3月29日 新旧校長交代。新校長、海軍中将有馬良橘。旧校長、海軍中将山下源太郎。
4月11日 皇太后陛下午前2時10分崩御。
5月19日 大喪儀参列のため有馬校長出発。
6月28日 アルゼンチン軍艦「プレジデント・ザルミエント」乗組士官及び侯補生呉より来校。
7月15日 明治天皇、昭憲皇太后御写真人事局へ還納。
8月18日 「宗谷」「阿蘇」を練習艦と定める。
9月10日 第45期生徒100名入校。
11月1日 競技優勝楯授与式。
12月19日 第42期生徒三木繁二以下117名卒業式。

大正4年(1915)
1月10日 始業式、勅諭奉読、観兵式。午後柔剣道試合、体操、総短艇。
3月19日 海軍兵学校規則中一部改正。
4月29日 自今生徒に対する送金は郵便振替貯金法によることに定める。
6月3日 陸軍教育総監部本部長陸軍中将栗田直八郎来校。
8月15日 「吾妻」を練習艦と定める。
9月1日 「吾妻」練習艦隊に編入。
9月4日 第46期生徒131名入校。
10月3日 予科生徒練習艦隊へ分乗。
10月13日 天皇陛下御写真奉戴。
10月31日 楯授与式。
11月1日 京都において行幸奉迎のため本校付属「二河川丸」にて1日第3学年、5日第1,2学年出発。
11月8日 校長大礼のため出発。
12月15日 皇太子写真奉戴。
12月16日 第43期生徒浜野力以下95名卒業式。

大正5年(1916)
1月10日 始業式、勅諭奉読、観兵式、柔剣道試合。
4月29日 生徒教授部編制法及び教授並試験法内規を定める。準備教程施行細則を定める。
8月31日 第47期生徒130名入校。
9月1日 「常磐」、「八雲」練習艦隊に編入。
10月1日 予科生徒練習艦隊乗組。
11月22日 第44期生徒95名卒業式。予科生徒中チフス患者発生のため皇族差遣なし。
12月19日 兵学校規則改正により、第1学年は8月より翌年11月まで、第2、第3学年は翌年11月まで、夏季休暇は7月25日から8月25日までとなる。

大正6年(1917)
2月20日 皇后陛下御写真奉載。
4月21日 大講堂落成受領。
5月3日 村上教育本部長来校。
5月27日 大講堂開堂式。
6月18日 高等官食堂を大講堂に移し、旧食堂に展覧所を移転。
7月19日 赤城記念碑呉より回送。
8月25日 「磐手」、「浅間」練習艦隊に編入。
8月31日 第48期生徒151名入校。
10月10日 第48期生徒追加29名入校。
11月22日 生徒進級告達優等章授与。
11月24日 第45期生徒博義王、中村勝平以下89名卒業式。博恭王臨場。

大正7年(1918)
1月10日 始業式、観兵式。
5月2日 海軍生徒採用試験開始。身体学術試験合格者646名。
5月27日 大講堂にて海軍記念式挙行。
5月31日 第1艦隊、「山城」「摂津」「河内」入港。
6月6日 加藤海軍大臣、井手軍務局長視察のため来校。
7月20日 チリ軍艦「ゼネラル・バケタノ」宮島入港。士官6名、候補生17名見学のため来校、
8月14日 勅令第318号により海軍兵学校条例改正、兵学校令となる(修学期間3学年とし、8月より翌年7月までとする等)。海軍兵学校教育綱領制定。
8月26日 第49期生徒博忠王、朝融王以下187名入校。
9月17日 黄海海戦記念式。詔勅奉読、大石大佐講話。
10月2日 剣術競技施行。村上教育本部長来校。
11月20日 進級告達式、優等章授与式。
11月21日 第46期生徒武彦王、高田利種以下124名卒業式。「常磐」、「吾妻」分乗、博恭王臨場。

