桑園予備校 1970年 Copyright 松任谷武志


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桑園予備校-1970年- 松任谷武志(著)
 1972年に冬季オリンピックを控えていた1970年の札幌の様子、受験戦争の時代の予備校での体験。
 10代後半の最大の試練、大学受験をめぐっての浪人中の予備校通いの受験生と中学校時代の初恋の人との予備校での再開。
 昭和の一断面が予備校生であった1970年に凝縮されていた。
 昭和を感じる私小説。

 
はじめに
小樽の街、札幌の街を当時の僕はこのように感じてました。
これは、1975年に僕が書いた小説。初めて小樽を離れ、親元を離れ北見で一人でアパート暮らし(決して下宿なんて軟弱なものではない)していた僕が書いたもの。なんとなくコンピュータデータにと思い打ち込んだのですが、はっきり言って24歳ならではの文体ですが、読んでいただけるならと思って無校正のままアップします。

 
第1章 1970年3月
「あのー○○大学を受験した、中野正雄ですが・・合格しているでしょうか」
3月30日正雄が受験した大学の合格発表の日である。自分ではかなり自信があったので発表会場にいくまでもないと思って某新聞社のテレホンサービスに電話したのだ。
「中野正雄さんですね、受験した学科と受験番号が解りましたら教えてください」
女性の事務的な声が電話器の向こうから聞こえて来る。
「ええっと、電気工学科です。受験番号は2705です。」
「はい、解りました少々お待ち下さい」
正雄は急に動悸が激しくなって来た、事務的な女性の声に、『もしかしたら落ちたかな』と不吉な予感がしたのだ。『まさか落ちる訳がないさ、あそこはすべり止めだからな』と思い込もうとすればするほど増々不安になる。
「モシモシ、中野正雄さんですね、お気の毒ですが合格者名簿にには載っておりません」
「エッ、・・・ああそうですか、どうも」
「いいえ、」
電話は向こうから切れた。正雄はしばらく受話器を握っていた。『やっぱり、やっぱり?俺は予想していただろうか・・、そうだ、合格したと一人で思い込んでいたけれど、自信は無かった。で・これからどうしよう』正雄は受話器を持ったまま考えていた。
「どうだったい、正雄、やっぱり受かっていたかい?」
台所から母が声をかけた。
「どうしたの?」
返事が無いのを変だと思って居間にやって来た。
「落ちたのかい・・そうかい、でもしかた無いさ、済んだ事だもの」
母は正雄が気を落とさないようにと言葉を選んで話かけた。しかし正雄はその半分も聞こえなかった。
「俺、出掛けてくる」
ジャンパーを掴むと正雄は玄関から飛び出した。何処に行くアテがある訳じゃなかった、でも、その場に居たくなかった、居られなかった。
 母と二人で何を話せばいいのだ、母はなぐさめの言葉を掛けてくれるだろう。そうすれば、するほど正雄の心はしめつけられる。母と一緒に喜びたかった、母を喜ばせたかった、昨日「受かったら4人で夕食を何処かに食べに行きましょう」なんて言っていたのに。
皆自分の勉強の足りないせいなのだ。でも母はそんな事一言も言わないだろう、もし父なら「馬鹿野郎、今まで何勉強してたんだ!」と一喝してくれるだろう。その後で「でも過ぎた事だ、明日からの事を考えろ」とでも言ってくれるかもしれない。その方が気が休まるのに、正雄はそんな事を考えながら雪解け水の流れる車道の端をピチャピチャと水を長靴で飛ばしながら歩いた、何となくその流れを追って海を見たいと思った。
 正雄の住んでいる街は2、3年前NHKの朝のドラマで有名になった北海道は石狩湾を望む街、小樽市であった。港周辺は、明治に建てられた石造りの古い建物が立ちならぶ。
 今では港を中心とした産業は斜陽化したが、港周辺には名残の古い小樽の街が残っている。レンガ造りの倉庫、石を積み重ねた銀行等が明治の昔をしのばせる。正雄の住んでいる最上(もがみ)町は、山の手で、天狗山と呼ばれる500メートル台の山の裾野にある。唄の文句じゃないが、窓を開ければ港が、そして街が一望出来るところにある。父は小さな印刷工場を札幌で経営している。一家して札幌に住もうと言う話もあったが、父の生まれ育った街をはなれ難く、また小樽と札幌は汽車で50分と交通の便も良く、父は毎日札幌に通っていた。小樽という街もだんだん札幌のベット・タウン化が進んでいた。
 正雄の家から港までは、ゆるい下り坂である。その長さにして3キロメートル程の間をいくつかの交差点、道路、歩道橋を正雄は下を向いて歩き続けた。北国の春はとてもドラマチックだ、急に日の光が強くなったなと感じる時、自然はまっしぐらに春に向かって進んでいく。軒下の雪が日に日に小さくなって、まだそれが完全に消えないうちに日向では、もう草が芽をふき、雪解け水を吸って日の光を受けて青さを増してくる。
積雪はもはや白い雪ではなく、泥や砂、そして冬中の汚れをまとって黒い氷とゴミのまじった塊となっている。アスファルト道路は白く乾き、所々で家々の雪が道路に投げ出されて、その雪がとけて道路を黒く濡らしている。また、この坂の街小樽ではいたる所で雪解け水が流れ、少しでも低い所に向かって小さな流れが進んでいく。何処の下水からも勢いよく流れる雪解け水の音が響いてくるのだ。
 道路の両脇に除かれた雪と、もうアスファルトが出ている道との境は薄い氷のひさしの様になっていて、その下を水が流れている。その氷のひさしの上に乗り、もし氷が割れたら受験校に合格できない、正雄はそんなジンクスを思い出した。
 早春の港は何と無く汚れてくすんでいた。冬の間の荷揚げでこぼれた小麦やトウモロコシが降り積もる雪の下に隠れていたのに、雪解けによって表面に出てくるためかもしれない。3っ有る埠頭の一つに船が接岸して大きなバケットで船倉から小麦が陸揚げされていた。正雄はその作業を見つめながらゆっくりと岸壁を歩いた。以前は埠頭一杯に船が並び、それでも不足で湾内の沖に投描してハシケを利用して荷を降ろしていた。そのハシケが何艘も連なりタグボートに引かれて運河を進む光景が見られたが、今では荷物を満載した船の寄港も少なくなり、また、運河に隣接する倉庫の数も減って働くハシケを見ることは少なくなっていた。
正雄は岸壁にそって、第一埠頭と呼ばれているところまで歩いた。その先は防波堤で囲まれた大きな貯木場がある。外国から運んだ生の木を、ここで海に浮かし貯木し、水につかって生木の皮が柔らかくなったら陸揚げしてその皮をはぎ製材所に運ぶのだ。
 あたりは、南方産のラワン材の匂いが漂っている。
 『ここで良く自転車に乗って遊んだっけ。この匂い、ひさしぶりだな。積んでいる材木を利用してかくれんぼして、働いている人たちにおっぱらわれたっけ。』
正雄はそんな事を考える自分が不思議だった。小学校の頃だからまだ6年程しか過ぎていない。まだ18歳になったばかりの自分が、その頃の事を思い出してなつかしがるなんて・。
 人は、目の前に壁が立ちふさがると一瞬後ろを振り返る、それと同じことかもしれない。明日からの自分がまるっきり解らない今、正雄は後ろを振り向くしかないのだ。
 『こんな事を考えるなんて、俺はだらしが無いな。たかが大学に落ちたぐらいで。でも昨日まで、いや、あの電話をするチョット前まで大学に入る事は俺の総てだったのだから。』
正雄は足元の氷の塊を拾うと力一杯海に向かって投げた「バカヤロー」と心の中で叫びながら。何がバカヤローなのか自分でも解らなかったが、とにかく、総ての事に対して清算したい、そんな気持ちだった。氷の塊は30メートル程先の海面に大きな音と水しぶきを立てて落ちた。そして海水にユラユラ浮いている。正雄は今度は雪を固めて球を作り、その氷の塊に向かって投げた。高校に入ってからはクラブに入ってスポーツはやらなかったが、中学時代正雄は野球部のピッチャーだった。雪の球を投げると、あの時の事が思い出される。またそんな事を思い出している自分に向かって『バカヤロー』と叫びながら2球、3球と投げる内に正雄の頭の中は少しづつ晴れてきた。
 今までのモヤモヤが消えて頭の中は投げる事以外の事は考えずカラッポになって来たのだ。そして、その投げると言う事も、意識の中から消えて身体だけが自然に動いてきた。氷の塊の周りは外れた雪球が浮かび、それがかなりの量になった。
何十球か投げて、正雄は投げるのを止めた。今投げた雪球が赤くなっていたからだ。手のひらを見ると冷たさで真っ赤になっていた。そして右手の親指のところが切れて血が流れていた。きっと雪の中に混じっていた何かで切ったのだろう。ハンカチで硬く縛るとまた歩きだした。今度は港から離れ街の中を通って家に戻った。冷たさで真っ赤になった手のひらが少しづつ暖かさを取り戻す時のぬくもりが正雄の心のしこりも解かしていた。春の暖かさと日の光が解かせないものはないらしい。
 

第2章 それぞれの旅立ち

 その夜、正雄は友人3人と、今まで数学を教えてもらった塾の先生の所へ挨拶に行った。大学の発表が終わったら皆でお礼に行く事に決めていたからだ。その塾は、塾と呼ぶほど大ぜいが通っている訳ではなく正雄達が通っているC高校と並ぶ受験校のO高校の教諭が、数人の生徒を集め数学、それも受験用数学を教えている。
正雄の知っている限りでもC高校の生徒が8名、O高校の生徒2名他に2、3名通っていたはずだ。今年受験したのは正雄と同高校のYS、YD、YKの4人だけだった。
 「先生に何って言おうかな、俺自信はあったんだけどなー」
先生の家に行く途中YKが言った。
C高校は小樽で一番の進学校で3年生になると私立系、国立文系、国立理系とクラス分けして受験!受験!大学!大学!と尻をたたくのだった。YM、YS、YKは文系、そして正雄は理系を目指していたのだが、その内、YD、YMが国立二期校に合格し、YKと正雄が落ちた。
 「俺だって落ちたんだぜ、だけど二人で良かったな、3人受かって1人落ちてりゃこうして一緒に顔出し出来ないもの」
正雄が言った。
 「3人受かってとは、どう言う意味だ!俺だって受かるはずだったんだ」
YKが機嫌悪そうに言った。彼は正雄より、いや、正雄と同じくらいショックが強かったはずだ、絶対入れる!と言われていた大学だったのに落ちたのだから。二人は終わったと言う安堵感、二人は明日からまた始めなければならない、が、しかし一区切り付いたと考えながら二人と二人は先生のところに行った。
 「2対2か、でもYK君も中野君も最高点で落ちたと思えばいいさ、二人ともまた、明日からやり直して、もっと上の大学に進めよ!」
先生はそんな事を言って二人の肩をたたいた。4人で持ちよったウイスキーをあけ、それでは足りず先生秘蔵の酒まで出して5人はかなり酔ってきた。
 正雄は高校時代酒にも煙草にも手を出さなかった。母親が厳しかったのと、酒や煙草を覚えるほどの暇が無かったのだ。1年の時にオートバイの免許を取ると同時にモトクロスに出場し、一度もトップを取れなかったが、クランクシャフト、ピストンリング、カウンターステァにスピンターン、そんな中で土埃とオイルの焼ける煙にまみれて、その中に生きがいがあった。夏は日曜日毎に、朝里のコースに行き、冬はミッションギヤーのすり合わせと、とにかく時間が足りなかった。母はレースに出る事に反対したが、父は若い頃オートバイ狂いだったので、正雄が始めてレースに出るときは、新しいヘルメットとゴーグルを買ってくれた。そして、スクラップ同然になった単車を自動車で運んでくれたりした。そんな、正雄だから酒、煙草、女(高校生の男女交際)にまるで縁がなかった。そんな正雄も3年目になって周りを見ると、皆大学へ大学へと口走っているので、あわてて受験勉強に取りかかった訳だ。がその結果は世の中は甘くないって現実だった。
 「しかし、中野は強いな。ネ、先生そうでしょう。アルコールは今始めてだなんて言って顔色ひとつ変えない!」
YDが真っ赤な顔をして言った。
 「そうだなー、高校生で酒を飲んだ事が無いとは信じられないな、今、みんなやってるんでしょ」
先生が聞いた。
 「僕なんか、YMにおしえられたんですよ、酒はいいぞ、勉強してから寝る前に一口飲めばフーっと眠れる。なんて言われて、だから俺は寝酒しないと寝れなくなったんだ」YKが言った。
 「俺は、一口飲めばって言ったのにYKはガブガブ飲むからだ。酒は飲むべし、飲まれるべからずって言うだろう」
 「それじゃ、何か俺が大学落ちたのは、酒に飲まれたって言うのか」
YKが立ち上がって大声で言った。どうも彼は悪酔いしている。
「YK君、そんなに気にすること無いだろう、たかが、大学じゃないか」
先生が、なだめたが、YKは
「俺は、面白くない」
と口走りながら、あばれだした。
YMに掴みかかる。正雄は、そのYKを椅子に座らせた。そして同時に、このままトックミアイのケンカをしたら気分がいいだろうなーと思った。しかし、それと裏腹に口からは話題を変えようと
「先生、札幌の予備校はどちらがいいんですか」
と言った。
家を出るとき、母にそれを聞いてこいと言われた為だった。
「そうだねー、札幌予備学園と桑園予備校、それに北予備とあるけど、桑園が一番いいみたいだね、君だったら特設クラスに入れるだろうし、北大を目指すにもあそこがいいよ」先生はそんな事を言った。
YKは半分気絶状態なのか目が座って、もう何も言わなくなった。学校の先生特に高校の教師は春休みの今ごろがが暇らしく、その夜も1時過ぎまで4人は飲んでいた。正雄は父親譲りの酒の強さなのか、酔って増々気分が良くなって来た。先生の家を出てタクシーを拾う為に坂道を国道まで下がりながら心とは反対に身体ははずむようだった。
「寒いなー、もう、4月なのに」
YMが言った。
「寒いなんて感じないけどな、でも春だな、ほら春の匂いがするだろう」
正雄が言った。正雄は何時の頃からか、季節に匂いがあると感じていた。そして、今夜はその春の匂いがしていた。秋の夜は雪の匂い、春は土の匂いを感じた。
「春の匂い?、俺はYKの酒臭い匂いしかしないけどな!」
YDが、かなり酔ってまともに歩けなくなったYKに肩を貸しながら言った。
「俺が代わってやるよ。それに、どうせ俺の家の近くだから」
YDがYKに肩を貸しながら言った。
「タクシーなんてこの時間じゃ拾えないんじゃないのかー」
「おーい、タクシーなんて。俺気持ち悪いんだ・・しばらく歩こうぜ」
YKが、さっきと反対に弱々しい声で言った。
 その先生の塾は小樽の西の方、長橋町にあり、YKの家は反対側の花園町で距離は5、6キロもある。何処をどう歩いたのか、結局そこまで4人は歩いた。そしてYKの家からYDとYMはタクシーで正雄はあと1キロ程なので歩いて別れた。
「ただいま、先生の家から歩いて来たよ」
「こんなおそくまで、もう3時だよ。高校の先生にしちゃ非常識じゃないの」
母はそんな時間まで起きて待っていた。
「そうじゃないよ、今言ったろう歩いて来たんだ、だからさ」
「でも高校生に、お酒を飲ますなんて」
母はまだ言っている。その声に起こされたのか、それとも横になったが眠られずにいたのか、父が起きてき来た。
 「言い合いは明日、と言うより朝にして、もう寝たらどうだ。俺なんか中学校の頃から酒も煙草も飲んでたから、正雄は遅いくらいだ」
「でも、だからと言ってーー」
「もう高校生じゃないんだ、卒業式も終わったし。それに大学に入るまでの1年間、俺はもっと一人で頑張らなくちゃ、もう、あまり世話焼かないでくれよ。」
とにかく、自分がやるきにならなきゃと思ったからだ。
「そのとうり、甘えてちゃ何時までも高校生だ、来年の今ごろは、受かった受かったと喜ぶ為には、なんでも自分でするんだな」
父はそう言うと、早く寝ろと母と正雄に促した。
正雄は2階の自分の部屋に上った。となりの部屋の妹はもう寝てるらしく灯りは消えていた。正雄の部屋の窓は東に向いている。もう朝だ、空が紺色に代わって来た、そして長い尾を引いたベネット彗星が太陽の方向を示すように夜空に矢印を描いていた。1970年4月1日の朝だった。

