−エアドームの完成(1989年9月)−
『毎年ドーム作りに全力を費やして、他の展示物が充実しないのは進歩がない』というOB金久氏の発案で前年文化祭後にスタートしたエアドーム計画は、全くのノウハウが無い中、試行錯誤を繰り返しや、膨大な針仕事を乗り越え、やっと完成した。5m径のエアドームは当時の高校では国内最大級であった。(写真は11、12期生のメンバーとエアドーム)初めてドームが膨らんだ日の感激は何者にも代え難かった。。しかし、文化祭前のドーム作りの作業を軽減し、他の展示物に力を入れるという当初のコンセプトは数年で崩れてしまい、次第に他の展示物にも手抜きが見られるようになった。ただ、最後の文化祭(1995年)も部員一人と当日だけ応援に駆けつけた卒業生数名で上映できたように、その貢献度は計り知れない。
−エアドームの送風口−
直径5mのドームを数分で膨らます工業用換気扇。当初中古品をさがして走り回って、油でベトベトのものを見つけたが、200V用で学校の電源では使えないことが判明。急きょ新品を求めた。結果的にまる7年にわたる使用の結果一度もトラブル無く活躍してくれた。写真はドーム発案者の金久氏。
−ドームの中で−
真っ暗にした、エアドームの中で『ぶおーん』という送風機の音を聞きながら、ぼーっとするのが、天文部員の楽しみの一つであった。特に春の新入生歓迎会のころは、文化祭の時ほど切羽詰まった感じもなく、まる1日ドームの中で星を映しながら、雑談に耽ることもあった。