大正8年(1919)
3月24日 イギリス大使館付武官海軍少将リー来校。4月1日軍艦「周防」練習艦と定める。
5月20日 アメリカ大使館付海軍武官ワットソン大佐来校。
7月1日 欧州戦争平和克復に関する詔書奉読。
7月16日 優等章授与式。新教程により第49期生徒より英語のほかにドイツ語フランス語専修を定む。
7月19日 生徒隊12分隊編制を16分隊編制に改め、第2生徒館に温習所4室を準備。
7月21日 大講堂において勅語奉読。
7月31日 第2生徒館、食堂等増築完成。
8月26日 第50期生徒298名入校。
9月23日 勅令第427号により海軍武官官階改正、軍医、主計、造船、造兵、造機、水路官共将、佐、尉と称することに改定。
9月30日 02,06旧ドイツ潜水艦入港。
10月7日 練習艦隊「常磐」、「吾妻」入港。
10月8日 進級命課告達式、優等章授与式。第1艦隊「山城」「扶桑」「伊勢」「日向」「摂津」「鹿島」「竜田」、第4,32駆逐隊「阿蘇」第13潜水隊「若宮」(飛行機隊)入港。
10月9日 第47期生徒115名卒業式。「常磐」、「吾妻」に分乗。本校創立50周年記念式。

大正9年(1920)
3月23日 創立50年記念校歌募集。
7月8日 海軍兵学校規則改正。
7月16日 策48期生徒卒業式。
8月26日 始業式。第51期生徒290名入校式。
10月12日 大正10年度召募員数告示。海軍兵学校285名、海軍機関学校110名、海軍経理学校30名。
9月理化学講堂新築。
10月 特別官舎新築。
10月30日 教育勅語渙発30年記念式。生徒乗艦実習規定を定める
11月8日 現役海軍下士官兵に生徒を志願させる制度を設ける。
12月6日 第一期選修学生入校式。

大正10年(1921)
2月11日 養浩館開会式。
7月6日 第52期生徒入校に際し伍長、伍長補をして説明すべき事項を定める。
7月16日 第49期生徒卒業証書授与式。第52期生徒(273名)入校式。8月毎土曜大掃除後体技実施。第2、第3学年柔剣道のうち一科専修・第1学年のみ併修に改める。
9月7日 海軍大尉野元光康自殺。
10月19日 21日までアメリカフオックス活動写真会社員来校各所撮影。
10月29日 第1期選修学生仮卒業式。
11月11日 第2期選修学生入校式。
11月28日 詔書奉読。

大正11年(1922)
2月18日 フランス陸軍大将ジョッフル元帥来校。
3月7日 臨時検閲。
5月8日 イギリス皇太子来校。
6月1日 第50期生徒(272名)卒業式。
8月26日 第53期生徒入校式。
10月28日 第2期選修学生仮卒業式。
11月8日 第3期選修学生入校式。

大正12年(1923)
4月7日 第54期生徒入校式。
4月16日 イギリス支那艦隊特務艦「ビータース・フィルド」入港。5月29日財部海軍大臣来校。
7月14日 第51期生徒(254名)、第2期選修学生卒業式。
7月31日 軍縮整理のため雇員、傭人多数退校。
8月26日 始業式。
9月13日 大震災の詔勅奉読。
9月21日 海軍機関学校生徒科移転により職員多数着校。
9月22日 江田島にて機関学校教育再開、機関学校教育を兵学校長に委託。
9月28日 特務艦「迅鯨」にて海軍機関学校職員、生徒学生、同家族408名着校。
10月2日 海軍機関学校生徒及び学生教育実施を兵学校長に委託の件認可。
10月27日 第3期兵科、機関科選修学生仮卒業式。
11月8日 第4期選修学生入校式。
11月12日 国民精神作興に関する詔書奉読。

