「●●には、無限の可能性があるのだから」という言葉を聞いたことはありますか?
無責任な発言ですよね。
思えば、子供の頃に「本当かよ」と思った事が考察好きになった原因かもしれない。
サラッと思いつくところで、限界ってのは色々ある。
細かく説明する必要を感じないほど現実な限界ですよね。
この時点で無限な可能性なんかあり得ない訳です。 はい。
例えば「合衆国大統領になりたい!」って考えたとしましょう。 なれますか?
なれませんよね。 先ず、合衆国の永住権が必要となる。 次に政治地盤が必要になる。
おまけに目が眩むほどの金銭も必要だし、人を惹きつける力も必要になる。
とどめとしては、それを指示してくれる多くの人間、それに応える力も必要になる。
現実的な例も挙げましょう。
銀行員になり安定した雇用と余生を過ごす金銭を手に入れる。
さて、これも誰もが可能な事なのでしょうか?
銀行員は、新卒採用以外を殆ど採用しない業界です。
中途の場合は、相当な経験や能力を必要とします。
つまり例外はあるけど「運」という限界が存在する。
リアルだなぁ…。 飲まなければ書く気も起きない。
現在は、与信(貸付)というサービスが存在する。 株式や社債発行による資金調達という手段もある。
事、金銭面に関しては、色々と融通する手段があるから、実際の所は、大きな壁にならない。
但し、これにはリスクが伴う。 借りたお金は期限までに返済する必要がある。 それも利息付きで。
貸せといわれりゃ貸すという訳じゃないが、信用を累積し返済能力を持てば良いだけである。
では、一番の限界とは何なのか?
それは、人である。 量も必要だが、質(能力、信用、派生人脈)が一番大事になる。
先に幾つか例を挙げたが、それらの当事者になれずとも、当事者の支援者として活動することは可能だ。
これは、それほど難しい話じゃない。 寧ろ、現実的な道としては、こちらの方が可能性が高く、現実味がある。
若者には、こういう事を教えるべきじゃないのか、と思う。
責任ある立場の人間は、絶望的で空想な道を示すより、現実的な道を指し示す。
実際、進路を相談されたときは、偏差値を指標に現実的な志望校を示すはずだ。
ほぼ無理な発言で無謀な夢を見せるのは無責任じゃないのか?と思うのだ。
ある日の朝礼…
夏の強い日差しが影を潜め、蒼穹の空が広がっている。
雨ざらしで錆が浮いたお立ち台。 その階段を昇る人影がある。 校長だ。
校長は、台上に立つと周囲を見渡す。 可愛い教え子たちだ。 それぞれに明るい表情、暗い影が見て取れる。
彼らに責任ある言葉を捧げよう。 今日こそ言うのだ。
心の中で頷く。 そして口を開いた。 いくぞ。
「君たちは、名士の家柄に生まれず、米国人として生まれず、容姿優れた身体を持たずに生まれた」
周囲の教師に動揺が広がった。 目を剥いて校長を見ている教師もいる。
「能力を育成するにも学業に費やす時間は有限であり、金銭援助を受けるには様々なリスクが存在する」
眼鏡姿に可愛さを残す女性に駆け寄る姿が見える。 眼鏡っ子が教頭である。
眼鏡っ子は、教師と何かを話している。 頷く。 そして台上に向かって顎を振る。
「加えて! 能力の開花には、合理的で効率的な行動と継続する意志、歪みの無い成果を積みあげる必要がある」
訓示を述べる校長の声は、陶酔と熱気が籠もっていた。 瞳孔が異常だ。
「そして、継続したとしても益のある成果を収穫できる保証などないのである!」
校長は、右手の拳を握りしめると、軽く腕を手前に引いた。
「そんな現実において、君たちは、どう行動するべきなのか? そう心の中で問うていると思う」
数名の教師が台上に走っている。 最初の教師が階段に足をかけた。
「その答えは一つだ。 行動しろ。 学業に励め。 目標を定めろ!」
校長は左腕を掲げ、言葉と共に指を一指ずつ伸ばす。 後ろには両腕を広げた教師の姿。 いよいよだ。
「君たちに無限の時間などないのだから!」
校長は、羽交い締めにされながらも吠える。 そして台上から引きずり降ろされた。
教頭は、綺麗な鼻に指を当て眼鏡の位置を正す。 遠目だと分かりづらいが微笑んでいる様に見えた。
…。
嫌な校長だな。 軍政下の校長に近いイメージになってるな。
そして、何度読み直しても面白い文章じゃないや。
最終更新日:2009/10/07