 

第3章 札幌の予備校へ

次の日、正雄は一人で札幌へ出た。予備校に行くことに決めていた。最初は自宅浪人を決めていたのだが、よほど経済的理由が無い限り札幌周辺の受験生は予備校に通う。やはり一人で自宅で勉強するより友達やライバルが居た方が勉強に張りが出てくるからだ。桑園駅で汽車を降りる。札幌の隣の駅なのに、まるで田舎だ。国鉄の倉庫や他の会社の倉庫を両側に見ながら歩いて行くと桑園予備校、札幌予備校の2校が建っている。
 正雄はその2校の前を通って比べてみた。やはり、前に先生に言われた様に桑園予備校に決めた、受付に言って入学の希望を言うと用紙を渡してくれる。その用紙に必要事項を書き入れ、入学金、授業料他で8万円を支払う。幼稚園から高校まで全部公立に通った正雄にとって、この予備校が一番金のかかる学校だ。後に国立大学に入学してもその授業料は1ヶ月1000円。幼稚園より安かったので、結局、正雄の通った学校で最も授業料の高い学校が予備校になった。
 「このパンフレットに全部書いてありますから、良く読んで下さい。それから、小樽からでしたら、通学しますか、それとも札幌に下宿?」
「下宿?、いや汽車で通います」
「じゃ、横の窓口でこの領収書を見せて、学割証をもらって下さい」
「あの、学割まであるんですか」
「ええ、ここも学校のひとつですから、でも夏休みに周遊券買って旅行なんて使い方する人は居ないけどね」
窓口の女性は笑った。
「あのー、何人くらい入学するんですか」
「そうねー、毎年3、4000人ぐらいかしら、そのパンフレットに書いてあるでしょ、7日に教科書取りに来れば解ると思うけど、もう、一杯の人だから」
「そうですか。2敗の人も居るんでしょう」
「え、ニハイ?」
「僕みたいに今年の受験に失敗した人間は「イッパイの人」だけど、結構2敗の人も居るのかなと思って」
「あらあら、結構余裕ね。来年の合格一覧を書くときに憶えておくわ」
 入り口の近くに貼られている「学校別合格者一覧」を差しながら事務の女性は正雄の入学申込書を再度確認するように眺めながら言った。
「ご期待に添うように頑張りますね」
正雄はビルの中を見てみたい気もしたが、どうせこれから毎日来るのだからと思い外に出た。
 春先の札幌の特色ともなっている強い南風が吹いていた。以前なら馬糞風と呼ばれていたが、今は馬車も無いので馬糞は飛ばないが、まだ、土の出た道路が多いので土埃がすごい。パンフレットをポケットにつっこんで札幌駅の方に歩き出した。高校受験の時に滑り止めに札幌の高校を受験したとき、そして今年の3月に北大を受験したとき2回とも友人と一緒に来たから、一人で札幌を歩くのは今日が始めてだった。駅前を通っている北5条道路を真っすぐに歩いていく。
植物園を「右」に見ながら15分程で札幌駅の前に来た。そこで汽車の時刻を見て汽車を決め、今度は南に向かって歩く。大通り公園は地下鉄の工事の為に堀返されている。そう言えば駅前も地下鉄工事のために一面に鉄板が敷きつめられていた。テレビ塔の近くも地下街を作る工事が行われており、冬の間に溜った泥を含んだ氷が解け出し泥水となって、あちこちに水溜りが出来ていた。
乱暴なタクシーがその泥水を跳ね飛ばすので、とても歩きにくい。札幌の街は東西南北に道が走っているので、道路の両側特に東側、北側はまだ雪が氷となって残り、その反対側は白く乾いた舗装が出ている。札幌の人は気付いているのだか、正雄は歩きにくい北側ばかり歩いていた。風はあい変わらず強いが、夜から朝にかけてはウソのように静まる。72年の始めに冬季オリンピックを控えとにかく工事の多い時期だった。
 帰りの汽車の中でパンフレットを読んでみる。最初のページは学校の事、学長の事等、正雄は2、3ページ飛ばして読み始めた。国立理系、国立文系、私立理系、私立文系と4クラスに分かれ、しかもその中から選び出して特設クラスを作る。高校時代の受験勉強と、学校の本来の授業の2本立てではなく、受験一本のスケジュールが組んである。一月に一回は模擬試験があり、一日は8時半から90分刻みの授業で、午前2回、午後2回、ビッシリ5時まで。夏休みはあるが、その間は、夏期特別講座、冬は1月3日から冬季特別講座、そして国立1期校の入試の直前には理数直前講座とある。そして、CMのポイントは今年は各大学に何人合格したかが書いてある。
正雄は人に手とり足とり引っ張られるのが嫌いで、スケジュールがキチット決まっているとその表を見ただけでウンザリする。しかし、また、その表を見ると高校時代の自分の受験勉強が、なんて甘いのだろうと思い知らされた。一年間こうして受験勉強して来た浪人と一緒に受験してかなうはずがなかった。来年は自分が現役の甘い人間をいためつけるんだなー、と思い少なくとも現役には負けたくないと闘志がわいてきた。怒りが力になるようにコンプレックスも力に変わるものだ。小樽の駅で降りると駅前の書店で旺文社のラジオ講座のテキストを買ってさっそく今日から始めることにする。
 7日に正雄は、今度は定期券を買って桑園へ来た。予備校で使うテキストの販売日だ。市販の受験用問題集ではなく、その予備校で作ったもので、殺風景な建物と同じく単色の色画仙紙の表紙の付いたテキストだ、英語、数学、国語と色分けしてある。8階から下がって来て1教室で1種類づづ計10種以上のテキストを買って1階に降りる。1階は、その予備校の同系列のソフトウェアー専門学校用のコンピューター室が有り、見栄を張るようにガラス張りにしてありコンピュータが廊下から見える様になっている。後に正雄が入った大学のコンピューターより小さなもので、本体ならば研究室のミニコン並ではあるが。まだ何も知らない正雄は『このコンピューターが俺の試験結果から計算して、受験校の合格率まで予測してくれるのか、たいしたものだ』と、知らない故のコンピューター崇拝者となってしまった。
 「おい、中野じゃないか、まさか、お前ココに入ったのか」
後ろから声を掛けられて振り向くと上田と小室、2人とも高校3年のときの同級生だ。特に上田は正雄の家から2、3軒隣で、高校に入学してからはずっと一緒のクラスという腐れ縁だ。
 「あれ、上田がなんで?、お前商大受かったんだろう、行かないのか」
上田は正雄と違って勉強一筋でクラスでも5本の指に入っていた。
 「こいつ、馬鹿だから、高望みして東大受験したろう、もちろん落ちて、もともと商大なんか、行く気が無いのに受けて、おかげで俺が落ちたんだ。」
小室が言った。
「で、予備校通いすることにしたのか?」
「ああ、早稲田の理工も落ちたろう、じゃ1年受験勉強して医者になろうって決めたんだ。これからは、技術者は医者の時代さ」
「そう、医は算術、不純な動機さ」
上田は北大の医進、小室は札幌医大を目指しているらしい。
「中野は何処受けるんだ」
「おい、まだ4月だぜ、年が明けなけりゃな、国立理系、これだけさ、今決まっているのは」
正雄は、今から決める人間も居るのだから、もう立ち遅れているのかな?と思った。
「かなり、予備校に来てるな。ココにはT、Yそれに俺達だから、5人だけど、札幌予備校には30人くらい行くらしいぜ」
上田が言った。
「やっぱり、札予備に行けば良かったな、上田との腐れ縁も切れたのに」
「大丈夫さ、特設試験で別クラスになるから。皆特設に入れないとカッコ悪いから札予備に入ったんだろう。特設以外は受験生じゃ無いみたいに言われるからなー」
上田は多少勉強が出来る所を鼻にかけるクセがあった。正雄はそんな言い方に腹が立ったが、勉強以外の分野では何も知らない(列車の時刻表のみかたも知らなかった)上田とは喧嘩もせずに付き合ってきたのだ。また、小室とは2年のときに修学旅行で一緒のグループとなり、一緒に寝起きしたから大体の性格は解っていた。先走りの所があり、なんでも人より早く始めるがゴールは一緒と言ったタイプだ。最近はボーリングを始めたらしい。
 次の日、中島公園の中のスポーツセンターで入学式が有った。3人は一緒に行ったが、札幌の地理に詳しいのは小室一人、あとの2人は只小室の後を付いていく。
中島公園までは何とか行けたが、小室が帰りは別のバスで戻ろうと言い出し、さからっては西も東も解らない2人は黙ってしたがうと、とんでもない所に連れて行かれ、結局タクシーで駅まで戻った。そんな事があって、正雄の予備校生生活が始まった。
 