大正13年(1924)
3月20日 築地の海軍経理学校跡の仮校舎に移転(経理学校)
4月3日 八方園矢場開きを行う。
4月7日 海軍兵学校第55期生徒、海軍機関学校第36期生徒入校式。
4月12日 フランス司令官ヘンリ・フロッショ少将一行来校。
7月24日 海軍兵学校第52期生徒(235名)、第3期選修学生、海軍機関学校第33期生徒(97名)、同第3期選修学生(19名)卒業式。
7月31日 海軍生徒採用規則改正。兵、機、経、入校試験の統一制を改め三校単独志願制に改める。
10月2日 機関学校舞鶴移転のことに決定。
10月6日 東郷元帥来校。
10月29日 兵、機第4期選修学生仮卒業式。
11月8日 兵、機第5期選修学生入校式。
11月22日 海軍機関学校、経理学校及び兵学校第1学年修了者を専門学校入学に関し中等学校卒業者と同等以上の学力を有する者と指定。
12月1日 新教頭兼監事長海軍大佐向田金一。
12月31日 校長.海軍中将谷口尚真、教頭兼監事長・海軍少将向田金一、生徒隊監事.海軍中佐松本忠佐。

大正14年(1925)

3月1日 海軍機関学校舞鶴移転につき職員生徒255名「韓崎」に乗艦出港。
4月1日 第56期生徒入校式。
4月10日 特命検閲(検閲使.海軍大将鈴木貫太郎)。
5月10日 天皇、皇后両陛下御成婚満25年、御大婚祝日。
7月14日 第53期生徒(61名)第4期選修学生卒業式。
9月9日 皇太子、同妃写真到着。
10月29日 第5期選修学生仮卒業式。
11月9日 第6期選修学生入校式。改築剣道場開場式。

大正15年(1926)

3月27日 第54期生徒(68名)第5期選修学生卒業式。
4月9日 第57期生徒入校式。
6月10日 新制度3年8ヵ月案に対する委員会。
7月13日 海軍兵学校志願者年令20年を19年に改める。
7月21日 大正16年召募生徒員数発表。海軍兵学校130名、海軍機関学校40名、海軍経理学校15名。
9月1日 始業式。
9月17日 黄海海戦記念式。
10月29日 第6期選修学生仮卒業式。
11月8日 第7期選修学生入校式。
12月21日 冬季休暇の所大正天皇重態のため遠慮。
12月22日 大正天皇小康のため23日より休暇許可。
12月25日 大正天皇崩御。生徒55名帰校させる。

昭和2年(1927)
1月15日 アルゼンチン練習艦「サルミエント」乗員来校。
2月2日 第3学年生徒御大喪儀参列のため「韓崎」便乗品川に向う。
3月28日 第55期生徒(120名)第6期選修学生卒業式。
4月8日 第58期生徒入校式。
7月22日 ハワイ日系人29名来校。
8月22日 「千代田」艦橋及び「千代田」檣練兵場に据付。
9月17日 黄海海戦記念式。
9月28日 スペイン軍艦「プラス・デ・レゾ」艦長来校。
10月5日 生徒日課に軍歌を加える。生徒採用試験規格を中学4年2学期終了程度に改めらる。
10月6日 イギリス軍艦「タイタニヤ」艦長等来校見学。
11月2日 第7期選修学生仮卒業式。

昭和3年(1928)
3月7日 外国語に英語のほか、ドイツ、フランス語を加える。
3月15日 戦死者名牌除幕式。
3月16日 第56期生徒、第7期選修学生卒業式。
4月7日 第59期生徒入校式。
5月2日 生徒修業年限延長は現2学年(第58期)より実施のこととなる。
9月12日 始業式。
9月12日 選修学生の採用年令34年を32年に、修学期問1年を1年6ヵ月に改める。
10月29日 第8期選修学生仮卒業式。
11月7日 生徒全部京都にて御大礼行幸奉迎。
11月8日 第9期選修学生入校式。
11月23日 御大典記念事業として八方園神社創建。
12月4日 大礼特別観艦式、休暇。
12月11日 学年指導官服務内規を定める。

