アメリカから「寄せ書き」の日章旗を返還     
靖国神社に奉納

持ち主が判明
(2010年11月10日)

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 当サイトへのご依頼者のメール

2010年1月29日
管理者殿
 
 (略)
 
昨日、知り合いのアメリカ人から、
手元に旧海軍の兵隊さんの寄せ書きがあるのだけれど、
できれば身内の方の元にお送りしたいので、力を貸して欲しいと頼まれました。
 
その方の話では、持ち主はニュージーランドで戦死された
特攻隊の方だったようだと聞いています。
 
とりあえず、キーワードになる言葉をインターネットで検索したところ、
そちらのホームページにたどり着き、
もしや、故人をご存知の方、または寄せ書きを書かれた方が見つかるのではと思い、
ご連絡させていただいております。
 
このメールに全体像を撮った写真を添付しました。
寄せ書きは私がお預かりしておりますので、
拡大写真が必要であればいつでもお送りできます。
 
下に、読み取れる主な方々のお名前を書きました。
もし、お心当たりがありましたら、ご連絡頂ければ幸いです。
ご家族の方も、かなり高齢でいらっしゃると思いますので、
一日でも早く、持ち主をご存知の方を見つけられればと思っております。
 
突然のメールで大変失礼とは存じますが、
そちらの会員様のお力、お知恵をお貸しください。
 
手がかりとなりそうなお名前は、以下のとおりです。
   
海軍中佐    蒔田 義郎(そちらの名簿で同じお名前をみつけました)
海軍技術大尉 久保 純良
海軍技術大尉 近重 八郎
塩山青年会  花坂 〇正 (〇部分が読めません)

寮長       栗田 四郎
78寮長     矢崎 辰男
 
なにとぞ、お力を拝借したく、宜しくお願いいたします。
 
ディシピオ 久枝
Hisae Di Sipio



   



依頼者からのご報告メール

2010年3月12日
担当者様、



1か月ほど前に、寄せ書きの持ち主探しの件でお世話になりましたディシピオです。
そちらのホームページで紹介をしていただき、ありがとうございました。
その後、教えていただいた「水交会」に連絡をとり、当会の東様のお計らいで、靖国神社に遺品として奉納していただけることになりました。
日章旗の持ち主の日本兵の名前がないため、これ以上の持ち主探しは不可能と判断しました。
アメリカでの調査も並行して行ったのですが、ニュージーランドで戦死されたという話が、実はニューギニアだったこと、特攻隊のパイロットという話が、歩兵というように、だいぶ情報が交錯しておりました。
ニューギニアは終戦直前の激戦地で、そこで亡くなった日本兵は数知れずと聞いております。
寄せ書きの中にもあった「靖国で会おう」の合言葉通り、靖国神社に奉納していただければ、持ち主も喜ぶだろうと思っております。
この度は、私の「持ち主探し」にご協力くださってありがとうございます。
本日、「水交会」に日章旗を送り、肩の荷がおりた気持ちです。
改めてお礼を申し上げます。
ありがとうございました。
ディシピオ 久枝


持ち主が判明
2010年11月10日
管理者様、

寄せ書きの持ち主探しの件でお世話になりましたディシピオです。

日章旗は、今年夏、「水交会」の皆様のご尽力で無事、靖国神社に奉納し、供養していただきましたが、先程、水交会から、とても嬉しい知らせを頂きましたので、ご報告したいと思います。

以下が、水交会から頂いたメールです。
そちらのホームページに載せていただいたおかげで、持ち主のお名前、背景がわかりました。

ご協力ありがとうございました。

ディシピオ 久枝


(略)

このたび、偶然に元の持ち主が分かりましたので、要点のみお伝え致します。
 
先の戦争中、愛知県に「豊川海軍工廠」という軍需工場がありました。

そこで機銃部長をしておられた堀光一技術大佐のご長男が、インターネットの写真付のブログを見つけまして、蒔田義郎、久保純良、近重八郎などの名前に思い当たり、父親の遺品を調べたところ、終戦後書かれたと思われる手記が見つかりました。
 
それを読むと、上の3名の方々は蒔田さんが中佐、久保さんが少佐、近重さんが大尉で、いずれも堀大佐の部下としてそれぞれ機関銃の生産に係わる責任ある配置に就かれているのですが、さらに若い技術幹部の集団の中に辻本富夫と言う少尉がいたそうです。
 
当時(昭和18年暮)は、米軍の反攻が始まったとは言え、まだまだ内地は平穏で、若手の技術士官の間には自分たちも早く南方の戦線に出たい・・・との潜在的な要望が強かったようで、事ある毎に上司に前線行きを訴えていたようです。
 
そんな中、昭和19年の1月から約3ヶ月程度、豊川から若手の技術士官を南方に派遣しても良いという話が中央からあり、堀大佐は辻本少尉を人選して出発させたようです。  前線への出発に当たり、周囲の人たちが日章旗にサインをして本人に渡し、辻本少尉は周囲から羨ましがられながら出征をしたようです。
 
豊川海軍工廠では、彼の無事の帰還を心待ちにしておりましたが、その後の戦死公報で、昭和19年2月にクウェゼリン島で戦死した事実を知らされたそうです。
 
戦史を紐解きますと、クウェゼリン島に米軍が上陸したのは昭和19年2月1日で、その後3日間の戦闘で約5000名の日本陸海軍は玉砕。捕虜になって生き残った人はわずか2百数十名と言うことですから相当の激戦だったのでしょう。
 
これらのことから、先にお送り頂いた日章旗の持ち主は、「海軍少尉 辻本富夫」と断定できると思います。同少尉は大阪府出身らしいですが、今となっては日章旗はすでに靖国神社に奉納し、ご遺族の消息も分かりませんので、このまま静かに戦死者のご冥福をお祈りしたいと思います。 
(以上)