「大型硬式飛行船とリストレーションの技術」
―資源大量浪費型工業文明から自然環境調和型技術文明への転換―

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株式会社 日本飛行船 (NAC)
代表取締役社長 渡邊 裕之さんより
hiroyuki_watanabe@nac-airship.com
http://www.nac-airship.com/

(本稿の構成と課題)                            

T.21世紀型産業文明とは                        

U.大型硬式飛行船の栄光と終焉

V.ツェッペリンNT号の復活と新事業分野

W.新しい技術としてのリストレーション

本稿は21世紀型産業について文明論的観点から整理し、自然環境調和型技術文明の象徴的モデルとしての大型硬式飛行船のリストレーション技術(再興技術)意義を検討するものである。

T.21世紀型産業文明とは

百数十万年ともいわれる巨大な人類史の歩みのなかで、一部の人類が飢餓線上から脱出し始めたのは、たかだかこの二百年余り前のことである。これは数理的に言えば全期間の0.02%未満に過ぎない。それまで人類は圧倒的な自然の猛威の前で狩猟採集や漁労農耕を主な生業とし、ひたすら環境に埋没・順応して生き延びるのが精一杯の生活であった。ところが15〜16世紀以降の西欧地域において、全く異質の態度、つまり自然環境を人間の欲求目的に適うように人工的に改造・操縦し、支配してゆこうという思想がでてくるのである。

イギリスの哲学者フランシス・ベーコン(1561〜1626)がその嚆矢とされているが、旧約聖書の創世記から天地創造の最後六日目に人間が創られ、そして神がこの自然や動植物を人間に与えたという記述の解釈として、「人間は神から与えられた自然の主であり、自由に自然を改造・操縦してもよい」という考え方を打ち出した。こうした新しい理念に基づく自然環境に対する人間の態度が、萌芽し蓄積されつつあった近代科学技術の進展に裏打ちされて画期的な十八世紀の産業革命を生みだすことになる。そこでもたらされた機械群を中心とする高度生産システムとその莫大な生産力が、今日の高度工業化社会を築き上げてきたということができよう。

この様な性格を持つ思想・社会・政治・経済・法律・生産技術・生活様式等のあらゆる現象を、今ここで一つの文明現象として捉えるならば、その「文明」は、十五世紀に始まり十九世紀から二十世紀初頭にかけてその頂点を迎える西洋人の非西洋地域への進出と植民地化によって全地球規模で伝播してくるのである。そしてその「文明」の一つの特徴は一旦接触すると、被接触側の社会を巻き込んでゆくような性質と構造を内包していることである。それは従来、西欧列強の帝国主義的侵略という用語で表現されてきましたが、ここではそういった一面的な捉え方をより包括的な次元で解釈し、「工業化社会への波動」が全地球規模で伝播していった現象として捉えなおすことができる。

様々な文明の利器である自転車やミシンに始まり、冷蔵庫・洗濯機・調理器具などの家庭電器製品、音楽・映像を楽しむテレビや音響機器、モーターバイクや自動車、そしてパソコンから携帯電話へという「工業文明の恩恵」としての製品群に支えられた生活を一旦味わってしまうと、もう後戻りはできなくなってしまう。こうした文明の利器・技術による「文明人の暮らし」の非西洋地域への拡大という観点で捉えるならば、確かに文明生活は我々に多くの恩恵を与え多くの苦痛を軽減してくれた。医療技術はその恩恵の典型と言えるであろうし、またその生産力を背景とし人類の一部を餓死の恐怖から解放してくれた。

日本も明治以降このような世界の潮流に巻き込まれつつ主軸の一員となって、この様な「工業文明」を離れては人間と社会を維持・存続させにくい状況に追い込まれている。その反面で二十世紀後半から加速度的にこの資源大量消費型の巨大工業文明は、莫大な資源・エネルギーの浪費と自然環境の不可逆的破壊(エントロピーの増大)による生態系の有機的調和の喪失をもたらし、地球温暖化など今や全地球規模の問題となっている。

