死、そして「お葬式」


 私は、医療者として人の死と日常的に関わっている。医者を始めて既に15年。いったい何人の患者 さんを見送ったことか・・。現在の病院でも否応なしに年間数人の死亡診断書を書いている。業務と しての関わりに追われ、死にまつわる家族の苦悩、苦労を忘れがちとなっている。そんな折り、母の 死に直面し、患者家族として体験する機会を得た。悲しいことではあったが、いい勉強をさせてもら ったと母に感謝している。
病院としては、ご遺体を病院から送り出せば仕事は終わりである。が、その後の家族の苦労は、恥 ずかしながら考えることはなかった。反省も含めて私の体験を記してみた い。

1.死を迎えて
 私は、神経内科医である。様々な神経・筋難病を診ているが、実際多く診る疾患は、脳梗塞、脳出 血といったいわゆる脳血管障害である。私が専門とする脳梗塞で母は倒れた。某総合病院に入院し、 おそらくは最高の医療を受けたに違いない。主治医は私の後輩であり、病状説明、治療方針の確認な ど、事細かく相談してくれた。
 主治医から緊急の連絡。またつまってしまいました。なにー! 今度は左の完全麻痺です。ヘパリ ン入れてたのに・・。今ならウロキナーゼ動注できるかもしれませんがどうしましょうか? じゃあ、 すぐアンギオやって、可能なら頼むよ。高齢でありますし、出血の危険もありますが・・。いい、で きることはやってあげてほしい。
 残念ながら右内頚動脈の完全閉塞です。側副血行もありません。これは予後不良です。と主治医の 適切な説明。まさにその通り。以後つらい戦いが始まった。
 患者家族としては十分な医療を受けることができたはずであり、心残りはないはずではあるが、専 門医という立場で振り返ってみると悔いは残ってしまうのである。私の予想通りに病状は進行し、予 想通りに死を向かえた。どうしようもない病状であったのだと納得しようとするのだが、あのときあ あすれば・・とつい思ってしまうのである。自分の専門以外の病気であったらどんなに精神的に楽で あったことか。
 幼稚園児の私の娘の厳しい言葉。パパお医者さんでしょ、どうしておばあちゃん助けなかったの? いい薬注射すればいいのに。
 さて、母は集中治療室(ICU)に収容されていた。当然ながら出入りは制限され、面会も制限される。 面会時間も決められている。これは全国どこでも同様である。死に直面し、あとわずかの命というと きの家族の気持ちというのを身をもって体験した。時間の許す限り側にいたいというのが当然の気持 ちである。家庭で家族に囲まれて死を向かえるのとは違って、病院では医療・看護の都合が優先され るのは仕方あるまい。しかし、今後患者のQOLだけでなく、家族のQOLも考える必要があること を実感した。
 また、当然のことだが(大変ありがたいことであるが)倒れたという報を聞き、多数の親類縁者が 病院に駆けつけてくれる。医者の端くれということで私が病状説明することになる。おまえが付いて いながらどうしてこうなったんだ。(ちゃんと医者からみてもらってたんだけど・・・)手足が全然 動かないけど大丈夫なんか?(大丈夫なはずないでしょ。)こんなに点滴されてかわいそうに・・。 (点滴しなきゃ死んじゃうよ。)もっといい病院に連れて行かなくていいの。(ここが一番いい病院 だよ。)何気ない言葉なのだろうけど、発症の時からずっと付き添っている家族にはつらい言葉であ る。ひたすら釈明して謝っている自分が情けない。
 親の死に水をとる、最高の親孝行だね。と慰められるが、自分の専門の病気で肉親を失うのはつら い。無力感から当分逃れそうにない。
 どのような形で死をむかえるか、むかえさせてあげるか、がんの末期医療との関わりで議論される ことも最近多くなっている。しかし病院としては日常的なこのような死の場面でも、どういう関わり が重要か病院としても考えねばならないのではないか。私の病院ではどうか?。・・・・・。医療者 の何気ない所作、発言が、患者家族にとっては重大な意味があるということを忘れてはならない。

