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なにげなく,いきあたりばったりで始めたこのページの連載ですが

いつのまにか1年が過ぎていました.

ネタはあるが,どうやって表現したら

こっちの感覚が伝わるのかなぁなどと

深く考えながら描く日もあれば,

適当に描いたら

出来てしまったという日もありました.



懸命に考えて描き上げたものよりも

適当に描いたものの方が良くて

どういうことだ...これは...

などと考えてしまい,

きっとプロの人たちは

どんな時でもある程度のレベル以上の作品を

仕上げることができるんだろうなあなどと

勝手に感心したりして,

俺はアマチュアなんだから

浮き沈みがあったほうが

アマチュアっぽくっていいだろうなどと

楽天的に考えたりしました.



頭にひらめいたことを一瞬で

具現化できればいいのですが,

紙に書くのには時間がかかるし,

その間中ずっと

テンションをハイな状態に

いかに保つことができるかが

重要であるような気がします.



難しいのはどこまで描いたらOKにするのかということ.

アマチュアには編集者などはいないので

自分のプライドでもって

決めるしかないのですが,

買い物に行って,目的のものが見つからなくって

あっちこっち捜したけど

ぜんぜん見つからなくって

この盛り上がってしまった気持ちを

いったいどうしてくれようか...

他の買い物をすることでまぎらわそうか...

それともこのまま泣き寝入りするのか...

という決断にせまられた時のような気分になり,

結局正解などあろうはずもないので

その時の気分次第で

決めちゃったりしてしまいます.

ただ言えるのは

ちょっといきすぎたなというのよりも

ちょっと足りないなという感じのほうが

後々冷静になってみると

良かったりするので

なるべくそうするようにしています.



先日自分の生家に帰った時,

使い古した本棚の中に自分の小学校1年生の時の

文集を発見しました.

あのころはどんなことを書いていたんだろうと

気になって読み返してみました.

実に他愛のないことを書き綴っているのですが

担任の先生がお書きになったその文集のまとめに

ふと目がとまりました.

--------------------抜 粋----------------------------
一学期の中頃より日記をつける子がぼつぼつあらわれ,現在では
生活習慣として身についてしまった子が幾人もいることをうれしく思
っています.一日にしたことをもう一度思い出して自分の行動や感想
を文にしてみるということは物事を論理的に考える訓練にもなります
し,日々を有意義におくろうとする意識の芽生えにもなります.
私も日記をつけて担任の先生に感想を朱書きしてもらうのが楽しみで
した.この楽しみを少しでもわけたいと出来る限り感想を書きましたが,
限られた時間内,充分にして差しあげられなくて残念に思っています.
ですが,毎日読ませてもらって思わず吹き出したり,考えさせられたり,
口では言えない楽しい対話をさせてもらいました.
学校外での生活,おうちでの習慣,友だち関係など授業だけでは計り
知れない子ども達の側面を知る貴重な資料ともなりました.私達の
たいていは,子どもの時分の生活を忘れてしまっていますが,自分
自身の手による幼い頃の生活記録があったら....どんな愛読書にも
まして大切な蔵書となることと思います.
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読んでいるとなんだか

大人になった今もなお,この先生の言わんとしていることを

自分は漫画を描くことによって

続けているんだなあと思ってしまいました.



漫画を描いていて思うこと.

もの作りというのは難しいなあということ.

意識の持ち方によっていままで全然気にしていなかったことが

見えてくるなあということ.

公共のメディアを使って馬鹿なことを

描いているなあということ.

おまけに自分自身の頭の中身を(頭の悪さを)

さらけ出しているなあということ.

「それでも描きたいんだなあ,これが.」ということ.



「これからも出来る限り描きつづけるぞぉー」ということ.



1997/08 琵琶湖のほとりにて
ADAPRO