究極の素数を求める旅(1)

パソコンを手にした時の感動
  1982年頃だったろうか。当時務めていた会社にパソコンが入った。その会社の社長の道楽なのか「西とか孫とかパソコンのビジネスが有るらしい」って研究せよって事らしい。機種はNECのPC9801、贅沢にも8インチフロッピーユニット付き。会社が潰れた時に資産概要を見たら120万円もしたのだが、当時は道楽に使ったとしか思っていなかった。
早速得意先のプログラムの打ち込みのためにコード変換とIBMフォーマットのフロッピーを吐き出せるプログラムをアッセンブラーで書いて仕事で使う事にする。当時の仕事は汎用機のCOBOL言語主体だったので結構「パンチマシン」として役にたった。
 ただ、僕はこのマシンで実現したいプログラムがあった、それは航空機の「フライトシュミレーター」。それまでも画面を持つコンピュータには興味が有って、新しいマシンでのシステム開発を任されると最初はオセロプログラムを作りながら言語の習得をした。
その中にはCOBOL(汎用機ACOSで動く)で作るオセロ、TOOLS言語で作るオセロ(当時のN6300)、アッセンブラーで作るオセロがあった。そこでこのパソコンでN88BASICでオセロを数種類作った。
 でもその能力の高さは汎用機の比では無かった。こちらが打つ場所を指定すると瞬時に打ち返してくる。「定石」とか入れてるのだけれど、それを考慮してなお瞬時に打ち返してくる。このCPUの速度は4MH程度だったと思う。
考えてみると当時仕事で使っている端末は80286程度でつながっているネットワークはNECのLEVELー2Bで2400bps程度。これに比べてCPUを手元に置けば格段の高速レスポンスだったのだ。

そのパソコンで最初に作ったのは「フライトシミュレータ」
 当時はマイクロソフトのフライトシミュレータが出る前。飛行機オタクなのでこの高性能のパソコンでは「物理的フライトシミュレータ」を越えることが出来るのではと思った。実は当時物理的フライトシミュレタを作っていた。天秤と風洞の仕組みを利用して主翼だけの模型がプロペラで揚力を得て離陸し、足であるギアを引っ込める部分まで完成していた。
 ま、その筋の人にしか解らないと思うけど、モーターにコントローラから送る電気を徐々に送ると主翼が地面を離れて浮き上がる。ここで脚上げ用のモータのスイッチを入れると「ウイーン」と鳴りながら主翼下の脚が取り込まれる。そこまでは工作で作っていたのだが、なんかマニアと言うかカルト的で悩んでいた。
 そこに現れた会社のパソコンにN88BASICでフライトシミュレータを作ることに挑戦した。
 これを時間外の趣味でやれば良いのだろうけど、当時の会社は独自ソフトとして開発しろって夢を抱いていた。それならN88BASIC言語ではどうしようも無いのだけれど、その意見は却下。とりあえずプロトタイプ開発を進めることになった。
正直言って趣味の世界をビジネスと考える社長の意識に疑問を持ったが飛行機オタクの心髄を極めたソフト作りが始まる。もっとも社員5人の会社だから手の明いた奴は居なく、別な仕事をしながらの作業で、プログラミングはほとんど僕一人である。
 出来たソフトは自画自賛だが出来が良かったと思う。フライトプランを作成して管制塔からの離陸許可をもらって、副操縦士の読み上げる速度で旅客機を離陸させる。各地のNDBの電波を受けながら風に流されながら指定のポイントで指定の高度を保つ。高度を下げる時は管制塔(運行管理)の許可を得る。最後の着陸はILSの利用も可能って具合。それぞれのポイントでの手順を得点として表示するものだった。
が、オタク過ぎた(笑い)。
結局商品化なんてほど遠く没になったのだった。ただ、このソースコードはN88BASICで書かれているので後年Q−BASICやVBに移植して言語の習得やマシンの能力の検定に使ったりした。当時流行していたパソコン通信でフリーソフトとして登録したこともある。
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2002.05.30 Mint