「兵学校と英語教育」

兵学校の英語教育は、一人の国際派ジャーナリストを生みだした

山下博明さん(山下秀雄氏のご嫡男)より


私の父山下秀雄は昭和2年2月25日に生まれ、先週の木曜日平成16年3月25日77歳と1ヶ月の生涯を閉じました。

海軍兵学校75期です。

父は、兵学校が戦時中も日本で唯一最後まで継続して教育していた英語を生かし、戦後旧軍人枠を突破し東大英文科入学、昭和27年に卒業、故郷の香川県三豊郡高瀬高校で英語教師を勤めた後、共同通信社に転じ、エジプトのカイロ支局長を皮切りに、ケニアナイロビ、米国ワシントン、ニューヨーク、合計4回、10年以上を海外で勤務しました。

英語が敵性外国語とされる中、兵学校では、「英語は好むと好まざるとにかかわらず国際公用語であり、海軍士官は英語を使えて当然、また、敗戦が必至である状況下、戦後の日本には英語を使える人材が必ず必要になる」、との考えのもと、英語教育が継続されていました。

父は兵学校で学んだことを何より誇りに思っておりました。

父の生涯は兵学校で学んだことが間違いなく基礎となっています。兵学校の英語教育は、戦後少なくとも一人の国際派ジャーナリストを生みました。


※平成16年4月1日「海軍兵学校を考える会」に、山下博明氏から寄せられたメール全文を掲載しています。