このような歴史を概観すると、人類の発生から中世までは「環境埋没・順応型世界観」が狩猟農業文明(第一次産業基軸の文明)を支え、近代以降は「環境改造・操縦型世界観」が巨大工業文明(第二次産業基軸の文明)を支えてきたということができる。そして現代はIT時代のグローバル情報社会の側面をもつ高度技術文明(第三次産業基軸の文明)に立ち入ろうとしている。もちろん巨大工業文明下でも農林水産業なくしては人間が生きてゆけないのと同様、高度技術文明下でもそれを支えるモノつくりの工業・製造業なくして社会は成立し得ない。この構造は数学的な三次元が二次元と一次元を包含していることのアナロジーとして理解できよう。

ここで我々が考えなければならないのは、今世紀における第三次産業を基軸とした高度技術文明の新産業と技術革新は、いかなる志向性と本質を持つべきであるかという根本命題である。それは我々日本人の世界に対するこの問題の基本スタンスが如何にあるべきかということでもある。もともと白砂青松に囲まれ山紫水明の国土に棲んでいた日本人は古来より自然を畏敬し、何世代にも亙って自分が見ることもないであろう子孫のために自然を愛し育んできた。ところがわずかこの百年余りの間に、美しい自然を近代的都市と工業団地に囲まれる国土に変貌させてきた。とはいえ今さらすべての近代文明を破壊し尽くし中世に戻ることも不可能である。なぜなら欧米にせよ我国にせよ、工業化を達成すると大体人口が3〜4倍に増加する。江戸時代の日本の人口は3千万人弱、現在は1億2千万人強の人口となっている。逆に言えば工業化以前の社会での人口維持能力では今の我々の四人に三人は餓死しなければならないことになる。もとより後戻りができない以上前に進むしかないわけだが、闇雲に進んで全滅するの愚は当然避けねばならない。そこで我々は、自然に盲従するのでも、自然を一方的に征服し破壊するのでもない、まさしく自然の法則を尊重し、人類が獲得しこれからも探求してゆく高度な科学技術を駆使して、自然に従い調和しながら巧みに自然を応用してゆく態度、つまり自然と人間が折り合いながら共利共生してゆく態度を選ぶことが最重要となる。この意味で自然環境調和型技術文明への転換を図ってゆくことが、現今の急務であり目標なのである。

U.大型硬式飛行船の栄光と終焉

 昭和4年(1929)217時間33分で世界一周した全長236.6mのグラーフ・ツェッペリン号は、32790キロメートルを総飛行時間288時間11分で翔破し、世界中で歓呼をもって迎えられた。乗客20名乗員4045名を乗せ、その名のとおり空飛ぶ客船の発想で作られたので、客室は全て個室、食堂・展望室はもちろんのこと、シャワーやトイレも完備され、まさに豪華客船そのものだった。その世界一周中、ゆったりとした船内から美しいオーロラやシベリアの大自然、そして眼下に広がるニューヨークの摩天楼を楽しむことができた。(ちなみに、エンパイア・ステートビルの頂上は飛行船の係留マストとしての使い道を考えて建造されたものだった。)巡航時の高度は地上では200メートル、海上では600メートルだったので、乗客は次々と変わっていく街並みや大自然のパノラマを存分に満喫できた。ツェッペリン伯号は平均速力75ノット(約140キロ/時)で1万1千キロの航続距離があり、太平洋は79時間(3日と7時間)で横断した。現代でもクルーズ客船で約10日間かかる航程である。

その成功に基づき、1936年にヒンデンブルク号が建造された。ツェッペリン伯号よりさらに大型で、客室区画は2層に分けられ、客室、食堂のほか、読書室や喫煙室までもうけられていた。ラウンジにはグランドピアノが置かれ、船内サービスもツェッペリン伯号より向上していた。大惨事を引き起こしたことばかりが言われるが、1年余りの就航期間の間に達成した飛行回数は56回、北大西洋横断と南米リオデジャネイロへの定期航路を合わせると、延べ飛行距離は34万キロメートルに達していた。この大型硬式飛行船は平均速力約140キロ/時で18千キロの航続距離を誇り、無着陸滞空性能は56日間もあった。

