あしか堂探偵団のページ 3

「羊をめぐる冒険」(文庫版)

上巻P.11より引用

 ある時にはそれはミッキー・スピレインであり、ある時には大江健三郎であり、ある時には「ギンスバーグ詩集」であった。要するに本でさえあれば何でもいいのだ。

ミッキー・スピレイン (Spillane, Mickey 本名:Spillane, Frank M)

【生没年】 1918.??.??-
【略 歴】  アメリカの推理作家。ニューヨーク市生まれ。
      カンザス州立大学卒業。高校時代から小説を書いて収入を得る。
       第2次世界大戦後の1947年『裁くのは俺だ』を発表、以後私立探偵
      マイク・ハマーを主人公とするシリーズ作品を書き継ぎ、ベストセ
      ラー作家となる。新興宗教を信心して休筆していたが、1961年から
      再び創作活動を始める。
【代表作】 『裁くのは俺だ (1947)』
      『大いなる殺人』
      『蛇 (1964)』

大江健三郎

既出

ギンスバーグ (Ginsberg, Allen)

【生没年】 1926.6.3-
【略 歴】  アメリカの詩人・作家。ニュージャージー州ニューアーク生まれ。
       コロンビア大学に学び、文学士(1948)。軍事海運勤務に就いた
      後、ニューヨークのNewsweekの書評を担当。多くの詩朗読会とデ
      モンストレーションに参加。1971年以降、ニューヨークの詩財団
      委員会の理事を務めている。1974年、コロラド州ボールダーのナ
      ローパ・インスティテュート、ケラワック詩学スクールを創設。
       全米図書賞(1979)、全米芸術協会金メダル(1982)、ロサンゼル
      スTimes賞(1982)などを受賞。アメリカ・アカデミー会員(1973)。
       ニューヨーク在住。
【代表作】 『詩集 吠える, (1956)』
上巻P.20より引用

 午後の二時で、ラウンジのテレビには三島由紀夫の姿が何度も何度も繰り返し映し出されていた。ヴォリュームが故障していたせいで、音声は殆ど聞きとれなかったが、どちらにしてもそれは我々にとってはどうでもいいことだった。

三島由紀夫 本名:平岡公威

【生没年】 1925.1.14-1970.11.25
【略 歴】  小説家・劇作家。東京市四谷区生まれ。
      詩歌・俳句などの習作は、学習院初等科時代より手がけていた
      が、昭和16年、国文学の師、清水文雄の推薦で「文芸文化」に
      『花ざかりの森』を連載、三島由紀夫をいう筆名をはじめて使う。
      昭和19年、東京大学法学部に入学。同年、処女小説集『花ざかり
      の森』を刊行する。昭和22年、東京大学卒業、大蔵省入省するが、
      翌年退職し、作家活動に入る。昭和24年、長編『仮面の告白』を
      発表し作家としての地位を確立した。
       昭和36年発表の短編『憂国』を発端として昭和精神史ともいう
      べきナショナリズムが生まれ、創作だけではなく、行動へと表現
      範囲の広がりを見せ始める。文学と行動の関係は、次第に理論化
      され、独自の文武両道論を形成するに至る。
       昭和42年、自衛隊に体験入隊。そのとき同行した学生らと「楯
      の会」を結成。昭和45年5月、大学紛争当時の東大全共闘と討論。
      11月25日、「楯の会」のメンバーとともに自衛隊市ヶ谷駐屯地で
      自衛隊の決起を促すが果たせず、総監室で割腹自決した。
       新潮社文学賞、読売文学賞など受賞。
【代表作】 『長編 仮面の告白, (昭和24)』
      『長編 金閣寺, (昭和31)』
      『長編 豊饒の海, (昭和40-6)』
      『戯曲 鹿鳴館, (昭和31)』
上巻P.37-38より引用

 「しかしどことなく『白鯨』のような趣があります」
(中略)
「私がここをドルフィン・ホテルと名付けましたのも、実はメルヴィルの『白鯨』にいるかのでてくるシーンがあったからなんです。
(中略)
「『白鯨』が好きなんですね?」と彼女が訊いた。
「ええ、それで小さい頃から船乗りになろうと思っていたんです」


メルヴィル(Melville, Herman)

