スマートカードは未だクローズシステム


 マイクロソフトは、ミニカードドライバという規格を使ってスマートカードをプリンタに近づける事を模索している。

 現状のスマートカードは、大きく四つの要素から成り立っている。

  1. スマートカード本体
  2. スマートカードリーダ
  3. スマートカード制御ドライバ
  4. 暗号機能スタック

 スマートカードが紙、スマートカードリーダがプリンタ、制御ドライバがユニバーサルプリンタドライバ、暗号機能スタックがプリンタスプーラという役割分担になります。

 現状のプリンタは、アプリケーションから観て機種に依存しないでプリンタを利用できます。
 アプリケーション層から観た場合、意識するのは用紙の大きさ、プリンタの色表現能力、用紙がセットされているか、インクが残っているか位です。

 利用者層から観たスマートカードに求める事とは、プリンタよりも狭い。 電子証明書と含まれる鍵ペアの保管、何処に記録していて、PIN を指定する事ができればよい。
 もう少し細かい事を言うならば、スマートカードを紛失した時に、スマートカードを停止した上で、利用者が与信する場所から鍵ペアを回復すること。

 PGP と違って、PKI の良い所は、電子証明書という付加情報を与える事で、鍵ペアを失効させる仕組みがある点です。
 現状の鍵回復のメカニズムは、完全に把握できていないから分かりませんが、仕組みから考えて証明書を失効させて終わりのはずです。
 何処に暗号化したファイルが残っているかは、証明書には記録されていません。 従って、それを追跡するのは暗号化したファイルの一覧を別途に持つ必要があるからです。
 失効要求を元に鍵ペアを回復させた後に、一括して古い鍵を用いた暗号化ファイルを新しい鍵で再暗号する所まで実行できると現実に沿います。

 スマートカードですが、現状のスマートカードは、どれもメーカーとベンダーによる囲い込みが酷いですね。
 どうしようもありません。 ポジティブな言い方を用いれば、デバイスに対する標準規格の策定は、スマートカードの将来性を損なう。
 ネガティヴな言い回しを用いれば、スマートカードを利用するユーザを囲い込み、将来的には、スマートカード自体に有効期限を定めて、半年に一回スマートカードを新しい物に新調させて、一枚2万円のICカードを頻繁に購入させたい。
 周辺のカードリーダも、予め壊れ易い設計を組み込んで、三ヶ月に一回交換させて、カードリーダもじゃんじゃんぱかぱかパチンコのようにじゃんじゃん消費させたいのでしょう。

 まあ、こうなった場合は、おそらく誰もスマートカードを使わなくなりますがね。

 現状のソフトインテリジェンスな情報を軽く集めた限りだと、どうもスマートカードは廃れる物品になりそうな気配です。
 少なくともパーソナルコンピュータの分野だけに絞って観た場合、AES 暗号化機能をハードウェアに盛り込んだUSB ハードディスクを持ち運ぶ方が主流になるような印象を受けました。

 結果、PKI は、一部のマイナー規格で終わる。 パーソナル普及はせず、ビジネスコンピュータ分野でメーカーに囲い込まれて使っていくのでしょうね。 メーカーに企業機密情報を握られてね。

 こうなると、リスクだけが高いコンピュータという代物は、ネットワークに接続せずに使われ続けるのでしょう。
 ネットワークに接続しなければ、普通の金庫と同じですからね。 AES 暗号化機能を持ったハードディスクにファイルを保管して金庫に仕舞う。
 機密性の低い情報だけをスマートフォンから電子メールで交換する。 ブラウザはスマートフォンで行う。 ワープロ、表計算は、オフラインコンピュータで行う。

 チームで仕事をする上で、ファイルを共有する必要がある場合は、その利便性を求めてファイルサーバで共有するが、これはインターネットに接続しない。
 わざわざインターネット回線を維持する必要がないし経済的でもある。 ただ不便なんだよね。

 そういった二律背反な状況に橋渡しをする仕組みがPKI であり、核となるのがスマートカードといった鍵ペア記録媒体な訳だけど、4KBytesの証明書を保管して持ち運べる事を実現するアイテムなのに、何を目的として標準規格に沿った製品の販売を嫌うのだろうか?