昭和4年(1929)
3月14日 第一艦隊司令長官谷口大将講話。
3月26日 加藤軍令部長講話。
3月27日 第57期生徒(122名)卒業式。
4月1日 第60期生徒入校式。
4月16日 特命検閲。
4月22日 自選作業時間新設。
5月1日 生徒日課を四季を通して午前4時間午後1時問とし、午後2時より3時20分までを自選時間とす(火、土を除く)。
5月19日 イギリスのグロスター公殿下来校。
5月24日 軍事参議官竹下大将来校、講話。
9月1日 始業式。9月17日黄海海戦記念式。
11月23日 八方園神社祭典。
10月25日 シャム国参謀総長来校。
11月8日 第8期選修学生入校式。

昭和5年(1930)

3月5日 第1艦隊入港、生徒隊特別行事。
3月20日 機関学校新校舎成る(舞鶴)。
4月1日 第61期生徒入校式。教務上4部、訓育上3班編成とする。
4月28日 第9期選修学生仮卒業式。
7月2日 第4学年生徒に英、米、仏、独、西、伊国歌を教授。
8月19日 教務規程一部改正、武道欄に弓道を加える。
9月9日 民国国民政府海軍総務司司長来校。
10月2日 教務規程中一部改正、16個分隊、4部とする。
11月8日 第11期選修学生入校式。
11月18日 第58期生徒(113名)第9期選修学生卒業式。
12月1日 軍艦「大井」練習艦となる。

昭和6年(1931)

1月27日 米国ウオッシュ・バーン博士等5人来校。
3月19日 軍事参議官南陸軍大将来校。
4月1日 第62期生徒入校式。
4月7日 教務規程改正、歴史、地理を普通学部文学科より除き統率科に編入。
4月23日 第10期選修学生仮卒業式
5月28日 ドイツ軍艦「エムデン」乗員来校。
5月29日 第4学年生徒「エムデン」訪問。
9月1日 始業式。
11月9日 第12期選修学生入校式。
11月17日 第59期生徒(123名)、第10期選修学生卒業式。
12月17日 大角新海軍大臣訓示伝達。兵学部及び普通学部教務例会並に教官研究会を定める。

昭和7年(1932)

1月27日 財部軍事参議官来校講話。
2月15日 第11期選修学生仮卒業式。
4月1日 第63期生徒入校式。
4月24日 勅諭下賜50年記念祝賀日、観兵式。生徒白習室に東郷元帥謹書の聖諭を掲げ「五省」を始める。
5月19日 末次第2艦隊司令長官講話。
5月27日 海軍記念日記念式、日本海海戦模擬戦施行。
6月8日 5・15事件について教官全員に対し校長課題。
9月7日 選修学生採用身体検査内規を定める。
9月17日 黄海海戦記念日記念式、模擬戦。
9月18日 創立記念式典、以後毎年創立記念式を行う。
9月20日 海軍経理学校、築地小田原町の新校舎に移る。
9月22日 フランス東洋艦隊「プリモウゲ」乗員来校。
11月9日 第13期選修学生入校式。
11月14日 イタリア軍艦「リビア」艦長以下来校。
11月19日 第60期生徒(127名)、第11期選修学生卒業式。
12月24日 剣道場火災。生徒学生兎狩行軍。

昭和8年(1933)
3月23日 教務規程改正、兵学部に通信科、航空科を加える。軍艦旗掲揚規定を定める。
3月25日 フランス艦「ジャンヌダルク」江田内入港。
4月1日 第64期生徒入校式。
4月20日 第12期選修学生仮卒業式。
6月26日 呉における伊68潜水艦進水式に教官学生参列。
9月17日 黄海海戦記念式。5・15事件論告につき大角海軍大臣訓示伝達。
11月9日 第14期選修学生入校式。
11月18日 第61期生徒及び第12期選修学生卒業式。
11月23日 八方園神社例祭。