 57回目の飛行で残念ながら炎上してしまったが、近年NASAの研究者により、当時のアルミ塗料の成分が酸化鉄と粉末アルミニウムを混ぜたもので非常に燃えやすかったことが根本原因とわかった。折からの雷雨の中を飛行してきたので船体に静電気が帯電しており、おそらく濡れた係留索を着陸作業用におろして接地した際アースの要領で電流が流れ、その僅かなスパークが塗料を発火させ、それが内部の水素ガスに燃え移ったと推測されている。

現在の飛行船は安全な塗料と不燃性のヘリウムガスを使用しているので、爆発炎上はありえない。もちろん1937年の事故当時は大惨事であったが、乗員・乗客97名中62名が生存しており、現代の航空機事故と比較するとむしろ64%という高い生存率は驚きでもある。これは飛行船の場合、地上激突型の墜落ではないためであり、死亡原因もほとんどがやけどによるものだった。現代では燃料電池車に見られるように水素ガスも取り扱いを誤らなければ安全に使えるようになっている。1930年代当時はまだ合成繊維が発明されておらず、水素ガスの袋(気嚢・きのう)は牛の盲腸の皮(ゴールド・ビーターズ・スキン)を使用していたし、エンベロープという外皮膜は木綿の帆布にアルミ塗料を塗ったものだった。

ちなみにツェッペリン社首脳のエッケナー博士は実は反ナチだったこともあり、残ったグラーフ・ツェッペリン号(I世と新造U世)は1940年5月ゲーリング空軍大臣の命令でフランクフルト・アム・マインの大格納庫ごと爆破処分され、回収されたジュラルミンは爆撃機の材料となったといわれている。同社は戦後の連合軍による航空再開禁止政策もあり結局飛行船の建造再開をあきらめてしまった。しかし飛行船建造技術で培った金属加工技術やトランスミッションなどの精密機械技術により、今日世界に冠たる一大ツェッペリン・コンツェルンを形成している。

一方アメリカ海軍は1962年まで海軍飛行船隊を保持し、主にグッドイヤー社製の軟式飛行船(骨組み構造を持たないもの)を用いて対潜船団護衛や早期警戒哨戒飛行を行っていた。そして同隊解散後は主に欧米で宣伝広告やテレビ中継に用いられて生き延びてきた。その後英米独で新飛行船会社もでき、新型飛行船も開発されたが、いずれも基本的には従来型の軟式飛行船であった。

V.ツェッペリンNT号の復活と新事業分野

ところが1993年ツェッペリン飛行船技術会社が復活、新型準硬式飛行船ツェッペリンNT(ニューテクノロジー)号の開発に着手し、21世紀を迎えた2001年8月から商業観光遊覧飛行を開始した。この飛行船は内部にカーボンファイバー製の骨組み構造を持ち、可動チルト式の200馬力の航空用エンジン(ライカミングIO-360)とプロペラを船体中央部に2基、船尾部に1基の計3基を装備、新素材の合成繊維で軽量強靭なエンベロープ(外皮膜)を構成している。従来の軟式飛行船は、地上に降りてしまえば自己制御能力はほとんどなく、15名程度のグランドクルーが人力でもってマストまでの飛行船の移動を行ってきたが、このツェッペリンNTは自力で地上での運用制御が可能となり、3名程度のグランドクルーの誘導作業でマスト係留が可能となった。この意味で画期的な飛行船運用技術の未来を拓いたといえるのだ。旧来の飛行船が開発された192030年代当時はあまり問題にならなかった人件費が、現在は大きな要素になっていることを鑑みれば、離着陸・係留システムの省力化は来るべくして来た技術革新である。この分野はおそらくさらなる自動化・省力化が追求可能でもある。そしてこの地上支援システムの高度化こそ、運用風速限界などを改善し課題である飛行船の定時運航性能を向上させる鍵でもある。もっともツェッペリンNTは風速毎秒17mまでは運用可能であり、これは実はヘリコプターや小型飛行機の運用とほとんど大差がない。既存の軟式飛行船でも毎秒15mくらいまでは運用しており、年間飛行時間は1千時間に達している。ヘリコプターや小型飛行機は通常年間数百時間しか飛ばないことを鑑みれば、現用の飛行船でもかなりの運用実績があることは一般的には知られていない。