第4章 懐かしい顔、顔

 ゴールデン・ウィークが終わって5月も中旬に入った。正雄もやっと予備校に慣れた。最初の頃は往復2時間の通学にグッタリ疲れて家へ戻れば、とても勉強する気力が残っていなかった。予習復習も満足に出来ずに、たまに2時、3時までかかって予習して行くと、次の日は机に向かって眠ってしまい、講義が聞けなかったり、早く眠ると講義の内容が半分も解らなかったりだった。それも汽車の中で眠る事が出来るようになってからは、かなり楽になった。
正雄の一日は一つのパターンが組み上がった。朝6時半に起き、7時5分前にバスに乗り7時20分の汽車で桑園へ行く。8時5分の汽車でもいいのだが、これだと授業が始まると同時ぐらいに学校に付き、一番後ろの席で何も聞こえない。3人の内誰か早く着いた者が席を取る約束をしているが、3人とも早い汽車に遅れずに乗った。午前中の二講義を受け、昼になると大抵3人とも帰る。5時まで4講義を受けたこともあるが、とてもそれでは自宅で勉強出来ず、昼に帰り3時頃から自宅で復習、夕食後8時から予習。次の日の事を考えて12時までには眠る。これが日課だった。
 たとえ、予備校でも新学期と言うのは何か独特の活気を持っている。昼になって小樽に帰るために、桑園のホームで汽車を待っていると、同じ高校の仲間が集まって来る。
受験校のT高校では特にその数が多い。Yも札幌予備校で頑張っている。正雄も上田も小室も特設クラスに入り3人とも調子は上々だ。正雄と小学校時代同級で、中学の時は同じ英語の塾に通い、そして高校ではまた同級になった竹田。最近はフォークに凝り、演奏会には必ず出掛けるYT。そして大阪の万国博に行く資金をバイトで稼いでいる高橋。その他、同窓の者がかなり居る。
 しかし、正雄が驚いたのは朝の汽車のほうだった。人間は保守的なもので、バスに乗ったら必ず進行方向の左に行く人、座る場所は必ず一番後ろと言った様に。汽車も同じでホームで待つ時、大体同じ場所に立って、同じ車両に乗る。座る席も同じ場合が多い。正雄は上田や小室と一緒にほとんど最後尾の車両に乗っていた。
 ある日、汽車に遅れそうになり改札口から一番近い車両に飛び乗った。そしてデッキに立っていると見覚えのある女の子に合った。
「おはよう、まさか一緒に札幌に通うとは考えてなかったわ」
その子は面白そうに笑った。
「はあ、そうですね」
正雄はすっかり、とまどってしまった。高校時代と違い、予備校に通い始めてから女の子と話す機会が無くなっていた、ほんと女性と口をきくのは、母親と妹を除けば、煙草屋のおばさんくらいだった。
「時々、中野君がこの汽車に乗るのを見て、ああ彼、おそらく予備校に行くんだな、と思ってたのよ。だって、桑園で降りるでしょう、札幌で降りるなら大学だけれどね」
『中野君?、ジャ人違いじゃないな。で、年は俺と同じくらいかな』正雄は返事に困った。顔は知っているのだが名前が出てこない。二人の立っているのはデッキの片隅で、その車両はわりとすいているのか、そこには二人しか居なかった。
「あの、あんた誰?」
ストレートに正雄は聞いた。
「えっ?、失礼しちゃうわ」
その女の子は、足で正雄の足を蹴った。その事で正雄は思い出した。
「ああ、森田か、森田美紀子、ミッコか。変わったなぁ」
正雄は『本当に?』と思いながらも確かに森田だと解った。
美紀子は、正雄が中学3年のとき同級で、その時正雄は「ミス西陵中」等を文化祭でやって、たしか2位になったはずだ。
「あなた、私にラブレターまで書いて、その私を忘れるなんて、もう一度蹴るわよ」
正雄は後ろに飛びのいた。
「ゴメン、ゴメン。だってあまり奇麗になったから・・」
ミッコと解って、あの頃の懐かしさから、調子も当時に戻ったらしい。こんな言い方が出来るのだから。
「あなた、ちっとも変わっていない。すこし3の線のところも同じ。あのラブレター私今でも持っているわ、この間読んだら面白かった。だけどあれもらった時は驚いたわ。返事書こうとおもっていたのに顔がほてって返事書けなかった、うぶだったのね。3年で皆変わるわ。あなたはしがない予備校生。良かった、返事出さなくて」
ミッコはそんなことを言った。半分笑いながら。
 ラブレターとは、高校に受かり卒業式の日、式が終わってから冗談のつもりで『僕はついにあなたに打ち明ける事もなく卒業してしまうのですね』と言った書き出しで書いて渡したのだ。もちろんミッコも冗談だと解ると思って。
どうも今の調子じゃ当時は本気にしたらしい。まだ、中3だったし、制服をきていたから10人並の普通の女の子と思っていたが3年間でかなり大人になり美人になった。いや、美人と言うのは適当じゃなくて正雄が考えている大人になっている。
「あのー、今からでも、その続き書いてもいいけど」
正雄は本気で言った。これだけの女の子と一緒に歩くだけでも鼻が高い。
「また、冗談キツイヨ」
ミッコは笑って全然本気にしない。
「あのね、話は変わるけど、麗子知ってるでしょ。もちろん彼女は忘れてないけど。彼女今予備校に行ってるの知ってた?毎日この汽車でいつも一緒なんだけど、今日はどうしたのかしら」
ミッコは急に声を小さくして言った。麗子は正雄が中学の1年の時から好きで付き合っていた女の子だ。ところが、中学卒業と同時に喧嘩別れしてしまった。正雄は今でも初恋と呼べるのは彼女との事だと思っている。
「えっ、彼女が予備校通い?」
「知らなかったの?言わなきゃ良かった。おそらく彼女8時の汽車に乗るつもりよ。だって、予備校にも皆勤賞があって、それをねらっているなんて言っていたもの。私は半分遊びでこれ、タイプ学校でしょ。なんか彼女見てると恥ずかしいわ」
ミッコは片手のタイプライターを見せながら言った。
 札幌予備校では出欠をとって、出席率の良い者には3月に賞品が出ると聞いた事があった。やはり麗子は予備校に行っているのだ。時々彼女の事を思い出す事があった。ぷっつり連絡が切れてからもう3年、ちょうど3年になる。あの時も雪解けの春だった。
 正雄には小学校から中学校に進むのは単に学校が代わったのみでなく、もっと強烈な変化に思えた。今までは普段外で遊んでいるのと同じ服を着て学校にいっていたのに中学校では学校に行く服、帽子があり、また、同じ教師が通して教えるのではなく1科目毎に替わり、科目と科目の間に休み時間がある。そんな生活のなかで、やっと正雄は自分で考え自分で行動することを知った。その時のクラスの担任の教師が
 「中学生と言うのは、例えば自習時間に騒いでいて他のクラスに迷惑を掛けたりした時、君達の責任になる。自分達で責任を取らなければならないのが中学生だ」
と言われたことも原因かもしれない。
 正雄は中学校に慣れるまで時間が掛かった。それは小学校の年度が変わったのとは違い、もっと激しい変化だったからだ。性格が消極的だったから自分から積極的に何かをする事がなかなか出来ず、いつも友人の後ろばかりを追っていた。だから何時までも一人で動けなっかった。
 そんな時、その正雄の消極性をうちこわし、何処でもかまわず引っ張り回したのが山本麗子だった。新学期の始まりから横の席で、それから何度か席変えがあっても常に彼女は正雄の近くで、それだけで中学生には仲良くなるには十分だった。
 その頃、正雄は他にY、G、T等と4人で仲の良いグループを作っていた、もっとも一つの小さなクラスと言う社会の中では勉強の出来るもの、スポーツが得意なもの等が自然とグループとなり、スポーツは大の苦手、勉強はそこそこだったが、自分より成績の良い者とは付き合いたがらず、結局どこのグループにもウマの合わない者が自然と集まって4人が仲間となった。
 Yは途中から転校してきて新聞配達のバイトをしながら学校に通っていた。またGは、このクラスに小学校時代からの同級生が多いこともあって、人気者だった。Tは金持ちの5人兄弟の末っ子で兄弟中一番出来が悪いと何時も家の者に言われてくさっていた。
 そして麗子も同じように女の子4人でひと塊になっていた。T、O、H等で、それぞれ勉強の良く出来る良家の娘と言った顔ぶれだった。そして、この2つのグループは、何かと一緒だった。遠足だの球技大会だのと外でなにかあるたびに8人がかたまっていた。このままで行けば8人とも同じように楽しい青春の思い出を持つことができただろう。
 しかし、子供にチョット大人のエッセンスをふりかけただけの中学生にとっては、個人個人が強い自我を通そうとする。心で思うことが、直線的に行動になってしまう。しかも、逆に自分が他の者と同じでありたいと思いながらも、同じことを恥る、そんな不安定な世代でもあった。
 クラスの中でT子とY、麗子とGが個人的に日記の交換を行っていると言う噂が流れた。そして他人は半分羨望の思いでそれをからかい、当人達もまんざらではない様だった。それは、中学1年の秋の終わりの頃だった。
 こうなると、Tと正雄それにH子やO子は付け足しのようなものだ。正雄は最初から麗子が好きだったが、そんなことを心で思っても口にだす勇気がなかった。そして逆に積極的なGは手紙を書いて、麗子と交際を始めたのだ。正雄は自分の行動力の無さに腹が立った。しかしその気持ちを表すのはGと口をきかないという、極めて消極的な態度だった。
そして、自分からグループを離れ、結局麗子と口をきく機会も少なくなった。
 正雄の中学校は、三角山と呼ばれる丘よりも少し高い山の中腹にあり、冬季間はスキー競技が盛んだった。2月の前半には、2・3日間授業が無くスキー競技会が開催されていた。正雄の入学する前年まではジャンプ競技もあったが、怪我人が出たことから、この年から中止された。このスキー競技会はクラスの2/3が大回転、回転、そして距離競技と選手として出場し、残った1/3が早い話役員という名の雑用係りだった。
 正雄はスキーだけは人並みに滑れた。しかし夏の間体育の時間に水泳をやればおぼれ、バスケットならドリブルが出来ず、床体操ならさか立ちが出来ず、と言う事を皆見てるから選手には選ばれなかった。
距離競技の「役員」として、山の頂上近くで寒さにふるえながら通過した者のゼッケン番号を控えていた。
 3年男子、2年男子、1年男子、そして4番目に一年女子のグループが通過した、麗子も距離競技の選手に選ばれ、白い息を苦しそうにはきながら登って来た。正雄の居る所は山の頂上でスタートしてからここまで一気に登りが続き一番苦しい所だ。これから山ををくだりあと少しの登りを過ぎてゴールする3キロ弱のコースだ。麗子も頂上から滑り出そうとしてターンをしたが、その時スキーが雪から少し頭を出している木に当たり外れてしまった。
 「あっ」と彼女が声を出す間もなくスキーはスキーブーツを離れ斜面をスピードを増しながら滑り落ちて行く。正雄はその片方のスキーを追って滑りだした。麗子のスキーだからと言う訳でなく、そのスキーが斜面を回転競技のコースを横切り選手が集まっているゴール近くに向かって飛ぶように滑り落ちて行くからだ。片方のスキーが外れて一人で滑って行く事を「流れる」と言うが、流れたスキーは見え難く、またその先端のエッジがぶつかれば、大怪我間違い無しと言う危険なものだ。
 正雄はストックワークとスキーのスケーティングで少しでも早く滑ろうととしたが、雪面を滑る無人の一本のスキーと正雄の滑るスピードが、ガリレオの法則「物は質量に関係無く加速度は一定」と違い空気抵抗を考えるとスキーだけの方が早い。
が正雄が急斜面を卵型に身体を縮めて一気に滑り降り、ギャップの多い緩斜面も同じ格好で強引に滑って行くとワイヤーを引きずっているスキーに追い付くことが出来た。
そのスキーを掴んで身体を起こすと今までそんなスピードで滑った事が無かったため風圧に負けギャップで身体のバランスをくずし、跳ね飛ばされ、コースの横の新雪の積もった所に落ちた。すごい雪煙が上がったが、もちろん正雄に見えるはずが無い。片手に持ったスキーで後頭部をを強く打って目の中で火花が散って気をうしなった。
「痛い!」と自分の声で気が付いた。
左手を見るとエッジで切れた傷口をオキシフルで拭かれている、その痛さと冷たさだ。
「大丈夫か?」
担任の教師が心配そうに見ている。雪の中につっこんだ所に横になっていた。そう長い間気を失った訳ではなかった。雪の中に飛び込んでなかなか起きあがらないので皆心配して見に来たのだ。そこは、怪我人の出た時のための、救護班の居るテントの近くだった。
「おーーい!スノーボート」
と教師は叫んだ。
「やめてください、大した事無いですから」
正雄はグルグル巻きにされてあんなソリに乗せられて、もし、それを引いている者が手を離したらと考え、言った。頭のコブが痛んだがムリして起き上がった。手の傷は血がにじむほどでたいしたことはない。
「本当に、大丈夫か」
「ええ、チョットころんだだけですから」
正雄は自分の技術の未熟からころんだのだから、格好悪かったので皆にそう言った。
「御免なさい、スキー流してしまって」片方のスキーでゆっくり降りてきた麗子がもうし訳なさそうに言った。
「いや、偶然そうなったんだから、山本さんのせいじゃないよ」と、正雄は答えた。
「山本、中野を保健室まで連れていってくれ。どうせ、競技は棄権するんだろう」教師が言った。
それに促されて麗子は片方のスキーを付け、二人してゆっくり斜面を降りて、スキーを外し学校での道を歩いた。
「本当にご面なさい。金具はちゃんと縛ったつもりだったんだけど」
「気にするなよ。普通のスキーで距離競技やっているんだもの、外れることも有るさ」
正雄は頭の後ろのコブをさすりながら言った。
「痛む?」
「いや、痛いのは心の方じゃないかな?」
「心?どうして?」
「僕、君のこと好きなのに、君は・・・・」
「言わないで、私だってそうなのに、G君が一回だけ私に手紙をくれたけど、私、返事も書かなかった。でもあんな噂になって・・。でも中野君信じてなかったと思っていたのに、そんな風に言うなんて・・」
「僕と、交際してくれるかい?」
正雄は何回も麗子に会ったら言おうと思っていたセリフを言った。
「交際?なんで、そんなにあらたまって言うの?、今までどうり友達みたいに話したり一緒に勉強教えあったり、それが出来ればいいでしょう?」
「ああ」
正雄は頭の痛さを忘れてしまった。
 そんな出来事があってから、二人はいつも一緒だった。
 2年生になってクラス替えがあった。正雄はそれまでの担任が引き続き担当する2組に麗子は学年で最後の9組になった。2つの教室は離れていたので二人は学校では会うことがなかったが、体育祭、文化祭等では話したり会ったりすることができた。また一緒に帰宅する道でもよく話した。
 麗子は2年になってからバレーボール部に入り正雄と一緒に帰宅するために正雄にも何かスポーツ・クラブに入るように言った。正雄は麗子が目的だから何のクラブでもよかったが、何となく、部員が足りなくてチームを組めないと友人が言っていた野球部に入った。
 球技が大の苦手でボールそれもバウンドした球は取れるはずもなく内野手は駄目、肩は強いが足が遅く外野手も駄目、バッティングもそこそこに駄目とあって結局ピッチャーに落ち着いた。直球とシュートしか投げられなかったが、わりとコントロールが良くバッティング・ピッチャーに毛の生えたようなピッチャーだった。
この野球部に入った事で正雄は性格的にも変わった。チームの仲間と街を歩き回ったり遊び回ったりで積極的、外向的に変わってきた。スポーツ系の倶楽部にありがちな先輩後輩の関係も学んだし、その理不尽さと戦ったりもした。正雄が後年学生運動の渦の中で、自分を見失って組織のオルグに洗脳される友人達を見ながら集団ヒステリーの恐さを警戒していたのは、実はこの時代の野球部での経験に負うところが大きい。この事で正雄はとても麗子に感謝している。
 ところが、この二人にも別れがやってきた。それは、やはり今と同じ様な受験が原因だった。
 3年の1月、受験する高校を決めなくてはならない。正雄は始めからC高校に決めていて、担任も大丈夫と太鼓版を押してくれていた。正雄は麗子にもC高校を受けるように勧めた。が、高校受験は内申書もかなり重視されるから入学試験の成績だけでは駄目で、たぶん半々だと言われていた。麗子も自分ではC高校を受けて出来れば正雄と一緒に通いたいと言っていたが迷っているようだった。
 ところが、模擬試験の成績で正雄より成績が良い事もあり結局麗子の担任の勧めるO高校ではなくて、一緒にC高校を受験した。二人はまた同じ学校に通えると思っていた。
 そして、結果が発表になった。
 麗子は不合格だった。その日二人で合格発表の掲示板を見に行った。二人で発表を見てからぼんやりと歩きまわった。
「私、やっぱり先生に言われたようにO高校受ければよかったわ」
沈黙が続いた後、麗子がポツリと言った。
「でも、F女子高校に合格してるんだから・・、F女子高校ならここと近いし」
正雄はこの時は、二人で通えないなら自分も落ちればよかった、なんてことを言った。
「F女子高校か・、札幌のF高校のほうが良いって、おかあさんが言ってるけど・・。でも、私中学浪人してもう一度C高校受けようかしら。そしたら1年遅れるけど、一緒に通えるもの」
麗子は前から『もし落ちたら中学浪人する』と言っていた。
「それは止めた方がいいな。女の子は一浪したってことは決してプラスにならないよ。社会に出るとき、結婚する時、何かとマイナスになる」
その時の正雄の言葉の中に、自分は合格した者としてのおごった気持ちがあったのかもしれない。麗子が急に怒り出した。
「マイナス?、結婚する時?そんな先の事解らないわ。でも今の私し、こうして中野君と付き合って、いつまでもと思っている。でも、あなたは、そのうち別々な道を歩くと今から決めているみたい。
 私しこの受験に賭けていたの、もし合格出来たら二人はこれからもズット一緒の運命なんだって・・。でも受からなかった。だから私しそんな賭けの事忘れようと思っていたのに、そんな言い方するなんて」
そして、麗子は泣き出した。
「そんな風に聞こえたなら、あやまるよ」
そんな正雄の言い方が良くなかったのか、
「やめてよ、ありがとう楽しかったわ、さようなら」
そう言って麗子は涙を流しながら正雄の頬に接吻して走り去ってしまった。そんな事をするのも始めてだったから正雄は声をかけるタイミングを逸してボンヤリ立ったままだった。
 それっきり、麗子には会っていないし、消息も聞かなかった。たまの年賀状も来なくなっていた。そんな時期に半分ヤケになってミッコに手紙を書いたりしたのだった。
「どうしたの?ポケーっとして、レイの事思い出したんでしょう」
ミッコがあまり正雄が黙っているので言った。
「ああ、ちょっとだけね」
正雄は照れ隠しでもするように、ポケットから煙草を取り出した。
「吸うかい?」
その時2種類有ったチェリーの今は無い真赤な箱に金文字で桜の花を書いた箱だった。
「外国では、結構ですって言ったら男性も吸わないのがエチケットですって。でも吸っていいわ」
正雄はその頃、まるで決まらない吸い方だった。本当に高校生が隠れてトイレで吸っているようなポーズだった。
「あのー、レイは何か言ってたかい」
「別に・・、只笑って煙草ふかすだけ。彼女変わったわ。お化粧してミニスカートはいて、煙草、何て言ったかなケントだったかな?吸ってたよ。ねえ、中野君とレイはどうしちゃったの、中学の時あんなに仲が良かったのにさ、高校に通うようになって付き合うの止めたの?」
女の子特有の何でも知りたがる癖でミッコは聞いてきた。
「付き合うの止めた?そんなハッキリしたものじゃないさ。ただ、何と無くさ。あの、もし彼女にまた会ったら、もう一度会いたいって伝えてくれないか?」
「私しに恋のキューピットの役をしろって言うの?」
「まあ、そんなところ・・。もし、ミッコが僕に本気なら取り消すけど。」
「私が、中野君に、それって本気?」
「正直に言っていいかい?」
「駄目駄目、いいわって言ったら「本気だ」って言うんでしょう。私、昔からレイと中野君の間に入る隙間なんか無いの知ってるよ。だから中野君から来たラブレターだって全部レイに見せてる。そんな事分かって言っている軽薄な中野君って私には残酷なの。」
 「残酷?」
「あはは、私もレイと競って中野君を好きだった時期があったの。自分から自白してはどうしょうも無いわね。でも私、レイの親友だってことと秤にかけてレイを応援することにしたって経験があるの。あ、今は別よ、勘違いしないでね。いいわ、ただ、今度レイに会った時ね、何時会うか保証はできないわ」
「僕たちってこの3年間で大人に近づいているのかなぁ」
「え、何?」
「楽しかった昔の経験を持つって事、中学校の時代には無かったじゃない。なんか、ミッコって重たい存在だったんだって今気付くなんて」
「もう止めてよ。今の中野君は私を口説けないよ。私は、昔話ししただけだからね。予備校生には恋は邪魔なんでしょう。予備校生と付き合いたいって女の子、そう居ると思わないけど。あ、気を悪くしないでね。」
「うん。解った。で、レイに会ったら、そうだな、12時15分に桑園から小樽に向かう汽車があるんだ。その汽車でって伝えてくれないか」
正雄はノートを切って12時15分桑園駅と書いてミッコに渡した。会ってみたいのは、あの時の事をあやまろうと思ったからだ。今の受験に失敗した自分が始めてあの時の麗子の気持ちが解ったような気がしているからだ。もう会えない思い出だけの人と思っていたが、運命のいたずらでまた会えるかもしれない、是非会って話したいと思った。
それから、桑園までの20分程同級の者達の消息等を話して、桑園で降りる正雄と札幌まで行くミッコは別れた。駅の改札口で上田や小室達と一緒になって予備校に向かう。『一日5本まで、なんて決めた煙草もう3本も吸ってしまった』正雄はそんな事を考えていた。
 