昭和9年(1934)
4月1日 第65期生徒入校式。
4月4日 フランス軍艦「クワルト」艦長以下来校。
4月21日 第13期選修学生仮卒業式。
4月24日 特命検閲。
5月5日 イギリス巡洋艦「ベリック」江田内入港。
5月27日 海軍記念日記念式。「浪速」の記念軍艦旗を掲ぐ。
6月5日 東郷元帥国葬行事。
6月7日 東郷元帥遺髪を迎える。
6月29日 フランス東洋艦隊司令長官来校。
6月30日 海軍兵学校規則一部改正、生徒修業年限4年、選修学生に整備兵曹長等を加える。
10月5日 神武天皇御東遷2600年記念講話。
10月12日 軍艦「平戸」江田内回航繋留。
11月10日 第15期選修学生入校式。
11月17日 第62期生徒(125名)卒業式。

昭和10年(1935)
1月28日 教育参考館起工(2月11日地鎮祭)。
2月1日 12駆逐隊(「叢雲」「薄雲」「白雲」)、12潜水隊(伊51、伊52)、練習艦となる。
3月4日 第66期生徒の分隊、部の編制を定める。
4月1日 第66期生徒入校式。学校定員大幅に増える。
4月13日 生徒採用規則一部改正。
4月27日 第14期選修学生卒業式。
5月6日 英国皇帝即位25周年記念祝賀式。
5月11日 海軍大臣来校、訓示。
9月13日 選修学生侯補者年令33才以下とする。
9月10日 28日まで第5学級生徒飛行作業。
9月20日 学年を学級に改め5学級とする(期間4年を5学級)。普通科学生制度採用。
10月12日 教育参考館上棟式。イギリス東洋艦隊旗艦「ドーセッシャー」入港。
11月11日 第16期選修学生入校式。
11月15日 呂号第63,64,68潜水艦本校所属。

昭和11年(1936)

1月16日 海軍大臣訓示伝達(ロンドン会議終止)。
1月17日 2月17日まで第5学級生徒神威にて飛行作業。
2月22日 外国語科を新設(従来文学科にあり)。
3月19日 第63期生徒(124名)卒業式。教育参考館開館式。
4月1日 第67期生徒入校式。
4月24日 生徒4期1600名、学生2期200名として、施設、教材の研究をはじめる。
6月23日 第15期選修学生仮卒業式。
7月22日 28日まで第64期生徒連合艦隊に派遣。
9月19日 黄海海戦記念行事として生徒帆走江田島一周。
11月15日 真道山頂5000坪購入、山桜等植樹。
12月1日 第11駆逐艦(吹雪、白雪、初雪)、第19潜水隊(伊56、57、58)、練習艦となる。

昭和12年(1937)
3月23日 第64期生徒(160名)第15期選修学生卒業式。
4月1日 第68期生徒入校式。
5月15日 庁舎各室を第2生徒館に移す。
5月17日 平戸の庁舎設備を撤去。
5月30日 東郷元帥追想黙祷。
6月25日 第16期選修学生仮卒業式。
8月30日 外国語科にロシア語、支那語を加える。
9月14日 30日まで第67期、第68期生徒の一部に普通学の特別教育実施。
11月1日 6日まで第65期1部呉航空隊にて航空実習。
11月9日 第18期選修学生入校式。
12月8日 冬季休暇許可せず。