【生没年】 1819.8.1-1891.9.28
【略 歴】  アメリカの小説家。ニューヨーク生まれ。
       ニューヨーク男子中学校、オールバニー学院で教育を受ける。
       1844年から作家として活動を始め、水夫として捕鯨船に乗り込
      んだ体験に基づいた小説などを発表した。『タイピー, (1846)』
      『マーディ, (1849)』『白鯨, (1851)』などは古典と目されて
      いる。中でも『白鯨』は、発表当時はあまり顧みられなかったも
      のの、雄大な海の叙事詩として名高い。
       晩年は、ニューヨーク港の税関吏を勤めた。ニューヨークに
      て没。
【代表作】 『白鯨, (1851)』
上巻P.62より引用

 スーツを三着とネクタイを六本、それに流行遅れのレコードを五百枚持っている。エラリー・クイーンの小説の犯人は全部覚えている。プルーストの『失われた時を求めて』も揃いで持ってるけど、半分しか読んでない。

エラリー・クイーン(Queen, Ellery)

 *注 1* フレデリック・ダネイとマンフレッド・B・リーという従兄弟のペン
    ネーム。
 *注 2* Mystery Leagueの編集(1933-4)、Ellery Queen's Mystery Magazine
    の編集(1941-)をする。また、全米推理作家協会の協同設立者であり、
    ともに会長を務めた。
 *注 3* 全米推理作家協会エドガー・アラン・ポウ賞ラジオ・シナリオ部門
    (1945)、同小説部門(1947, 49)、同特別賞(1951, 68)、同大賞(1960)
    を受賞。
フレデリック・ダネイ(Dannay, Frederic)
【生没年】 1905.10.20-1982.9.3
【略 歴】  ニューヨーク市ブルックリン生まれ。
       ブルックリンのボーイズ高校に学ぶ。1931年以前は、ニューヨ
      ークの広告代理店でコピーライター兼美術担当者として働く。
      1931年からリーとともに作家活動、リーの死後(1971年以後)は単
      独で作家活動を続ける。
マンフレッド・B・リー(Lee, Manfred Bennington)
【生没年】 1905.1.11-1971.4.3
【略 歴】  ニューヨーク市ブルックリン生まれ。
       ブルックリンのボーイズ高校及びニューヨーク大学に学ぶ。
      1931年以前は、ニューヨークの映画会社で広告を書く。1931〜
      71年、ダネイとともに作家活動。
【代表作】 『エジプト十字架の謎, (1932)』
      『ギリシア棺の謎, (1932)』
      『ハートの4, (1938)』
      『災厄の町, (1942)』
      『十日間の不思議, (1948)』

プルースト

既出
上巻P.64より引用

 「さっきも言ったようにひとくちじゃ言えない。しかしニーチェの言葉にもあるように、退屈さには神々も旗をまくってね、そういいうことさ」

ニーチェ (Nietzsche, Friedrich Wilhelm)

【生没年】 1844.10.15-1900.8.25
【略 歴】  ドイツの哲学者。リュッツェン付近のレッケン生まれ。
       プォルタ学院で教育を受け、ボン・ライプツィッヒ大学でリッチェ
      ルについて文献学を研究。リッチェルの推薦によりバーゼル大学の
      教授となる(1869-79)。『悲劇の誕生 (1872)』で生の歓喜と厭世、
      肯定と否定とを芸術的形而上学に築き上げた。ヴァイマールにて没。
【代表作】 『人間的な、あまりに人間的な (1878-80)』
      『黎明 (1881)』
      『ツァラトゥストラはかく語りき (1883-91)』
      『善悪の彼岸 (1886)』
上巻P.121より引用

 僕だって十九世紀に生まれていたら、もっと立派な小説が書けたと思うんだ。ドストエフスキーとまではいかなくても、きっとそこそこの二流にはなれたよ。

上巻P.197より引用

 僕は「カラマーゾフの兄弟」と「静かなるドン」を3回ずつ読んだ。「ドイツ・イデオロギー」だって1回読んだ。円周率だって小数点以下十六桁まで言える。

ドストエフスキー

既出
上巻P.132より引用

 サイドテーブルには古い型のスタンドが載っていて、そのわきには本が一冊伏せてあった。コンラッドの小説だった。

上巻P.163より引用

 夕食を済ませたあと、僕はネズミの部屋から「パンの焼き方」という本と一緒にコンラッドの小説を借りてきて、居間のソファーに座ってそれを読んだ。

コンラッド(Conrad, Joseph 本名:Teodor Josez Konrad Nalecz)

