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もの心がついたときから,

世の中には漫画というものが出まわっていた.

今は活字を読むことの方が多いが,

昔は活字を読むのが大嫌いだったので,

漫画ばっかり読んでいた.



漫画を読んで読んで読んで読んで

読んで読んでまた読んで

そのうち適当に読み流すようになって

暇つぶしに読んで

適当に雰囲気だけ読んで...

そうこうしているうちに,

読むだけでは物足りなくなって

描き始めるようになってしまった.



なにを描くのかということ.



その昔美術の授業があった.

だいたい絵を描く前に先生から説明があって

さあ今日は***をテーマとして描いてみましょう.

というように

テーマは与えられるものであった.

だからそれにそって感じたことを描けば良かった.

それが,たまに

今日は自由にすきなものを描いてみましょう

という日があったりした.

大変困ったのを憶えている.

自由に描けと言われた瞬間に

頭の中が真っ白になった.



テーマを与えられていたときにはあれほど

次から次へとイメージが頭の中に浮かんできていたのが,

自由に描けといわれて,

これほどまでに頭の中が真っ白になるものかと

びっくりするほど

何も描きたいものが浮かんでこなかった.



何故浮かんでこなかったのか...

慣れていなかったせいなのか

自分から進んで描きたい気持ちでなかったからなのか

思想的なものが自分の中になかったからなのか

いろいろと後から理由はつけることができるが

今にして思うと

準備が出来ていなかったからなのだと思う.



自分自身は何が好きなのか.

自分自身は何を言いたいのか.

そのあたりのことをしっかりと考えて

普段からよく自己観察していて

はじめて描きたいものが生まれてくるものである.

逆に自己観察をしていないと

能動的なものが

全然出てこないのである.



この自己観察を繰り返し,

慣れてくると,あらゆるものが題材となり,

あらゆるものを自分の中に

とりこむことが出来るようになる.



最近一枚の絵を描いた.

120×80cmのサイズの絵だ.

このサイズになるとかなりの思い入れを

おもいっきりぶつけるつもりでいかないと

途中で萎えてしまう.

一年前にも同じサイズの絵を描こうとした.

でもそのときは120×80cm全部を埋める前に

頭の中が真っ白になってしまった.

今回は120×80cm全部を埋めるまで

なんとか頭の中が真っ白にならずに済んだ. それだけの準備をすることが

出来るようになってきたのであろうか.



この漫画描きを長く続けてきたおかげであろうか...

1998/02 琵琶湖のほとりにて
ADAPRO