昭和13年(1938)
1月1日 第11水雷隊(「雉」、「雁」、「鷺」、「鳩」)練習艦となる。
1月10日 学生の宿舎を平戸に復する。
3月16日 第65期生徒(186名)、第16期、17期選修学生卒業式。
4月1日 第69期生徒入校式。
4月8日 学生の宿舎を平戸より新講堂階下に移す。
4月13日 イタリア使節団来校。
4月19日 柔道場開き。支那事変中海軍兵、機、経の生徒修業期問を3年8ヵ月に(従来4年)。
5月1日 第4学級生徒連合艦隊派遣。
5月13日 米内海軍大臣来校、訓示。
5月16日 第4学級生徒、航空、潜水艦実習。
7月1日 海軍経理学校にて2年現役主計科士官の候補生教育を開始。7月9日新生徒館菊花御紋章除幕。
7月16日 八方園神社改築中御神体を大講堂に奉遷す。
7月22日 生徒実習室、寝室を全部新生徒館に移す。
8月30日 本校の経済戦対処実践要領を定める。
9月17日 八方園神社遷座祭。
9月18日 江田島移転50周年記念式。
9月27日 第66期生徒卒業式。
10月7日 ヒットラー・ユーゲント一行来校。
11月3日 軍艦旗制定50周年記念講話。
11月26日 当分4月8日の間生徒の学級区分を学年区分に改む。分隊編制替、36分隊12部制。
12月1日 第70期生徒入校式。
12月30日 海軍兵、機、経学校生徒の修業期間を3年4ヵ月に(海兵67期、海機48期、海経28期)

昭和14年(1939)

2月25日 吉田連合艦隊司令長官生徒に対し訓示。
3月2日 9日まで第4学年生徒連合艦隊にて修業。
5月7日 海軍機関学校生徒来校見学。
5月25日 第18期選修学生卒業申渡式。
6月14日 海軍兵、機、経学校生徒の修業期間を3年6カ月とする。
7月10日 休暇を再開(事変長期化に備えるため)。
7月25日 第67期生徒(247名)、第18期選修学生卒業式。
8月30日 毎月1日を興亜奉公日とする。
9月5日 昭和15年度採用員数、兵600、機120、経45と定める。
11月9日 第20期選修学生入校式。
11月15日 「長鯨」練習艦となる。
12月1日 第71期生徒601名入校式。
12月27日 生徒隊に生徒隊付監事、期指導官、期付指導官をおく。

昭和15年(1940)
1月22日 灯火準備管制及び対空警戒実施。
1月31日 2月6日まで第68期4学年生徒連合艦隊派遣。
3月10日 第68期4学年生徒航空実習(4月20日まで)。
4月15日 第6潜水艇遭難記念日訓示。紀元2600年記念事業として古鷹山、御殿山及び構内に桜樹2600本植樹。
5月29日 第68期第4学年生徒潜水艦実習(31日まで)。第19期選修学生卒業申渡式。
6月12日 特命検閲。
8月7日 第68期生徒(288名)第19期選修学生卒業式。「香取」「鹿島」に配乗。
9月7日 練習艦隊行動変更遠洋航海取止めとなる。
9月30日 日独伊三国同盟条約締結に関する詔書奉読。
10月18日 2600年記念観艦式御観閲に関し校長訓示。
11月8日 第20期選修学生入校式
11月16日 第4,3,2学年12個教班、48個分隊編制。
12月1日 第72期生徒659名入校式。
12月20日 海兵69期、海機50期、海経30期生徒の修業期間を3年とする。

昭和16年(1941)
3月25日 第69期生徒(342名)卒業式、艦隊配乗実習。
4月7日 部に部付監事を置く。
4月26日 第20期選修学生卒業申渡式。
5月21日 この頃教官「平戸」に宿泊する。修業期間3年教程について検討はじまる。
6月21日 徳川家正公爵講演。
6月26日 経理学校長来校。
7月17日 遠泳を8浬と決定。
7月19日 生徒航空実習。
8月11日 始業式。
8月26日 講話「維新志士と学問」本間教授。
9月 独、仏、露、支語を廃する(3年短縮と関連)。
9月18日 開校記念式。
9月22日 第22期選修学生入校式。
9月30日 校長作「生徒に示す」演奏。
10月8日 生徒連合艦隊に派遣。
10月14日 江田島村長来校。民家立退きにつき協議。
10月27日 生徒採用委員会。
11月1日 原村演習協力の水偵墜落。
11月10日 部所属監事を部当直監事と改める。
11月15日 第70期生徒(437名)第20期選修学生卒業式。
11月16日 分隊編制替え、6部54分隊となる。
11月26日 重砲台砲術科倉庫小火災。
12月1日 第73期生徒入校式(903名)。当時54個分隊。
12月8日 開戦。校長、監事長訓示。灯火警戒管制実施。大東亜戦争開戦詔勅奉読。生徒教育一部変更、冬季休暇なし。
12月10日 陸海軍大臣に賜わる勅語奉読。
12月22日 第21期選修学生卒業申渡式(一カ月繰上げ)。

