これも随分前に読了した作品です。
現代において、事件が発覚するより事件性が確定しない事象の方が多いのではないか?
ある人が蒸発した。 隣人と音信不通になっている。 縁が切れた。 数年も連絡を取った記憶がない。
つまり、行方不明になっている。
こういう部分に事件が隠れているのではないか?
という事を松本清張が仰っている本を目にした事があります。
不確かな記憶ですが、推理小説を書く人向けの指南書の中だったと思います。
その本では、死後硬直の判定方法を法医学者が解説した章もあったと記憶しています。
で、この作品は、行方不明になった血縁者を捜す所から始まります。
あ・ら・す・じは、当然のことですが割愛します。
この作品、題名と内容に関係性を見いだせないのは、自分の理解が足りてないのかな。
樹海が示す意味が分からないのですよ。
この作品、読んだことがある作品の中では珍しく登場人物が多い印象を受けました。
数多にいる容疑者達を樹に例えて樹海と表現したのだろうか…?
その割には、主人公は容疑者をばっさばっさと綺麗に絞り込んで行く。
それもあって容疑者が多いと感じなかったんですよね。
これらは些末な話なので、真偽は興味ないです。
何故か分からないけど、松本清張の作品って興味を惹きます。
レトリック、くだらない仕掛け、謎かけが一切ない。
又、文章なのに無理に視覚的な理解が必要になる謎がない。
文章の一文、文章の一句、文章が表現する一瞬が他の事象と組み合わせると矛盾を生じる仕掛け。
こういう技法を使っていない点が好きです。
思考時間を使うなら、現実にフィードバックして読者にとって身近な何かに作用する事に使いたい。
劇中の話題や事件の謎が解けたからといって、その答えが現実に何も及ぼさない謎解きなど社会的に意味がない。
社会派推理小説って身近な事件を素材にしているから、不運なら現実に巻き込まれる可能性を予感させる。
そうした時に対する心構えみたいな事を準備している気分になれる所に、喜ばれる点があるのかもしれない。
即物的な…とか考える人もいるでしょうが、即物的で何が悪いのかと。
読者は、時間を消費している。 だから対価を求めるもの。
そして、懐古を欲した所で、今更戻れる訳がない。
懐古が描く情景を否定し、選択して切り捨てたからこそ、今がある。
最終更新日:2009/09/24