海軍兵学校出身者名簿(完) |
海軍兵学校は、明治2年(1869年)に創立されて以来77年間に、総計11,182名の海軍士官を輩出した。 戦公死者総数は4,012名で、全卒業生の33%に及んでいる。その内、3年8ヶ月の太平洋戦争での戦公死者は、95%に達している。 また、敗戦時15,129名の在校生がおり、海軍兵学校の優れた教育を受けたこれらの若者が、戦後日本の復興に果たした役割の重要性は大きい。 健在する海軍兵学校出身者も、高齢化を迎えている今、出身者(生徒)の方々に敬意を表しつつ、26,311名の全氏名を公表します。 (敬称略) ※最終階級は、戦後鬼籍に入った方、昭和52年当時までご存命の方、また不明の方は割愛しています。 ※氏名は、当用漢字にないものは、空白にしてあります。 ※第78期生徒数に関してご出身者から、「78期の人数については、終戦時の混乱も絡んで、戦後最近まで、入校手続きをした4,048が生徒数とされていたが、現在では、入校時身体検査不合格者等を除いた入校者数4,032名が確定している」との貴重なご指摘もありますが、当サイトでは旧海軍兵学校当局発表の入学者数4,048名のままとしております。 当名簿に、ご指摘いただいた関係各位に深く感謝いたします。・・・「海軍兵学校を考える会」 |
第 1期〜第20期 | 明治 6年11月卒〜明治26年12月卒 |
第21期〜第30期 | 明治27年11月卒〜明治35年12月卒 |
第31期〜第35期 | 明治36年12月卒〜明治40年11月卒 |
第36期〜第40期 | 明治41年11月卒〜明治45年 7月卒 |
第41期〜第45期 | 大正 2年12月卒〜大正 6年11月卒 |
第46期〜第49期 | 大正 7年11月卒〜大正10年 7月卒 |
第50期〜第51期 | 大正11年 6月卒〜大正12年 7月卒 |
第52期〜第56期 | 大正13年 7月卒〜昭和 3年 3月卒 |
第57期〜第62期 | 昭和 4年 3月卒〜昭和 9年11月卒 |
第63期〜第66期 | 昭和11年 3月卒〜昭和13年 9月卒 |
第67期〜第68期 | 昭和14年 7月卒〜昭和15年 8月卒 |
第69期〜第70期 | 昭和16年 3月卒〜昭和16年11月卒 |
第71期 | 昭和17年11月卒 |
第72期 | 昭和18年 9月卒 |
第73期 | 昭和19年 3月卒 |
第74期 | 昭和20年 3月卒 |
第75期(3378名、あ・か行) | 昭和20年10月卒 |
第75期(3378名、さ・た・な行) | 昭和20年10月卒 |
第75期(3378名、は・ま行) | 昭和20年10月卒 |
第75期(3378名、や・ら・わ行・物故者) | 昭和20年10月卒 |
第76期(3660名、エ101〜エ608分隊) | 昭和19年10月 9日入校 |
第76期(3660名、エ609〜エ1004分隊) | 昭和19年10月 9日入校 |
第76期(3660名、オ101〜オ602分隊) | 昭和19年10月 9日入校 |
第76期(3660名、オ603〜マ13分隊) | 昭和19年10月 9日入校 |
第76期(3660名、マ14〜マ46分隊・物故者) | 昭和19年10月 9日入校 |
第77期(3771名、エ101〜エ505分隊) | 昭和20年 4月10日入校 |
第77期(3771名、エ506〜エ1004分隊) | 昭和20年 4月10日入校 |
第77期(3771名、オ101〜オ410分隊) | 昭和20年 4月10日入校 |
第77期(3771名、オ501〜オ810分隊) | 昭和20年 4月10日入校 |
第77期(3771名、マ11〜マ46分隊) | 昭和20年 4月10日入校 |
第77期(3771名、イ101〜イ212分隊・物故者) | 昭和20年 4月10日入校 |
第78期(4048名、101〜112分隊) | 昭和20年 4月 3日入校 |
第78期(4048名、201〜212分隊) | 昭和20年 4月 3日入校 |
第78期(4048名、301〜312分隊) | 昭和20年 4月 3日入校 |
第78期(4048名、401〜412分隊) | 昭和20年 4月 3日入校 |
第78期(4048名、501〜512分隊) | 昭和20年 4月 3日入校 |
第78期(4048名、601〜612分隊) | 昭和20年 4月 3日入校 |
第78期(4048名、701〜712分隊・物故者) | 昭和20年 4月 3日入校 |
海軍兵学校選修学生出身者名簿 |
選修学生制度 |
大正9年(1920)7月,海軍兵学校において選修学生を教育する制度が定められ,同年11月第1期選修学生が入校した。選修校生とは兵科,航空科の准士官(兵曹長)および一等兵曹から選抜した者に修業年限1か年の教育を行い,将来尉官に準ずる勤務に服するための登用制度である。 この選修学生は大正9年11月入校の第1期から昭和17年12月入校の23期まで存続して,総員1,260名が卒業,全員太平洋戦争に参加した。(『海軍兵学校沿革』) |