 これもグローバル資本主義、金融資本主義、利益本位主義の企業と、そこに放り込まれた企業のジレンマが生んだ徒花なのだと感じる。

 世界が悪い、社会が悪いという論理は、責任逃れ、責任転嫁を正当化させ、被害者意識を促進させる危険な美人局ではあるんだけど、 ゼロサムゲームの金融資本主義賭博へ銀行利息より美味しい事を理由に個人貯金を誘導する情勢、 国内と国外の利息差と為替レート差を用いたマネーゲームを規制しない社会、 そこに一切の生産が発生せず、その煽りで被害を受けた企業は、消費者へ損失を転嫁して憚らない企業を観ると 遠からぬ未来に、大きな事件が発生しそうな不安に駆られる。

 中国は、もう四半世紀だけ鎖国を続けておけば良かったのにね。 まあ、彼処が開国したのは自国の意思じゃなく、グローバル資本主義が圧力を掛けた結果だろうけど。

 この潮流は、止まらない。 巨大な金の流れが世界を疲弊させて社会を壊す、か。 変な話だな。
 金が流通することは景気が良い事を示す。 なのに景気は良くない。 答えは単純、この論理には掛けた点があるだけ。 流通とは、金銭と 物やサービス が交換されて金銭を損する作用を指す。

 複利、利息という概念は、不公平の代名詞であり、王侯貴族が資本家に看板を変えて、政治主権と搾取権が分離した結果が資本主義だった訳だ。 こんな事、高校生の時には理解していた。

 搾取する権利である利息という概念を根絶する事が、新しいステージへ登る道筋だけど、これは共産主義では実現できない。 一党独裁の国家が崩壊した歴史があるから、その道筋はループするだけ。

 では、どうするべきなのか? ドラスティックな改革は求めず、利息という概念を根絶する前段階として、強く規制を掛けていく事がよりよい。
 これは、グローバル資本主義な世界であるから、その対象範囲をカバーする枠組みが必要となる。 一つにまとめるとか無理だから、対象範囲の構成メンバが意思と行動を統一する事が必要となる。
 でも、たぶん無理だよね。 現状、金を武器に戦争が繰り広げられている。 血が目に見えないから分からないが、貧困者は殖え続けている。 不幸せな人間が殖える状態を促進するのが戦争な訳で、それに近しい結果にはなっている。 現状を示す定義がないだけ。

 大多数の意識が自分こそが利益を独占したい、労働の対価が見合うように努力する、努力の成果が得られないのは間違いと感じているし、実際、それは正しい。

 有限であるから無限はなく、無限がないから奪い合うしかない。 理解し合うは、互助であり、互助は努力を肯定しない。

 つまり、このゲームルール、ゼロサムゲームで戦うしかない。 社会制度をいくら変えても有限が無限へ相転移する事はない。 現実世界は食い合うように出来上がっている。

 だが、無限はなくとも、無限に近づける事はできる。 エネルギの生産速度を消費が超える事を抑えればよい。
 グローバル資本主義、金融資本主義の危険とは、生産能力を超えた消費のスピードにある。 金融商品で発生した損は、仕組み上消費者へ転嫁される。
 つまり、消費者が生産した利を金融商品が食いつぶしている図式な訳で、金融資本主義は喰い過ぎだから自重しろといえば良い訳だ。
 別のアプローチを挙げるなら、金融商品売買が生産行動に結びつけば良い。 簡単に言えば物やエネルギが生成されるといい。 でもゼロサムゲームだから生まれる事はあり得ない。
 賭場は、胴元だけが得をするシステムではあるが、問題なのは、そこで発生した損は、いずれ社会へ転嫁するから強い規制を掛けているんだもの。

