若者よ!予算を決めて家計簿をつけろ


 無駄な金銭を使うな。 価値に見合わない取引をするな。
 価値に見合う予算を決めて、それ以上の金銭を支払うな。

 なんか政治宣伝っぽい見出しだが、そんな気持ちはありません。 そんな責任持てません。

 何故、こんな事を考えたのか?

 本来、必要不可欠な産業が何故に廃れてしまうのか、存亡の危機に瀕するのか?

 それは、消費者が健全な消費行動を行っていないからであろうと思うのです。 はい。

 例えば、食品。 健康と成長に寄与する為、農薬を使わず手間暇掛けて安全な食品を提供している業者があるとする。
 市場競争に勝つために、少し手を抜いて安全に考慮しない食品を作る業者があるとする。 こちらは単価を易く提供する。

 単純に安い物を買いたくなりますが、そこに待ったを掛けたい。 本当に、それでいいのか?

 消費活動って別の側面で見れば、社会への投資活動でもあると思うのです。

 長い目でみた時に後者を買い続けた場合、前者の業者は廃業し、結果、安全な食品が提供されなくなる。
 後者の業者の心理としては、勝ち抜けたのだから安泰。 そして消費者もそれを選んだ訳だ。

「競争に勝ったんだから、ちょっと位、美味しい目を味わっても良いよね♪」

 と感じる筈である。
 寡頭競争に勝ち、トップシェアを築いた業者が社会的な責任を自覚して、今後はより安全な食品を提供してくれるならいい。
 だが、決してそうはならないだろう。 今まで苦労したんだから、これからは美味しい蜜をちゅーちゅー吸うね♪
 という心理が強くなる筈である。 経営者が変化しても、そういう環境で苦労してきた現場こそが、それを望む筈である。
 どうあれ、自浄作用に期待するという他力本願になってしまう。 だが、その責任は、消費者にも連帯する。
 それを選んだのだから。

 時々、我々の産業は未だ成長できる!と訴える人がいる。 本当にそうなのだろうか?

 産業が成長できるという主張は、シェアパイは広がるという主張に等しい。
 ミクロな話を言うならば、消費者の財布予算において我々の産業が食い込む余地はまだまだあると主張しているように聞こえる。

 現代の消費者が取引している商品は、本当に正当な価値と金銭とを等価交換できているのだろうか?
 それは果たして社会全体と将来を見据えた上で、真っ当な投資先に投下しているのであろうか?

 結局、価値とは見えにくい物である。 価格は消費者が定めるものじゃない。
 消費者に可能なことは、ベターな商品を選択すること。 単純に安いだけで選ぶと、将来の危険がおまけについてくる。

 ちなみに食品関係は、行政が危険が少ない商品を排除して流通するようになっているから、それを担保として良いと思う。

 だが、何もチェックが入っていない商品を買う時は、これを注意しないと不味いと思う。

 その商品を提供する産業が、社会にとってどれだけ必要なのか。
 将来を見据えて、投下する金銭の上限を定めて購入する必要があると思う。
 その価値が本当に必要なものなのか。 将来も存続して欲しいのか。 一時の快楽程度な物なのか。

 近年稀にみる駄文となった気がする。

 これらは、現在の不況原因の一翼を担う問題だと思う。 だが、あくまで数多くある問題の一つに過ぎない。
 この自覚の漏れが幅広い箇所で符合して様々な問題を生んでいる気はする。

 漠然とした根拠のない勘だが、金融商品取引、円キャリー取引、この辺りにも問題が潜んでいると睨んでるんだよね。

 博打性が目につきやすいが、他が気になる。

 ・利息という一方的な利益変動
 ・実体のない価格変動(価値と関係がない)による差益
 ・実体がない価値(無生産)
 ・公的介入という国家が被る損失
 ・反社会的な投資先選択(良い企業は金融商品取引価格も高くなる。仕手による価格操作)

 …。 不況の原因を捉える時は、どこに金が大量に流れ込んでいるのかを把握すれば良いのか。

 少なくとも必要最低限の消費は成されている。

 只、収益が減る一方で労働力が求める金銭は上昇を期待する。

 産業が無駄な競争で空回りしている。 雇用拡大の為に企業が肥大化乱立し、不要な競争を繰り返す。

 無駄な仕事を増やし、不要な合理化に投資し、無駄な生産を繰り返して物を溢れさせた。

 結局、構造的な問題ってのは、経済や産業構造が破綻しているっていうことか。

 労働力が過剰であり、無駄な生産を続けるからデフレを起こす。
 糾すならば、本当に必要な物を生産すること。 そこに労働力を投入すること。

 民主主義(職業の自由)と新資本主義(競争原理、利息は資本家特権)が限界に来ているって事なのかなぁ…。

 前者は公的機関による斡旋で処置するんだろけど、後者はグローバル経済下では処置無し、か。

 いや、幼稚な極論だな。
 車の調子が悪いからといって、内燃機関がガソリンを消費してエネルギを供給する点が間違いという論法に似ている。

 的は、反社会的で極端な競争原理と、発生した無駄な生産にこそある(と思ぅ)。


最終更新日:2009/09/30