しかしさしものツェッペリン社といえども、60数年振りに建造を再開した第一号は、全長75mで乗員2名乗客12名、時速125キロ/時で航続距離は900キロと、硬式飛行船としては小振りのものであり、かつての全長245m、航続距離1万8千キロで100名乗りのヒンデンブルク級にはまだまだ及ばない。もっとも同社は後継新型飛行船として30名乗りや85名乗りの大型化計画を持っている。

さて、このツェッペリンNT号の登場を契機とし、あらためて今後の飛行船事業分野を概観すると次のようになる。

(1)広告媒体  (2)資源探査・気象観測・航空測量 (3)環境・気象観測  (4)警備・パトロール・救助活動 (5)コミューター  (6)災害救助・通信中継  (7)貨物輸送 (8)観光遊覧飛行  (9)飛行客船によるクルーズ

 飛行船は、単位燃料消費量当りの輸送能力と速度で考えると、船舶と飛行機の中間に位置させることが可能である。すなわち船よりは早く、飛行機よりは多く運べるという特性を持ちうる。しかも長時間の滞空性能はもとより、低速性がむしろ有利となるような航空観測・測量・中継作業もある。筆者は国際的な輸送システムという観点からは、船と飛行機の中間に空白の事業領域が眠っていると考えている。例えば、太平洋を横断するのに、ジェット機が半日、船舶が10日、これに対して飛行船は3日である。しかも長大な航続距離と実用的速度を活かし、内陸の一拠点まで直接輸送することも可能である。

飛行船はアルキメデスの原理により、ヘリウムなど浮揚ガスの自然な力でかなりの静的浮力を得て空を飛ぶことができ、燃料消費は前進力のみにかなりを振り向けられるので、少ない化石燃料消費で渡洋可能な実用的航空機である。騒音や排気ガスも少なく、つまり環境に負担が少ない自然環境調和型技術の象徴的存在であり、この意味で21世紀型新産業の旗手たりうるのである。また、経済的にも運航費に占める燃料費を逓減させることから、総体的に運航コストを下げることが可能であり、今後地上離着陸支援システムの開発を行えば、これから日本各地に出来上がってくる地方空港を活用した地方間コミューターとしての事業展開も十分考えられるのである。

特に地震国である我国では、大震災に備え飛行船により、長時間の滞空性能(最長24時間連続可)を活かし、被災地上空からのライブ映像の送信や情報ステーションとして地上の災害対策本部と連動、人命救助に役立てることができよう。また携帯電話の臨時中継機器を飛行船に乗せて被災地上空に長時間滞空させることで、携帯電話の中継局倒壊や利用集中による不通状態を改善・復旧させ、閉じ込められている人命の救助に寄与することも考えられる。平常時でも交通状況監視や、火災発生時、犯罪発生時などの公共協力飛行も視座に入れ、飛行船運用を促進してゆくメリットは大きい。

W.新しい技術としてのリストレーション

わたくしたちは、飛行船活用の最終目標に、「豪華飛行客船」を現代のテクノロジーで復活させることをかかげている。もしヒンデンブルク号クラスの硬式飛行船を、現代の素材とテクノロジーを組み合わせて再建造したら、当時とは比較にならない程安全で高性能な大型飛行客船ができるはずである。高分子化学がもたらした炭素繊維や合成繊維、最先端の軽合金など、軽量・強靭な材料を用い、コンピューターで精度の高い強度計算を行って、最新の航法・気象・通信システムを搭載できる。また、既存の小型高性能のディーゼルエンジンや航空機用ガソリンエンジンにとどまらず、将来的にはハイブリッド・システムや太陽電池、燃料電池を組み合わせることにより、究極的には無公害な航空機とすることも可能である。