第5章 同じ過ちを2度繰り返すな

 予備校程多種多様な人間が1つの目的(大学に入る)に向かって努力している集団は無いだろう。国立文系、理系、私立の文系、理系と分野が別な者とは友達として話し、同じ大学を受験する者は敵である。そこには、ライバル等と言う奇麗な言葉でなく只敵である。皆合否スレスレだから、自分が合格して他人が落ちる、その逆も有る。一人合格したら一人分間口が狭くなるだけだった。同じクラスにとても目立つ女の子が居るとしよう、俺はあの子の様なタイプが好きだ、チャンスを最大限に生かして彼女に近づこう、と考えるが、彼女が自分と同じ大学を目指していれば、とてもその気は起こらず、誰かがその子と話しているのを見れば『あの男と付き合って少しでも勉強時間が減ればいい』との考えの方が強くなるのだった。皆の考え方が『来年大学に入学出来る』ことが最大の価値観なのだが、もちろん表面ではそんな様子は見せない。話すときは適当なエスプリとユーモアを混ぜて『受験がなんだ』的な態度を装っている。そんな受験否定な態度がカッコいいと思われているのだ。
 正雄は桑園の予備校があまりにもマンモス教室で、また自分の特設クラスは北大を目指した者が大半なのでとても窮屈だった。周りはみんな敵であり、来年の3月には間違いなく同じ試験を受ける競争相手なのだ。理数が午前中の講義で、正雄は数学と、物理は授業を受けるまでもないので、予習もせず、また問題を見てもすぐ答えが出るはずもなく、何と無く眠ったり、他の学科の勉強したりしていた。
 正雄が何とも苦手なのは英語だった、単語、短文をまる暗記しても英語独特の言い回しと文法がわからず、Out Of Order(故障)を「注文を出す」としか訳せないのだった。そんな時往復の汽車の中で小学校、中学と同じ英語の塾に通っていた竹田に会った。
竹田は父親が早稲田出身で息子も何とか早稲田に進めようと思っていたので、現役の時に合格する目算も無く早稲田を受験して一浪して再度早稲田をねらっている。
当然コースは私立文系で札幌予備学院に通っている。正雄が英語の受験勉強がまるで進まない事を話すと、
「そうだなー、一年間あれば十分に勉強出来る科目だものな、今からでも十分間に合う。俺なんか、数学が苦手だろう、数学は一年間では追い付かないさ」
正雄は自分の理数と竹田の英語2つ合わせて受験出来たた合格間違い無しなのに、と思った。
「どんな、教科書使ってる?」
竹田は正雄の予備校の英語のテキストを読みだした。
「これは、止めたほうがいいな。たとえばAirってどんな意味だ?」
「空気だろう」
「うん、でもこの教科書、一番多く使われる訳じゃ訳せない文章ばかりだ。例えば、Change his airs、これは空気を入れ替えるじゃ駄目だし、airの意味なんか知らなくてもいいのさ。こっちの俺達のテキスト見てみろよ、こっちの方が使い易いぜ」
竹田はバックの中から市販のテキストを出して見せた。このテキストは短文が出ていてその訳の中で英語の使用方法をマスターする形式だった。
「これは、使い易い。俺も1冊買おうかな」
「うん、その本、俺は要らないからやるよ。それ持って札幌予備学院の講義受けてみたらどうかな・・。私立文系だから、女の子も多いし、それに教える側が面白い人ばかりで、俺はあまりためになるとは思わないけど、雑談を聞いているだけで、なんとなく英語の雰囲気がわかってくるぞ」
竹田に勧められて正雄は桑園予備校の教科書を片手に札幌予備学院の英語の講義を受ける様になった。大学では「テンプラ学生」なんて言うが、その前団の「テンプラ予備校生」になったのだ。教室が小さく、かつ出席率が悪く、女の子は真面目に出席するので50名程の教室に30名程それも半分以上は女の子と講義を受けるには適当な環境だった。
雰囲気も柔らかく、知らず知らずに英語らしさに慣れた。政雄が英語を好きになったのは、この体験が大きかった。後で正雄が大学に入学して講義を受けた時も、この予備校の教師ほど話術の巧みな人に出会わなかった。
 その中でも特に面白いのは、50歳も過ぎた戦前の東大3浪の教師と、英語の同時通訳の資格を持つ若い教師だった。
3浪の先生は、もう頭も禿ていて、何時も白衣を着ていた。
「私しが3浪の時、友達が、受験勉強をリミットまで行うとその夜オバケが表れて、『これ以上のペースでは身体を壊すから、今日のペースで続けろ』とアドバイスをくれるって言った話を聞いて、それじゃ自分もそのオバケをみてやろうと必死で勉強したんです。ある日、本当に夢のなかでこのオバケを見ました、そして同じ事を言いました。その年、大学に合格したのですが、入ってから皆にその話をすると『俺も見た』『俺も見た』と何人も同じことを言うんです。それもみんな同じ格好のオバケで、同じセリフなんですよ。皆さんも同じ思いしてみませんか」
等の話が好きだった。
 同時通訳の方はまだ30代前半で慎太郎カットの頭に、毎日違うスリーピースを着てきたので講義の前後に女の子のため息が聞こえた程だった。海外に留学していたときの話を例に『言い回し』の妙を講義してくれる。この様に竹田と一緒に札幌予備学院で講義を受けていると正雄もなんとなく英語の苦手意識が直った。成績が上がった訳ではないが、どうやって勉強を進めればいいかが解ってきたのだ。
 そんなある日、午前中の講義が終わり何時もの様に桑園の駅に行くと麗子が小さな待合室に座っているのに出会った。正雄はすぐ飛んで行って話をしたいと思ったが、一人でポツンと座っている彼女の回りの雰囲気に自分は近づけない気がした。で、改札口で彼女に背を向けるように立って汽車を待った。ホームに入ると竹田に訳を話して二人は後ろの車両が止まる所の百葉箱の陰に立った。
会いたいと思っていたがそれは見たいという感情だったらしい。話したいという気持ちは、不安の陰に隠れてしまった。列車が入ってくると一番後ろの車両はガラガラで、その隅のボックスに竹田と二人で座った。が、他のボックスが開いているのに麗子がまるで他人に話すように
「ここ、掛けていいかしら」
と言って正雄の前、竹田の横に座った。竹田はその場の雰囲気を察して別なボックスへ移って行った。
「あの、ひさしぶりだね」
正雄はまともに麗子の顔を見られずに、自分の手のひらに向かって言った。麗子はそれには何も答えなかった。
「ミッコから聞いたんだろう・・彼女タイプ学校に通っているんだって」
話しだした手前、会話が切れないようにと意味もなく正雄は話続けた。
「怒っているだろうな、俺の事なんか。俺だってあれから君に手紙書こうと思ってたんだ、でも何を書いたら許してもらえるか解らなくて」
 正雄は話を続けるためにだけに話した。本当は高校に入学してから面白い事が沢山有ってその年の終わりに何と無く年賀状を出したら、宛先人不明で戻ってきたころまでしか、麗子のことを気にとめていなかったのだ。
「私し、3年たった今でも中野君のこと、好きだわ」
麗子が始めて口を開いたが、正雄はその言葉に強烈なショックを受けた。よほど苦しい恋を重ねなければ、こんなストレートに言えるはずがないからだ。
 「でも、私しが心の中で考えてたあなたと、かなり違っている。私しの心の中の中野君は『会いたい』なんて言う人じゃないもの。私しから会いたいなんて言っても、NOって言う人だわ」
「それ、どうゆうことだい?」
「そうね、私し自分の理想の男性像を自分で作って、その頭の中の人間に中野正雄って名付けていたんだわ。だから、今の中野君は私しの中の中野君とは違うのよ」
「そんな事、言うために駅で待っていたのかい?」
「いいえ、賭けよ。もしかしたら、実際の中野君も私しの頭の中の中野君と同じかもしれないと思ってそんな事有り得ないけど、その有り得ない事に賭けてみたの」
「レイは賭けって言葉、良く使うなー。たしか高校を受験したときも・・」
「そう、賭け。運命って決まってる訳よ。その運命の区切りを納得するのに便利な言葉だわ」
正雄は、なにも返す言葉がなかった。まさか、こう切り込んで来るとは思わなかったからだ。黙って口をつぐむだけだ。
 煙草を取り出して火を付ける。こういう時煙草は便利だ。煙草を吸わなかったころ、こんな場面ではどうやっていたのだろうと思いながら。
「吸うかい?」
箱を差し出して麗子に勧めた。
「いいえ、私し吸わないの」
「え?、だってミッコがミニ・スカートに化粧をして・・・」
正雄はそこまで言って口をつぐんだ。麗子はミニ・スカートでもなく化粧もしていなかった。
「ミッコが言っていたのと、チョット違うなー」
正雄は独り言のように言った。麗子は3年ぶりに会ったので、正雄の事はほとんど知らないが、正雄はミッコから自分の事をいろいろ聞いているのが意外だった。
「ミッコが何か、私しの事、言ってた?」
「ああ、レイは変わったって言ってた。でも・・」
正雄はしばらく考えてから話した。
「正直言って、3年間ほとんどレイの事は忘れていたんだ。1週間程前にミッコに偶然会って、色々聞くまではね。それで、自分の目で見た印象よりもミッコの話の方を信用してしまったんだ。でも、今解ったよ。レイは大人になったかもしれないけど、3年前、いや中学に入ったころだからもう6年前か、そんなに変ってないよ。それと、僕もたぶん変ってないと思うよ。」
正雄は、それ以上話さなかった。
しばらく汽車の音だけ聞いて二人は黙っていた。正雄には少しずつ麗子が昔の麗子に戻ってきた気がした。
「俺と、交際してくれるかい?」
沈黙をやぶって話したのは正雄のほうだった。中学のころ二人でよく笑い話にしたのが、正雄がスキーで怪我をしたときに、麗子に思い詰めたように話したこのセリフのことだったのを思い出したからだ。
チョット考えて、ほほ笑みながら麗子が言った。
「交際?。何でそんなにあらたまって言うの?今までどうり友達みたいに話したり、一緒に勉強教え会ったりそれで、いいでしょう」
麗子もあのときの話を思い出したのか、同じセリフで答えた。
「今度は、あれから6年もたっているんだから、友達以上に・・」
心が通ったので調子に乗って正雄は言った。
「ええ、それも考えておくわ。やっぱりあなたって変わってないのねぇ」
「うん。進歩が無いのか、恋の公式を極めたのか良く分からないけど、このパターンばっかし」
「って、それくらい恋人は居たの?」
「僕は、君は沢山恋したんだろうなと羨ましく思う。僕は女の子は苦手になってしまった。だから誰も居ない」
「あら、ミッコは?」
「それが全部ミッコからレイに伝わってるってこないだ知ったんだよなぁ。ひどいなぁ、随分悪い男のイメージ持ったんだろうなぁ」
「寂しかった」
「え?」
「ミッコに嫉妬したわ。」
「でも友達なんだろう」
「あなたは何時も鈍感。私が忘れようとしたあなたが書いたミッコ宛のラブレターをミッコから見せられたときにどんな感じになった分かる?」
「見られると思ってなかったから」
「私、ミッコの前では「こいつ軽いのよね」と言ったけど、家に帰って許せなかった。そして私が好きな別な中野君を作って、逃げてしまった」
「正直に言うとレイを忘れていた時もあった、でもね、また巡り会ったのだから、しかも3年前の僕より今の僕は大人になったと思う。だから、改めて、『俺と交際してくれるかい』?」
「それを承知したのが、この列車を待っていた事って解らない? 3年たつのね、でも3年前の気持ちと同じになれた。今度は一緒に大学目指す戦友ね。私迷ってたんだ。ミッコが『私が身を引いたのよ』みたいなこと言わなければ気にしなかったんだけど、ミッコから『恋のキューピッドやらせて』って言われて、意味が解らなかった。ミッコは私に会えば解るから中野君に会えって言いたかったかもしれない。「交際?。何でそんなにあらたまって言うの?今までどうり友達みたいに話したり、一緒に勉強教え会ったりそれで、いいでしょう」って今私素直に言える。ミッコのおかげかなぁ」
3年ぶりに会ったと思えないほど二人はうちとけて話すことができた。3年間の時間が過去の苦い経験を『思い出』のオブラートに包んでくれたようだった。
 麗子は両親が札幌に引っ越したので札幌のF女子高校に通っていた。進学するつもりだったが、高校3年のとき卒業間近に父が東京に転勤になりあわてて東京の大学を受験したが合格せず予備校に通うことになった。札幌の大学は合格したのだが、両親が一人住まいに反対して入学させてくれなかった。
でも、今では、国立ならば、と条件付きで、それも了解してくれて、今は、小樽の祖父の家で来年の受験に向けて勉強しているとの事だった。父親は単身赴任で8月には家族を東京に呼ぶ予定で、8月からは東京で予備校通いになる予定だ。何故か、麗子も正雄もまた同じ学校を受験することになった。
 そんな、話をして二人は別れたが、8月まであと、2ヶ月とちょっと、麗子と正雄は一緒の汽車で通学することを約束していた。
 月並みな言葉で表すなら、季節の春に一歩遅れて正雄にも春が来たと言えるだろう。高校卒業、大学受験失敗そして浪人と次々と襲ってくる環境の変化に打ち倒されたような気持ちが麗子との事で明るくなった。自分にとって今年一年が真っ暗、灰色なんてなま易しいものじゃなく真っ暗な一年だと思っていたのが明暗両方有る並木道に変わった。TVを見ても、ラジオを聞いても『今日はまだ、何時間も勉強していないし』、チョット気温が上がると『エッ、もう夏。あと3/4しか残っていない』と思うのだが、麗子と会っていれば、そんな事は全然思い浮かばなかった。正雄の家でも麗子の家でも朝定刻どうりに札幌に行くと言うことは予備校に通うと言う事で、受験勉強中と同義だった。そのため、二人のデートはほとんど、札幌だった。
 午前中は二人とも別々の予備校で講義を受け、昼休みにどちらかの予備校の食堂で待ち合わせた。天気のよい日は植物園に、北大に、そして中島公園までと足をのばし、札幌の公園という公園はほとんど、回った。
 70年という年は札幌の街が大きく変わった年だ。72年始めに冬季オリンピックを、その前年にプレオリンピックを控えてその準備に街のあらゆる所が堀返されていた。通称オリンピック道路と呼ばれて道の拡張、新設を行い家の立ち退き、新しい舗装のための古いアスファルトをはがす作業が行われていて、ブルトーザやショベルカーが騒音を撒き散らしていた。また地下街建設のため堀出した土砂を運ぶダンプカーがその土砂を少しづつ撒きちらし街全体が土埃でおおわれていた。その工事が集中しているのが駅前から南に向かって薄野までの間で、名物の大通り公園も泥で踏み荒らされていた。
麗子と正雄の通うそれぞれの予備校の間を通って、真っすぐに南に歩くと、米国領事館、アメリカ文化センター、知事公館の横を通って札幌地方裁判所に出る。そして、この高等裁判所の建っているのが、大通り公園の西の端である。ここまでは、泥の洪水はおしよせていなかった。二人はよく、このルートを歩いた、そして近くの「大通り喫茶」と言う名の喫茶店に入った。
もっとも、金が乏しい時は、そのまま公園の芝生の上に座ってボンヤリしていた。
「僕って、札幌の街知らないな、駅の近くに伊藤と表札の出た大きな庭のある家が見えるだろう。あれが植物園だと思ってたんだ。ここ2、3週間前まで」
「そうかもしれないわ、あそこの家大きいんですもの。あれで、あんなに街の中心になかったら、素敵な家ね」
「赤い屋根で白い壁、部屋には暖炉とロッキン・チェアー、庭の芝生では子供が白い犬とかけ回って。そんなの映画にしか出て来ないさ」
「でも、そんな生活夢じゃない?」
「いや、住んでる夫婦は年もとらず、子供も予備校行くふりをして遊び回る歳にならず、庭に金のなる木が生えてて天気は何時も春の青空。そんな生活3日も続けたら気が狂うさ」
「それが、幸せだわ。正雄は何で勉強してるの、いい大学に入って肩書き付けて、社会に出て安楽にくらしたいためでしょ。だったら結局心の中で、そんな夢を手に入れたいと思うんでしょう」
「こんな芝生に寝ころがってちゃ勉強出来ないよ。勉強が出来なければ、良い大学に入れない。良い大学に入らなきゃ良い就職口は無い。いい就職口が無けりゃ、お金儲けは出来ない。お金が無ければ寝て暮らすことができない。でも、今、芝生に寝てすごしている。そんな感じだな」
 大体、大通り公園で昼間日向ぼっこしながらアベックが話す話はこんなもんだろう。
レイや正雄も例外ではなかった。毒にも薬にもならない無駄な話をしていても、二人で居るのが楽しかった。しかし、楽しい時間ほど早く過ぎる。
 桑園の駅で再会したのが昨日だったと思っているうちに、もう7月の夏休みになった。麗子は月末には母親と一緒に東京へ発つ。そんな日の近い日曜日、夕方になってから正雄の所にレイから電話があった。
「ネエ、今から会って話したいの、出て来てくれる?絶対に来て、今すぐ」
「えっ、小樽でかい?」
「そう、急用なの、会ったら話すわ、私しこれから公園通りのK喫茶店に行くから、アナタも来てね」
「ああ、行くよ」
 正雄は、急用と言われて思い当たる事が無いので心配になった。『レイの家でなにかあったかな』と思いながら家の者には友達と映画を見てくるなどと言って飛び出した。
会って聞いてみるとレイは明日の汽車で東京に発つと言う。正雄は月末と聞いていたしレイもそう言っていた。
急に父親から電話で会社で夏休みがとれたから、家族3人で大阪の万国博に行こうと伝えて来たと言う。で急遽母と一緒に北海道を離れることになったのだった。
 「今、引っ越しの荷物作りで忙しいの、おじいちゃんの家は個人経営の店だから何人も手伝いの人居るでしょう、私しと母は指示だけしていればいいの」
喫茶店を出てから小樽の公園の中を歩きながらレイが言った。
「そうか、明日か、で、レイは荷物持って行かないの?」
「私し?、別に、母がほとんど荷作ってしまったし私しの物なんて無いの」
「明日か、でも急だな」
「正雄ったら、さっきから明日か、明日かだって。もっと外に話す事無いの? 私が東京に行く事は前から知っていたでしょう。だったら準備も出来たのに」
「うん。でも、俺、先の事考えないことにしてるからな。どうせ、3月にはまた落ちた、受かったで苦しめられるし」
正雄は公園の展望のきく所まで来て、ぼんやり港を見ながら言った。その下には小さい動物園があり、鳥が時々眠たそうな泣き声を上げていた。
「あの、私し寒いの」
レイが言った。
「我慢しろよ、俺だって少し寒いんだ」
正雄はレイが何故寒いと言ったか解らず、そう言いかえした。しばらく二人は黙って港のイルミネーションを見ていた。
そして、またレイが言った。
「肩抱いてくれない?寒いの」
「ああ、いいよ」
今度は二人は肩を組んで歩きはじめた。
その公園は回りが暗く真ん中の見はらしの良い所だけ街灯が立っているので二人は坂を下りながらドングリの林の中の小道を歩いた。正雄は何度か話出そうと息を吸ったが声にならないまま、また歩き出した。あと10m程で公園の出口というところで思い切って言った。
「あそこの石碑の所、通っていこうか」
その石碑は石川琢木が小樽の街を読んだ詩の掘ってある2m程の石碑だ、その回りは特に暗かった。レイは黙って付いてきた。
「あの、キスしていいかい?」
正雄は言った。レイは何も言わずに黙って目を閉じた。しかし正雄にはそれがOKのサインとはわからなかった。
「いいかい?」
もう一度聞いた。レイは小さな声で「エエッ」とうなずいた。正雄は頭に血が登って接吻の感触等はほとんど感じなかった。ただ春の香りがした。
「これで、お別れね。さようなら。私しの事忘れてね。」
レイが言った。
「いや、絶対に忘れないよ」
「駄目よ。私しもあなたも受験生よ、お互いに相手の事忘れて明日からいいえ、今から受験のことだけ考えましょう。そして、そう私し、むこうの住所おしえておくから来年の4月の1日に両方で一緒に手紙出しましょう。その時受かったと書けるように、お互いのこと忘れて一生懸命勉強しましょうよ」
「君は強いんだな、僕はとてもそんなに切り離せないよ」
「でも、そうしなくちゃ。そうしないと前の私達と同じになってしまうわ。同じ過ちは繰り返さないようにしましょうよ」
今度はレイの方から接吻をして来た。そして「さようなら」と一言言うと小走りに去っていった。3年前と同じだった、なにもかも。しかし今度は涙が出そうなのは正雄の方だった。『同じ過ちを二度と繰り返すな』レイの残した言葉の意味を考えて正雄は涙をこらえた。
 

