昔の性教育


明治の初めの性教育では、オナニーは「手淫」とか「自涜」とか呼ばれていました。(涜のつくりは、本来は「売」の旧字の「賣」を書くのですが、JIS漢字には登録されていないようです。「自らをけがす」という意味で「ジトク」と読みます。) 漢字を見ても分かるように、良くないものとして扱われていたのです。
当時のお国の事情で、オナニーは「すっげえ悪いこと」として教育されていたのでした。

「自慰」という言葉は、その悪いイメージをなんとか払拭するために 小倉清三郎という人が大正11年に発明した言葉でした。 自らを慰めるという意味ですから、否定的意味合いはなくなっているのですが、 この言葉が普及するのは昭和になってからです。

それでも「自慰」が普及してからも、まだまだ悪いイメージは付いて回っていたのでした。


  • キリスト教 日本の江戸時代には、「せんずり」「かわつるみ」などと呼ばれていて オナニーは悪いものとは見なされていませんでした。 オナニーを悪いと考えるルーツはキリスト教にあります。 「生殖に結びつかない性行為は、神への冒涜である。」 というのがその発想の大元です。 (どちらが先かは分かりませんが、"Masturbation"も、その語源のラテン語は「手を汚す」の意味であり、否定的意味合いがあります。)

  • 富国強兵 明治の初め、日本政府は「産めよ殖やせよ」というスローガンの元、 富国強兵政策を推し進めます。 その一環として、国家による国民の性生活の管理を目論みました。
    つまり、「結婚のみが、正しい性関係である。」
    「SEXは子供を作るためのものであり、それ以外の目的で行うことはいけないことである。」という思想を教育に盛り込んでいったのです。 このときキリスト教の論理が利用されたのは、想像に難くありません。 Masturbationが「自涜」と訳されたのも、この時代です。

    ここで「オナニー」は大打撃をうけて、とてつもないマイナスイメージを植え付けられるのですが、現代に向けて、徐々に回復していきます。以下その歴史を振り返ってみましょう。

    (以下は、山本直英さんの『性の人権教育論』という本の中で、昔の性教育がどんなものだったかを、「自慰」に関する考え方の変遷を通して紹介している部分からの抜粋です。)

  • 澤田順次郎 『性欲に関して青年男女に答える書』 (大正8年刊行): 序文に、「青年男女に、自涜妄行及び不正淫行等の、毒蛇よりも恐ろしくて、身を亡ぼすものなることを知らしむに足ると思ふ」と本の趣旨を宣言しています。
    本文では、自涜による疾病として、 神経衰弱、色情異常、同性に対する色情倒錯、近視眼、夜盲、消化不良、心臓病、生殖器発育不全、遺精、早漏、などを列記し 性的に抑圧されている女子の場合は男子より自涜的行為が多いのでその疾患も多い、 と警告しています。 性教育の目的はまさにこの自涜の防止にあって、 独居中と上厠中と就寝中を監視し、 「習癖の烈しき者は、其の手を縛しなくてはならぬ」とか、 進んで禅を修め一切の邪念妄想を断ちきることなどと、 青年のプライバシーへの管理を説いています。

  • 昭和24年に出た『性教育のありかた』には、「性的危険を予防する方法」として、 「性的刺激の環境から遠ざける工夫」とか「朝目覚めた時は直ちに飛び起きる習慣」とか 「外性器に直接する下着類はゆるやかに窮屈にしない」とか「性的意識を転換させる工夫として運動競技や趣味娯楽を楽しむ」などと暗に自慰を防止するような指導法が並んでいます。

  • 山下俊郎、阪本一郎、武政太郎 『性教育心理学』(昭和26年刊行): 武政は「倒錯現象」という項目で「男子大学生が自慰的性行為をはじめるようになった動機は、ほとんど100%年長の友人から教わっている。このことは性教育において特に注意しなければならない。すでに述べたように自慰的性行為は、少青年男女の男らしさ、女らしさを消滅させる恐れがあるのである。また青年期の美しさをうしなうことになる」