昭和17年(1942)
1月9日 厳冬訓練開始。
2月18日 江田島村民約2500名シンガポール陥落祝賀のため来校。
4月14日 防空訓練。
6月26日 第3生徒館南側営繕用発電機室より漏電発火、小火災。
7月1日 第4生徒館、鷲部、山田下士官住宅新営着工。酷暑訓練開始。
7月 朝日新聞に「海軍」連載はじまる。
7月27日 養浩館上棟式。
7月30日 鷲部、小用、構内官舎竣工。
7月31日 第3生徒館改築竣工。
8月5日 「浅間」と「平戸」と入れ換える。
8月23日 第71期生徒29日まで第1艦隊乗艦実習。
8月27日 私信は封書を禁じ葉書のみとする。
9月17日 黄海海戦記念行事、総船艇出動。
10月28日 11月1日まで生徒原村演習。
11月7日 鷲部官舎火災、2戸焼失。
11月14日 第71期生徒(581名)、第21・22期選修学生竿業式、日向、伊勢に配乗。
12月1日 第74期生徒1028名、第23期選修学生入校式、64個分隊8部制となる。
12月21日 冬季休暇生徒のみ12月26日から。1月7日まで許可。

昭和18年(1943)
1月18日 古鷹山火災、防火隊派遣。
1月22日 厳冬訓練終了。生徒柔剣道競技。
1月23日 生徒兎狩行軍。
2月3日 第72期生徒の修業期間を3年と定められる。
2月21日 第3学年生徒馬術訓練。
2月25日 小用官舎失火。
3月2日 新制度生徒教育研究準備委員会を設置。
3月16日 射撃山火災。
4月4日 警戒警報発令。
4月29日 新養浩館使用開始。
5月12日 警戒警報発令(15日解除)。
5月31日 養浩館受納式。
6月5日 山本元帥国葬、半旗の礼を行う。
6月26日 理化学補佐官たる予備少尉に対し特別教育を実施。
6月28日 故第74期生徒大島信男告別式。
7月28日 生徒のみ8月9日まで休暇。
8月 第75期生徒予定者入学試験。
8月5日 小用火薬庫爆発、防火隊派遣。
8月15日 ドイツ潜水艦乗員来校見学。
9月1日 警戒警報発令(9月3日解除)。
9月10日 タイ国視察団来校見学。
9月15日 第72期生徒(625名)卒業式。実務練習者は「山城」乗艦出港、飛行学生予定者は広島駅発。
9月17日 黄海海戦記念式。
9月18日 創立記念式。
9月21日 兵学校に副校長を置く。
10月2日 第3期兵科予備学生始業式。
10月29日 弥山登山競技、分隊競技復活。
11月1日 岩国校舎にて分校事務を開始す。部内限り岩国分校と呼称することに定められる。
11月10日 福村教授、教授長を命ぜられる。
11月15日 岩国分校開校。
11月16日 分隊編成替え(本校9部、岩国2部)。生徒学年章識別線を伍長赤、伍長補緑とする。
11月17日 岩国分校関係教官生徒移転。
12月1日 第75期生徒(3480名)入校。当直教官の制を定める。
12月13日 18日まで予備学生乗艦実習。
12月18日 22日まで第75期生徒普通学素養調査(数学、物理、化学)。
12月21日 年末年始休暇取止め。
12月26日 予備学生28名入校。
12月29日 自今優等章の授与を停止。