 こうしてみると、なるほど、誰も規制を掛けたがらない訳だ。 巧いメカニズムだよね。 そこで発生した損害を自分で負担しないで良い仕組みだし、法人からすれば、これほど便利な物はない。

 法人が賭博に明け暮れ、法人が自損を負担しない社会。 法人を優遇するのは、雇用という仕組みであり、つまり、現状の社会とは、消費に対して量的には過剰だが質的な生産が追いついていないのかな。
 ただ純粋な質を指す指標である金銭だけが過剰に消費されていて、その金銭の消費に対する質的な生産が追いつかない。 金銭の質的な生産とは、純粋に金銭が生産されること。 これは通常の生産行動からは発生しない。
 一方的に金銭を奪う事からしか発生しない。 ならば、答えは単純で、税金という仕組みで金融取引によって生じた金銭を回収するしかない。
 金融取引によって与えて良い金銭だけを残して、それ以外は全て回収する。 この残すべき額とは、0に近いだろうし、変動させる必要があるだろう。

 利益本位主義の企業は、損を利益に転嫁させない規制を掛ける。 自然人は、損を収入へ転嫁できないのに対して、法人は、好きなだけ転嫁できる。 これが不公平だよな。
 たぶん、現状の不公平の根源は、法人という仕組みだと思うが、これが民主主義という仕組みと相容れないんだよな。 今の民主主義は、責任は自然人だが、権利は法人が握っている法人主義。
 法人とは、動物の群れを指す言葉な訳だから、群れのリーダが実権を握る。 民主主義という言葉を額面通りに受け取るならば、民衆が利息を得る仕組みになるはずなのに、現実は民衆が利息を得てはいない。

 金融資本主義は不公平、利益本位主義の企業も不公平。 民主主義も実質は法人(群れのリーダ)が主権を持つ社会。 資本主義の経済戦争で社会は疲弊している。

 そんな中で政治面でも国外と領土紛争を始めようと準備を開始する。

 久しぶりに客観的に情勢を分析してみたけれど、笑うしかないな。 とはいえ後20年は平気かな、と楽観視する自分もいる。
 状況は厳しいけれど、喰うに困った事はないし、取り敢えず、コンピュータもあるし、エネルギも供給されている。 寒さに震えた事もないし、住む場所に困った事もないし、今のタバコを吸えている。

 ただ、この先20年、現状を維持できるか?と言われれば、たぶん無理だろうな。 いずれ解雇の憂き目にあるだろうし、老いてから餓死か凍死か口減らしで間引きされる将来が決して否定できない。

 それに金融資本主義が悪い〜!とか宣っているが、実際の所、その取引量の実体を知らない。 若しかすると社会へ影響を与えない極僅かであるのかもしれない。
 金融取引の損を消費者へ転嫁していないかもしれない。 利益本位主義というが、法人に所属する役員や資本家が得ている利益は無いのかもしれない。
 会計上の法人の利益は、資本家や役員や幹部の利益を示さない。 公表された役員報酬を見る限りだと儲かっているっぽいけどな。 それを社会が規制する力はない。
 自己の報酬を自己が決定するんだから不自然な話だ。 法人の役員報酬は、実際に働く人間が決めるのが正しい姿だろうに。
 役員の責任とは、労働者の責任より重いのか? 専門技術を扱う経営技術者ってだけだろう。 一般の技師と変わりない。

 …。 なんだから、数十年前の大学運動の運動員の思考っぽいな。 馬鹿みたい。 いつから俺は、危険思想の持ち主になったんだろう。
 新年の最初に各文章じゃないな。 でもまあ、この文章は、残しておこう。 心の捌け口と、来年読み直して、どう思っているかにも興味があるしね。

 ラーメンでも食べに行くか。 腹が減っているから、思考がネガティヴになり、ループするんだろう。 少なくとも、この文章を書いていても何も生産されない。

 しかしなんだ、これ? タイトルのスマートカードは、何処に行ったんだよ!? と