MC2はクソゲーか? 巷での評価はクソゲーと定着してしまった感のあるこのゲーム。 プレイヤー自体はまだ存在しているが、それぞれの評価は分かれる。 本当にクソゲーなのか、クソゲーではないのだろうか。 その点について、考えてみたいと思う。 まず、この手の議論をする上で重要な事がいくつかある。 大きなことでは、「問題意識の共有」「基本認識の一致」であるが 問題意識は共有できているが、基本認識については 各プレイヤー間で大きな隔たりがあるように感じられる。 ここでは、「MC2は遊ぶに値しないクソゲーか?」という事だけに 論点を絞るので、まずは基本認識の一致を行いたい。 まず大事なのが、「クソゲー」の定義だろう。 自分なりの定義を行うと 「努力、実力が反映されない、または反映されづらいゲーム」 がクソゲーである。今後はクソゲーという表現においては この事を参照していると考えていただきたい。 さて、ここでMC2について考え始めるが 端的に言うと、このゲームはキャラクター選択において ミスをしてしまうと、極端に努力、実力は反映されづらくなる。 そのような外れの選択肢の占める割合が高い以上 これはクソゲーであると言わざるを得ない。 世間一般の評価は残念ながら正しい。 なぜなら、相当の時間をかけないと その選択肢が正解か否かが判明しないからだ。 正解ならばよいが、不正解の場合には、正解が判明する前に つまらないと感じて、おそらく止めるだろう。 しかし、キャラクター選択から勝負が始まると考えると 話は異なってくる。まず、キャラクター選択の時点で プレイヤーの分析力が問われると考えよう。 そうした時に、プレイヤーの努力、実力が反映されるか というと、率直に言えば、反映される。 あえて、ゲーム自体の話に深く突っ込む事はしないが 正しい選択肢を選び、正しい方法を取れば 間違いなく努力も実力も反映される。 極論ではあるが キャラクターへのこだわりを捨てない限り 対戦において、このゲームはクソゲーだと言うことだ。 ここで、話題を変えるが 「このキャラが好きだ、おもしろい」という感情は 誰しも抱いたことがあると思う。 もちろん自分も抱いたことはある。 だが、その時に感じる好意やおもしろさは どこから来ているかというと、対戦においては 対戦ゲームの基本的な駆け引きである「間合い取り」や 自分の狙いを反映させるのにどれだけ適しているかの、「操作感」の 点から来ていると思う。 話を戻すが、正解選択肢(強キャラ)の中で 不正解の選択肢(弱キャラ)で対戦する限りには 上で話題にした、「間合い取り」も「操作感」も楽しめない場合が多い。 つまり、このゲームをクソゲーで無くすための方法を 発売されて以来ある程度の期間が経過した今示すとしたら 「正解選択肢を提示する」 ことしか無いだろう。 つまり、対戦を考えるとしたら ゲームを楽しむ上で妨げになりうる不正解の選択肢を 排除することが最適の方法だろう。 なぜ、今までの対戦格闘ゲームにおいては 一見すると正解の選択肢が多いように見えるのだろうか。 だが、どれも正解は実際には少ないようである。 ここからは、自分の推測であるが 今までは、選択できるキャラが少ないために 正解、不正解の線引きが曖昧だったか もしくは、システムが複雑であるために 正解か不正解か分かるまでに時間がかかり 結果として長い時間遊ぶことが出来たからではないだろうか。 時間がかかる、と今書いたが むしろ、最近のゲームは多数対多数の形式を取るために 正解、不正解が判明するまでが早いとも言える。 MC2について言えば、その最たる例だっただろう。 具体的に言うとしたら、対戦に臨むにあたって アイアンマン、ケーブル、ストーム、センチネル、スパイラル ストライダー飛竜、マグニート、ブラックハート、ドゥーム サイクロプス、サイロック、キャミィ、キャプテンコマンドー 以外のキャラを 自分の選択が正解だと証明する気力や意気込みが 無い限りには、選択しないほうがよい、ということだ。 これからこのゲームを始める人がいるとしたら まずは、これらのキャラから選択するのがよいだろう。 今示したキャラの中にも、組み合わせ次第で 不正解になってしまうものも多いが 基本的には、ケーブル、ストーム、センチネルの中から 二つを選び、もう一つは自由に選択するのがよいだろう。 つまり、ケーブルのゲームだから まずはケーブルを取るべきである、ということだ。 負けた時の言い訳を作りたいなら話は別だが 対人戦を楽しもうとするなら、この方法がベストだろう。 居るにしても少数だろうが、もしこれを読んでる人で MC2での対戦を楽しみたい、という人が居たら 参考にしてもらえればうれしい。