漫画の巧さ。一片が分かった気がする


 相対性理論が示すものは、絶対の尺度は光速度のみである。
 物事を測量するには、何かの尺度に照らし合わせて計るしかない。
 それすら、完全には難しい、と不確定性原理は示す訳だが、ね…。

 なんのこっちゃ、って話です。
 まあ、何かを計るには、比較対象が必要、と言いたいだけです。

 今回の話題は、ヤ●グ●ンガン2009年21号「ロトの紋章#100」です。

 先ず、連載 100回目に驚いた。 それもあって力が入っているのかな?
 この回を観た感想は、「漫画だから、漫画だけが出来る内容」になっている点を評価してます。

 そして、漫画だから楽しめる内容になっていた。 脚本が作画に負けている作品。
 踊り、動き、流れ、演出。 どれも絵で伝えようと、絵で笑わせようと工夫している。
 流石、藤原カムイ。 そう思いました。 ファンの妄想ですが、脚本は絵コンテを作ってないと思う。
 私は、絵を描けませんから、「何が流石だ、ぼけ」って話ですが…。

 さて、この回を「実写で撮りましょう」っとなった場合は、どうなるでしょうか?
 尚、比較条件は、同じコマ割りで表現すること。 映画の特徴である「連続性」を使わないこと。

(…。 ワイヤーアクションかSFX、後は、編集で誤魔化す。)

 そんな事になる気がします。 苦労は、認めるけれどね。
 正直、つまらないと思います。 映画にCGを導入したら、アニメーションと同じだし。

 なので、巧い映画とするなら、「連続性」を巧く使う事になるのだと思います。
 この場合だと、宙を舞うシーン辺りを一カットで撮り、ラストシーンを音も交えて演出するのかな。
 それを演じる役者は、大変そうだ。 役者は、表情と声、感情、動きを制御するのが本分。
 嫌がるだろうな。

 話を戻して、何かを計るには、目盛りが必要。
 漫画も別のメディアと比較すれば、その巧さが浮き彫りになる。 それが分かって嬉しいって話です。

 この作品のクライマックスは、面白そうだな。 はよ、終わらないかな〜。(←酷い思いだ)

 そうそう。 だからと言って、極端に絵一辺倒では、幼稚になる。
 この人は、意識して描いているから評価できる。 トータルが絵一辺倒だと、只の絵本ですしね。
 だから、バトルオンリの漫画、話が破綻している漫画、格好付け漫画などに、興味はありません。


最終更新日:2009/10/16