【生没年】 1857.12.3-1924.8.3
【略 歴】  イギリスの小説家。ロシア治下の南ポーランド生まれ。
       クラカウ大学に学び、のち渡英、帰化する。アフリカで
      健康を害したあと、創作に専念し、処女作『オールメイアの愚挙
      (1895)』を発表。ケント州にて没。21歳の時、初めて耳にしたと
      いう英語を巧みに駆使して、人間の誠実と勇気をたたえ、鮮やか
      な心理と自然の描写に満ちた新しい海洋小説を創始した。
【代表作】 『ナーシサス号の黒奴 (1897)』
上巻P.134より引用

 「プルターク英雄伝」や「ギリシャ戯曲選」やその他の何冊かの小説だけが風化をまぬがれて生き残っていた。

プルターク(Plutarch)

【生没年】 46頃-120以降
【略 歴】  末期ギリシアの道学者、史家。
       カイロネイアの富裕な名門に生まれ、アテネで高等教育を受けた。
      主に哲学を学びながら、故郷の市政にも力を注いだ。
       多作家で227部を著作したと伝えられているが現存するものは
      わずかである。英雄伝として有名な伝記は、晩年の作で、対比列伝
      と呼ばれ、ギリシアとローマの類似の生涯を送った23組46人を
      対比して比較研究したもの。他に4人の単独伝記が残っている。
【代表作】 『[プルターク]英雄伝 (刊年不詳)』
上巻P.176より引用

 つまり、竜や貘と同じ程度にイマジナティブな動物だったと言ってもいいだろう。事実、明治以前の日本人によって描かれた羊の絵は全て出鱈目な代物だ。H・G・ウェルズが火星人に関して持っていた知識と同じ程度と言ってもいいだろう。

H・G・ウェルズ

既出
上巻P.180より引用

 私はマルクスを肯定するよ。彼は原初の混沌を記憶している数少ない天才の一人だからね。私は同じ意味でドストエフスキーも肯定している。しかし、私はマルクシズムを認めない。あれはあまりに凡庸だ。

カール・マルクス (Mark, Karl Heinlich)

【生没年】 1818.5.5-1883.3.14
【略 歴】  ドイツの社会主義者。プロイセンのライン州トリール生まれ。
       ボン及びベルリン大学で法学・歴史・哲学を学び、卒業後に論文
      <デモクリトスとエピクロスとの自然哲学の差異, 1841>によって、
      イェナ大学から学位を得る。
       結婚後、パリへ行き、『ヘーゲル法哲学批判 (1843)』『ユダヤ人
      問題 (1843)』を発表、プロレタリアート解放の革命的な立場を明ら
      かにした。パリでは、エンゲルスと親交を結び、プチブルジョア的社
      会主義の批判を通して科学的社会主義(共産主義)を確立するために
      生涯にわたって協力していくこととなる。
       パリ追放後ブリュッセルへ行き、未完の『ドイツ・イデオロギー
      (1845-6)』を書き、さらに経済学研究の土台となる『哲学の貧困
      (1847)』を書いた。
       エンゲルスと共同で発表した『共産党宣言 (1848)』はあまりにも
      有名であるが、この著によって、共産主義の理論と戦術を圧縮した
      形で体系的に示した。
       2月革命後パリへ、3月革命後ケルンへ行くが、革命挫折後に告
      訴され無実となったもののドイツからは追放され、パリを経てロン
      ドンに渡り、没年まで居住した。
【代表作】 『経済学批判 (1859)』
      『資本論 (1867-1894)』

ドストエフスキー

既出
上巻P.224より引用

 そのあいだ僕はソファーに座って、「シャーロック・ホームズの事件簿」を読んでいた。その話は「私の友人ワトスンの考えは、せまい限定された範囲のものではあるが、きわめて執拗なところがある」という文章で始まっていた。なかなか素敵な出だしだった。

上巻P.233より引用

 僕は家に帰って歯を磨いてパジャマに着替え、ベッドに入って「シャーロック・ホームズの事件簿」の続きを読んだ。

下巻P.9より引用

 飛行機に乗っているあいだ、彼女は窓際に座ってずっと眼下の風景を眺めていた。僕はその隣でずっと「シャーロック・ホームズの事件簿」を読んでいた。

下巻P.142より引用

 僕はスタンドの灯りで「シャーロック・ホームズの冒険」を読んだ。

下巻P.146より引用

 15分ばかりそこに座ってぼんやりしてから歩いて家に戻り、居間のソファーに座って「シャーロック・ホームズの冒険」のつづきを読んだ。

コナン・ドイル

既出

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