2.家族は悲しんでいられない
 死亡が確認されると死後の処置が始まる。これからが家族は大変である。まず、遺体をどうやって 家に運ぶかという問題に直面する。自家用車じゃ無理だし、ワゴンはどうだ? いやいや葬儀屋に頼 もう。葬儀屋といったって・・。そんなの知らないよ。○○ 葬儀社いいんじゃないの? でも夜中だ よ。商売商売。ということで、電話一本、程なく葬儀屋が迎えに来て自宅まで運んでくれる。さすが 商売人。
 さてさて、北はどっちだったっけ? 一悶着あって北枕に寝かせる。おもむろに葬儀屋が一冊のガ イドブックを渡す。そこには今後遺族が行うべきことが事細かに書かれている。おいおい末期の水と かいう儀式をしてなかったよ。えーと、割りばしにガーゼを巻いて水を湿らせて口を濡らしてやれば いいんだって。臨終のときするんだってさ。今更言われたって・・。オーイ急いで水持ってこい。い やいや、禅宗ではお水取りという儀式があるらしいよ。コップとやかん持って来いよ。それにさあ、 お寺にも連絡して、枕経というものをあげてもらわないといけないんだって。電話して車で迎えに行 ったほうがいいんじゃないの。じゃあ、私が迎えに行って来るわ。
 慌てる我々に追い討ちをかけるように葬儀屋が話を切り出す。葬儀はどこで、いつ・・・。エート 通夜は・・・。 友引じゃないよね。じゃあ、明日通夜で、あさって告別式ではどうでしょうか。エ ー120人の会場なら空いてますが・・。それじゃ狭いんじゃないの? いっぱい来て入り切らないと失 礼だし・・。もっと広いとこないの? あいにく先客がありまして・・。商売繁盛だね。じゃ、日を ずらすか? あのー、失礼ですがお寺様の都合も聞いたほうがいいのでは・・。それもそうだ。
 枕経を上げにお寺様が到着する。お経が始まる。お礼はどうするんだっけ。気持ちでいいんだって よ。お布施って書くのかな? 志じゃないの? と騒ぎは続く。
 大騒ぎの末、日時、場所を決める。明日の通夜は2人、あさっての葬儀には5人で来るから宜しく、 と住職。あのー、誠に失礼かと存じますが、いくらくらい包めばよろしいので・・・。ここは本人に 聞くのが一番とガイドブックにも書いてある。
 あとは、葬儀屋の言うがままとなる。段飾りは、花は、香典返しの品は、挨拶状は、新聞広告は、 お斉の人数は、料理は、引き出物は、霊柩車の型は、バスの手配は、と次から次へと処理しなければ ならないことが続く。お斉の席順など大問題である。
 とまあスケジュールに従ってセレモニーは進む。入院中から寝ていない日が続いている。家族はつ らい。

3.無煙
 火葬場といえば煙突からの煙を思い浮かべてしまうが、現代の火葬場は煙突が見当たらない。当然 煙も出ない。煙をまた燃焼させてしまうので煙は出ないんですよ。最近の魚焼きも煙が出ないのがあ るでしょう。と職員の説明に感心する。煙突から立ちのぼる煙を見ながら涙しようか、と思っていた のだが、拍子抜けである。
 程良く焼き上げられて、母の遺骨が台上に並ぶ。こっちが頭で、あっちが足です。エート、これが 喉仏で・・・。大きい骨から拾ってください。小さいのは拾い切れませんから、もういいですよ。あ のー、残りはどうするんですか。こっちで処分します。なんとなくもったいなく感じるのが家族の気 持ちであろう。ほんとにどう処分するの?

4.そして
 あっという間の出来事で、まだ夢の中のようである。面倒なしきたりにはうんざりもするが、慣習 を打破するのも困難である。昔ながらの家社会である。少しずつ様変わりしていくことだろうが・・。 儀式を重んじ、慣例に従わねば無礼な世間知らずということになる。私が死ねば、子供達も苦労する んだろうな。仏教徒でもない私だが、結局葬儀は仏式で、ありがたい戒名を付けてもらうんだろうな あ。でも、できればフォーレのレクイエムでもBGMに流してほしいなあ。マーラーの5番のアダー ジェットもいいな。ここは、カラヤンで行くべきだな。などと自分の葬儀に思いを巡らせている今日 この頃であります。


1998年8月