  • 鈴木清、間宮武 『純潔指導』(昭和29年刊行): 「強い性衝動を、一般に青年はいかに処理しているかというと」のなかにスポーツやダンスや散歩や自戒などに混じって、「自慰」という字句が一カ所だけありますが、それ以上の記述はありません。

  • 文部省版 『性と純潔』(昭和38年刊行): あたりから、よく見られる言葉があります。それは「性の昇華」ということばなのです。 これは、フロイトの説でスポーツや芸術活動などで性欲を発展的に解消できるという考え方です。

  • 望月衛 『愛情と性の教育』(昭和36年刊行): 当時の教育書としてよく読まれた本ですが、「自慰」という一節があります。その文の冒頭に「自慰を知るようになるきっかけは、半分は、だれかに教えられるか、本や雑誌を読んで知ることです。今この本に、こんなことを書いたので、思春期以後のものが読んだとしたら、それは、自慰をうながす結果を生むかも知れません」といった気配りがまだ見えます。 「自慰はけっしてすすめられることでもありませんが、さりとて、絶対に禁じることのできるものでもないわけで、たいていの青年男子は、独身のとき、これを経験しているのですから、そうまでして禁じようとしても、どうすることもできません」といった書き方にも、自慰解禁の頃の望月の苦衷が出ています。ほかにも「(自慰は)心身の緊張をもとの状態にもどすことなのであって、生理的に必要であっても、たいして人間としてプラスになることではありません」。そして禁欲の方法としてスポーツなどで、「『精力』を使い果たす」昇華こそ人間的だと説いています。なお女子については「自慰の経験は結婚前はほとんどないこと。また女の中には、ついに一生性欲を経験したことのない人もいる」ことなどの例をあげて、まったく扱っていません。

  • 『中学生と思春期−男子編−』(昭和41年刊行): 子供向け冊子
    『純潔指導』(昭和43年刊行): 教師用の解説書
    両者とも「自慰よりも昇華を」という考え方。

  • 『生徒指導における性の関する指導−中学校・高等学校編−』(昭和61年刊行): 文部省の手引き書
    「過度の自慰に悩む男子中学生」の指導についての項目では「自慰は無害だという表層的な指導に終わらず、自己をコントロールすることの大切さなどを理解させる」といった方針が記載されています。

  • 現在: 「自慰は無害。だけど、し過ぎてはいけない。だから、他のことで充実した生活をしよう」というとらえ方が、ほぼ多くの性教育書のようすです。 この「だけど」が「無害」のあとに必ず続くことに注意してみてください。そして「だけど」以下の書き方には、まだいろいろな配慮や心配があって、これで著者の「自慰感」がわかり、実はその本音が読みとれます。試しに、身近にある性教育の第一人者とかいわれる指導者たちの本を読み解いてみれば、これが?と思うほどの時代遅れもあります。


    (抜粋終わり。 山本直英さんの『性の人権教育論』は、明石書店から¥2500で刊行されています。山本直英さんは、「自慰は無害どころか、いくつかのメリットをもち、個人の性的自己決定に委ねるプライベートな性的権利(セクシャルライツ)」であるという考えを持っており、「性行動の自己決定や性的自立」を目指す性教育を押し進めている、”人間と性”教育研究所の所長さんです。)


    このように、とてもとても長い間、オナニーは悪いものとして、多くの大人たちの頭にインプットされ続けてきたのでした。 それは、世代ごとに程度の差こそあれ、社会の一般常識として根深く定着しています。
    私も、「オナニーもSEXも、他人に迷惑をかけさえしなければ、何をやろうと個人の自由。どうやるかは自分自身で決めること」というのが性教育のあるべき姿なんだろうと思います。 そして、学校での性教育もそういう方向に変わりつつあるようですが、学校でないところでも、子供は影響を受けます。 もう少し世代が交代しないと、社会の一般常識は変わっていかないでしょう。
    今後もまだしばらくオナニーのマイナスイメージは、払拭しきれないかもしれませんが、みなさんは、変なことをいう古い世代がいても気にしないで、自分で納得できる自分のオナニーをしてください。 (「自分の自分による自分のためのオナニー」ってね。^^))


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