第6章 真夏の憂欝

 1年は365日と1/4。その当たり前の事が普段の生活の中では中々実感されない。時計の針がグルグル回ってカレンダーを何枚か新しい面に替えてそれが一年だ。が時々年末になると『本当に365日もあったかな?』と考えてしまう。
 春の雪解けを見ていた目が、そろそろ探さないと雪解けは見つからないと思う頃、もう夏、それも真夏が訪れているのだ。
正雄は暑い中、予備校に通っていた。夏期特別講習というやつだ。通常の授業料では足りないのか、これは特別授業として別途授業料が徴収される。ま、予備校も商売が巧い。ほとんどの予備校生が夏季講習に出てくる。通学の汽車の中は暑いが、学校に来てしまえば、冷房が効いているから勉強がし易い。もっとも8階の自習室と呼ばれる教室で無駄話をしながら、勉強のふりをしている時間が大部分だった。
麗子からは万国博のスイス館の夜のイルミネーションの美しい絵葉書が届いた。
その裏には、
 『暑くて死にそう、でも来年の受験を考えると背筋が寒くなる。4月の1日なら国立の2期も合格発表になっているから、その時、これから半年間の出来事を書きます。それまでは、正雄のこと、ごめんなさい、忘れます』と書いてあり、東京中野区の新住所が書いてあった。正雄の所に中野区のレイからの手紙、不思議な巡り合わせだ、と思った。
自習室での話題の中心は、その万国博覧会を見てきた、TKとYKの話しだった。
二人とも寝袋持って、泊り込みで一週間会場を歩き回ったのだった。アメリカ館の月の石だとか、お祭り広場の大屋根とか、夜になると太陽の塔の目から光のビームを出すとか、TVでしか見た事の無い正雄達は、その裏話的な二人の話が面白かった。
TKはそのまま帰って来たがYKはその後、関西の大学に入った友達の下宿に潜り込み大阪をぶらついて来た。
そしてフォークソングのグループと親しくなり、そのメンバーにさそわれていると言う。
「そんなグループの中には大学生なんかが多いだろう。でも名前だけの大学生なんだ。皆大学なんか目じゃないんだ。フォークを唄って詩を書いて、曲付けて、それが生きがいになっているんだ。それに、最低の生活するにはそれでも十分な金が入って来る」
YKは本気でフォークのグループに入る気でいるようだ。
上田や小室に言わせれば
「YKは、浪人にあきたのさ。ガマンして勉強すればあいつだって北海道大学くらいには入れるのに」
「今の俺達が飯を食える事は、勉強して良い大学に受かることだけなのに」
と、言う事だが、正雄はそう思わなかった。もし、来年受験に失敗したら2浪する気持ちは無い、となると就職。でも今時現役卒業でも無い俺がまともな職に付ける訳も無い。一生働いても係長止まりだろう。だったら、水商売の何か、例えばフォークに飛び込むのも悪くないと思った。もっとも来年受験に失敗して行く先が無かったらと言う前提のもとにだが・・。
 YKは正雄に相談する事が多かった。それは、正雄なら反対しないと思って、かもしれない。彼は男兄弟の一番下だから、ある程度自由があった。その為か結局大阪に発って行った。正雄に『大学が生きがいの総てじゃないぜ』と言い残して。
 暑い日が続いて、夏期講習も無い本当の夏休みになった。
あまり暑いので昼間は勉強も出来ず、天気の良い日はほとんど海に泳ぎに行っていた。竹田の家は、小樽の近くの朝里にあり、海からもそう離れていないので海水浴には都合が良かった。竹田は、夏日焼けして膚を焼いておけば2月3月の受験期に入っても風邪を引かないと信じて、その為に行くのだが、正雄はそんな先の考えも無く、ただ遊ぶために海に出掛けていた。そしてレイのことばかりを考えていた。
 忘れると言っても簡単にふっ切れるものではない。レイからの絵葉書を勉強机の前の壁に張り、それをぼんやりと眺めていることが多かった。深夜のほうが勉強が進むと、夕食後もテレビを見、零時を過ぎると深夜放送のラジオのSWを入れ、そしてノートを引っ張り出してレイにラブレターを書く。最初一日に半ページ程書いて、それから勉強に取りかかったのだけれど、そのうち一日に何ページも書いて、そのまま朝になってしまうことも有った。
しまいには書くことも無くなり、僕の気持ちを解って欲しいと「山本麗子」とノート一面に何百行も書いていたりした。
そして、YKの残して行った言葉、「大学だけが生きがいじゃない」を思い起こして、いくら今頑張っても今すぐ大学に入れない。来年の3月まで待たなくては、じゃあ今勉強する事以外に何かすることがあるのではないかと思ってしまったり。
そんな生活を続けていれば体調も狂い頭が常にボーットしている。時たま勉強するぞと思ってもほとんど身に付かない。常に眠いのだ。
 そこで、前から友達に聞いて知っていた眠気ざまし「カフェソフト」なる薬を買ってきて試す。気分的に少し眠気が去ったような気になる。しかし、起きていると言うことは深夜放送を聞くと言うことおなじで決して受験勉強するのではなかった。そして深夜放送にリクエストの葉書等を書いて時間を過ごす。高校3年の冬に教室で深夜放送にリクエスト葉書を書くことが流行し、いかに書けば読まれているか思い出し、万年筆がサインペン、サインペンが絵の具とエスカレートしてしまい、これじゃ受験勉強そっちぬけで絵を書くことになった。
 自分でもこれじゃぁ駄目だと思っても、もう何もする気にならなくて只リクエストの葉書を書く気力だけが残っているのだった。最悪だった、自己嫌悪でノイローゼになりそうだった。そして、その気持ちをブツケて発散させる対象は何も無かった。
 そんな3週間が過ぎて夏休みが終わり高校で言えば2学期が始まった。予備校では9月の第一週模擬試験がある。夏休み中の勉強の成果を見るためだ。日に焼けた顔は正雄くらいで皆青白い顔だからかなり勉強していたのだろう。正雄は何とかなるだろうと思って模擬試験を受験し、さほど出来も悪くなかった。模擬試験が終わって1週間くらいで結果が出る。予備校が始まって正雄のメチャクチャな生活にもリズムが戻って来た。朝起きて夜眠るあたりまえのリズムだ。
 予備学院で英語の授業も受けたが竹田は休みがちで周りは知らない者ばかりで何と無く講義を受けずらかった。その竹田に電話すると
「俺、早大だろう、でも、あの予備校の私立文系は北海道の文系それも名前を言ったら、そんな大学あるのかって名前も良く解らないような大学を目指している者ばかりなんだよ。それに、女の子が多いだろう、俺そうゆう環境苦手なんだ。今、宅浪になってラジオ講座のテキストで勉強している」
と言うことだった。竹田にはあとが無い。家の経済状態は変わって2浪どころか、たとえ早大に受かっても通うことが出来ないかもしれないと言っていた。
しかし芯の強い男だから何としても来年は合格してアルバイトしても早大に通うだろう。『結局自分でやる気にならなきゃ、周りが騒いでも駄目さ、頼れるのは自分だけ』が口癖の竹田らしい考え方だと正雄は思った。
 

中断

 これからが本当の始まりだった。俺が自分は高校生でもなく大学生でもない浪人なんだと気が付いたのは。春の季節が持っている浮いた気持ちが何時までもふっ切れずにいた俺が何とか大学に入ってと考えたのは9月も終わりだった。あまりにも遅い。
 灰色の青春とか受験地獄とかマスコミに騒がれ、かつ同情されて、それに甘えていた。
俺は灰色の浪人生活だ、と思い勉強も灰色風に装うポーズのようなやり方。
あの様な、生活を続けていたら2浪も辞さなかっただろう。が、本気で受験と取り組んで、こんなに苦しいならばもういやだ、もう2度とこんな事繰り返したくないと思った。そして灰色だの地獄だのと、世間で言われている抽象的な言葉に甘えず、『何も解らないくせに』と反感を持った時が本当の俺の『浪人生活』の始まりだった。
 