1930年代の技術では、大型の船体に見合う船体の強度や推進力を充分得られないことにも問題があったが、現代の技術・素材・エンジンを合理的に組み合わせれば、こうした問題を解決できるのではないだろうか。しかも日本的ないわばゼロ戦型技術が得意とする、無駄のない精緻な合理的設計とそのアセンブリ(組み合わせ)技術により、世界をリードする新型LTA(Lighter-Than-Air)航空機の開発・建造も決して夢ではない。今後日本の航空機開発がどのような方向をたどろうと、欧米先進国の後塵を拝することなく独自分野で互角に渡りあってゆける新分野の開拓を考えるならば、この飛行船開発は無視し得ない。

また日本各地の造船会社の工場敷地や工場上屋やドライドックなど既存設備の中には、少し改造するだけで大型硬式飛行船の開発・建造に活用可能な施設がある。もともと明治33(1900)7月にツェッペリン伯爵が第一号のLZ-1硬式飛行船を飛ばしたのは、ボーデン湖上に浮かぶ水上格納庫から引き出して水面からだった。また上述の通り、アメリカ海軍飛行船隊は専用の飛行船母艦パトカや、航空母艦や駆逐艦などから洋上補給を受けて、第二次大戦中、対潜哨戒や船団護衛のため主に大西洋方面で活躍した。飛行船が哨戒飛行した海域は、約1千万平方キロに亙り、護衛した艦船は8万9千隻以上にのぼった。

現代でも不審船・小型潜航艇の洋上哨戒や密入国・密輸の監視などに、飛行船の持つ長時間の滞空性能と長大な航続距離、そして低空での連続低速追尾性能を十分活用できる。そして長大な滑走路が不要な飛行船には、陸上に限らず将来的に浮体構造の飛行船水上基地やウォーターフロント周辺も含め、我国の国土を活かした湖面や海面、洋上を利用した運用可能性も研究すべきである。

さて筆者は昨年までの12年間、日本の外洋クルーズ客船の乗組員として3回の世界一周航海を含め全世界を航海してきたが、これから最もお金を使って戴かなければいけないシルバー世代の方々にとっての外国旅行は体力的にもいろいろな要件があることを実感してきた。客船での世界一周の船客は平均年齢65〜67歳くらいであるが、日本からアメリカ・ヨーロッパ・オーストラリアのどこに行くにもジェット機に十数時間乗らねばならないのが体力的にしんどいので客船に乗ったという方々が少なからずおられた。もちろんクルーズ客船の旅は船内での食事やエンターテイメント、各寄港地での上陸観光など魅力一杯でありそれを楽しみに乗船される方が主体である。しかし、一方でもっと身体が楽な空の旅があったらという思いは若い世代でも抱いているのである。

もし現代の技術と素材でリストレーションしたヒンデンブルク号クラスの飛行客船があれば、現在クルーズ客船で盛んな3ヶ月間世界一周が、3週間程度でも実施可能となり、客船同様ダイニングで食事を楽しみ、ラウンジでくつろぎながら、夜は自分の船室でベッドに眠り、眼下の大パノラマを堪能しつつ、各寄港地での上陸観光を楽しめるのである。実は昨年大西洋上を航海中、乗船中の世界一周船客をお相手に「飛行船講座」をやった際、最後にもしヒンデンブルク号クラスの飛行客船ができたら乗ってみたい方は手を挙げてくださいと申し上げたところ、300名のお客様全員が真剣に熱意を持って手を挙げてくださった。この12年間に何万人もの船客と洋上で接してきた実体験から、現在完備された統計調査資料はなくとも、筆者はこのマーケットは確実に存在していることを知っている。

従来の技術開発はどうしても史上初めての新技術にしか注目せずまた評価しない傾向や気分があるのではないかと感じるが、利用者側の観点に立てば全くの新技術よりもむしろ実績のある過去の実物を、現代の技術と素材を駆使して再興(リストレーション)し、新しい経済的付加価値をつけて甦らせることにもっと目を向けて良いのではないかと考える。飛行船の自然のガス浮力の利用のみならず、こうした観点からの風力・潮力・地熱や太陽光エネルギーなど自然力利用の技術をもっと高く評価し、新技術開発と製品化に努力し、実際の産業社会で活用してゆくことこそ21世紀に生きる企業人の使命ではなかろうか。

「人間は自然を制御しうるが、ただしそれは自然に従った場合のみである。」フランシス・ベーコン