(仮題)私は何が言いたいのだろうか


 何が書きたいのか分かりません! だけど思いつくままに、詩のように書き殴ります。

 私の中で結実した何かの上澄みを記します。

 恐らく、数年後に振り返れば納得する事があると思う。
 言い方を換えると「私の中に何かが降りてきた。 何かが取り憑いた」と言われる心境に近いのだろう。

 漏れた視野を見つける。 数多くの視点で事柄を抽出し公平の尺度(=法律)で天秤にかける。
 天秤が傾いた角度を総合的に判断して、ベターな公平を実現する。 恐らくベストはない。
 天秤は、絶えず個人や主体の許容量を超えない幅で相互に振れ続けるよう努力する。
 善し悪し共に一方向に振れ続けた事柄は、公平の尺度で反対方向に傾けるよう当事者や第三者が努力する。

 相互に与える事で公平な関係を維持する。
 片道で与え続ける行為は、相手に負債を与える行為に等しい。 何れ相手は、踏み倒す。(破産する。)
 そして、時には、許容量を超えないならば債権を放棄する英断が必要になる。 不利益だけを甘受する…。
 この英断は、美しい理想じゃない。 最後の手段だ。 理想と誤認させて安易に振り回してはならない。
 蓄積すれば、不幸な結末が待っている。

 事象を多角的に観察し公平の尺度で相互の傾きを計る。
 総合的に判断して公平を実現し、不利益が一所に集まらないように努力する。

 忘れてはならない。 人は、自己に利益があることを公平と勘違いし易い。
 人は、完全な公平が実現できても幸せと感じない。
 世界は有限であるのだから、零和ゲームから逃れる事はできない。
 戦争が少なくなったと勘違いしている人が多いが、直接に傷つけなくなっただけ。
 商業という武器に持ち替えて、真綿で首を絞め合っているだけなのだ。

 だが、それで良い。 今更血を流してどうなるのだ。
 商業という武器は、剣道の竹刀だ。 負けても生きて努力をすれば挽回できる余地がある。(機会が残る。)
 奪い合うことが避けられない以上、戦うしかないのだ。
 だから、与えることを意識の片隅に置いて、限界に達する猶予を延ばす必要がある。
 だから人は「対価を求めず相互が公平に与え合う関係」を求め築こうとするンだろう。

 詰まるところ、人の能力、視界は有限である。 人と他人は、別である。
 この辺りの限界が起因するんだけど、だからと言って全てが一つになるなど幼稚な極論だよ。
 害悪は多いし、現実に無理だし、可能だとしてもお断りだ。
 俺は俺で居たいし、自分が他と分かれているから自己が浮き彫りになる。
 加えて、生物が進化の過程で自他を分けて今がある現状を見ても、自他が一つになる事によるデメリットが多いんだろうし。
 まあ、率直な感情を言えば、嫌なものは嫌なの〜って感情だね。

 …。 本当、私は何が書きたいんだろうな。

 これが公開●●●ーシ●ーって奴だね。

 酒飲んで寝るかな。 こういう事を考えているって事は、結構ギリギリな精神状態なのかも知れない♪


最終更新日:2009/10/03