第7章 本当の苦しさ、本当の辛さ

 正雄は5月6月と高校に通っていた時と同じ様に規則正しく朝学校へ行って昼に帰り夕食後勉強して12時には眠るという生活続けていた。
 レイにあてた手紙をノートに書いて、勉強そっちのけの事も暫しあった。4当5落等と言って睡眠時間5時間以上なら合格しないというジンクスがあるが、正雄は一日7〜8時間眠り3〜4時間勉強していた。
2週間程で模擬試験が採点されて返ってくる。
 前にも書いたが、この桑園予備校ではコンピューターのソフトウェアの講座が並設され小さなコンピューターも置かれている。全学生の試験結果が集められ過去の学生の成績と比較されて○○大学合格可能性がパーセントとして試験結果票に打ち出される。
経験学問の先端化で、何千人ものデーターを過去・現在に渡って比較することにより可能性を計算するのだった。
 正雄は1階の窓口で試験結果と採点された試験用紙を返してもらった。物理が満点である。全体の合格点も前回の模擬試験と同じくらいだった。
合格率の表を見る。東大20%、これは受験の志望校が5つまで書けるので冗談に書いておいたのだ。藤女子大80%、さすがのコンピューターもこんな予想を立てる。男が女子大を受験して合格する確率は80%は無いだろう。
北大40%、東京理科大80%、北見工業大学90%、正雄は驚いた。
 合格の可能性が下がっている。予備校で作る模擬試験にはそれぞれの試験にバラツキは殆ど無い。たまにしか受けない現役の高校生にも十分活用してもらえるように、試験内容の水準は平均化している。但し、模擬試験を受ける受験生のレベルが高い場合は合格確率に微妙に影響してくる。試験の合計点が前と同じくらいと言うことは、今回の試験は易しかったのだ。つまり皆と比較して正雄の成績は下がった、つまり受験戦線から離脱しつつあるのだ。
 合格率のところでそれは表れている。前は北大の60%だったのだから。総合順位も下がっている2000人中1000番以下になってしまった。
「どうだった?、何パーセントぐらいだった?」
帰りの汽車の中で上田が言った。
正雄が科目別の順位の所で物理満点の10人の中に入っているのも見て小室が
「この表に俺も一度は名前が出てみたいよ。満点か。これなら絶対出るものな。お前、夏の間海ばっかり行って遊んでいたなんて、俺達まで騙す事ないのになぁ。」
と言った。
「騙すって、俺は合計点では何も伸びちゃいないんだ。北大の合格率も下がったし」
正雄は言った。物理なんて今まででもミスしたから満点を逃していただけだった。
「合格率かぁ。去年の30%でも受かった者が居たって話だからなぁ」
上田が言った。
「でも50%は受験資格、受験しても恥ずかしくない。60%は落ちてもしょうがない。70%は巧く行けば合格する。80%でやっと、まず合格。とゆう話しだから。俺なんて30%で受けに行く度胸は無いよ」
小室が行った。彼は札幌医大が50%になったのを喜んでいる。
『50%は受験資格かぁ。俺はその50%も切ってしまった。』
正雄は小室の言葉にガッカリした。
 もう9月も中旬なのに、正雄の成績は上向きにならない、下がる一方だ。その日家に帰るとなにか受験勉強に打ち込む方法はないかと机に向かって考えた。このままでは2浪は確実だった。
 そして目の前の絵はがき。レイが万博会場から送ってきた絵はがきが目に付いた。『私のこと忘れて、私もあなたも受験生、3月までは受験のことだけ考えましょう。』東京に発つ時レイが言い残した言葉が思いだされた。
 正雄は自分が浪人で受験生だと言う自覚が無かったことに気が付いた。それは高校を卒業して予備校に通って外から見れば受験生。しかし、自分の心のなかには今までの高校生と同じ甘えがあったのではないか。
4月に『これからは、自分ががんばらなくては』と両親に言っていたのに、本当にそう考えて行動していなかった。
 受験生活がどのようであったか、と言うことは模擬試験の結果に数字で表れてくる。何を考え、どのように生きてきたかではなく、結果として何点獲得できたか、結果だけがその内容を示す、そんな生活が受験生なのだ。
点数が高ければ良い生活、点数が低ければ悪い生活となる。残酷だが現実だ。
 しかし、一般の社会生活から比べれば、こんな楽な、簡単な事は無い。
勉強すれば、ただ、得点を獲得すれば、結果にはねかえる。努力と結果が直線になる。
 正雄はレイからの絵はがきを外して文面を読んでみた。
『そうだ、俺は受験生なんだ。結果が総てなんだ。物事を深く考えるのは今の俺のすることじゃない。覚える事、理解すること、今までに教わった事を覚えればいいのだ。これからのことを考える必要は無い』
 そう考えると今自分が何をしなくてはいけないかがわかった。
 レイからの絵葉書と今まで毎日書いていたレイへのノートを引き出しの奥にしまった。
『もう考える事はよそう。約束の4月1日まで』と思った。
 それから、受験勉強の計画を立てようと思った。以下9月、今年一杯に全部の学課の学習をひと通り終わる。物理2Bのチャートシリーズの参考書1冊。英語単語総合的研究の豆単1冊。化学の参考書1冊。そして、ラジオ講座の全問題、毎日ラジオ講座を聞く。他に参考書、問題集は沢山本棚に有ったが、正雄は自分に合った本だけ選び出してそれだけを残して他は片付けてしまった。
 完全に、これをマスターすれば高校時代の勉強をカバーできる。
 ラジオ講座は北海道ではSTVラジオが午前5時から放送しているが、全国各地の中波放送局から様々な時間帯に放送されている。正雄は高校時代中波のBCLに凝り、50局以上の放送局のベリカード(受信確認証)を集めていた。そして、もっと多くの局を聞こうとポータブル・ラジオでは不足で通信型の真空管7球の受信機を作っていたので、東京の文化放送を中心に午後10時から零時半までの間で聞くことができる。
 これだけの事を整理して、日々の時間割りも作った。
夕食後8時から、その日の科目を決めて2時間、それが終わってラジオ講座、零時から単語帳を一日30ページ、これが3時まで続き、それから翌日のラジオ講座の予習。もし、前日の講座で不明の点があれば朝5時からのSTVの講座を聞く。そして眠る。
 昼12時までには起きてランニング等の運動をして運動不足を補う。物理、数学等は午後の日のある内に済ませる。
そんなスケジュールで完全自宅浪人になった。
 ラジオ講座と予備校を両立させるのは時間的に不可能だ。それに予備校の問題集は解答が付いていないので、それを知る為に2時間もかけて、札幌まで往復するのは時間の無駄と思ったからだ。
 次の日の夜からこのスケジュールを元に勉強を始めた。10月の模擬試験を目標にして。
 おおむね、朝の3時になると暗記中心の英単語を続けるせいか、頭にモヤがかかった様になる。そこでラジオをかけて30分程休む。その時聞くのはオールナイト・ホッカイドウと言うHBCの深夜放送だが、その番組にリクエストの葉書を出す者の中にはかなり受験生が居る。
 前の正雄なら『ああ、仲間も聞いている』と考えるが今は『こんな時間まで勉強しているのか、俺ももう少し続けよう』と思う様になった。
自宅浪人して、しかも真夜中に勉強していると一週間等という感覚が無くなる。日々の繰り返し以外に生活にメリハリが無いのだ。そんな生活のテンポに飽きた頃同じように自宅浪人している竹田から電話が掛かってくる。
 「そろそおろ気分転換が必要みたいだぜ、札幌に出ようぜ」
最初は新しい参考書を探すという名目で始まったが、そのうちに、気晴らしの為に出歩くようになった。騒ぐと言っても、テレビ塔のゲームセンターに行ったり、電気器具の中古部品屋に行って堀出しものを探したり、札幌市内を歩き回るだけだった。
 しかし不思議なことに、そうして札幌へ出て遊んだ翌日から2〜3日は勉強のペースがいつもより上がった。
 10月の模擬試験の日が来た。正雄は夜型の勉強方法だったので朝7時の汽車で札幌に向かうのはつらかった。そして模擬試験が始まっても頭がフル回転せず、ムリして頭を使うために冷汗が出るほどだった。午前中2科目、午後3科目、夕方5時に終わった時は、グッタリ疲れて口を利く気力も残っていない。
帰りの汽車の中で上田と小室が答え合わせをしていたが、正雄には二人の口が動いていることは解るのだが話している内容はほとんで解らないほど疲れていた。
 夜型と昼型、夜間勉強して昼間試験を受けてではとても実力が出なかった。2、3日後、問題用紙に向かって夜解答をすると、かなりの問題に正解をだすことが出来た。昼間は実力の70%くらいしか出せないことも解った。本番の試験は昼間行われるわけで、この夜型からの切り替えが一つの課題となった。
 ひとつの目標であった10月の模擬試験が終わると今度は11月の模擬試験に目標を合わせて勉強を始める。
 10月の模擬試験は9月と同じような成績だった、只、苦手な英語の成績が伸びたことを除けば、70%の力しか発揮できなかったが、それでも同様の成績ということは正雄の実力は確実に伸びてきたことになる。
 単調で苦しい自宅浪人生活の中で、正雄は年が明ける1月までは夜型の勉強を続けた。ひとつの目標としてTVが深夜放送の始めに「札幌オリンピックまであと何日」と放送を続けていたので、この日付が「あと400日」になったら昼型に変えようと決めていた。
 

第8章 暗い冬、暗い時間

 昼間、目をさましTVをつけて一人で昼食を食べる。夏から母も父の仕事を手伝いに札幌に通っているので昼間は正雄一人だ。TVは何時もなら映画の再放映か、昼間のワイドショーの時間なのにどのチャンネルを回しても何か特別番組を放送している。
『飛行機でも墜落したかな』と正雄も見ていたが、どの番組も途中から見たから何がおこったのか、いまいち解らない。正雄は竹田に電話した。
「何か有ったのか?、テレビのどのチャンネルを回しても特別番組だけど」
「うん、俺も今起きたところだけどな。お袋が、三島由紀夫が自殺したとか言って、起こされたんだ」
 竹田は起きたばかりの鼻にかかったねむそうな声で言った。
「それだけ?、そんなことで騒いでいるのか?」
正雄は、たとえ三島由紀夫と言えど自殺したくらいで、こんなにマスコミが騒ぐのかと思い聞いた。
「それが、自衛隊の基地に殴り込むって言うか、刀ふり回してクーデターを起こせってアジ演説したらしいよ。その後割腹自殺だってさ。」
正雄は正直言って、「あっそう」としか思わなかった。三島由紀夫がどんな作品を書いて、どんな言動をしていたかは知っていたが、それは他の作家同様、現代国語の試験用の勉強の一つとしてだった。
「今日の深夜放送は騒ぐだろうなぁ。バックにかけても音楽ならいいけど、話しだと、どうも勉強に身が入らないからな。お前、何時までいつも勉強してる?」
竹田は三島由紀夫より勉強が大事と話題を変えてきた。
「今朝は5時からのラジオ講座を聞いてから寝たよ。英語中心に聞いているけど、2回聞くのは良く頭に入るみたいだ」
「俺もテープレコーダーに録音して聞いているけど、テープの音が悪くてな」
それから少し勉強の進みぐあいの事を話して電話を切った。
テレビは事件のあらましを放送しだした。
 三島由紀夫は盾の会の者数人と市ケ谷の自衛隊駐屯地に入り指揮官と面会し隊員を中庭に集めるように力で脅迫し、その集まった隊員の前で内容が良く聞きとれない演説をし、それが失敗に終わると割腹自殺をしたと言う事だった。
テレビのスタジオには急いでかきあつめられた評論家が自分勝手な解説をしていた。正雄も自分なりに三島由紀夫の目的、行動について考えてみた。
 その日の夜、どこの深夜放送も三島由紀夫事件と称して。この事件についての番組を組んでいた。正雄は何か自分の知らなかった事実があるのではと、耳をそばだてて聞いていた。その中に町の中でマイク片手にかたっぱしから「今度の事件をどう思いますか?」と聞いて回ったテープが放送された。主婦からタクシーの運転手から、ディレクターの意図は解るのだが、突然聞かれて、そう本人が日頃思っていることが出てくるとも思えない。手法としては、いただけない企画だ。
そして、何番目かに予備校生が出た。
「あなたは、今度の事件をどう思いますか?」
アナウンサーが聞くと、その予備校生は
「思うとか、考えるとか別に無いね。問題意識が無い訳じゃないけど、でもそんな事考える時間に英語の単語一つ覚える方が自分のためだと思ってるから」
と答えた。
この言葉に正雄は驚いた。そう言えば今日はまだテキストを1ページもやっていない。
まる一日勉強をしていないのだった。事件があって、勉強できなかったのだ。
正雄はあわててラジオを切った。
 今の予備校生は自分がラジオに出るからといって深夜放送を聞いたりしないで、受験勉強に打ち込んでいるかもしれない。そう思うと正雄はまだまだ自分が甘い事に気がついた。それから正雄は考えることを辞めた、眠る前に本を読んでいたのも辞めた。そして外に出るのも控えた。
 12月一杯この状態で受験勉強を続けた。クリスマスや年末、正月と周りが騒がしくなってくると、前に立てた計画「年内にメドを付ける」がそのまま達成出来ないのでは?とあせった。
日が短くなるこの季節が正雄を助けた。外が暗くなると自然勉強が始まり、夜通し勉強して朝も5時からラジオ講座を聞いて6時になっても外は暗く7時半頃まで勉強して眠る。時には昼過ぎて3時か4時頃起きることもあったから、何日も太陽を見ない日が続くこともあった。
 1月、各高校で授業が始まる直前13日に模擬試験がある。
正雄は国立理科系を目指していたから、入試は3月に入ってからになる。私立大学を受験する者の中にはもう入学試験の受験願書を出し終わらなければならない時期だ。
正雄はこの1月の模擬試験で最終的な受験校を決めようと思っていた。正月からは昼に起きて勉強する昼型に身体のリズムも替えた。
1月の模擬試験は採点も早く4日程で戻ってくる。正雄も今度は自分の持っている力を総て出すことができた。解答、答案と一緒に返してもらった。受験校の合格率には北大理学部60%、水産90%、北見工業大学90%、東京理科大学応用物理90%と記載されていた。
 さっそく、受験大学を決めなくてはならない。入学願書を取り寄せて。高校から成績証明書をもらい、願書に添えて出す。私立は1月いっぱい、国立は2月中旬までに入学願書を締め切るから、もうあまり時間は無い。
まず北見工業大学を滑り止めに。ここは去年現役の時に受験して、学校も試験内容も、そして街の地理も良く知っているので、まず落ちることは無いと考えていた。
 それに、北大の理系、たとえ合格確率が60%でも、ここを目標にこの一年勉強してきたのだ。そして北大の受験の前に試験場慣れするために私立大学を1校。
これは、前から東京理科大学と決めていた。別にその大学にあこがれていた訳では無く、夏目漱石の「ぼっちゃん」に出てきた大学だから、何と無く受験する気になったのだった。この3校以外に受験する気は無かった。
 北見工業大学にも落ちる様な事が有ったら、自分は大学をあきらめる事にしようと決めていた。
 勉強を昼型に変えたので、また予備校に通うこととなる。
 上田はあいかわらず、毎日来ている。小室は札幌医大と小樽商科大学を受験する。教室は前程でないが、まだ70%以上出席している。ほとんどが皆、北大を目標としているから、まだまだ受験勉強中なのだ。
 私立を受験する者はもう受験勉強を終えてなくてはならないのだ。
 その予備校の横には郵便局があり、正雄も東京理科大学の願書を出しに行った。受験生で混んでいる。こんな郵便局が外にあるだろうか?。1月から2月にかけて速達書留が何百通も出され、また国立を受験する者が3000円の受験料収入印紙を、これまた何百枚も購入するのだ。
 東京理科大学の受験証が送られてくると問題が起きた。東京の宿があっ旋された書類が同封されていたが、その中のどの旅館に電話しても受験日の前後は満員なのだ。母の姉が東京に住んでいるが理科大のある飯田橋からは遠く電車で一時間以上かかる。
 結局、正雄の受験日の3日後に試験のある竹田に頼んで竹田の父が東京へ出張すると泊まる旅館に電話して、そこの予約を取った。
 竹田も、その受験日の一週間前までに行くとのことで、二人は一緒に小樽を発つことにした。こうして受験校を決めたり、願書を郵送したりで受験勉強をする時間が減ったが、正雄は今まで勉強した事柄を忘れない程度の勉強時間は確保できた。
 あと1ヶ月も無いのに無理して頭に詰め込むよりは、今まで覚えたことを確実にしておくことに神経を傾けた。2月に入っていよいよ受験シーズンが始まった。
 