昭和19年(1944)
1月4日 厳冬訓練開始。
1月20日 第23期選修学生修行申渡式。
2月17日 生徒戦時特別教育計画作成始まる。
2月28日 事業服に代え陸戦服着用ができることになる。
3月1日 科学館規程定める。見習尉官、予備学生内規を定める。
3月22日 第73期生徒(898名)、第23期選修学生卒業式。
3月29日 生徒理数学能力不足者に対する特別教育実施計画を定める。
4月30日 第74期生徒の分隊編成を改め航空班艦船班に分つ。専修学生教育を中止。
5月13日 生徒学年制度を廃止。第1号生徒乃至第4号生徒と呼称し、学年識別襟章を廃止。
6月18日 特令あるまで毎日3時から8時まで第2警戒配備、夜間灯火警戒管制。特令あるまで島外への上陸外出禁止。
6月21日 警戒要領緩和、島外への上陸外出許。
8月11日 生徒採用年令14年以上に特例に。
8月30日 印刷所出火。
9月10日 海軍経理学校品川台場あとの新校舎に移転、これを本校として小田原町の校舎を築地分校とする
9月15日 海軍官衛学校勤務員は防備に関し海軍部隊に協力。
9月20日 生徒3年短縮教程教授要目並びに教授上の要旨改正。
10月1日 以上実施。
9月28日 岩国分校生徒館に御紋章を奉掲。
9月29日 生徒席次は分隊先任生徒を除き五十音順とする。大原分校竣工式。
9月30日 第5期一般兵科予備学生始業式。勅令第553号により海軍機関学校は海軍兵学校舞鶴分校となる。
10月1日 海軍兵学校大原分校及び同舞鶴分校開校式。海軍機関学校規制を廃する。
10月9日 第76期生徒(3570名)入校。第75期生徒適性検査、航空、艦船に分つ。
10月29日 大原分校に対し、天皇、皇后両陛下の御写真下賜せらる。
11月15日 東道場火災、東南道場全焼。
11月28日 浜松に海軍経理学校分校をおく。
12月20日 第74期生徒永井秋生霞ヶ浦航空隊に派遣、教務飛行中遭難殉職。

昭和20年(1945)
2月1日 垂水に海軍経理学校分校を置く。
3月1日 長崎県針尾に海軍兵学校分校開設。
3月19日 敵機来襲、生徒3名戦死。
3月20日 防空壕構築結成式。
3月30日 第74期生徒1024名卒業式。
4月3日 第78期生徒(4048名)入校式(針尾分校)。橿原に海軍経理学校分校を置き予科生徒教育を開始する。
4月 この頃から生徒館は裏山防空壕に移転はじまる。普通学講堂、軍事学講堂、食堂は従来どおりとする。
4月10日 第77期生徒(3771名)入校式(大原分校)。
5月1日 江田島本校護国隊結成。
6月7日 第75期部移動訓育。
7月13日 空襲。第75期生徒1名戦死。
7月14日 針尾分校山口県防府に移転。
7月16日 戦死者の海軍葬あり(75期)。
7月24日 敵機来襲「利根」、「大淀」爆撃される。生徒1名戦傷(兵員20余名負傷)。
7月25日 江田島に前後6回艦載機来襲。
7月 岩国分校屋代島久賀町の小学校、女学校に移転。
7月28日 空襲。「大淀」転倒、「利根」後甲板浸水、西生徒館西浴場大破。
8月 防府分校空襲炎上。
8月15日 終戦。
8月22日 この頃生徒を休暇名義で帰省せしむ。
10月1日 海軍兵学校生徒赦免。
10月10日 この頃卒業、終業証書、退職金を府県庁に召集して渡す。

■引用 『江田島 海軍兵学校』別冊歴史読本33号・新人物往来社刊