第9章 生きて行くことが最大の勝利

 東京理科大学の入学試験は2月19日に行われる。正雄は余裕をみて16日の夜の列車で東京へ発つことにした。小樽から東京まで特急で16時間掛かる。夜発つと次の日の昼過ぎに着く。その日は休んで翌日試験会場の下見、その翌日試験、その翌日には夜行でとんぼ返りして北大の入学試験まで一週間弱の計算になる。
 その出発の日の3日程前に朝新聞を読んでいると小さな記事に目がとまった。
 『13日朝、小樽市稲穂町のKさん宅で長男A君(18)がなかなか起きてこないので母親のK子さんが部屋に入ってみるとA君は前日から付けっぱなしのストーブによる一酸化炭素中毒で死亡していた。A君は浪人受験生で、この日も最後の追込みに徹夜で勉強していて、この事故になったと見られている』
 小さな記事で、普段なら見逃してしまうくらいだが、同じ受験生として身につまされるものがあった。Aと正雄は高校の同期で1年のとき同じクラスだったが、2・3年とクラス替えで別々となった。たいして親しいわけでもなく、名前と顔が一致する程度の友人だった。
 それから30分もしないうちにYから電話が入った。
「今日の新聞読んだか?」
その言葉が何を意味するか正雄にも解った。
「ああ、AだったらYと同じクラスだったよな。かなり親しかったのか?」
正雄はわざわざ電話掛けてくる程だから何かそれについての用事があるのだろうと思った。
「俺、昨日電話で知らされてさ、夜、行ってみたんだ。やつのお袋さんに泣かれて困ったんだ。外に5、6人同級だったやつ、Yや山田も来ていたんだけど。それで今日は葬式だろう、皆に電話して集まろうって話したんだ。お前来るだろう」
正雄は、昔同じクラスだったが葬式に列席するほど親しいわけではないと断った。
「親しくなくってもいいんだよ。どうせ本人は解らないんだから。お袋さん達の手前多い方がいいだろう。一緒に浪人した仲間じゃないか」
Yはなおもしつこく行くようにと言った。
 正雄は明日には東京に発たなければならないこと、そのため時間の余裕が無いと話した。
「入試か、俺達にとっては最優先だもんな。」
Yは別に皮肉ではなく、そう言った。そして少しの間を置いてから、
「本当の事言うとAは自殺したんだ。自宅浪人だったろう、一人で受験勉強しているうちにノイローゼになったらしいんだ。もちろん新聞にはそんなことは書いていないけど・・・。昨日あいつの家に行ったときにお袋さんが「『俺が死んだって誰も来やしないし、葬式にだって一人も来るわけがない』って言っていたけど、こんなに友達が来てくれたじゃない。」って言って棺桶を叩きながら泣くんだ。俺達それを見ていてお袋さんのためにも友達をかき集めようって決めたんだ。まっ、お前が行けないなら誰かほかのやつに行くように伝えてくれ。」
 Yはそう言うと電話を切った。まだ外に何人かに電話するのだろう。
正雄は親分膚のYらしい思いやりだと思った。
横で新聞を読んでいた母が、
「Aさんって、1年の時に同級だったんだろう。ここまで来たのにストーブの付けっぱなしだなんて、運が無いのかねぇ」
とひと事のように言った。
「ああ、なにも2月に入ってからなんてね」
正雄は母に自殺だったとは言わなかった、友達の自殺をスキャンダルとして話したくは無かった。と、同時に『自分の息子の生きている世界が解らないんだなぁ』と、母に世代ギャップを感じたりもした。
 しかし、500名の同期生の1/3は大学目指して浪人しているのだから、今まで自殺した者が居なかったのが不思議なくらいだった。高校3年の時は自殺者やノイローゼになる者が出るのは当然の様に言われていたし、その話が現実となった今もショッキングな出来事ではない様に思われた『やっぱりなぁ!』といったように。
 気が狂っている者の気持ちは気が狂っている者同士でなければ解らないように、この受験勉強が辛くて自殺という結果も、受験!受験!受験!と半狂乱になっていた正雄には一つの結論としてしごく当然のように感じられた。
そして、自分が自殺してもおかしくなかったのかもしれない、なんて思っていた。
でも、今はそれも過去の事になっている。乗り越えたって自信だけが残った。苦しさは過去のものになってしまった。もし今年受験に失敗してももう「受験生」には戻る気がしない。最後にしたかった。そして、受験地獄をなつかしい友達にしたかった。「もう1年」それは考えたくなかった。
 Aはおそらく入学試験が近付いたのに勉強が予定どおり進まず、あせりを感じていたのだろうと正雄は思った。
 16日、正雄は竹田と予定どおり東京に発った。
 竹田は早稲田の商科と経済、正雄は東京理科大学の応用物理、二人とも受験科目が違い、かろうじて英語だけは二人とも入試科目で重複していた。
 別に受験科目の話をする訳でもなく、もう受験勉強は終わったような気分だった。それは「旅」と呼ぶにふさわしいくらいワクワクとした気分になった。小樽から函館迄は漫画雑誌を何冊も読み、連絡船の中では、その頃出たTBSラジオの深夜放送のパーソナリティの書いた「パック・イン・ミュージックもうひとつの別の広場」を読み、と頭の中の受験生意識は羽が生えたように飛んでいった。
 東京に着いたときはさすがにグッタリしていたが、旅館のある神田に着き、荷物を置くと外に飛出した。神田の古本屋街、交通博物館、足を伸ばして秋葉のオーディオ専門店にと東京が珍しくて歩き回った。
 次の日、正雄は飯田橋の東京理科大に試験場の下見に行った。竹田も一緒に付いてきた。東京理科大学の内部を見て回る。古い校舎で北大の理学部校舎なみに古くてボロだった。下見はあくまで一日余分に計画するための口実で、その後早稲田に行き、ビリヤード等をして、近くの新宿駅まで地下鉄で出て歌舞伎町のゲームセンターでゲーム、ジャズ喫茶で3時間程ネバリ、今度はネオン輝く夜の銀座を見て回る。
 そして当日になり、午前中に数学、物理、英語の3科目が終わった。各45分。正雄が驚いたのは、答えは総て選択式で、また解答用紙はマークシートになっていた。
 自分でも何が何だか解らない内に全科目が終わった。午後からは竹田と落ち合ってまた東京の街を遊び回る。
 帰りの列車に乗るまで正雄は東京の街を遊び回った。それは一年間に溜ったフラストレーションが一気に流れだしたようなものだった。メチャクチャに楽しかった、こんな生活もあったんだなぁと思った。人生苦も有れば楽も有ると言うが苦の中にこそ楽が有ると自分を正当化していた。浪人が無ければ東京に来ることも無ければ、こうして東京の街を遊び回ることもなかった。
しかし「苦の中」にまだ、1期校、2期校の受験が残っているのだった。
 

第10章 そして、1971年3月31日

「あのー、北見工大を受験した中野正雄ですけど。電気工学科です。」
「受験番号が解りましたら、おっしゃってください。」
 去年の3月31日と同じだった。テレホンサービスの女性まで同じ人のように聞こえた。多くの受験生が今日、この時、このテレホンサービスに電話をしていることだろう。
 東京から帰って来て3つの受験のうち1つが終わったことでかなり安心してしまい北大の試験でも身が入らず不合格。1期校の入学試験は3月の2、3日で合格発表が18日、そして2期校の入学試験が31日に合格発表。正雄は北大の試験の発表を待たずに自分の不合格が解った。予備校で何回も模擬試験を受けているから500点満点で自分が何点獲れたかは試験が終わった時点でおおむね見当が付いた。北大の場合300点±10点が合格ラインだ。去年の合格最低ラインが300点、正雄は去年も受験したから、今年と比較して、今年の問題では320点が合格ラインと見当を付けた。どんなに甘く見積もっても自分の得点は300点、不合格は間違い無いだろう。
 あと20点、その20点は皮肉にも予備校通いがあだになった。数学の問題に一問証明問題が有った。その問題文は数学の問題の中で一番長かったので正雄はそれを飛ばし時間のかかる因数分解をやった。残り時間が少なくなり、その証明の問題は読みもしなかった。
 帰りの列車の中で友達の話を聞くと大半が出来たと言う。中には一番簡単な問題だったと言う者も居た。正雄はこの数学で20点のハンディを背負ったことになる。
 1期校の受験が終わると、その結果の出る18日まで回りの友達は皆遊び回る。正雄は23日の北見工大こそ最後の滑り止めだから、何としても落ちるわけには行かなかった。理科大の発表はまだだが、自分の得点も解らない試験だったのだから合格するわけがなかった。
 そして3月23日北見工業大学の入学試験があって正雄は自分では合格点を得点出来たと思った。苦手の国語、英語が100点、物理、化学、数学ではそれぞれ240点と変則な得点配分の試験だったので正雄に有利だった。
「もしもし、14番の小樽T高校の中野正雄さんですね。おめでとうございます。電気工学科に合格です」
 去年と違い、その女性の声は一緒に喜んでくれてるように正雄に聞こえた。
「どうだったの?」
母が電話の相手が何か答えたのを耳にとめて聞いた。
「ああ、受かったってさ、聞いてごらん」
正雄は嬉しかったが別に感激はしなかった。受話器を母に渡す。
「ええ、そうですか、受かっているんですね。どうもありがとうございました」
母は電話の女性が合格させてくれたように電話に頭をさげて言った。
 正雄は合格したと言うよりも終わったと言った気分だった。ちょうど一年そして今日終わった。
 次の日、速達で合格通知と入学手続きの書類そしてもう一通大学の寮から入寮許可と入寮の手続き案内が届いた。
入学式は4月の11日と時間が無い。あと10日だ。入学式の前には入寮していなくてはならないから一週間程しか時間が無い。
 滑り止めでも第3志望でも合格したことには違いが無い。2度と浪人と言う不確かな時間を持ちたくなかったから受かりさえすれば何処へでも行く。終わる知らせを一ヶ月の間待っていた。何処でも良いから早く合格が決まってしまえばと、そればかり考えていた。
 竹田から電話があった。
「合格したんだってな、よかったな。さっそく街に出て遊ぼうぜ」
正雄は二つ返事で飛び出した。竹田は早稲田の発表まで東京に居て早稲田の大隈講堂の前に張りだされる合格者名簿を見てから帰って来た。3月の始め、正雄が北大の試験の2日目の試験を終えた頃だった。
その時は、発表の合格者名簿に自分の番号がなくガッカリして帰ったが、次の日に自宅に商科の二次に補欠合格したとの通知が来ていた。
「要は、合格できればいいのさ。何も一番で入学しなくても、一番で卒業すればいいのさ」
と、その時と同じように竹田は言った。
「一番で出る?、お前は大学に勉強しに行く気か?」
正雄は勉強なんて二度としたくない、大学は学問する所だからなんて月並みな表現でなく、良い意味で遊びに行くのだ。浪人と言う時間から大学生と言う時間に逃げ込むのだと思っていた。
「そりゃ、勉強に行くに決まっている。もっとも俺、東京だろう。金が無けりゃ遊べないし、東京で遊ぶには金が必要だ。下らないことに時間を使って金を稼ぐのなら、その時間下宿で勉強して将来に備えるさ」
竹田は断言するように言った。
「でも、結局お前は勉強を遊ぶんだよ。人間は遊ぶ為に生きているんだろうな。だって浪人なんてなんでするんだ。大学に入りさえすれば遊べる。その餌を目の前に振りかざしながら勉強するんだ。いい大学に入って、いい会社に入って、そして結局死に向かって生きている。その生きている過程が生きてる目的なんだろう。」
正雄は、一年間こんなことを考える時間もなかった、やっと考える時間ができたのだと思った。それと、最後にこんな事を考えたのは去年の夏頃だったかな、なんて思い出していた。
 正雄も竹田もこのような話をするのが好きだった。高校に入ってからも小さな事をひっぱりだしては論議する。例えば戦争中特攻攻撃で体当たりして死んでいく者には死を理解できるか? とか、本当の人間らしさって野獣的なのかもしれないとか、はては、自動車が通っていないのに歩行者用信号が赤だったら渡るか止まるかとか。
「何か、生きてるって感じがするな」
竹田が突然言った
「何が?」
「だってそうだろう。この一年間、書いてあること、外から与えられることを頭の中に入れる仕事ばっかりやって来た。でも今、自分の頭の中から自分ブランドの思想が生まれて出ていく。こんな気分一年ぶりだものな」
正雄も、それに気が付いた。あの三島由紀夫事件以来考える事を止めようと決め、そのとおり実行してきた。そして今、頭はまた前のように自分の考えを生みだす為に働いている。
「俺にとって浪人と言うことが何かプラスになったかなぁ・。無駄に他人より一年遅れただけのように感じるけど」
竹田が言った。
「これから、それを考え始めるんじゃないか、まあ高校を卒業してもう18、今年は19だろう。もう一人で何かしてもいい年だよな。だけどストレートに大学に入っていたら、まだ一年生、最下級生として先輩なんかに引きずり回されて生きて、そして4年が過ぎてトコロテン式に押し出される。高校の時と同じように何と無く時計に計られただけの生活を繰り返す気がする。お前は勉強に打ち込む、入学する前にそう決めたら迷わずその道を進めば良い。すくなくてもそれを考える時間を浪人時間の中で得たってことだ」
正雄はそう言った。
「それじゃあ答えになっていない。そんな事も有ったと言うだけで、それがプラスかマイナスかの結論が出ていない。」
竹田が言った。
「結論なんて無いさプラスにしても生きていればこそのプラス。その逆ならマイナスの結果がそのうち出ると思うよ。俺はプラスにするために生きていきたいしそのための度胸は付いたつもりだ。何が起こってもこの浪人の時程苦しくはないだろうとひらきなおった感じだな。」
正雄はそう言った。竹田は不満らしくそんな正雄を理解出来ないと言った感じだ。
「俺はマイナスだと思うな。大学に入って社会に出てその時、『君大学は?』って聞かれるときに一浪ですって答えるとき何かコンプレックスを感じる時があると思うし、常にその事に負い目があるようだ。勉強して一番で卒業してそれを吹き飛ばしてやる。」
竹田はそう言った。正雄のように『どうにでも、しやがれ』と開き直る事が出来ないのだ。逆に正雄には、その気持ちが理解できない。誇りもコンプレックスも裏をかえせば他人と違う『俺は何か!』と同じものなのだ。だから、それを誇れば良い。人と違う生きかたをすれば良い、平凡の影に隠れることなくエキセントリックに生きれば良い。どうせ目的地には死しか待っていないのだから。誰でも終着駅は墓場だ。それぞれの人間がどう生きたかってことは当人にしかわからないのだから。
正雄はそんな事を思った。
「どう生きたかは、どう死んだかと同じと思うぜ。俺達死ぬ時になって初めてプラスかマイナスか解るのだろうな」
竹田は言った。
それはもうこの話を止めようというのと同じ意味だった。答えなんか解らないことを始めから知っているのだからに答えは解らないよと言ったほうが議論の終了を宣言したのも同然だった。二人ともより自然に論理的に解らないという結論にもって行くように話すがこのプラスかマイナスかの議論は当然結論なんかなく、「止めよう」のひとことで物別れになった。そし決定的に二人の大学生活も大きく別れていき、別々な生き方となっていった。
 

第11章 喜びの中の只一つの悲しみ

正雄は北見に引っ越すのも同然だった。
ふとん一式服から肌着から日常生活で使うもの総てを荷作りして運ばなければならなかった。寮だから用意するものは食事の事まで考える必要はないから少しは楽であった。
国鉄のチッキのリミット一杯まで荷物を送りその荷物が寮に届くあさって10日には北見に発たなければ入学式に間に合わなかった。
 わりと時間が忙しく過ぎた8日の夕方正雄は一通の封書を受け取った。それは東京のレイからのものだった。東京のと言うのは正雄がその時思ったもので、実は封書の消印は札幌だった。
正雄は「あっ、4月1日に一緒に手紙を出しあおうと言っていたのに」とその時は思った。去年の秋4月1日は遠い先の事だと思っていたのに、もうその約束の日から一週間も過ぎているのだった。『何もかも忘れて受験勉強をして下さい』言われて忘れてしまっていたのだ。封書は厚く重量超過にならないようにと思ってか15円切手を2枚張ってあった。
正雄は今夜は上田や小室と受験勉強終了の打ち上げを約束をしていたので、その封書を葉書の入っている机の引き出しに入れると上田の家へ出掛けて言った。
結局正雄がその手紙を読んだのは9日の昼になってからだ。
封を切ると万国博の[EXPO’70]とレリーフしてある銀のメダルのネックレスが滑り出てきた、『なんでこんなネックレス?』と不思議に思いながら正雄は中の便箋を引き出した。全部で20枚近くあり、その中の数枚は明らかに涙の跡が残っていた。
正雄は驚き何が書いてあるのかと急いで読み始めた。
麗子からの手紙
中野君、今日新聞を見たら北見工業大学に合格していましたね。合格おめでとう。あなたのことだから、たとえそれが第一志望で無くても2浪はしないでしょうね。もう北見に発つ用意は済んだのでしょうか?
今日は二日、約束の日は昨日だったのに、何と無く書けなくて結局この手紙もあなたの所に着くかどうか分からないまま書いています。昨日書いた手紙はポストの前まで行って出すのを止めました。
まずあやまっておかなくては。
あなたの出した手紙は私のところに届かないで、宛先人不明で送り返されてきたでしょう。私は今、東京ではなく札幌に住んでいます。父がまた札幌に舞い戻ることになったからです。私は今その父の会社で半分アルバイトのように働いています。
そう、大学はあきらめました。
男の人は大学出の肩書き必要でしょうネ。何をおいても浪人してでも大学にと思うのは浪人なんかで1年皆から遅れても、一生のなかで十分取り戻せるから。でも女性の場合浪人してまで行く価値、必要が有るのかしら?
こんな事考えたのは今年の1月になってからです。決して受験勉強がいやになったのではありません。男の人生と女の人生(こんな言い方好きじゃないけど)、この二つ裏表で一枚の「人間の人生」って言葉になるみたい。男の人は肩書き、たてまえ、外観を大事にするけど、でも女の場合、心、内面、本音が大切なものだと思うの。
あなたに解ってもらえるかしら。私は女、これはどうしたって変えることは出来ないから、それじゃあ私は一人の女として素敵に生きてみたいと思った。その為には4年間も大学なんかで無駄な時間を過ごさずに社会の中で勉強したい。そんな風に考え方が変わったの。これも、あなたなら解ってくれますよね。
父も母も「せっかくここまで受験勉強してきたのに」とか「高校時代はこの子は不良になってしまうと思っていたのに急に花嫁修業がしたいなんて変な子だね」とか言って解ってくれないんですよ。
 私としては1月まで勉強したからと言って、それに引きづられて生きたくないし、花嫁修業のつもりも無いのですよ。
今、夜の11時です。これはブランディを飲みながら書いています。
私、少し飲めるんですよ。未成年だけど。
あなたと一緒に小さなスナックなんかで飲みたいわ。
少し酔ったのかしら。
 私が大学に行くのを止めたのは、今、書いたような理由です。結局そう考えたのはあなたに教えられたから、そう高校時代のままの私ならこんな事考えもしなかった。8月にあなたに「私のこと忘れて受験勉強に打ち込んでください」って言った。あの時、私もあなたの事忘れて勉強することにしていたのに・・。でも忘れて受験勉強には打ち込めなかった。
 中学校のときにあんなに好きだったのに「受験」の2文字私とあなたを分けてしまった。ところが、今度は「受験」が二人を合わせてくれた。
そして去年受験勉強しながら、あなたのことばかり考えて・・。中学校の時、私あなたのお嫁さんになるなんて本気で言った。あの頃のように、あの時と同じように、そう私思ったの。
 あれから何度あなたに手紙を書いたでしょう。でも私の事を考えて少しでも受験勉強の邪魔になったらと思ってポストには入れませんでした。そのうちに大学よりもあなたの事のほうが重要になって。
 そしてあなたが大学を目指して勉強しているなら私はいいお嫁さんになる様に勉強しようって、料理の本を買ってきたり、文庫本の小説を読みはじめたり。
 でも私、大切な事を忘れていた。一番大事な事、私もあなたも19才。あなたが大学卒業する歳には私達23才。私はその時社会人4年生。あなたは大学出たての社会人ゼロ年生。そんな二人が巧くいく訳が無いと思うの。
 あなたは、そんな事無いって言うかもしれないけど、それはあなたが社会に出て働いた経験が無いから。
 そしてあなたが大学に合格しなければ良いなんて考えてしまいました。私が大学に行けばですって?。でも大学を卒業した時に私は23才、素敵に生きるには遅すぎる。
私の為に生きるためには、あなたのお嫁さんになれない。あなたの為、いいえ二人の為に生きたら私後悔する。どうしたらいいの?
もしあなたにそう言ったらあなた優しいから「レイがレイの為に生きるべきだよ」って言ってくれるでしょう。そのあなたに甘えて私、自分の為に生きることにしたの。我が儘を許して。
昨日の朝、新聞であなたの名前を見付けたとき決心したの。「さようなら」の手紙を書こうと。あなたとは3度目の「さ よ な ら」そしてたぶん最後の[さ よ な ら」になるかも・・・・。
御免なさい、涙が出てきました。
あなたとの別れって私の十代との別れと同じだわ。
涙が止まらないの、こうしてあなたに手紙を書きながら泣いていると、あなたの胸で泣いているような気持ち。
おかしいわ、私って。あなた私を抱いてくれた事も無いけれど、私の心の中には、あなたに抱かれたらきっとこんな気持ち、絶対にこんな気持ちになるなんて勝手に決めて。
でも手紙じゃなくって、本当にあなたに会って「さよなら」って言ったら私「抱いて」って言うかもしれない。それが怖いの、勇気が無いの。
今、朝の3時。あなたは眠っているかしら?それとも友達とお酒飲んで「受かった、受かった」と騒いでいるでしょうか?
私、彫金を趣味で始めたの。指輪作ったりブレスレット作ったり。
札幌でデートした時、私いつも同じペンダントしていたの覚えているかしら。あなた一回もその事言わなかったけど、あのペンダントは14才の誕生日にあなたがプレゼントしてくれたペンダントだったのよ。
大阪の万博で買ったメダルをペンダントにしてあなたへの合格祝い。
EXPO’70 1970年という年、私もあなたも18才。10代最後の19才まであと一年、一生で一番大事な時をあなたと過ごせたのがうれしい。
4月20日は私の誕生日、あなたより一足先に10代最後の歳、そしてあなたともお別れ。
合格おめでとう、そしてさようなら、そしてありがとう。
でも、あなたは何時の日かヒョッコリ私の前に表れるかもしれないなんて心の隅で思っています。その時、なんと声を掛けたら良いの。『僕と、交際してくれるかい?』かしら。
私、あの時のあなたを一生忘れない。
何処かで何時か会ったら、そう声掛けてね。
さようなら、そして、本当にありがとう。
あなたのレイ、そして私自身のレイ。
麗子からの手紙終わり
『レイはそんな風に考えていたのか』正雄は思った。封筒の裏を見ても新しい住所は書いていなかった。ペンダントだけが正雄の手に残った。レイは今、思い出の中にしか居なくなった。『レイは自分の為に生きることにしたんだな。生きて行けよ、自分の人生を自分の意思で』EXPO’70とレリーフされたペンダントを握って正雄は思った。
 

第12章 大学なんて蹴っ飛ばせ!!

 正雄の大学生としての生活が始まった。
4月は新入生歓迎コンパだ、クラスコンパだ、学科コンパだと3日おきにコンパが続き、そして酒を飲む。
5月の連休を前にして、一年電気工学科のコンパが開かれた。1クラス40名程なのでわりとこじんまりしたコンパになった。
正雄は夜酒を飲んで単に学年が上というだけで先輩面されて[飲め、飲め]と無理矢理り飲ませ、大声で春歌を歌う。そんな中に自分が考えていた大学生活があると思えなかった。寮の2、3、4年生も学年の先輩で、決して人生の先輩とはなりそうもなかった。
1ヶ月の間に既に大学に白けていた。
そんな時開かれたこの日のコンペで一年電気工学科の担任助教授のKが言った。
[僕は釧路で高校生活を過ごしたけれど、高校の修学旅行で北大の構内を見物して『よし、この大学に入ってやろう』と決めました。そして受験勉強の目標を決めて高校時代頑張りました。その結果一発で合格しました。でも大学に入ってまったく目標を失ってしまったのです。皆の中にもそんな人が居るかもしれないけど、目標の大学に入ったら、今度はその大学の中で学ぶ事に目標設定を変更して進めばよいのです。何だかんだと理屈を付けるのは若者らしくない。常に『なにかやらねば』って姿勢が若者のすることです」
 こんな事を言われて納得する正雄では無い。それでは生きることにならない。自分の頭と自分の身体と両方で作っていくのが人生だ。頭だけ動かしているのでは消極的過ぎる。身体だけ動かしているのは体育会系の馬鹿だ。正雄は、こんな[生きる]ってことも良く解っていない人間達が先生となると思うと大学から教えてもらう事は何も無いと思った。
K助教授が正雄のそばに来て言った。
「君が中野君だね、入試の成績は2番だったの知っているかな?結構、結構、これからも勉強に力を入れてくれたまえ」
正雄の感情の中で一番強いのが怒りだ。自制心をも打ち破る。
「なんですか、この大学に二番で入ったらどこが結構なんですか。北大に受かる人間なら誰だってここに合格する。俺みたいに北大を落ちた人間だって入れるんだから。僕は浪人しました、その受験戦争の仲間に悩み抜いて自殺した者も居ます。現役で北大に合格した先生の「大学感」で担任講師を務められると大変なボタンの掛け違いをしますよ。ここに居る人間の半分は浪人して大学に入った、その人間達は1年の短い期間の中で高校生でも無い、大学生でも無い自分を、なんとかそれでも社会の一員なのだと納得できる詭弁を組み立ててきたのです。自分が社会からスポイルされないための自己防衛です。そんな1年間を過ごした人間と、高校からストレートで大学生になった人間とは自ずと価値観が違います。
勉強、勉強、そんな教科書に書いてあることを覚えたってなんにもならない。そんなことは人間の生きる目標にはならない。それを知ってしまったのが僕、いや僕たちなんです。先生はその教科書を覚えさせる手助けをしてるんですよ。師ではなく先生なんです。先に生まれればなにもしてなくても先に生まれたと呼ばれるのですよ。もう19歳ですよ。自身、師は求めるもので与えられるものでは無いと気付いた僕たち、ま、僕でもいいんですけど。それを、小学校の学級委員みたいな考え方で引き受けた先生の意識ってギャップ以前に、人種の違いくらいなカルチャーショック有りますね」
「き、き、君は何を言いたいのだ」
「この大学の歴史は、この大学の出身者が作る。よそ者の助けを借りない。って、そのよそ者が先生です」
「馬鹿にしてるのか? 不愉快だ」
「実は僕も不愉快なんです。この大学で北大風吹かされるのがね。みんなの目をみてごらんなさい。さっきの挨拶は自分の自慢話と我々への当てつけだ。初対面で喧嘩売るのはヤクザでもしない。インテリってのは場をわきまえない人種なんですかねぇ。でも、キッチリ売られた喧嘩は買いましょう。
自分の行為がここに居る半分以上の浪人して北大を目指し挫折した人間への挑戦、ま、一回りくらい年上だから若者への「侮辱」、皮肉を言っての自己満足、どうでも表現できますが、我々は浪人しながら大人になったのですよ。
世の中には何も感じない不感症の馬鹿と、感性豊で滅びる馬鹿が居るってこと。そして、その両方の壁の間で右に行ったり左に行ったり。そんな自分を知る人間は、弱者の気持ちが解る。「この大学に入りたいと念じて入った」みたいな熱血青春ドラマでは青春は語れないのだと解っている大人ですよ。その我々の「先生」やれるんですかぁ。あんた」
正雄は相当挑発した。できればこのひ弱な「担任」と取っ組み会いになればと思った。それは、1年前、塾の先生の所で受験失敗報告した時と同じ心境だった。何故なんだろう、あの時と同じだなんて。
「人を馬鹿にするのもいいかげんにしろ」
担任は酔いも手伝ってか、激高する。
「馬鹿にしてませんって、人生が違うんです。「先生」は人生感じてますか。人間は生きながら自分の歴史を重ねるのですよ。重なった今が今の自分。「先生」の重なりって「北大」から先何が有ったんですか、遠く釧路を後にして、北大入学でフィナーレですか。我々は、総理大臣になる奴も居るかもしれないのに寂しいですねぇ。」
「き、き、きみは」
「せめて、仁義くらいわきまえないで、大学の担任が勤まるとは思えないのです。それくらい、ここの半分は傷つきながらここに居るのです。そして、もっと多くの「ここに居ない戦友」を知っている。先生にとって「受験」はサクセスストーリらしいですね。僕ら浪人には「人生10年一気体験」くらいな人生だったんですよ。それを理解しようとしない、人にはグレルのですよ。「先生、北大合格おめでとうございます。」とでも言って欲しいのですか」
まわりで緊張しながら見ていた人間の中に同調する人間が居た。
「ま、ここで何を得るかは終わった時に決まるんだ。重婚の結果の終わりで北見工業大学なんだから、次の終わりは何処かな。あ、終わりじゃないな、これからか。それは俺達が作るんだ。」
後に大学で友人になった石丸が言った。まだ、互いの名前も解らない初めて集った40名だった。
「悪いけど、今回これで終わりにしてくれ」
正雄は会費を払うと店を出た。言いたい事を言った自分に嫌気がさしていた。こんな学科担任を論破することにエネルギーを注ぐ自分が馬鹿に見えた。ここ北見で自分がやろうとする事は無限大であって欲しいと思った。そのために、無意味な摩擦をしてしまった。でも、もう、レイも居ないのだし、ここに腰を据えて自分を表現しようなんて思っていた。『何も解っちゃいな。俺は俺だ。そう簡単に手なずけられちゃたまんない。』正雄はそんなことを思った。
 寮は大学の敷地内に建っている。寮に戻ろうと思っている正雄は大学の正門を通り大学校舎の横を通って寮に向かう。大学と寮の間には陸上競技場のトラックと野球場がある。正雄は点々と点いている街灯に照らされた夜のトラックに気が引かれてそこを歩いた。
 レイと一緒に見に行った最初の映画はレーシングドライバーの出ている[グランプリ]だった。第二次世界大戦のヨーロッパ戦線の爆撃機の物語[頭上の敵機]の映画。この二つの映画は同じように最初は思い出を辿るようにレーシングコース、旧滑走路を歩く主人公の回想から始まる。
正雄も暗いトラックを歩いていると、その映画のように過ぎた一年を思い出す。
左回りのカーブ、ブラインドカーブだが、どんな風に曲がっているのかは頭の中に記憶している。同じトラックを何回も回るが、一周目に感じたコーナーは10周目に感じるコーナーとは違う。
汗を流しながら走るランナー、そして焼けるオーバーヒートしたエンジンをいたわりながら走るライダー。それが見えるようだ。
浪人時代を振りかえる。『誰だって苦しい思い出はある。強弱は無い。楽しいか苦しいか何も感じないかその3つのうちの一つだ。上手にやったもの、苦しさをかわしたものは得をしたように感じ人生が順調だと思うかもしれない。でも苦しさを舐めたものなら耐えることのできる程度の苦しさにも負ける。友達が自殺した[苦しさに耐えられない]と書いて。俺は負けなかった。このくらいの苦しさに耐えられなくて死ぬ者も居るんだなぁと思いながら。そして俺はそれを克服した。これからどんなことが起こっても克服するだろうと自分に自信が付いた』
正雄はそう思った。
北見は5月に入ってもまだ寒い。空には星が光っていた。
「レイ、君もこの星を見て、そして明日を考えているんだろうなぁ」
正雄の浪人の終わりは、その時だった。
 レイに導かれ、レイに感謝する。だけど、これからはレイ無しで生きていく。そんな自分になれたのもレイのおかげだ。初恋は成就しないと言われる。だとしたら、もっと大人になってからレイに出会えたらと悔しくも思う正雄であった。今でも、そしてこれからもレイは自分の青春の一部であるし、レイが居ない今、自分の青春を刻みながら何時か何処かでそれをレイと語り合いたいと思う。『レイは恋人なのかなぁ。友達なのかなぁ。戦友?』
 一番好きな人に付ける冠言葉が思いつかない。正雄の10代の全ての人生をレイが作ってくれた。そして、これからは自分で人生を積み重ねなくてはならない。正雄がいかにレイを愛していたか、それを一番知っているのがレイだと思える正雄には別れの悲しみは無かった。
完 1975.03.22

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